2024年12月30日月曜日

「このまま、たまごがけご飯、決行」

「なにもする気がしない」「なんか腹が減ってきた」「たまごがけご飯を食べよう」と思って、ご飯をどんぶりによそり、卵を割ってみたところで、気がついた。「うーー。三つほくろのように血がついている」「これは、食べても問題はないのだけど、なんか気持ち悪いのでとろう」「すでに、ご飯の上にかけたあとだからなぁ」「これ、案外、むずかしい」「おっ、なんとか、ひとつとれた」「うむーー。しかし、のこりのふたつは、ちいさいし、とりにくい」「も、う、いいや」「めんどくさい」「このまま、たまごがけご飯、決行」と思い、たまごがけご飯を食べた。

あれ、とりにくいんだよなぁ。なんか、平飼いたまごは、ついているのが多いなぁ。『楽だ』と書こうとしたけど、楽じゃなかった話ですーー。

2024年12月29日日曜日

なんとか、骨格を思い出して似たような文章を書くしかない

 ふっとんだ文章を書けない。内容は、おぼえているのだけど、どうも、書けない。あれは、俺にとってはけっこう重要なことなんだけど、どうしようかな? なんとか、骨格を思い出して似たような文章を書くしかないなぁ。

年末年始か……

 「アキバの福袋」系動画と「お金にとりつかれたずんだもん」系の動画を見てすごす。「お金にとりつかれたずんだもん」のあらすじは、自分の母親が●●症になり、老人ホームに入れてやりたかったけど老人ホームに入れないまま、母親が死んだことをきっかけとして、お金を貯めることに夢中になり、家族関係がこわれたずんだもんの話だ。節約をすることに夢中になって、家族に自分の基準をおしつけた結果、家族仲が悪くなり、妻とは離婚して、子どもとも疎遠になるという話だ。「アキバの福袋」は、そのまま、秋葉原電気街のPCショップなどをめぐって、福袋を買い、開封して遊ぶというものだ。まあ、もう、電気街ではないかもしれないけど、電気街といいたいので電気街と言っておいた。PCショップの福袋だけど、ゴミしか出てこない。これは、きつい。まあ、ときどきあたりがあるかもしれないけど、あんまり、得した気持ちにはならないだろう。「あー、これ、どうするんだよ。捨てるしかないか」みたいな感じがするやつと、「オークションに出してみるか」という感じがするやつが多かったな。貯金に夢中になって、家族仲が悪くなる動画のくだりは、ぐっとくるものがあったな。

しかし……、どうするかな……。どーーしようかなぁ。年末年始か……。 

アキバの福袋は、なんとなく気持ちがわかるし、ぼくは買わないけど、ああやって動画を上げる人たちがいるということは、いいことなのかなと思う。しかし、動画を見るだけで、一切合切、行かないというのも問題があるような気がする。しかし、しかし、トランスミッション(シェディング)の問題はでかいので、いまは、行動しない。あたったら、おしまいだ。

すぐにけす

 アメリカでは反ワクさんの名誉が回復しつつあるけど、日本では、まだまだ、だな。目立ったところにいた黒側の反ワクが、全員逮捕されるべきだ。ほそぼそと、目立たないところで、攻撃をうけながらやっていた人以外、全員、黒側の反ワクなんだよ。黒側の反ワクに嫌悪感をもった人たちは、ワクチンを打つことに抵抗がなくなったわけ。「ばかなやつら、きらいなやつら、むなくそ悪いやつらが危険だと言うのだから、逆に安全だ」と思ってしまったわけ。黒側の反ワクの人たちは、その主張とはちがって、一般人に、ワクチンを打たせることになる。ようするに、隠れたワクチン推進派だ。

ちなみに、黒側の反ワクを揶揄する人たちも、黒側のバイトである場合がある。ネットだと、相当数の人が、黒側バイトとして黒側の反ワクをばかにしていた。これは、漫才のボケ・ツコッミみたいなものだ。セットなのである。で、そのボケ・ツコッミ漫才を見て、一般の人が、反ワクをばかにし始めるのである。一般の人というのは、テレビの専門家にだまされ、黒側の反ワクにだまされ、黒側の突っ込み役の人にだまされて、だまされっぱなしなのだ。もちろん、「反ワクはバカ」と思っているので、自分のほうが反ワクのばかより頭がいいと思っているのだけど、だまされている。

イロン・ハンロン・オブジェクションも黒側の論客と黒側の論客のボケ・ツッコミ漫才のようなものだ。まあ、お芝居プロレスみたいなものだよ。なら、黒側の論客と、別の黒側の論客の仲がいいのかというと、そうじゃない。そうじゃないのだけど、やっぱり、黒側なんだねぇ。たどっていくと、黒の頂点にいきつく。

現実というやつはぁ

 最近、よく、鼻血が出るんだよ。

現実というやつはぁ。

ブレーカーがとんで、書いていた文章がとんだ

 ブレーカーがとんで、書いていた文章がとんだ。これ、こまったなぁ。エアコンとパソコンとオーブントースターの根本的な電源がおなじだ。だから、オーブントースターをつけたあと、しばらくすると、ブレーカーがあがってしまうことがある。オーブントースターをつけたとたんにブレーカーがあがるのではなくて、オーブントースターが平叙運転していて、突然、でれかーがあがるのである。こまるんだよなぁ。エアコンをつけて、オーブントースターをつけると、たいていの場合、うまくいくのだけど、うまくいかない場合がある。頻度が少ないから、まあいいや」という感じだったのだけど、目の前、真っ暗だからな。突然、画面がぴょんと消えて、自分の文章もきえてしまうのは、考え物だ。

まあ、これ、根本的な電源をかえることで対処しよう。まあ、できなくはないんだよね。

エアコンの暖房が、夜になるとまったくきかない。外気温がさがりすぎると原理的にうまくいかないのだ。どうしようかな。

きれいごと

 悪いやつがいるから、トラブルがしょうじて、めんどうなことになるのに、悪いやつが「きれいごと」をのたまう。のたまう。きれいごと、ばっかり言って……。はやく、悪い人がいない世界に行きたい。あるいは、はやく、悪い人が少ない世界に行きたい。ほんとうに、この世は、悪でまわっている。上から下まで、きれいごとばかり。ところが、いろいろな意味で悪いやつが、悪いことをする。悪いやつはみんな……たぶんだけど……悪いことをしたと思ってない。あたりまえだと思っている。あるいは、「いいことをした」と思っている。

俺がダメージを受けることになるんじゃないか

 どの方法を選んでも、どの順番を選んでも、けっきょく、俺がダメージを受けることになるんじゃないか。気がたって眠れなくなった。けっきょく、俺がダメージを受けるのか。もう、いやなんだよね。もう、ほんのちょっとも、ダメージをうけたくない。『ラクダの藁(わら)』とおなじで、もういっぱいいっぱいだから、一本のワラで、くだけ落ちる。『ラクダの藁』って、ラクダがものすごい量の荷物を背負って立っているのだけど、一本の藁を、くわえただけで、立っていられなくなって、ダウンしてしまうこと。うずくまってしまうこと。

ともかく、俺がダメージを受けることになる。俺は、ダメージを受けたくない。もう、これ以上、ダメージを受けたくない。受けたくないんだ。

2024年12月28日土曜日

個人的な問題

 書いてもしかたがないのだけど、引っ越し、リフォーム?にまつわることで、相当にへこんでいる。ネズミの恐怖とダニの問題。引っ越し先の確保。なんだか知んないけど、無性に、やばい感じになっている。

不安。いまちょっと、現実的な問題でこまっている。どうしたもんだ?

むなしいし、不安。不安。

現実的な問題で平穏な時間が一気にこわされてしまった。うごきたくねぇーーー。長期騒音問題で、気分がへこんでいるから、ほんのちょっと現実的な問題が発生しただけで、けっこう、不安を感じる。 

普段からむなしいわけだけど、ちょっと現実的な問題が発生しただけで、めちゃくちゃに、不安な気分になるなぁ。「もう、全部がいやだ」という気持が、非常に強いんだよねーー。普段からーー。ほんのちょっと問題で、がたがたとくずれる感じがしないではない。世間的にシェディング(トランスミッション)がなく、おカネがもっとあれば、ちがうんだけどなぁ。こころぼそくなっちゃうなぁ。

けっきょく、もう、だいぶまえに、こころが破壊されて、そのあと、低空飛行で、よろよろと飛んでいるようなものだからなぁ。長期騒音でこころが破壊された。 

*     *     *

ダニ、ネズミ、ワクチンは、最近の問題だけど、長期騒音で大半の体力をなくした。じつは、あと、2年か3年ぐらいは、じっとしていたい。ともかく、動きたくない。ひとつのことをするだけで、メンタルがくずれる。特に、ダニ環境下での掃除と片づけ。

レンコンは案外にかたかった

はじめて、なまのレンコンを買ってみたのだけど、かたい。

大根ぐらいのかたさかと思ったけど、ぜんぜんちがう。大根のようには、むけない。

上から、垂直に包丁をおろすやりかたで、なんとか皮をむいた。本体を、うすく、スライスするつもりだったけど、薄くスライスできるのは、おさえるところがある状態のときだけで、切ってしまって、おさえるところが小さくなると、うまく切れそうにないので、いちおう、最後まで、まっすぐにうすく切ることはあきらめた。

できないことはないけど、包丁でけがをしたら、やばいので、あきらめた。

斜めに包丁をおろして、そのあと、向きを変えて、またななめに包丁をおろすと、うすくすることができるので、内部の穴をぬかせば、円になるような形で切ることは、あきらめて、半円になるように切るようにした。

まあ、これ、なにを言っているのかわからないと思うけど、案外、形状と向きを説明するのが、むずかしい。まな板にどういう向きでレンコンをおいて、どういう方向からどういう方向に向けて、包丁を動かすのかということを、文で説明するのは、むずかしいということがわかった。

厚めに切ると、火のとおりがよくないので、なるべく、火がとおりやすくしたいわけ。まあ、火というよりも、熱なんだけどね。ともかく、言いたいことは、レンコンは案外にかたかったということ。

大根も買ったので、大根は、どうしようかな?

レンコンの酢漬けを食べたかったんだけど、ミツカンの酢って遺伝子組み換え米を使っているものがあるって、知ってる? ミツカンもあやしい企業なんだよな。信用できない。

ともかく、酢漬けは、あとで調べて、今度つくるかどうか、決める。

いやーー。レンコンなんて、自分で料理をしたことがないから、何十年ぶりだなぁ。小さいときに、母がつくってくれたのを食べたことがある。

おせち料理として、紅白なますというのがあるのだけど、何日か前に、あれを買おうとしたら、売り切れていてなかった。クリスマス以前のことなのだけど、みんな、はやすぎだろ。紅白なますも、あますぎて、あんまり食べたくないものなのだけど、正月は、食べたいんだよなぁ。自分でつくれば、あまさの調節もできるから、今度つくってみるかな。

からだがかゆいのが、問題だ。あと、東側の工事がまた、はじまった。幼稚園の工事は、終わりそうで終わらない。いまも、東側の工事がひどい音をたてているなぁ。ぶおーーーーーーという感じの音。カンカンカン系じゃない。

 

2024年12月27日金曜日

そんなアホなこと、するはずがないだろ(すぐけす)

 「人口削減なんてアホ」と言っていたけど、実際に、超過死亡数が増えて、出産数が減っている。ちゃんと、人口が減っているではないか。どこが、アホなのか。事実を見よう。

しかも、超過死亡数に関しては、相当に、考慮して?発表していると思われる。出産数もおなじだ。そもそものデータが信用できないけど、ひかえめに見積もっても、こういう変化があるということだ。

「(政府が)人口削減なんて、そんなアホなこと、するはずがないだろ」と言っていた人たちは反省するべきだ。実際に、へらされている。ちゃんと事実を見よう。

*     *     *

ちゃんと、過疎化だってすすんでいる。スマートシティーに近づきつつある。国家からは、逃げればいいと言っていた人がいたけど、インフラがダメになって、なかなか逃げられなくなるのである。本人だって、まるまるで、健康を害したら、どうしたって、病院があるようなところに引っ越さなければならなくなる。手短に言えば、「ほそくされる」。ちがうかね? 「国家からは、逃げればいいんだ」……そういうことが簡単にできなくなるように、国家がかじをきったんだよ。

それが、スマートシティー化なんだよ。

道路、ガス、電気、商店街、病院、さまざまな福祉施設……そういうものが、なくなった地域で暮らすのはむずかしい。

そして、スマートシティー化というのは、そういう地域を拡大することなんだよ。

なんで、わからないのか?

そして、スマートシティー化の先にはムーンショット計画があるのである。これも、ちょっと読んだだけでは、なにを言っているのかわからないと思う。計画だけど、言葉はあいまいで、きれいな言葉を使っているけど、ものすごくやばい計画なんだよ。

ぜんぜん、おかしくない。

「人口削減なんて、そんなアホなこと、するはずがないだろ」と言ってやつがアホなんだよ。「政府がわざわざ、過疎地域を増やそうとするわけがないだろ」と言っていたやつがアホなんだよ。

ちゃんと、人口がへって、過疎地域が増えている。事実を見るべきだ。事実を見て、可能性について考えるべきなんだよ。

(注)スマートシティーと書いたけど、コンパクトシティーでもおなじ。人が住める地域を極端に小さくする計画なんだよ。

*     *     *

「そんなことがあるはずはない」と思考を制限してしまうことは、やってはいけないことなんだよ。

おわかりか?

2024年12月26日木曜日

今日、やったこと。

 今日、やったこと。

熱湯消毒後、洗濯。いま、途中。

『オーイ! とんぼ』視聴。

ネットスーパー、注文。

これから受け取り予定。

しかし、つかれた。どうしようかな。昨日、からだがかゆくて、こまった。もう、いろいろと、いやになっている。

あーー。ともかく、「生き残ればいいやモード」になってきた。昨日の「かゆさ大爆発」がこたえた。来年は、株価、金価格、大変動だろう。

みんなのワクチン成分に関する知識レベルが低すぎる。こんな状態で、年末を迎えることになるとは……。ほんとうに、レベルが低すぎる。話にならないレベルだ。このまま、行くのか?

もう、つかれたから、寝るーー

 もう、つかれたから、寝るーー。ほんとうに、つかれた。たいしたことをやってないけど、猛烈につかれた。こんなこと、ばかりだ。

2024年12月25日水曜日

すぐに消す

 トランプがWHOからの脱退すると発表したのだけど、これはとてもいいことだ。WHOというのは、ダメな組織だ。猛烈にダメな国際機関なのである。

アメリカは、いままで、WHOのためにおカネを払ってきたけど、そのカネは有害なカネだったのである。無害だけど無駄なカネではなくて、有害なカネなのである。DS系の国際機関をささえると、国際機関の表向きの目標とはちがったことが発生するのだ。

ようするに、人々の健康を促進するはずの国際機関が、人々の健康を脅かすのだ。環境を守るはずの国際機関が、環境を破壊するための国際機関になっている。

どうしてかというと、DSの組織というのは、そういう組織だからだ。基本的なこと言ってしまうと、DSの組織をまもるための資金供給をしてしまうと、ろくなことにならないのだ。正反対の結果がまっている。

しかし、人々には、どうしてそういうことになるかという「連鎖」がわからない。表向きのキレイゴトのために存在している機関だと思っているうちは、「基本的には、よい目標のために存在しているのだから、資金を供給しても問題はない」と考えてしまうのだけど、それは、まちがっている。

とてつもなく悪い目標のために存在している。

DSの国際機関は、とてつもなく悪い目標のために存在している。

なので、ほんとうは、「連鎖」をあきらかにして、どうして、反対のことが起こるのかということを理解しなければならない。

ところが、メディアが、それを邪魔するのである。メディアというのは、DS側の洗脳組織だ。

これも、いまの時点だと、普通の人は「陰謀論だ」と思って、聞く耳をもたないわけだ。まあ、洗脳されちゃっているからね。

ともかく、おぼえていてほしいのは、正反対の結果をえることになるということだ。健康を促進するという表向きの目標があると、実際の結果は、不健康を促進するということになってしまう。つまり、健康を著しく阻害するというとにってしまう。

これが、マジックなんだけど、連鎖について考えないうちは、マジックだということがわからない。

そして、言いたいことは、こういう、ろくでもない組織を保つために税金が使われているということだ。なので、予算削減ということを考えるのであれば、こういう、悪い組織にカネを提供しないようにすることが必要のである。

そして、悪い組織カネを提供しないようにすれば、人々は、重税から、解放されるのである。まさしく、精神的にも肉体的にも健康になれる。 

日本も即座にWHOから脱退するべきだ。WHOのために、一円でも払ってはいけない。日本も即座にWHOから脱退して、予算を削減するべきだ。これ、税金なんだよ。『103万円の壁』とか『150万円の壁』とかと言っている場合ではない。

ほんとうに、いろいろとあった。

 いまの気分を正直に書くと、つまらない気分だ。つまーーんない。まあ、むりだよね。むりむり。まあ、なんとか、つまらない気分を普通の気分にするしかないなぁ。あのあと、眠って、いまさっき、起きたところだ。ときどき、起きている。どーするかな。ほんとう、いろいろありすぎた。こりゃ、こころが損壊してもおかしくない。破損しましたーー。

とりあえず、ご飯をくって、そのあと、掃除でもしようかな。

もうちょっと、やる気が出てくればいいのだけど、ダニのこととか、つもりにつもった長期騒音のこととか、最近の騒音のこととか、もう、つかれはてた。書いてないけど、ほんとうに、いろいろとあった。

眠りが非常に浅く、夢ばかり見ている

なんか最近、2時間ぐらい寝て、起きて、また、2時間ぐらい寝るということを繰り返している。眠りが非常に浅く、夢ばかり見ている。あんまりいい夢じゃない。いい夢ならいいんだけどなぁ。

腹がへったので、たまごがけご飯を食べている。うまいは、うまいと思う。けど、寒冷蕁麻疹なのかダニなのかわからないけど、とにもかくにも、背中がかゆい。腕もかゆい。エアコンはつけているけど、あたたかくならない。さむい。かゆいし、さむいし、いい気分じゃない。この感じは、いやだなぁ。

 

2024年12月23日月曜日

「なんとなく」でも、さけられたというのは、すごい

 「なんとなく」の感覚で、ワクチン接種をさけることができた人は、ものすごく、すぐれた人だと思う。黒が誘導する道は、ワクチンだけではないので、その点では、たよりにならないけど、とても、すぐれた人だと思う。この感覚は必要。「なんとなく」でも、さけられたというのは、すごいことだと思う。なんとなくさけた人の、人数がもっともっと多ければなぁ……と思う。

2024年12月20日金曜日

「もう、かたがついている」と考えるべきだろう

 トランプ政権の閣僚に黒側の経歴を持つ人たちがいる。たぶん、いろいろとあってこうなっているのだろう。まあ、これも、「陰謀論」とか「そんなことがあるはずない」ということを前提にした話なので、うけないとは思う。けど、黒側の経歴を持つ人たちについては、比喩的な言い方になるけど「もう、かたがついている」と考えるべきだろう。

まだまだ、長い道のりだ

 トランプはわりと現実的なことをおしすすめるつもりだ。計画をたてている。そして、第47代アメリカ合衆国大統領になったあと、実行するだろう。

いまは、下準備をしているさいちゅうだ。

まだ、トランプは第47代アメリカ合衆国大統領になってない。もうすでに、移民が(全員)送り返されたかというと、送り返されてない。ようするに、まだ、移民を本国に送り返すということが、終了してない。終了してないのだから、終了してない。これから、やることだ。

まだまだ、長い道のりだ。

非・科学的な態度

非・科学的な態度というのは、可能性があるかどうかわからないことについて、可能性がないと断言してしまうことだ。

たとえば、たましいがないと断言してしまうことには問題がある。

たましいがあると断言してしまうことにも問題がある。

もちろん、「科学的な話をしているのではなくて、信仰について話しているのだ」と言うのであれば問題はない。

ところが、たましいがあるということが科学的に証明されたということを言うのである。

いやー、科学的には証明されていない。

いっぽう、「たましいなんてない」と断言してしまうことも、同様に、科学的ではないのである。一般人は、「たましいなんてない」と断言することが科学的なことであると思っているかもしれないけど、これは、科学的なことではない。

2024年12月18日水曜日

あーあ

 一般人に、ワクチンは危険だということを言っても、一般人は耳を傾けないし、インテルにやられちゃった人に、フラットアース理論はまちがっていると言っても、インテルにやられちゃった人は信じないんだよな。どちらに、理由を言っても、理由をちゃんと理解しない。

むなしーー

 むなしーー。いちおう、みんなが気がついたところで、ゲームクリアだと思っているのだけど、まだまだ、続きそうだなぁ。まだまだ、試練が続く。こんなの、ない。みんなが気がついて、解毒を完了してくれないとこまるんだよなぁ。どれだけ、がんばって説明しても、たいていの人からは「陰謀論のバカ」という言葉が返ってきただけだったからなぁ。

食べ物に関しては、みたされた気持ちになって、眠った。

 風呂に入った。風呂に入るだけでも、相当にたいへん……。まだ、幼稚園の工事が進行中なんだけど、カンカンカンという音が、どうしても耳につく。まあ、長期騒音の経験から、なんとなく、頭に残る感じがするのである。ようするに、ストレスが残ってしまう。けど、あとちょっとで工事が終わる感じがする。足場はまだ残っている部分があるけど、撤去した部分もある。あとちょっとで、終わると思う。

最近、ジャガイモとサツマイモをオーブントースターで焼いて食べているのだけど、これがうまい。いまも、焼いているさいちゅうだ。オーブントースターは安いので、いい買い物をしたと思っている。ただ焼いただけの、素朴な味がおいしい。塩だけを使って食べている。昨日の夜も食べたのだけど、食べ物に関しては、みたされた気持ちになって、眠った。

2024年12月17日火曜日

あれ、カンカンカンとたたかずに、うまいこと、組み立てたり、解体できないのかな

 いま、幼稚園の園舎の工事をしているのだけど、足場の解体をしているようなのだ。園舎が相当にでかい。足場は、園舎の側面全体にあるだけではなくて、園舎の屋上にある建物風のものの側面にもある。屋上がまったいらではなくて、いろいろと建築物がある。屋上と言ってしまうと問題があるのかな。屋根かな? 屋根部分が、平らではなくて、かなり凸凹なのだ。だから、つきだしている部分がある。底の部分にも、足場を組んでいる。だから、足場を組むときもうるさかったのだけど、足場を一部解体している、いまも、うるさい。あれ、カンカンカンとたたかずに、うまいこと、組み立てたり、解体できないのかな。基本、たたいて、とめたり、たたいて、しめたりしている。はやいとこ、完全に終了してほしいなぁ。

2024年12月14日土曜日

ある時点をこえれば、急速に変化する。

 5年後の世界から、過去を考えて、今現在を考えよう。5年後は、すくなくても、いまよりも、ぼく好みの世界になっている。ある時点をこえれば、急速に変化する。まあ、ぼくは、いまの時点でも、いろいろともっている。今後、もっているものが役立つときもあるだろう。

はやく、5年、たたないかなぁ

 まあ、気兼ねなく書いてしまうと、将来、神のテクノロジーが導入される可能性はある。ぼくの仲間は、大半が生き残るだろう。5年後は、相当にかわった世界になると思うよ。はやく、5年、たたないかなぁ。5年後を空想して、すごすしかないかなぁ。

2024年12月13日金曜日

目玉焼きも野菜スープ?もうまかった

 オーブントースターで目玉焼きをつくって食べた。うまかった。三つもタマゴを使ってしまった。野菜がたりない感じがする。けど、この時期、野菜をとるのが、けっこうむずかしい。代わりと言っちゃなんだけど、野菜ブイヨンにニンニクパウダーをくわえたものを、飲んでいる。これでも、ちょっとは野菜成分をとりこめたと思う。冷蔵庫の広さが問題で、野菜をうまいことか、買えないんだよな。

野菜不足を問題にしないのであれば、食事内容には満足している。まじ、うまい。目玉焼きも野菜スープ?もうまかった。まあ、添加物がはいってない大根の漬物(おしんこ)あたりが、ほしいかなぁ。まあ、ぜいたくと言えばぜいたくだ。

2024年12月12日木曜日

いかに、滞在時間を短くするかのゲーム。

 そういえば、どうでもいいことなんだけど、ちょっと思い出したことがある。それは、「セルフレジ」の意味にゆらぎがあるということだ。なにをもってして、「セルフレジ」と言うのかということが問題なのだ。

もう、ぼくは、ネットスーパーばかりなのだけど、以前は、知覚のスーパーマーケットに行っていた。そのスーパーマーケットでは、セルフレジの区画と、人力レジの区画がわかれていた。

そして、セルフレジの区画では、機械が置いてあって、その機械に自分がバーコードを読みとらせて、自分が会計をすませるというタイプのセルフレジだった。

だから、セルフレジと言えば、こういう形式のセルフレジだと思っていた。

ところが、ぼくが、ドン・キホーテに行ったとき、「セルフレジ」と書いてあるものが何個か天井部分についていたにもかかわらず、ぼくが思ったようなセルフレジではなかったのである。天井に四角柱型突起物が取り付けられており、その四つの側面に、セルフレジと書いてあった。いろいろな方向から見て、セルフレジと書いてあることがわかるしくみだ。

人力レジのところと、セルフレジのところがわけられていたので、いつも使っているタイプのセルフレジかと思ったら、ドン・キホーテの場合は、自分で会計をすることをセルフレジと呼んでいたのである。

ようするに、自分でバーコードを機械に読み込ませる部分は、店員がやる行為だったのである。人が並んでいたのは知っていたけど、それは、人力レジのほうに人が並んでいるだけかと思った。ところが、バーコードを読み込ませるのは、店員の役目なので、店員にバーコードを読み込ませてもらうために、そっちのほうに、人々が並んでいたのである。店員がいるレジも数か所あった。

バーコードを読み込ませようと思って、セルフレジと書かれているほうの区画にある機械の前に行ったのだけど、当然、読み込ませることができなかった。なので、店員に「バーコードを読み込ませることができないんですけど」と言ったら、店員が「こっちにならんでください」と言った。

なので、そっちにならぼうと動いた。

そのとき、人力レジの列に並んでいたカップルがいたのだけど、そのカップルの男が「見ればわかるじゃん」と言ったのだ。そのあと、カップルの女が「ああいうところもある」と言ったのだ。

ようするに、男のほうは、セルフレジと書いてあっても、列に並んでいる人がいるのだから、列に並ぶというとがわかるだろという意味で「見ればわかるんじゃん」と言ったのだ。

そして、女のほうは「自分でバーコードを読み込ませて使うセルフレジの店もある」という意味で「ああいうところもある」と言ったのだ。

男がまちがっている。見てもわからない。

どうしてかというと、自分でバーコードを読み込ませて使う機械が置いてある店にも、人力レジがあり、人力レジのところに多くの人が並んでいるからだ。

並んでいるところを見たとき、「人力レジのところにならんでいる」と(ぼくはは)思ったのだ。

けど、ドン・キホーテのやり方だと、まず、人力レジのところに行って、バーコードを店員に読み込んでもらい、支払いをするときだけ、機械を使うというやり方になっていた。バーコードを読み終えた店員が、機械の番号を教えるという方式だった。

これは、セルフレジと言えるのかと思った。半セルフレジじゃないか。バーコードを読み込ませて支払いまで済ませるのが、セルフレジだ。店員がバーコードを読み込ませるなら、半セルフレジだと思った。

まあ、レジというのは、たしかに会計をする部分なので、カネを払うことだけをレジといっても問題はないような気がする。

まあ、何年か前にドン・キホーテに行ったときは、セルフレジのコーナーなどはなくて、人力レジに普通に並ぶ方式だった。セルフレジにしたのであれば、バーコードを読み込ませるところも人にやらせれるべきだと思うのだけど、万引きなんかがあるんだろうなぁと思った。けど、店員が監視しているとはいえ、完全セルフレジ方式もあるのだから、まあ、客層のちがいなのか?

*     *     *

半セルフレジではなくて、セミセルフレジというらしい。

だったら、天井の四角柱型突起物に「セミセルフレジ」と書いておいてほしかったなぁ。普段行く店が完全セルフレジだと、店員がいるレジの前に列ができていたとしても、それは、人力レジのほうにならんでいる人か思うわけで、実際に、読みとるための行為をするまでは、セミセルフレジだとは思わない。

 *     *     *

基本、セルフレジがあるなら、そして、セルフレジがすいていて、またずに使えるなら、どう考えても、セルフレジのほうがいいと思う。とくに、トランスミッション(シェディング)があるので、なるべく、滞在時間を短くしたい。

セルフレジのほうが、自分でいそいで、会計をすませることができるので、店に滞在する時間が短くなる。このあいだ歯医者に行ったとき、通販で買うと高くなる「市のゴミ袋」を手に入れるために、むかし通っていた「いつものスーパー」に行ったけど、ほんとうに短い時間で買い物をすませた。

これ、なんか、時間短縮ゲームみたいなものなんだよな。もちろん、手で持てるものしか、かわない。かごは使わない。いかに、滞在時間を短くするかのゲーム。

そう!まさに!! タイムトライアル!!!

 

うちで着るためのベンチコートを買った

 うちで着るためのベンチコートを買った。これは、外出用ではない。まえに、持っていたやつを1年前に捨てたので、うちで着るためのベンチコートがない状態ですごしていた。けど、これは、やはり不便だ。うちで着るというのは、室内で着るという意味だ。外出用のコートをさむいからと着てしまうと、いろいろと気をつかうのだ。たとえば、ご飯を食べているときによごれたらまずいというようなことを気にしてしまう。やっぱり、室内用ベンチコートは1着は必要だ。

けど、このあいだ、室内トレーナーで資源ごみをすてに行ったとき、トレーナーの袖に、ちょっと、空き缶用の袋がふれたのだ。あの袋は、なんかよごれているので、袖にふれるべきではないと思った。室内ベンチコートで、ゴミ捨てに行くとなると、問題があるなぁ。トレーナーは気楽に洗えるけど、ベンチコートは気楽には、洗えない。まあ、ともかく、袖につかないようにしないとなぁ。ベンチコートを腕まくりするか。袖を折り曲げて使えば大丈夫かな。まあ、ともかく、室内用ベンチコートは必要。

最近、寒い。まじで、寒い。

ともかく、いま、室内用ベンチコートを買った。2日ぐらいで届くだろう。

2024年12月11日水曜日

「お財布の価格 × 200 = 自分の年収」

 大人の男がもっている財布っていくらぐらいするのかなと思ってちょっと、検索したんだけど、だいたい、2万円から5万円らしい。

それから、公式らしきものがあって「お財布の価格 × 200 = 自分の年収」というのが、だいたいのラインらしい。年収200万円だと1万円の財布が妥当。年収400万円だと2万円の財布が妥当だということだ。

けど、これ、ほんとうかな?

みんな、安いほうにシフトしているような気がする。年収平均額と年収中央値のちがいみたいな感じ……。平均額のほうが、高くなる。財布価格の中央値というのは、どのくらいなんだろうな?

公式らしきものとは、乖離しているような感じがする。まあ、あくまでも感じだけどね……。

まあ、ぼくは6000円ぐらいの財布を使っている。男の財布って、みんなおなじような感じで、あんまり、価格差を感じさせないんだよね。他人の財布をよく見る機会ってないからね。みんな、黒っぽいやつか茶色いっぽいやつでしょ。たいして、かわりがない。

印象としては、使い込んでいるやつを出す人が多い感じがするなぁ。

まあ、ぱっと見、6000円の財布と20000円の財布は区別ができない。たぶんだけど、5000円から7000円あたりの、財布を使っている人が案外、多いのではないかと思う。

まあ、収入が二極分化しているので、公式に当てはめて考えてみても、安い財布(1万円以下の財布)を使っている人は、半数ぐらいの多数派になるはずだ。二極分化がすすんでいるとはいえ、高いほうの山は、低いほうの山よりも、小さいからね。

2024年12月9日月曜日

また、ネットスーパーで、商品を買った。

 また、ネットスーパーで、商品を買った。今回、午後2時ぐらいに起きたのだけど、アマゾンのサイトを見たら、今すぐ頼めば、午後6時から午後8時までの注文に間に合うみたいだったので、注文してみた。いま、商品を受けとって、冷蔵庫のなかに入れた。これが、けっこうたいへんな作業なのだ。どうしてかというと、ネズミ事変からうまれたいろいろな事情があるからだ。ともかく、これで、食料品をゲットした。これ、けっこうぼくにとって、めんどうな作業で、ぼくだって、ほんとうは、2日おきぐらいに、近くのスーパーで買いたい。どうしてかというと、そのほうが、気分的に楽だからだ。いちおう、散歩になるし、いろいろな人のすがたを見ると、リフレッシュした気分になる。けど、シェディング(トランスミッション)が、すべてを一変させた。いまは、ネットスーパーで買うしかない。

今回は、なぜか、お菓子をわりと多く、買ってしまった。たぶん、問題がある添加物がはいっていると思う。あと、にぎり寿司を買ったんだけど、これだって、この寿司の表面にスパイクたんぱく質がついているんだろうなと思うと、あんまりいい気分じゃない。

2024年12月8日日曜日

あーー。どうするかな? この時間、この空間。

あーー。どうするかな? この時間、この空間。

はっきり言って、体調が悪い

 はっきり言って、体調が悪い。また、超低空飛行になってしまった。いろいろと、どうしようかな?

 

2024年12月7日土曜日

起きたけど、つかれた

 もう、つかれた。起きたけど、つかれた。なんか、ボロボロ感が強いなぁ。このさき、どうするかな?

 

2024年12月5日木曜日

ともかく、俺は、もう、寝る。

 風呂に入ってわかったんだけど、やっぱり、これは、ダニだ。腕のまわりを複数個所、刺されている。ダニ経由の病気になってしまわないか心配だ。もう、どんだけ刺されたかわからない。

まあ、引っ越すべきだったんだよな。このアクションが、いまでもくるしい。

ともかく、俺は、もう、寝る。

頭にきたり、反省したり

 頭にきたり、反省したり、いろいろとたいへんだ。これ、終わらないんだよなぁ。失敗したーー。失敗したーー。

いろいろなことが頭に浮かぶけど、怒りとか、後悔といった負の感情に結び付くことしか思い出さない。もう、限界だ。楽しいこともあったはずなんだけどなぁ。

しかし、つまらない

 しかし、つまらない。どれだけ、つまらないと書いても、しかたがないのはわかっているけど、つまらない。どうしても、つまらないと感じてしまうなぁ。

あとで、焼き芋でもつくるかな。

焼き芋はこころのともしびだ。

感想を言ってしまうと、すべてが、おそい

あーーあ。つまらない。このつまらなさ……。

ところで、ロバート・F・ケネディ・ジュニアが言っていることは、正しい。日本のメディアだと、へんな反ワクおじさんとして認識されているみたいだけど、日本のメディアがまちがっている。

感想を言ってしまうと、すべてが、おそい。これにつきる。おそすぎる。ほんとうに、100分の1倍速スローモーションを見ているようだ。たとえば、ワクチンに関するほんとうのことを想定した場合、けっきょく、4年ぐらいたっても、40%ぐらいしか、開示されないと思う。けど、開示された分が100%だとすると、あとちょっとで、30%ぐらい開示されると思う。ともかく、来年の1月20日以降に、期待するしかない。……すべてがおそい。

イーロン・マスクの人間機械化については、ぼくは、恐怖を感じるけど、あいつらは、ウキウキワクワクしている。ここらへんがなぁ。

ともかく、わりと時間をかけて、しかし、急速に社会がかわっていく。「急速にかわるなら、はやいわけだろ」ということになるのだけど、おそい。

 

2024年12月4日水曜日

ちょっと、前投稿はわかりにくかったと思うので、まとめておく

 法則性がありそうなこと(実際には法則性がないこと)→法則性があること(実際には法則性がないこと)の「例としての美談」→美談の主人公に成り立っている多数の条件については、語られない(無視される)(条件は関係がないことになっている)

美談の主人公のまねをして?どこかの一般人が法則性がありそうなことをした場合、どこかの一般人には美談の主人公には成り立っている多数の条件が成り立っていないので、美談の主人公のように成功しない。もともと、法則性があるように語られていることは、まったく法則性がないことだから、法則性がありそうなことをやっても、法則のとおりにはならない。

まず、こういうことを言いたかったわけ。

そして、みんなが知っているような話というのは、みんなが知るようにできている。ようするに、その話自体ではなくて、その話をささえるメディアの構造が成り立っている。ようするに、メディアが「横の宣伝」をするつもりなので、その話が、目立ったところに置かれるということだ。そして、さまざまな役割をもった人が、目立ったところに置かれた話を、「みんなが知っている話」にする。みんなが知っている話になっている時点で、メディアが、意図をもって「みんなが知っている話」にした可能性がある。

そしてさらに、美談の主人公が実在の人物である場合、その人の取り巻き連中がいるということだ。これは、情報商材の作者とアフィリエイターの関係とおなじだ。取り巻き連中がいると、取り巻き連中が「自分もうまくいった。法則性がある」ということを宣伝するので、あたかも、法則性があるような話になってしまうけど、その場合も、法則性はない。

もともと、法則性がないことなので、名も知れぬ個人であるあなたが、おなじことをやっても、うまくいかないということになる。ようするに、「XをすればYになる」と聞いたので、Xをしたのだけど、Yにならなかったということを経験することになる。

この場合、法則性がなかったということになるのだけど、メディアが「法則性がある」ということを、どこまでもどこまでも、宣伝する。

そうすると、「XをしてもYにならなかった場合は、個人に問題がある」ということにされる。ようするに、やり方がへたくそだから、ダメだったのだということになる。

実際には、法則性がないから、XをしてもYにならない場合があるのに、法則性がないからXをしても、Yにならない場合があるということを、認めない。法則性がないということを認めない。メディアにかかわっている人や美談にかかわっている人が認めないというとだ。「美談を話した人の信者」「法則性があると信じている人」ももちろん、かかわっている人のなかに含まれる。

 

2024年12月2日月曜日

鍋で炒り卵をつくったら、こげつきがすごい

 急に、長ネギのみじん切りが入った炒り卵を食べたくなって、つくったんだけど、鍋のこげがすごい。ほんとうは、フライパンを使うべきなのだけど、ちょっといろいろとあって、使えない状態になっている。油をたっぷりひけばだいじょうぶかなと思ったけど、だいじょうぶじゃなかった。油を「しく」なのか、油を「ひく」なのかについては、油を「ひく」が正解だ。

そういえば、高根の花なのか、高嶺の花なのかということについても、ちょっとだけ言っておくと、この場合は、どっちとも正解だ。個人的には「高嶺」を使いたいのだけど、どうも、最近の事情を考えると「高根」と書いたほうがいいみたいだった。なので、わざわざ、高嶺を高根に書き換えたときがあるのだけど、いまは、「やっぱり、高嶺のほうがいい感じがする」と思っている。あとで、見つけたら、書き換えておこう。

ともかく、まあ話をもどそう。鍋で炒り卵をつくったら、こげつきがすごい。これ、いま、お湯でふやかしているさいちゅう。けど、あんまりとれそうもないんだよな。

炒り卵は、じつは、醤油と砂糖を入れている。醤油と砂糖とネギのみじん切りを入れて、タマゴをといて作った炒り卵だ。これ、ときどき、食べたくなる。醤油、砂糖、ネギの絶妙な組み合わせ。うまい。けど、鍋は失敗だったなぁ。今度は、オーブントースターでつくろう。以前つくったことがあるのだけど、いちおう、うまくできた。これは、炒り卵じゃなくて、そこそこ、たいらな卵焼きみたいになる。

じつは、北側の工事で、昨日とおなじ作業をしていたので、昨日とおなじ騒音を経験した。はやく、終わってほしい。なんか、起きたあと、だるいんだよ。

 

2024年12月1日日曜日

起きたあと、白湯を飲んで、白湯を飲んで、鮭の刺身でご飯を食べた

 どうするべきなんだろうなぁ……………。目下のところ、からだがかゆいのが問題だ。からだが、かゆい。刺されたのか、寒冷蕁麻疹なのか、コーヒーアレルギーのかきこわしがかゆくなっているだけなのか、まるでわからない。

まあ、ダニに刺されている可能性は否定できない。この部屋で、でかい袋に(洗った服を)入れて、とっておくと、服にダニについてしまうのかもしれない。

熱湯消毒をしたあと、洗濯をしても、ダメな感じがすることがある。見かけはきれいなので、着て刺されるまで、わからない。この部屋は最後の砦だったのに、もう、ここまでくると、やっぱりダメな感じがする。

ともかく、つかれはててしまったよ。親父→ネズミ→ネズミの糞→ネズミ対策工事失敗→ダニで、つかれた。もともと、長期騒音でつかれはてているところがあるので、いろいろとつみかさなると、きつい。竹、木、雑草関係もある。

ともかく、いろいろなことがつみかさなりすぎた。

引っ越しの準備はしているけど、超・鈍足だ。 

*     *     *

今日は、朝の8時30分ぐらいから、北側の工事をやっていて、暗くなるまでやっていた。丸鋸のようなもので、コンクリートを切るような音とでかい掃除機のような音が、ずっと鳴っていた。金属パイプをたたくような音は、なかった。

で、まあ、「うるさいなぁ」と思いながら、眠った。ようするに、眠れたわけだ。けど、なんか、眠った感じがしない。ちゃんと眠りたい感じがする。

*     *     *

起きたあと、白湯を飲んで、白湯を飲んで、鮭の刺身でご飯を食べた。これは、なま食用の鮭だ。これ、鮭は「しゃけ」と言っていた感じがする。「さけ」とは言ってなかったんだけどな。まあ、いいや。養殖のさけじゃないよ。

けど、悪い養殖とよい養殖があるらしく、よい養殖は、天然よりも、よいというようなことが、言われていた。今は、北海道産・天然鮭の切り身が手に入るので、それを食べている。

あー、なんか、眠たい。けど、いまは、眠れない感じがする。


「美談詐欺」

 たとえば、AさんとBさんがいたとする。Aさんは「あたえれば、しあわせになる」と言っている人だとする。Bさんは、Aさんが言っていることを信じて、ひとにいろいろなものをあげて、不幸になったとする。その場合、Aさんが、Bさんに、Bさんがほかの人にあげた分だけ、あげるかというと、あげないのである。Aさんは「あたえれば、しあわせになる」と言っただけ。言ったけど、実践はしてない。実行しない。けど、BさんはAさんの言葉を真に受けて、実行してしまった。そうしたら、ほんとうに、すべてのものをうしない、不幸なった。このとき、Aさんが、Bさんのことを知ってたとしても、助けてあげないのである。Bさんに、Aさんのもっているものを、すべてあげればいい。そうすれば、しあわせになる。Aさんもしあわせになるし、Bさんもしあわせになる。ところが、Aさんは「あたえれば、しあわせになる」と言っているだけで、実践しないのである。だから、信じたBさんがバカを見ておしまいだということになる。

だいたい、「あたえる」というのは、抽象度が高い言い方なのである。なので、具体的に、なにを、だれにあたえるかということについては、言及してない。ただ、あたえた場合のほうが、あたえなかった場合よりも「しあわせになる」ということを言っているのである。宗教的な美談とか、ビジネス本の美談というのは、「うまいぐあいにいったこと」しか、例として挙げない。うまくいかなかった場合については、闇に葬られるのである。これは、一種の「美談詐欺」で、抽象度の高いことを言って、それが、汎用的に成り立つようなイメージをあたえるけど、実際には、行動について具体的には示されていないということになる。美談のなかに出てくる「例」はあくまでも、ひとつの例だ。美談の締めくくりに、「ちょっとしたことでいいからあたえればいい」というようことを言うけど、真に受けてしまった人のことは、まったく考えられてないのである。ともかく、現実世界ではあたえても不幸になる場合があるのに、それについてふれないのはおかしい。そして、もっと言ってしまえば、現実世界ではあたえた「から」不幸になる場合だってあるのに、それについて、ふれないのはおかしい。


2024年11月30日土曜日

けど、まあ、焼き芋は、まじでうまい

 まじで、めんどい。つらい。いま、焼き芋をつくろうと思って、サツマイモを切ったのだけど、かたいのでけっこうつらい。横断、縦断するように切らないと、オーブントースターにはいらいのだ。けど、焼き芋は、うまい。何度か、試しに食べている。ジャガイモも、食べた。サツマイモにもいろいろな種類があるので、いろいろな種類を買っている。ネットスーパーの「サツマイモ」のところに、いろいろな地域のサツマイモが出てくるので、買っている。それぞれに、特徴がある。オーブントースターでまるごと、やるのはむりだ。高さがちがいすぎると、問題がある。なるべく、高さをそろえてやらないとだめなのだ。ガラス容器にいれたとき、なるべく3センチぐらいの高さになるように調整する必要がある。断面に土がついてしまうときがあるので、洗うわけだけど、水がつめたい。

けど、まあ、焼き芋は、まじでうまい。子どものころの気持ちになって、ほくほく食べている。

オーブントースターのスイッチを入れて、しばらくしたら、電気がとんだ。エアコン、電子ジャー、オーブントースターの組み合わせで、ブレーカーが作動する。電子ジャーは、うち釜ヒーターの温度が時間でかわるので、たぶん、電子ジャーの問題なのだろう。オーブントースターのスイッチ入れて5分間ぐらいは平気だったのだけど、急にいってしまった。電子ジャーが炊飯モードのとき、電気が切れてしまうと、やっかいなのだ。なんとか、途中から炊飯できたけど、手探りで、やったら、たまたまできたという感じで、なるべく、そういうことが起こらないようにしたほうがいい。「そういえば、途中で電気が切れたときの残り炊飯時間復帰法」というのが、マニュアルに書いてあったような気がしたのだけど、マニュアルが見あたらないので、試しにいじっていたら、なんとかなった。

2024年11月29日金曜日

まあ、正直言ってつまらないよなぁ

  まあ、正直言ってつまらないよなぁ。長期騒音で破壊された若いころがほしいと言っても、若いころがかえってくるわけじゃないしなぁ。外的な状態というのは、いろいろと、まずいことになっているからなぁ。まあ、鈍感なやつは、気がつかない。鈍感なやつが、事実の2割を知るのに、あと、5年ぐらいかかりそうだからなぁ。

むわーーんと、つらい

 なんとか、文章を書ける状態になった。正直言って、いろいろとつらい。からだがだるいんだよなぁ。からだが、むわーーんとだるいときがあって、どうにもならない。かなり、相当につらい。こういうときは、なにもする気がしない。かなり、むわーーんと、つらい。


2024年11月27日水曜日

あとでけす

 これ、ほんとう、トランプさんはどのへんまで、あきらかにするつもりなんだろうな? とりあえず、2025年の4月あたりまでに10%ぐらい、同年7月あたりまでに20%ぐらい、あきらかになるといいなぁ。まだまだ、時間がかかるなぁ。特にワクチンのことに関しては、トランプ政権が続くあいだ、20%ぐらいしか、あきらかにされないかもしれない。まあ、ロバートさんに期待。

すぐに消す

 あまりにも、正直に活動しすぎたのかな?

けど、実際、ああするしかなかったんだよな。まあ、黒がインテルやその他のSNSアルバイトを送り出して、陰謀論者に対してものすごくダメなイメージをつくっていた。一般人が陰謀論者に対して、嫌悪感をもつように、調整していた。で、何の疑いもなく、その戦略にのっかってしまった人は、「陰謀論者はいやなやつだ」「陰謀論者はきちがいだ」と思うようになるので、陰謀論についてまともに議論することができなくなってしまった。そりゃ、そうだろ。ちょっとでも陰謀論的な内容を含んでいたら、院暴論だということになり、陰謀論を言ってるやつは、バカだということになるのだから、議論なんてできるわけがない。白によって、ようするに、計画が頓挫したわけだけど、第1段階から第2段階、第2段階から第3段階へ進むように、ち密に計画されていたわけだ。第1段階を阻止しなければ、第2段階に移行してしまう。たとえば、第1段階が社会人の80%(以上)にワクチンを打たせるというものだったら、社会人の80%(以上)がワクチンを打ってしまった時点で、第2段階の用意ができて、第2段階に突入する。たとえば、最初は1回打てば10年はもつ」と言っていたのに、「2回打たないとだめだ」ということになる。一般人は軽くだまされて、「2回打たないとだめなのか」と思って2回目を打つ。けど、これは、「社会」が彼らに負けたということだ。社会人の80%(以上)がワクチンを2回、打ってしまった時点で第3段階の用意ができて、第3段階に突入する。たとえ、「ワクチンを打つのも自由。打たないのも自由」と言っていたとしても、社会全体で、ワクチン強制化に突き進むようになり、打たない自由はなくなるという計画だったのだ。ようするに、「ワクチンを打つのも自由。打たないのも自由」と言っていた人は、自分の「打たない権利」はいつまでも保証されるはずだという見込みで、そういう発言をしていたのだけど、そうはならないのだ。実際には、白が阻止したので、強制接種はなかったけど、彼らの計画通りに進んでいたら、強制接種になっていた。「ワクチンを打つのも自由。打たないのも自由」というのは、じつは、正しい。平時であれば正しい意見なのだ。ところが、これは、彼らに悪意がないという前提の話なのだ。彼らには悪意があるので、「ワクチンを打つのも自由。打たないのも自由」と言わないで、なるべく、一般人にワクチンを打たないように言うことが、正しい行動だということになる。けど、反ワクは、陰謀論者で、バカできちがいなので……たいへんうけがわるい。一般人にとっては、反ワクは、そういうものとして映っているのだ。だから、自分の保身を考えるのであれば、「ワクチンを打つのも自由。打たないのも自由」と言い続けなければならなかった。けど、それは、知ってしまった以上、できない。ぼくは、当時(2019年-2020年)、親父の入院や退院、ネズミ処理、ダニ処理、竹処理、その他の植物処理で、手がいっぱいだったので、じつは、ワクチンにはほとんどまったく関心がなかった。だから、この時点では「ワクチンを打つのも自由。打たないのも自由」「仲良くしてくれればいいのにな」というような意見をもっていた。大規模なダニ処理が終わって、ネットを見たら、たいへんなことになっていた。このときまで……2021年の10月まで、(ワクチンには)ほとんど関心がなかった。ダニ処理のことで頭がいっぱいだった。けど、大規模なダニ処理のあとも、けっきょくは、ネズミの侵入をうけたので、ダニにはやられることになる。いまでも、一般人は政府やテレビ局を信用していると思う。けど、その信用は、うらぎられる。政府やテレビ局を信用するべきではないというのは、正しい陰謀論だ。

すぐに消す

 その通り。キリスト教でも仏教でも、宗教組織に属している人は、悪魔教に属している人たちなのである。どの宗派のキリスト教でも、どの宗派の仏教でも、宗教法人になっているところは、みんな、悪魔教の一部になっている。ようするに、ずっと上にあがっていけば、ディープステートにいきつくのだ。この宗教的な人というのは、ほんとうは、悪魔に使えている人たちで、それなりに、社会に悪い影響をあたえている。これは、宗教組織に所属している人たちだけではなくて、ゆるい感じで精神世界を信じている人にもあてはまる。残念だけど、いまは、そういうことになっている。ちょっとずつ、悪い教えが混じっているのだ。あるいは、どの教えにも、悪魔的な教えが混じっている。そして、これを、神の教えだと思ってしまうのだ。……この人たちは。だから、もうむりだ。洗脳をとくのはむりだ。ぼくが、他の人たちからの反感を感じながらも、精神世界的な考え方を批判してきたのは、精神世界的な考え方のなかに、悪魔的な教えがまじっているからだ。精神世界的な考え方に悪魔が忍び寄っている。けど、神がきていると勘違いしてしまう。

『本体スイッチがないやつは、これで、どうにかしよう』と思った

 あたらしい電気アンカの性能がすごい。まあ、普通なんだけど、けっこういい感じで使っている。電気アンカを使うと、エアコンの暖房代も安くできる。しかし、まあ、どうするかな? 「動きたくない」と思っているあいだに、時間がどんどんたっていくなぁ。

他の人の暮らしもたいしたことはないんだけどなぁ。まあ、俺よりは、楽しんでいるんだろうな。あの人たちには、長期騒音やきちがい家族の問題がいないからなぁ。まあ、家族のことを書くと、人がどっと、はなれるねぇ。まあ、それはいいや。俺は、書きたいことしか書かない。

電気アンカのコードは長くて助かるのだけど、じつは、本体のスイッチがない。電源コードをコンセントからぬくと、オフにできて、電源コードをコンセントにさすとオンになるのだ。電源スイッチがないのは、きついので、スイッチ付き電源タップを買った。これは、すぐれものだ。コンセントに、スイッチ付き電源タップをさすと、電源タップについているスイッチで、電源のオンオフができるようになるのだ。なので、買った。これも、むかしかったやつより、今回買ったやつのほうが、安いのに俺ごのみだ。インジケーター用のランプがひかえめなやつがよいのだ。これ、インジケーター用のランプと言うよりも、インジケーターと言ったほうがいいんだけどなぁ。ともかく、通電しているのか通電していないのかを、しめすライトがついていて、そのライトの光量が低いほうがいい。以前買ったやつは、光量が高いので、だめだ。ともかく、今回は、安くていいものを買えたというわけ。

で、まあ、実際に使ってみると、やはり便利なのだ。『本体スイッチがないやつは、これで、どうにかしよう』と思った。 

*     *     *

使ったものは、これです。

オーム(OHM) 電機 2口タップ袋LEDスイッチ HS-TMP2B2-W
 

 

 

2024年11月24日日曜日

おカネがあるということは、たとえ、おカネを使わない場合でも、幸福感に影響をあたえる

 幸福でも不幸でもない状態をゼロ地点と言っておこう。

おカネがないことによって将来の不安があるとする。

この場合、すでに、ゼロ地点ではないと考えるか、不安を感じているだけなのだから、幸福でも不幸でもないゼロ地点だと考えるかのちがいがある。

あるいは、たとえば、会社に行きたくない会社員がいるとする。たとえば、Aさんだとする。Aさんが会社に行きたくないのには理由がある。それは、Aさんが失敗をしやすく、他の人から文句を言われやすいからだとする。

会社において……つまり職場において、Aさんが不愉快だと感じる出来事が実際に多数発生したとする。ようするに、Aさんが職場に行きたくないと考えるのには、現実的な根拠があるとする。

その場合、Aさんが「明日、会社に行きたくないなぁ」と考えているとき、Aさんは、幸福でも不幸でもないゼロ地点にいると考えるべきなのだろうか? 

それとも、「明日、会社に行きたくないなぁ」とネガティブなことを考えているのだから、ゼロ地点よりも、不幸な地点にいる考えるべきなのだろうか? 

ようするに、このときAさんはゼロ地点にいないと考えるべきなのだろうか?

また、Aさんがお金をかせぐために会社に行っているとする。お金をかせぐ必要がなければ、Aさんは、会社に行かないとする。その場合、Aさんが会社をやめても生活できるぐらいのじゅうぶんなカネをもっている場合は、会社をやめるということが選択できる。

しかし、Aさんが、じゅうぶんなカネをもってない場合は、会社をやめるという選択をしにくい状態になっている。もちろん、その会社をやめて別の会社に行くと、その会社をやめて自分で起業するということなども、考えられる。

しかし、じゅうぶんなカネがない場合は、行きたくない会社に行くという選択をしやすくなる。じゅうぶんなカネがある場合は、行きたくない会社に行かないという選択をしやすくなる。

これは、幸福度に影響をあたえるだろう。つまり、Aさんの幸福感に影響をあたえるだろう。

おカネがあるということは、やりたくないことをさける力(ちから)に影響をあたえる。これも、未来のことに関する現在の幸福感に影響をあたえる。

おカネがないよりも、おカネがあるほうが、やりたくないことをさける力が強いということであり、おカネがあるということは、たとえ、おカネを使わない場合でも、幸福感に影響をあたえる。

2024年11月22日金曜日

「世代間の闘争」をあおっているところがある

 Youtubeなどの動画サイトで、わりと、世代の話があがってくる。まあ、ぼくが見ているものを反映しているのだけどね……。まあ、ネットでも、世間的な話の一部として、世代間の話があると思う。けど、これ、有害だと思うんだよね。「世代」でひとを「ひとくくり」にして、こういう特徴があるという話は、ステレオタイプの偏見を助長するものではないかと思う。これ、はっきり言って、「世代間の闘争」をあおっているところがある。「こいつらは、こういうやつらだ」と決めつけて、話をするわけなんだけど、おなじ世代でも、人がちがえば、まったくちがった特徴をもっている。「大雑把に言って」こういうところがある……。だから? なに? こんなの、血液型占いとおなじで、あんまり意味がない。「わかりやすくする」というところで、価値があると思っている人もいるかもしれないけど、「わかりやすくする」というのは、ようするに、「ひとくくりにして決めつける」ということだ。いいことじゃない。

*     *     *

年金受取世代と年金制度をささえる世代の対立もあるみたいなんだけど、これは、ちょっと誇張して言われているのではないかと思う。別に調べたわけじゃないけど、損益分岐点をこえて、生きている人というのは、むしろ、少数派なのではないかと思う。

これは、調べたわけじゃないからわからない。多数派の人は、自分がおさめた分の年金を回収できずにこの世をさるのではないかと思う。

ようするに、ほんとうに、過剰に負担になっているかどうかわからない。負担にはなっているのだけど、一般的なイメージのように、過剰に負担になっているかどうかは、わからない。

年金の問題というよりは、医療費の問題なんじゃないかと思っている。ようするに、高齢者の医療費が問題になっているのではないかと思う。年金制度の話と、医療費の話は、別だ。

このあいだ、日本国の借金に、利息を払う必要がないと言ったけど、税金や社会保障費というのは、こういう、見かけ上なんとなくイメージとして負担になっているところの問題じゃないと思う。日本国の借金にかかる利息をだれが払っているのかというと、国民なんだよ。税金として、とられている。けど、これは、本来、必要がない金なんだよ。利息は、払わなくていいから……。

社会において適度なインフレ率というのがある。適度なインフレ率にあわせて、貨幣(通貨)の供給量を年々、増やしていくのは、必要なことだ。

 

たいていのキムチは、発酵食品ではない……キムチ味の浅漬け

 いちおう、キムチは、発酵食品ということになっているのだけど、たいていのキムチは、発酵食品ではない。発酵させてない、浅漬けなのである。乳酸菌なんてはいっていない。ぼくとしては、発酵させてない、キムチ味の……浅漬けでもいいのだけど、いろいろと余分なものがはいっているのである。ぼくの場合、乳酸菌はどうでもいいのだけど、調味料(アミノ酸等)、pH調整剤が気になるのである。キムチ味の浅漬けでも、調味料(アミノ酸等)、pH調整剤がはいっていなければ、それでいいのだけど、たいていの、キムチ味の浅漬けだと、調味料(アミノ酸等)、pH調整剤がはいっている。

通販で買ったキムチが、クール便で届いたいので、ちょっと、問題がある。できれば、ネットスーパーで買いたい。 

*     *     *

以下、未確認情報なので、信ぴょう性はない。

いちおう、乳酸菌で発酵させたキムチも、ソルビトールというものがはいっているものに関しては、発酵がとまっている。そして、乳酸菌は死滅した状態になっている。なので、乳酸菌を目的にしているなら、ソルビトールがはいっているものを食べるべきではない。

『年金世代 50万円の壁 見直しへ』・・『103万円の壁』は年収の話で、『50万円の壁』は月収の話。

 セミリタイア系の動画は、よく見ているんだけど、それに関連して、「年金世代 50万円の壁 見直しへ」というような動画が流れてきたので、見てしまった。

これ、ふざけた話なんだよね。

たとえば、年金を月換算で40万円もらっている人が、月に20万円、稼いでいるとする。月に20万円というのは、働いて稼いだお金だ。これが、新しい制度になると、年金を月換算で40万円以上もらえるようになるのである。まあ、検討している段階だけどね……。

こんな……月額40万円もらえるような人を対象にして、50万円の壁を打ち破ろうなんて、おかしい。このめぐまれた人たちがもらう年金が増えた分だけ、ほかの人たちの負担が増えるのである。こんなの、ない。……まあ、年金をささえる側の人たちの負担が増える。

月換算の年金受給額と、毎月の給与の合計が月に50万円をこえるやつのことなんて、考えなくてもいいんだよ。まあ、実際には、月給のほかに賞与も考えた値(金額)になる。

しかし、こんなの、ひどい。

老齢基礎年金の話ではなくて、老齢厚生年金の話だから、現役時代のとき、相当に稼いだやつの話なのである。

モデルケースが、ちがいすぎるんだよね。たとえば、年金が月換算で6万円、アルバイトをして6万円稼いでいる人のことじゃない。年金が月換算で6万円ということは、老齢基礎年金もフルにもらってないということになる。少ない老齢基礎年金と少ない老齢厚生年金やたして、月換算で6万円以下ということはありえる。

しかし、月換算で50万円もらえる人は、いったいどれだけいるのか?

「50万の壁」を突破している人たちは、高収入で、おカネがある人たちだ。この人たちは、別に、働かなくても、じゅうぶんに暮らせる人たちなのである。

この人たちは、一般の高齢者じゃない。働くといっても、普通の高齢者が働く現場とはちがうところで働いている人たちだ。キャリアがあるから、そういうところで働けるのだろう。ということは、ほんとうにまったくカネにはこまってない人たちなのである。

「シニア世代の働き控え解消目的も……」ということなのだけど、そもそも、この対象になる人の働き控えというのは、まったく問題になってないことなのである。

ようするに、社会に必要な仕事をしている人たちではないのである。社会に必要な仕事をしている人たちは、もともと、『50万の壁』にまったくとどかない人たちなので、制度がかわっても、いいことがない。

月額換算で50万円だからね。年収じゃないからね。年収に換算すれば、『600万円の壁』ということになる。年金をもらっている人の『600万円の壁』なんて、意味がない。

たいていの年金暮らしをしている人は、年収で600万円ももらってないから、そもそも、意味がない話なんだよ。年金をもらっている年齢でなおかつ働いている人のうち、どれだけの人が、『600万円の壁』をこえているのかという話だ。

『103万円の壁』は年収の話で、『50万円の壁』は月収の話。ここのところを、まちがえないようにしよう~~。

いつになったら気がつくんだ?

 いったい、鈍感な人たちは、いつになったら気がつくんだ? もーー、いやだ。


2024年11月21日木曜日

つまらないから、横になる

 つまらないから、横になる。やらなければならないことは、いっぱいあるのだけど、やる気がしない。

さて、どうするかな?

今後、2年間、どうするかな?

2年間でだいぶかわると思うんだよね。ぼくにとっては、いいほうにかわる。だから、なんとか、耐え忍んで、生きていくしかないなぁ。

 

2024年11月20日水曜日

む・な・し・い。やばい。

 あーーあ。むなしいーー。むなしい。こういうときは、コーヒーを飲みたくなる。けど、コーヒーを飲むと蕁麻疹が出ることは、わかっている。なぜか、一日遅れて出てくる。腹がいたくなる確率は70%ぐらいだなぁ。この雰囲気は、コーヒーを飲みたくなる雰囲気だ。

む・な・し・い。やばい。

日本国が、日本国に借金をする場合は、利息を払わなくてもいい

 政府とか中央銀行という話をすると、わからなくなってしまうのだけど、国が国に借金をする場合は、借金の利息を払わなくていいのだ。国と言っても、他国に借金をする場合はちがう。借金をするなら、利息を払わなければならないということになっている。ここで言う「国」というのは、自国のことだ。たとえば、日本国が、日本国に借金をする場合は、利息を払わなくてもいいのである。そうしなければならないのである。

残念なことに……「札(ふだ)理論」は正しい。多くの人が信じていることがまちがっていたということだ。


FRB

 ドナルド・トランプがFRB関係についてなにをしようとしているのかということについて、ちょっと書いておこう。FRBといのは、アメリカの中央銀行だと思っている人がいるかもしれないけど、中央銀行じゃない。ようするに、政府の銀行ではないのだ。ドナルド・トランプがやろうとしていることは、FRBを政府の銀行にすることだ。この、FRBをほんとうの意味で政府の銀行にするということは、とても、たいせつなことだ。ほかのことの根幹になるようなことで、何度も言うけど、とても、たいせつなことだ。

で、BRICSの通貨改革も、ドナルド・トランプのこの動きに、リンクしている。車の前輪と後輪のようなもので、どっちも必要なのだ。ようするに、たとえば、トランプとプーチンが対立していると考えるべきではない。FRBを真の意味で政府の銀行にするということと、BIRCSの通貨改革は、おなじものを目指していて、リンクしている。

ほとんどの人がわかってないことだけど、とても、重要なことだ。この流れをつかんでおくというのは、どの投資本を読むことよりも重要なこと。

*     *     *

FRB(Federal Reserve Board)→連邦準備制度理事会→単なる理事会。
FRB(Federal Reserve Bank)→連邦準備銀行→地区連銀(銀行だけど株式会社)。
FED(Federal Reserve System)米国の連邦準備制度→制度。複数の組織が関与。

雑感

 
たとえば、俺が死んだとする。けど、俺の記憶をもつクローンがつくられたとする。その場合、ほかの人から見ると、俺が生き返ったように見える。けど、ぼくは、死んでいる。けど、俺は死んだ。

たとえば、ぼくが死ぬ前に、ぼくの記憶をぜんぶ、生命的な電子回路にうつしかえたとする。そして、ある人に頼んでおいて、クローンをつくってもらい、そのクローンの脳をとって、ぼくの生命的な電子回路に置き換えたする。その場合、ぼくは、死んだのだろうか? それとも、いちおう、ぼくと存続しているのだろうか。感情思考に関する脳みその部分がないクローンを(最初から)つくる場合も含む。

たとえば、ぼくが死ぬ前に、ぼくの記憶をぜんぶ、電子回路にうつしかえたとする。そして、ある人に頼んでおいて、クローンをつくってもらい、そのクローンの脳に、電子回路の記憶をうつしたとする。その場合、ぼくは、死んだのだろうか? それとも、いちおう、ぼくと存続しているのだろうか。


2024年11月19日火曜日

後で消す

 老後資金はだいぶ減るけど、はやいとこ、家を買うしかないなぁ。しかし、踏ん切りがつかない。踏ん切りがつかない。自転車屋で、目をやられたことが、トラウマになっていて、不動産屋とか、行きたくない。まあ、それだけじゃないんだけどね。金銭的に、踏ん切りがつかない。

後で消す

 いちいち、すべてが、めんどうくさいんだよ。腰があがらない。今回、竹と木を切ったけど、これも、ほんとうは、やる気がなかった。切羽詰まって動くしかないから、動いたのだけど……。まあ、これも、ほんとうは、造園業者にまかせたほうがいいんだよな。けど、造園業者に電話するのが、いやなんだよ。いやなんだなぁ。

いま、靴下をはいた。段ボール箱に入っている靴下をとりだしてはいたわけだけど、段ボールの世話がいやなんだよ。そして、靴下を段ボール箱からとりだしてはくというのが、ものすごく、めんどいんだよ。まだ、段ボール箱は解体してない。たとえば、靴下を出した時点で、段ボールの箱もちゃんと解体して、すでに束ねてある段ボールに「合流」させたほうがいいわけ。けど、めんどうだからやらない。破壊的にめんどう。もう、根本的に、エネルギーがないので、木と竹を切った時点で、ぼくのエネルギーは枯渇した状態になっている。それを無視して、なんと、風呂に入ったわけ。だから、もうこの時点で、だめなんだよ。段ボールの世話をするのが、破滅的にめんどうくさい。


ともかく、背の高い竹と、背の高い木は、切った。

 じつは、外に出て、近くで竹を見たら、3メートル数十センチどころか、4メートル数十センチになっていた。ひょっとしたら、5メートルぐらいかもしれない。そして、竹だけではなくて、親父が、垣根用?に植えていた、区切りようの木があるのだけど、それも、4メートルぐらいに育っていた。そして、この木が邪魔で、竹に近づけないのだ。しかたがないので、その木の手前にある別の竹を切って、気に近づき、その木を切って、5メートルぐらい竹に近づくことにした。「別の竹」というも、3メートルぐらいあった。そして、横に、張り出している枝があった。この横にはりだしている(竹の)枝が、じゃまでじゃまで、排除するのに、苦労した。そして、木を高さ1メートルぐらいのところで切った。そして、そのあと、5メートルぐらいの竹を切ろうとしたのだけど、これがやっかいで、なかなかうまくいかなかった。竹に、隣の家の「ツル系」の植物が絡みついているのである。そして、竹の枝と木の枝が、絡み合って、うまく排除することができないのである。なんとか、竹と木を、切った。けど、いいにくいのだけど、木が、縁台の上にある(親父作成の)ひさしルーフみたいなものの上にのっかって、どうしても、排除することができない。けど、まあ、隣の家に迷惑がかからなければいいので、ひさしルーフの上に、木がのっている状態になっている。もう、きれいに排除する気力がなくなったので、やめた。けっきょく、5メートルぐらいの竹と、その近くにっあった木を、切った。だいたい、地上1メートルぐらいで切った。一度、5メートルぐらいの竹を切ったあと、やめるつもりになったのだけど、4メートルぐらいある木をそのまま放置するのは、問題があると思って、それも切った。けど、やめておけばよかったといまでは、思っている。というのは、まず、なんか、虫に刺されたのである。それから、指の一部を切った。いま、消毒液をつけたのだけど、しみる。

作業をしたあと、自分の部屋に戻り、風呂に入った。風呂から出たあと、消毒液をつけた。ズボンの腹ふきんのラインを、なんかの虫に刺された。そして、風呂に入ったら、もともとかゆかった、足首のかゆさが、また、猛烈に復活した。これは、熱で、かゆくなる。

あとは、じつは、二階にあがってくるとき、しかけておいたネズミシートが、ちょっと折れた感じになっていた。これは、言いがたいのだけど、コの字型にしておいた部分を、⊿型(さんかくがた)にされたという感じだ。ふすまがずれているのだけど、うしろに本箱があって、部屋に入って、本箱を動かさないと、うまく、(ふすまを)レールにのせることができないのだ。あそこが、こんなに問題になるとは思わなかった。

ともかく、引っ越しをいそぐしかない。あと、手袋を通販で買っておいた。

ともかく、ほんとうは、引っ越すしかないのだけど、これもこれで、踏ん切りがつかない部分があるのである。ともかく、背の高い竹と、背の高い木は、切った。

*     *     *

手短に言うと、木を植えたのは親父だし、竹を植えたのも親父なんだよね。そして、ネズミをおびきよせたのも親父だ。親父がやったことがどこまでもたたっている。そもそも、家の位置が問題なのである。東側は、じつはずっと、空き地だった。この家が東側によりすぎている。そして、北側によりすぎている。これが、いろいろな問題を巻き起こすのである。

ともかく、リフォーム系は、だめだ。この家は、だめだ。

しかし、ネズミは問題だ。どうするかな? 頭がいたい。もう、いやなんだよね。木、雑草、竹、ネズミ、ダニ……。もう、いやだ。

ほんとうは、中古マンションに、すぐに引っ越すつもりだった。 

正直に言うと、ほんとうに造園業者に連絡を入れるのも、粗大ごみ業者に連絡を入れるのも、いやなのである。いやなんだよ。いやなのーーーーーーー。気持ちが落ち込む。できればやりたくないことだ。もう、ここに住んでないなら、問題はないんだけどな。そのほうが、気が楽だ。

それにしても、ふすまが斜めになっている部分がこんな問題を引き起こすとは思ってなかった。ネズミーーー。ネズミーーー。ネズミのことなんて、きちがい親父が、ネズミを入れるまで、考えたこともなかった。

谷の底から、ちょっとだけ、あがっている感じだね

 これ、ちょっと見え方がちがうと思うけど、社会的には、どん底から、ちょっと上昇してきている。谷の底から、ちょっとだけ、あがっている感じだね。けど、これから、問題が噴き出すわけだから、これから底だと思う人もいるかもしれない。というか、気がついてない人は、みんな、これから、底を経験することになる。けど、まあ、社会的には、『V字』の一番下のところから、ちょっとだけ、上にあがっている。

まあ、社会的にはそうなんだけど、ぼくはちょっと、いろいろと、くるしい。

2024年11月18日月曜日

アニメを見ているとき

 あーー。しかし、つまんない。ここまで、つまんないと、わらうしかないなぁ。いやーー。もう、わらえないけどさぁ。

「あのとき俺はあの人を傷つけてしまったのか」というようなことを思い出したりする。アニメを見ていても、これだからなぁ。アニメも安心して見れなくなった。それ以外に、こっちが腹立たしい話を、山ほど、思い出す。これも、アニメを見ているときなんかに、うかんでくる。まあ、起きたとたんにうかんできたり、夢のなかで再体験したりする。

アニメを見ているときに、いくつかの不愉快な思い出がどうしても、うかんできてしまう。

 

「割合が大きい」「割合が小さい」「割合が高い」「割合が低い」

 「割合」の場合は比率についてのべているのだから「大きい」「小さい」が正しいという意見がある。しかし、実際には「高い」「低い」という言い方も使われている。いままで、「割合が大きい」「割合が小さい」と書いてきたけど、これからは「割合が高い」「割合が低い」という言い方も使うかもしれない。理論的には「割合が高い」じゃなくて「割合が大きい」なんだよね。けど、ところどころで、「割合が高い」とか「割合が低い」と言いたくなる。

いや、実際には「きわめて低い割合」と言いたくなる。「きわめて小さな割合」ではなくて「きわめて低い割合」と言いたくなる。なんだか「小さな割合」よりも「低い割合」と言いたくなる。

2024年11月17日日曜日

雑感

 まじで、だるい。からだじゅうがだるい。これは、ダニにやられたからだろうか? なんか、ダニにやられたあと熱が出るような感じがするときがあるんだよな。今回もそうだったんだけど、なんか、足首を刺されてから、さらに、からだの調子が悪くなった。ただでも、シェディングで喉がいたい状態だったのに……。まだ、足首はかゆいのだけど、なんか、からだじゅうがだるい。

つまんない人生だなぁ。

雑感

 別にトランプが勝ったからといって、シェディング(トランスミッション)の問題が片づくわけではない。それは、わかっていた。

だいたい、トランプはワクチンに関しては「ふざけた推進派」あるいは、「おどけた推進派」だからなぁ。これの持つ意味が、わかるだろうか?

これ、ほんとうは、すごいことを意味している。けど、書かない。

とりあえず、打たなかった人は、これからの変化を経験するしかない。内側に、ダニ。外側にトランスミッションというめんどうなものをかかえている。なんか、ピンチなんだよなぁ。

雑感

どうしようかな? 足首がかゆいのは問題だ。これ、片づけたときにやられている。かゆいところがあると、片づけをする気になれない。いちおう、使い捨てブーツカバーはある。レインコート上下がある。しかし、めんどうだ。あとは、スチームがあやしいなぁ。ダニ退治のために、スチームを使ったんだけど、これが、ダメなのかもしれない。だいたい、風圧の調整ができないんだよな。ノズルから、対象まで80センチぐらいあると、温度が相当にさがっているかもしれない。

ともかく、めんどう。「こんなことを、何回、くりかえしているんだ?」と思う。いま、中古の家をウエブサイトで見てたんだけど、さきに買ってから、引っ越しの用意をしようかな。引っ越しの用意をしたあとじゃなくて、さきに買ってから、引っ越しの用意をしようかな。それにしても、ネズミの糞がなければ、粗大ごみ業者も、はやめに呼ぶことができたんだけどなぁ。そして、一回目の粗大ごみ処理のとき、バルサンをたいても、作業をする人がダニに刺されるということがわかってしまった。これが、でかいんだよなぁ。二回目のゴミ処理を(心理的に)たのめなくなってしまった。

もう、すべてがめんどうだな。

 うぃーー。4時間ぐらい眠った。今日は、風呂に入った。そのときも、足首がかゆかったんだけど、いまもかゆい。これ、復活するんだよ。かゆさが、猛烈に復活するときがある。いまも、かゆい。

これ、「生活の質」をさげる。

買い物もけっきょく、いやなものになってしまうんだよなぁ。

いま、ドアの横に置いてある、通販で買ったものを、とりに行ってたんだけど、そういうときもかゆいし、ネズミの糞を見かけてしまうと、不愉快な気持になる。

いいかげん、この状態から抜け出したけど、動けない。引っ越しとか工事とか、大きいことはしたくない。

通販で、靴下を買った。あんまり言いたくないけど、洗って、しまっておいたやつで、足首をやられた。

もう、すべてがめんどうだな。

予想外のことをきちがい親父がやる。魚を出しっぱなしにすることにこだわって、家中をくさくするなんてことは、考えてなかった。普通なら、一日目に注意しておしまいなんだけど、きちがいだから、絶対の意地で、ゆずらない。

ほんとうに、最後の最後まで、いつもあいつ(きちがい親父)はあんな感じだな。やることがおかしいんだよな。そして、修正がきかない。

親父がきちがい行為をしなければ、こっちの用事が増えないのに、きちがい行為をしてこっちの用事を増やす。致命的な状態においこむ。べつに「おいこもう」と思ってやってるわけではないんだよ。

けど、いつも、そうなる。

基本的には「修正がきかない」というのが、こまるんだよ。普通だったら「くさいからやめてくれ」のひとことで、すむ話なんだよ。それが、すまない。結果、こっちが、ネズミの糞処理をしなけばならなくなる。

結果、こっちが、ずっと何年間も、ダニに刺されることになる。ダニ対処でどれだけの服がむだになったかわからない。全部、あやしい服になってしまうのである。

2024年11月16日土曜日

無添加のキムチ

 急に、キムチが食べたくなったので、無添加のキムチを買ってみた。
『ベジタブルハート カナモト食品 信州望月高原 刻みキムチ 200g 4パック』
というもので、どんな味なのかは、わからない。

最初、無添加のキムチをネットスーパーで探したけど、なかったので、しかたがなく、アマゾンの通販で買った。キムチはめったに食べたくなるものではなく、たぶん、これを食べたら、しばらくは食べたくなくなるので、高いけどしかたがない。

ほんとう、人工甘味料とかアミノ酸等調味料とかpH調整剤などを入れないでくれよ。韓国キムチは寄生虫が気になるので、国産を買った。ネットスーパーで無添加キムチを売ってくれないかな。

2024年11月14日木曜日

雑感

 毎日、俺が、たいへん。

まあ、横になっている時間も長いけどな……。

しかし、つかれた。ほんとうに、つかれた。

どうするかな?

雑感いろいろ

 昨日の夜、足首のところが猛烈にかゆくなって、ひっかきまくっていた。当然、血が出る。ひっかいたところは、見ないようにして、かゆさをがまんしていたら、眠れた。これ、かゆいとげが刺さっているようなかゆさなんだよね。ダニに刺されたところが、突然かゆくなる。いまは、かゆくないけど、なんか熱が出るようにかゆくなるときがある。いちおう、ぶり返しという表現を使うと、何回かぶり返して、そのあと、なおる。8回ぐらい、ぶり返しがある。足首と足の甲を十数か所刺されたのだけど、それが、かゆくてかゆくて、たまらない。片足だけで、十数カ所だから、両足だと30カ所ぐらいかな。ともかく、かゆいんだよ。「うおーーっ」と雄たけびをあげたくなるほど、かゆくなる。はっきり言って、腹も立つ。

それで、原因になった片づけをやるかどうかまよっている。まあ、使い捨てのブーツカバー(足カバー)を買ったので、それを使うかな。じつは、長靴も買った。けど、長くつを買って、あそこで作業した場合、長靴のなかがやられる可能性があるんだよね。でっ、長靴を熱湯消毒?したあと、ちゃんと、はけるのかどうかわからない。長靴のなかで刺されてしまった場合、なんか、おなじところに足を入れるのがいやになるのだ。ほんとうに、殺せたかどうかわからない。でっ、長靴の内側が、布っぽくなっているので、完全に乾かすまでの時間が長い。じつは、数か月前に、布団乾燥機を買ったから、その段ボールをあける必要がある。この布団乾燥機は、室内乾燥機としても使えるし、靴乾燥機としても使える。ダニも殺せる。しかし、布団乾燥機を箱から出すのがめんどうなので、ずっと放置したままになっている。

長靴は手入れがたいへんそうだから、使い捨てのほうがいいなぁ。使い捨てブーツカバーは、布部分がないとこも、気に入っている。

ともかく、はやく、引っ越し先を見つけるべきなのだけど、これも、やる気がしない。動きたくないのだ。

いま、南側の工事をやっている。東側と南側(幼稚園側)はうるさくないなぁ。あっ、昼休みだからか。幼稚園には、工事の人がきている。

まあ、いろいろと、つかれたなぁ。

どうするかな?

引っ越してしまえば、あとは楽になると思う。まあ、何回かバルサンをたいて、粗大ごみの人にきてもらうしかないなぁ。そのあと、また、バルサンを何回かたいたあと、重装備で、ネズミの糞などを(俺が)片づけて、家をこわせる状態にしよう。まあ、こわすなら、ネズミの糞を片づけなくてもいいか。けど、下の部屋と、兄貴の部屋を同時にやることはできないから……。兄貴の部屋は、やっかいなんだよ。二周しなければならなくなるかもしれない。一回じゃ、おわらない。まず、粗大ごみ業者を呼べる状態にしなければならない。一回目から、兄貴の部屋にバルサンを置くわけにはいかないのだ。そのまえに、階段付近をどうにかしなければならない。階段付近をどうにかしたあと、やっと、兄貴の部屋に入れる状態になる。まあ、いいや。ここら辺、ちゃんと説明するのがめんどうくさい。

まあ、こんなことを書いたあとに思うんだよ。

「俺の人生なんだったんだろう」って。

2024年11月13日水曜日

近代的な市場経済システムと慣習のなかに溶け込んでいる経済システム

 近代的な市場経済システムというのは、それまでにある社会のきずな・慣習・文化・価値観を引き裂くものなのである。「社会のきずな・慣習、文化・価値観」と書いたけど、ひとことで言うと、慣習だ。ようするに、近代的な市場経済市システムをもつまえの社会というのは、まあ、慣習で成り立っている。

慣習というのは、価値観を代表したものなんだよ。そして、慣習には歴史的な意味があるんだよ。

ようするに、慣習が、経済を構成していた。

経済システムというのが、慣習のなかに「とけこんでいる」状態なのだ。ところが、社会の中に溶け込んでいる慣習を近代的な経済システムが破壊するのである。

ようするに、平和的な経済の移行であれ、戦争による植民地化であれ、(他国が)慣習がとけこんでいる経済システムを近代的な市場システムに書き換えていくのである。これは、排他的なものであって、慣習のほうは、いってみれば、近代的な市場経済システムをうけいれたときに、負けが決まっている。

市場経済システムのスケールで経済発展ということを考えると、とても低いレベルの経済発展レベルであるにもかかわらず、慣習がとけこんだ社会では、幸福度が、高いのである。

しかし、経済発展をするとともに、幸福度がさがるのである。ようするに、すでに高度に発展した市場経済システムをもつ社会からすれば、じゅうぶんに低い経済発展レベルでも、幸福度は、高いレベルでたもたれていたのである。

ところが、近代的な市場経済を導入すると、経済がとけこんでいる慣習をこわしてしまうので、幸福度がさがるのである。

ようするに、経済発展レベルが超・低い状態から、経済発展レベルが低い状態に「上昇」すると、それにともなって、幸福度がさがるのである。どうしてかというと、経済発展レベルが上昇したのは、じつは、慣習の中に溶け込んでいる経済システムの破壊がすすんだからなのだ。

たとえば、儀式というのは、じつは経済的な行為なのである。そして、市場経済システムに置き換わる仮定で、儀式が不要なものになり、儀式によってつくられていた人間のきずながほどけ、その結果、幸福度がさがるのである。

これ、儀式がとけこんでいる経済システムが、儀式がとけこんでいない経済システムに置き換わるので、それまで、儀式によって培われてきた人間関係の糸がほどけてしまうのである。

人間が幸福を感じるというのは、自分と(社会のなかの)他の人間や、自分と社会との関係において、幸福を感じるのである。なので、儀式の中に溶け込んでいた経済システムや慣習の中に溶け込んでいた経済システムが破壊されると、その分だけ、幸福度がさがるのである。

言ってみれば、市場経済システムが、文化を破壊するのである。

これ、未開な社会というものを考えみたばあい、どこまでが経済的な行為であり、どこまでが儀式的な行為であるのという境目がじつはないのである。おなじことは、慣習にも成り立つ。どこまでが経済的な行為であり、どこまでが慣習的な行為てあるのかという境目はない。

これは、おなじものを、どのような視点で見るのかということにつきる。ようするに、市場経済社会を見る目にならされていると、一見、まったく経済的な意味がない、儀式や慣習が、じつは、経済的な意味をもっているということに気がつかないのである。

なので、近代的な市場経済にさらされた時点で、社会は、改変されていくようになるのである。

時系列的には、慣習がとけこんだ経済システムのほうが、近代的な市場経済システムの浸透によって、破壊されていくのである。時系列的にいうと、近代市場経済システムをもつ他国が、影響をあたえていない状態から、小さい部分が近代市場経済システムに置き換わり、そのあと、大きな部分が近代市場経済システムに置き換わるのである。

この過程がすすむときに、価値の喪失を経験するのである。

これは、それまで、近代市場経済システムに浸食されていない部分が、部分的にその改変されていく状態のなかで、慣習がとけこんだ経済システムがだんだんと、近代市場経済システムに浸食されていく中で、慣習がとけこんだ経済システムが支えていた価値観がなくなるということなのである。

なので、価値観を共有できなくなり、そのぶん、価値観に支えられていた人間関係が希薄になるのである。ようするに、価値観に支えられていた幸福感がなくなる。価値観というのは、この場合、慣習がとけこんだ経済システムが支えていた価値観のことだ。

*     *     *

未開社会→近代的な市場経済発展度(ゼロ)→幸福度(大)

近代的な市場経済が浸透・部分的→幸福度(中)

 ↓

 近代的な市場経済が浸透・大部分→幸福度(低)

近代的な市場経済が発達したから、幸福度が低くなる。その社会(未開な社会)が市場経済的に発達したから、発達した分だけ、幸福度があがるのではなくて、発達した分だけ幸福度がさがる。

けどじゃあ、近代的な市場経済をうけいれてない未開社会に住む人は、みんな幸せなのかというとそうではないのだ。たとえば、飢饉がある。飢饉で、食べ物が食べられなくなれば、当然、幸福度がさがる。疫病がはやれば、幸福度がさがる。となりの国・隣の共同体がせめてくれば、幸福度がさがる。

けど、近代的な市場経済システムというのは、それまであった、慣習がとけこんでいる経済システムを破壊してしまうのである。慣習がとけこんでいる経済システムによって発生していたしあわせな出来事は、破壊される。

それから、ひとつの行為を儀式的な行為とみなすか、経済的な行為とみなすかという問題がつきまとっている。たとえば、結婚式について考えてみよう。結婚に関係する儀式だと思えば、結婚に関係する儀式なのである。そして、結婚式にまつわる行動を、経済的な行動だとみなせば、経済的な行動なのである。慣習がとけこんでいる社会においては、儀式そのものでしかないけど、ものの交換や参加者の飲み食いなど、儀式そのものが、経済的な活動を含んでいると言える。ようするに、結婚式にまつわる行動を、経済的な行動とみなすのか、儀式的な行動だとみなすのかによって、見え方がちがってるのである。じつは、結婚式のみならず、恋愛というものに関しても、近代的な市場経済システムは、その根本的な部分を書き換えてしまう。近代的な市場システムが供給するイメージにもとづいた恋愛を人々は模索するようになる。これは、映画やテレビ、デパートのような文化システムによってもたらされる。「物語」は、消費されるのである。「物語」が市場経済のなかで消費されて、個々人の頭のなかに「恋愛」というイメージがつくりあげられる。それは、原始共同体のなかの「恋愛」とは意味合いがちがうのである。

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参考文献
カール ポランニー 『経済の文明史』
カール ポランニー 『大転換 市場社会の形成と崩壊』
栗本慎一郎 『法・社会・習俗』 

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つゆだけで食べたいとき、タマゴいれるかどうかでまよう

 今日の蕎麦はうまかったな。冷凍そばのなかでは、うまいほうだ。今回は、たまごをあとでいれた。麺を食べ終わったあとに、つゆのなかにナマタマゴを入れてみた。これが、けっこういい。最初から、月見そばのようにはいっているのもいいのだけど、今回は、つゆだけで食べたかったのだ。この、つゆだけで食べたいとき、タマゴいれるかどうかでまようんだよね。最初からタマゴをいれたいときもあるけど、今回はちがっていたので、どうしようかと思ったのだけど、あとでいれればよいのだ。だいたい、つゆはそんなにはさめない。あとで、「味変」をするのもありだ。

ちゃんとした台所なら、10割蕎麦をゆでて食べるのだけど、机の上に電熱器をおいて調理しているので、いろいろと問題がある。鍋の大きさ、用意できるお湯の量などが、ネックになる。10割蕎麦の場合、ちゃんとぬめりをとらないと、まずいからね。ちゃんとした台所なら、蕎麦湯も飲める。じつは、蕎麦をゆでるのにちょうどいい大きな鍋がない。机の横に本箱が置いてあるので、本箱のなかにある本に影響をあたえたくない気持ちもある。大きな鍋を使うと影響が出る。

ともかく、ちゃんとでかい鍋が使えて、お湯をたっぷり用意できる状態じゃないと10割蕎麦は、つくるのがめんどうくさくて、うまくいかないのだ。

冷凍の8割蕎麦があるのだけど、その蕎麦には、いろいろと入れてほしくない添加物がはいっている。蕎麦の乾麺は、たいへんなんだよな。ともかく、10割蕎麦はちゃんとした台所がないと、つくるのがたいへんすぎる。小麦粉のかわりに、山芋を使った蕎麦があるのだけど、山芋と蕎麦粉の2・8蕎麦って、ないかな。

2024年11月12日火曜日

なーーんも、かわりゃーーしない。

 起きてみたら、ボロボロにつまらなかった件……。

そりゃ、起きたって、かわらないさぁ。そんなのは、知っている。けど、これはちょっとひどいな。まだ、喉のいたみがとれないし、足首のかゆさがとれない。足首のかゆさは、なんか、ひどくなった感じがする。足首とは関係なく、たぶん、蕁麻疹で全身がかゆい。

気分的に、つらい。

なーーんも、かわりゃーーしない。

寝る~-

 洗濯物は、けっきょく、40分ぐらいしか外に出せなかった。すぐに、工事の人がきた。ほこりがくるのがいやだから、すぐにしまう。

そのあと、いろいろやっていた。買うつもりはないのに、グラフィックボードの性能比較動画を、ずっと見ていた。グラフィックボードがどうなっているのか、ちょっと、知識を更新したかった。まあ、買う気がないので、ほんとうに、見ているだけ……。

これから、睡眠トライをしてみる。

あーー。熱湯消毒後の洗濯はした。けど、これも、部屋干しだ。南側に幼稚園があるのだけど、幼稚園の工事が長引きそうなんだよな。作業をしている人がいると、洗濯物を干せない。はやく終わってくれないかなぁ。今日は、東側はなかったなぁ。西側はちょっとやってたけど、わりとすぐに、帰った。

どうするかな

 資源ごみの日なので、段ボールをすてに行った。もう、つかれた。

あーー。このさき、どうするかな?

今日は、ひさびさに晴れているなぁ。まだ、工事の人たちがきてないから、洗濯物でも干しておくかな。

で、まあ、干したんだけど、いつまで干せるかな? 工事の人たちが休みならいいなぁ。

しかし、つかれた。昨日は、布団に入ってから、わりとはやく眠れた。午前4時ぐらいに起きて、バナナを食べた。甘熟王という、ポストハーベスト処理をしてないバナナだ。貴重品だ。これを手にれるために、西友・楽天ではなくて、ライフ・アマゾンに注文をしたのだ。

しかし、どうするかな?

昨日きていた服を熱湯処理した。今日中になんとか、洗濯をする。まだまだ、段ボールの箱がある。これが、ダニがいなければ強敵ではないのだけど、ダニがいるから、強敵になってしまった。だから、「ネズミ対策工事をしよう」とさんざん言ったのに。だから、「魚を出さないでくれ」とさんざん言ったのに。だから、「物置にいちいち生ごみをもっていかなくていい」とさんざん言ったのに。全部、ネズミをおびき寄せて定着させることをやっているんだよな。親父が、意地になって、そういうことをした。こまるんだよ。ネズミは、初期段階で処理しなければだめ。ちゃんと、穴をぜんぶふさがないとだめ。はってきたやつを、ネズミシートで捕まえてもだめなんだよ。時間がたてばたつほどひどいとになる。時間がたてばたつほど、対処がむずかしくなる。だから、言ったのに……。

まあ、ともかく、引っ越しまで、できることをするしかないなぁ。体力的に、引っ越しがむずかしいんだよなぁ。

昨日こまったのは、自分が書いたむかしの文章をどうするかということだ。あとは、友だちからもらった手紙もある。手紙をすてるつもりはない。けど、ほこりがダニのほこりになってしまったから、問題なんだよね。まあ、完全ではないにしろ、いろいろとやり方がある。

本も全部すててしまえばよいのだけど、そうはいかない。どうするか、まよう。

なんか、片付けるときにいろいろなものが出てくるのだけど、全部の期間で、くるしかったのである。長期騒音でくるしかった。

ともかく、なるべくはやく、引っ越しの用意をして引っ越すしかない。

正しいのか? 正しいに決まっているのか? (すぐ消す)

 こいつらは、インテルに洗脳されているから、陰謀論的なことを言うやつには、自動的に嫌悪感を感じるようになっている。ちょっとでも、陰謀論的なことを言うやつは、陰謀論者で、陰謀論者には、自動的に嫌悪感を感じるようになっている。嫌悪感だけではなくて、怒りも感じている。ちょっとでも陰謀論的なことを言うやつを見かけると、自動的に、イライラしてくるのだ。なので、「説得してどうにかしよう」ということができない。「日本人が立ち上がらなければならない」と言うことを言う人たちがいる。俺は、ずっとがんばってきたけど、自動的に券を感を感じて、自動的にイライラする人たちに、なにを言ってもむだだ。どうしてかというと、陰謀論的な内容を含むことを言わざるをえないからだ。そして、「あたたかく見守ってあげましょう」というようなへんな態度をとる人たちもいる。この人たちも、陰謀論者に嫌悪感をもっているのだけど、イライラを感じることはない。まあ、うっすらと、イライラもあるかもしれない。けど、「へんな宗教にはいっているかわいそうな人たち」「へんな宗教信者にだまされているかわいそうな人たち」として見守っていけばいいという、斜め上の態度をとる人たちがいる。この人たちは、もちろん、「陰謀論的なことはすべてまちがっている」という態度だ。基本、陰謀論的なことを言う人たち、特に、反ワク的なことを言う人たちのことを、「へんな宗教の信者だ」と思っている。だから、「温かく見守ってあげましょう」と言うような態度になる。これの、でどころは、やはり、テレビだ。たとえば、NHKのニュース番組で、専門家がアナウンサーの質問にこたえるというようなコーナーをもうける。アナウンサーが「こういう陰謀論者にどうやって対処しすればいいのでしょうか」というような質問をする。そうすると、専門家が、「悪い宗教にはまっているいるようなものだから、頭から否定はせずに、あたたかく見守ってあげましょう」という、見下した見解を述べるということをする。「頭から否定せずに、正しいことを説明してあげましょう」と言う態度だ。けど、その前提になっている正しいことというのが、まちがっているのだ。これが、やっかいだ。どうしてかというと、一般視聴者にしてみれば、常識側の考えが絶対に正しいということになっているからだ。この専門家の意見というのが、洗脳の内容だ。こうやって、NHKは、ゆっくりと、しかし、しっかりと洗脳していくのである。m-RNAがどうやってスパイクたんぱく質を作っているかもわかってない連中が、正しい判断なんてできるわけがないだろ。これ、ひとつをとっても、「正しい」というのが、問題になる。「(自分は)m-RNAがどうやってスパイクたんぱく質を作っているかは、知らないけど、専門家が正しいに決まっている」という態度だ。正しいのか? 正しいに決まっているのか? どっちだ。「正しいに決まっている」と思い込んでるだけなんだよ。陰謀論者は、まちがっているに決まっていると思い込んでいるだけなんだよ。

すぐ消す

 むなしーー。足首をダニに刺されまくって、かゆい。じんじん、ちくりちくりかゆい。むなしーー。

洗った靴下をはいたのだけど、ダメだったみたいだ。洗ってずっと保管しておいたやつだったんだけど、……。ずっと言っても、5カ月ぐらいかな。それとも、今日の作業中にさされたか。作業中もかゆかったからな。ともかく、作業中も、けっきょくは、洗った靴下をはいていたのだけど、作業中にダメになったのか。作業しなくてもだめだったのかわからない。

ともかく、むしない。俺の人生なんだったんだと思うよ……。

2024年11月11日月曜日

おやすみーー。

 たいしたこと、やってないのに、もーーれつに、つかれた。も、う、ダメだーー。ねるーー。

おやすみーー。いい人にさちあれーー。

にぎり寿司はうまかった

 今日は、ちょっとだけ、片づけがすすんだ。ガスマスクをつけての作業は、けっこうくるしい。段ボールの処理をするときは、ダニに刺される可能性があるので、鼻付近をまもるために、シンナー用のガスマスクをつけている。

それから、食料を買って、にぎり寿司を食べた。にぎり寿司もトランスミッションが気になるので、警戒している食べ物なんだけど、どーーしても、急に、にぎり寿司が食べたなくって、食べた。じつは、急に、にぎり寿司が食べたくなったのは、昨日だ。昨日の夜。買いに行こうかなと思ったけど、まよっているあいだに、雨がふってきたのでやめた。

にぎり寿司はうまかった。いろいろ、心配しないでにぎり寿司を食べられる世界をとりもどしたいものだ。

しかし、このさき、どうなるんだ?

今度は、来年の1月20日をまたなければならなくなった。はやくしてほしいんだよね。いま、トランプが「やる」と言っていることを、すぐにでもやってほしい。けど、まだ、準備段階だ。

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 因果関係を証明できないのは、科学的に証明できる技術がないからではない。さらに、因果関係がないから、因果関係を証明できないのではない。因果関係を証明してしまうことが、禁じられているから、因果関係が証明できないのだ。そりゃ、禁じられているのだから、因果関係を証明できる人なんていない。けど、これを、自称科学的な人たちが、「因果関係がないから、因果関係を証明できない」と思ってしまうのだ。だいたい、因果関係を証明することを禁じるというのは、フェアじゃない。こういうところに、気がつかないのだ。とても、科学的は言えない。因果関係が証明できないのだから、因果関係はないと考えてしまうような鈍感さんだ。こんなの、ない。こんな鈍感なやつらが、俺のことを、陰謀論のバカだと言うのだ。どれだけ、たえてきたか。

2024年11月10日日曜日

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 まったく気がつかない鈍感なやつらは、脅威でしかない。どんだけ、こわい思いをしてきたわからない。まだまだ、この思いが続くのか?

 

2024年11月9日土曜日

土曜日は、やすめ

 土曜日なのに、午前8時45分ぐらいから、きて、工事をやっている。で、あっち家と、こっちの家に、犬がいるんだけど、その犬たちが、工事の音で、ワンワンワンワン、吠えている。もう、工事用の車両がきたときから、ワンワンワンワンワン、吠えて、うるさい。工事の音と犬の音がうるさい。こまったなぁ。土曜日は、やすめ。工事をするな。

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 もう、トランプボタンを押したようなものなのだから、これからは、ディープステートの悪事があきらかになるなぁ。はやく、やってくれないかなぁ。はやくしてほしい。とにもかくにも、はやくしてほしい。けど、ショックをあたえないようにゆるやかにやるのかもしれない。けど、それだと、悪くなる一方なので、なるべくはやくやったほうがいいと思う。

2024年11月8日金曜日

レトルトのシチュー

 騒音が鳴りわったあと眠った。午後5時以降だなぁ。そして、なんか、午後7時ぐらいに起きた。起きたときの、むなしさが半端じゃない。ともかく、なんか食べようと思いついて、レトルトのシチューをあたためて食べた。まあ、うまかった。添加物は気になるので、見てない。レトルトのカレーはまずいけど、レトルトのシチューはうまい。なんなんだろうな? この差は? レトルトのカレーがまずいんだよなぁ。食べたあと「うっ」ってなる。なんか、だるい感じになるのだ。安いレトルトカレーじゃなくて、高いレトルトカレーでもそうなる。1個400円ぐらいするわりと高めのレトルトカレーも安いレトルトカレーも、レトルトカレーは味が似たり寄ったりなんだよなぁ。汁汁カレーのほうがうまい。しかし、なんか、汁汁カレーをつくるのがめんどうなときのために、レトルトをいろいろと買ってみたのだけど、あんまり、うまくない。安いやつはまずいけど、高いやつはうまいというようなことを期待してたんだけど、期待が裏切られた。

まあ、シチューを食べながら、『トリリオンゲーム』というを見たのだけど、アニメとしてはおもしろいと思う。こういうアニメの市場はある。

雑感

 あんまり、言いたくないけど、ガスの勧誘シェディングが残っている。喉の調子が悪い。どうするかな? あんまり飲みたくないけど、あれを飲むか。

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 毒の量についてちょっとだけ語っておく。発達障害とワクチンの関係について説明した。あたりロットとはずれロットという2種類で、説明した。あたりロットだと発達障害になり、はずれロットだと発達障害にならない。けど、たとえば、70をこえると、発達障害になるような毒を考えてみよう。70という数字の単位はない。ただ単に70。この場合、一本目、20だけ(毒)がはいっているロットを打ったとする。この場合、症状があらわれないのだから、はずれロットなのかというと、はずれロットではないのだ。これも、程度が低いあたりロットだ。2本目、20、入っているものを打って、3本目、20はいっているものを打った場合、まだ、合計60なので、発症しない。けど、4本目、20はいっているものを打った場合、80になって70をこえるから、ちょっと期間をおいて発達障害の症状(障害)があらわれるようになる。3本目まで打ったけど、4本目を打たなかった人は、ワクチンは安全だと考えるようになるのである。「実際、自分、は、そのワクチンを三本打ったけど、発達障害になってない。ワクチンを打つと発達障害になるというのは、デマだ」と考えるようになるのだ。

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 「アメリカの中央銀行にあたるFRB=連邦準備制度理事会は金融政策を決める会合を開き、政策金利を0.25%引き下げることを決めました」……ということなのだけど、まず、FRBは、政府の銀行ではないのである。こういうところにも、だましがあるんだよなぁ。ともかく、金利を下げたということは、重要だ。これが、ブラックスワンの理由(引き金)になるのかどうか、興味深い。

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 ワクチンで発達障害がしょうじる可能性はある。これも、あたりロットとはずれロットがあり、はずれロットのほうが割合が大きい。なので、ほんとうに低い確率で、発達障害になる。けど、じゃあ、発達障害なるものの、すべての理由がワクチンなのかというとそうではない。別の理由で発達障害になる人がいる。だから、人々は混乱することになる。たとえば、ロットのちがいについて知らない人は、ひとつの名称でよばれる「ワクチン」をひとつの「ワクチン」だと思っているから、ワクチンを打ったのかどうかに注目しがちだ。けど、ここで、トラップが発動しているのである。ワクチンではなくて、どのロットを打ったのかということが重要なのだ。そして、「ワクチンを打つと発達障害になる」という言い方だと、あたかも、発達障害の理由が、ワクチン接種(だけ)であるかのように誤解してしまうのである。悪いけど、理由はほかにもある。ようするに、ワクチン接種は、ひとつの理由でしかない。ほかの理由で発達障害になる場合がある。「ワクチンを打つと発達障害になる」という言い方だと、まず、ワクチンロットの問題を無視しているし、次に、発達障害になるほかの理由を無視している。


つまんなーーい。

 いやーー。つまんないなぁ。つまんなーーい。

どうしようかな? もう一度寝るかな。基本、昼間は工事でうるさい。いろいろなところで、工事をしている。洗濯物も安心して、外に干せない。これが案外、ストレスをあたえるのである。どうしたものだ?

ネズミがいる気配がある。これも、憂鬱になる一因だ。そして、ネズミよりも、人間のほうがたちが悪い。いろいろなことが、うかんでくるよ。

どうしようかなーー。このさきーー。ずっとこのさき、どうしよう。

まあ、焼き芋や柿はうまい。このあいだ、サツマイモを焼いてみたのだけど、うまかった。けど、電気、くうわぁーー。やっぱり、焼き芋は焼いてあるのを買ったほうがいいのかな。けど、焼きたてのうまさがある。 

まあ、騒音のなかで、もわーーっとした気分で、イモを食べた。うまいけど、そんなにいい気分じゃない。いや、どちらかというと、悪い気分だ。そりゃ、この世のいろいろなことがうかんでくるからね。ほんとうに、家族の長期騒音で、そとの人間関係がめちゃくちゃになった。そとの人間に、相当に、不愉快な思いをさせられた。不愉快。不愉快な記憶がある。

ほんとうに、人間のいやらしい部分をいっぱい見てきた。「こいつらは、どうしてこういうやつらなんだ」と思うことが、いっぱいあった。

まあ、ほんとうは、書いちゃいけないことなんだけど、これは、ぼくのノートだからねーー。書きたいことは、書く。

2024年11月7日木曜日

はて、ブラックスワンはあるのかどうか?

 はて、ブラックスワンはあるのかどうか? これが、気になるなぁ。いちおう、ブラックスワンというのは、この場合、リーマンショックの1・5倍ぐらいの、株価暴落だとする。けど、リーマンショックよりは、はやい時期にもとの状態にもどると思う。継続期間は短い。いちおう、目安としては、来年の1月19日まで。あるかどうか言えないけど、あってもおかしくはない。なくても、おかしくはない。これ、白がどういうやり方でやるかにかかっている。

いちおう、アメリカ大統領選挙がおこなわれるまでは、白によって株価が維持されると思っていたけど、選挙がおこなわれたので、フェイズがかわった。 どういうやり方で、古い企業を片づけるのかということが、問題になる。ちなみに、アメリカ大統領選挙が行われない場合も、可能性としてはあった。可能性はあるのだから。排除して考えることはできなかった。けど、トランプが政権につくまでには、まだ時間がある。可能性を考えると、いろいろなシナリオが考えられる。

このさき、どうするか?

 しかし、このさき、どうするかな?

このさき、どうするか?

まあ、里芋の煮っころがしでもつくるか?

しかし、どうするか?

今日は、不燃ごみを出した。それだけでも、いいか。一歩前進した。しかし、どうするか?

なるべく早く引っ越さなければならないのだけど、どうしても、引っ越しの準備ができない。片づけて、パッケージングすることができない。

2024年11月6日水曜日

陰謀論のバカが勝ちました

 よし、ちゃんと選挙をやって、トランプが当選した。選挙をやらないのではないかと言うことが言われていたのだけど、ぼくは、やると思っていた。そして、もちろん、トランプが勝つと思っていた。

トランプは「ディープステートを(ひとり残らず)たおすんだ」というようなことを言っていた。ディープステートという言葉を使うだけで「陰謀論のバカだ」思っていたやつは、どういう反応をするのだろう。ディープステートという言葉を使っていた、陰謀論者のバカが、アメリカ合衆国の第47代大統領になったぞ。

「ディープステートとかwwww」とか「ディープステートなんて言っているやつは、現実と妄想の区別がついてない」などと言っていたのだ。さんざんバカにしてたけど、こういうことを言ってやつは、反省するべきだ。

トランプしかディープステートいう言葉を使ってなかったけど、それには、理由がある。ひとつは、アメリカ人が人質にとられていたからだ。そして、いちおうは有名な人がディープステートについて(ディープステートゆるしなく)語ってしまうと、その人をまもる必要が出てくるからだ。シークレットサービスを使えるトランプですら、ある時期まで、ディープステートという言葉を使うことをさけていたのだから、トランプよりも力がない人が、ディープステートという言葉を(ディープステートのゆるしなく)使ってしまったら問題がある。「ディープステートなんて言葉を使っているのは、トランプだけじゃん」「ディープステートなんて言葉使っているやつは、陰謀論のバカ」と思っていたやつは、反省するべきなのである。



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 メドベッド(medbed)について、ちょっとだけ書いておこう。インテルが「証拠写真」のように使っているメドベッドの写真は、CGや映画に使われたものばかりだ。

インテルは、メドベッドが実在するということを写真でしめすように、メドベッドの写真を使っているけど、あれは、たんなるイメージの写真だ。

そして、メドベッドも、潜在意識のようなトリックタームだ。原子消滅原子生成型のメドベッドの説明をして、そういう種類のメドベッドがあるようなことを言うわけだけど、メドベッドと言われているものが、全部、原子消滅原子生成型のメドベッドなのかというと、そうではないのだ。

ともかく、ベッド型の医療機器は、みんな、メドベッドなのだ。

だから、「メドベッドがある」ということは「原子消滅原子生成型のメドベッドがある」ということを意味していない。

*     *     *

神のテクノロジーなら「原子消滅原子生成型のメドベッド」もありえるということを、期待している人には言っておきたい。別に、「可能性」は否定してないから。

 

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 「陰謀論者はへんな宗教の信者とおなじだ」という社会的な雰囲気を、インテルがつくりだしているのだ。一般人は、インテルやインテル信者の言動を見て「陰謀論者はへんな宗教の信者とおなじだ」と思ってしまう。

そして「へんな宗教の信者にも、固有の事情があるのだから、へんな宗教を信じていたとしても、それは、あたたかい目で見守ろう」というような上から目線の憐れみを感じるように「陰謀論者にも固有の事情があるのだから、へんな宗教を信じていたとしても、それは、あたたかい目で見守ろう」と憐れみを感じるのだ。

けど、けど、けど、正しい陰謀論と正しくない陰謀論の区別がつかない人たちが悪い。 「正しい陰謀論なんてない」「陰謀論はみんなまちがっている」というのが、この人たちの考え方だ。けど、けど、けど、その考え方がまちがっている。正しい陰謀論はある。

 

雑感

昨日、また、柿を食べたのだけど、うまかった。しかし、柿をむくのは、たいへんだ。まだ、もう1個あるので、そのうち、食べよう。柿は、この季節になると、冷蔵庫から出したばかりの柿ではなくて、常温の柿がいいなぁ。まあ、柿に関しては、常温で保存することもできるから、最初から、冷蔵庫に入れないという手もある。けど、今回は、冷蔵庫に入れた。柿じゃないけど、ビワをくさらせてしまった過去がある。いつ、食べたくなるわからないので、なるべく長く保存できるほうがいい。

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「陰謀論を口にする人はおろかだけど、その人なりの事情があるのだろう」と理解をしめすことについて、ちょっと言っておきたいことがある。陰謀論を口にする人たちのなかには、賢者がいる。たかしに、陰謀論を口にする人たちのなかには、バカがいる。なら、陰謀論を口にする人たちはみんなバカというと、そうではないのだ。一般人は「陰謀論者はみんなバカだ」と思って、「その人なりの事情があるのだろう」と一定の理解をしめすことになる。けど、賢者が含まれている。「陰謀論者はみんなバカである」という前提がまちがっている。

*     *     *

 ほんとうのことを言ってしまうと、「陰謀論者はみんなバカである」と思っている人たちがバカなのだ。だから、賢者は、バカにバカにされるということになる。「あわれみ」を感じて「その人なの事情があるのだろう」と一定の理解をしめすわけだから、バカにしている。「陰謀論者がバカなのはしかたがないけど、その人なりの事情があるんだろうな」と思っているのだ。陰謀論者側の『こころの問題』とみなして、『こころの問題がある人』はかわいそうだから、一定の理解をしめすことは必要だということになってしまうのである。こういうふうに「バカにするように」しむけられているのだ。

一般人の「陰謀論者はみんなバカである」という認識は、インテルとインテル信者によってつくられたのだ。洗脳設計者は、インテルとインテル信者を使って、一般人が賢者をバカにするように、しむけている。

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 「因果関係は証明できない」という言い方がある。技術的には因果関係を証明することができても、実際には因果関係を証明することができない場合がある。因果関係を証明することが禁じられている場合だ。その場合について、言及しないで、あることについて「因果関係は証明できない」と語るのは、バランスが悪い。たとえば、ある人が、ワクチンを打った10分後に死んだとする。もちろん、調査をしなければ因果関係は証明できない。そういう状態で「因果関係が証明できない」から「因果関係がない」と言ってしまうあやまりがしょうじる。これは、「あやまり」だ。因果関係が証明できないから、因果関係がないということは、それこそ、できない。どうして、こんな幼稚トリックに気がつかないんだ?

「因果関係を証明できないこと」と「因果関係がないこと」は別のことだ。なんで、これがわからないのか?

 

「おカネはありがとうの量」

  むかし、「おカネはありがとうの量」という言い方がはやった。けど、おカネはありがとうの量だとは言えない側面がある。しかし、これも、「全体詐欺」みたいなもので、「おカネはありがとうの量だ」と思った人は「すべて」のおカネがありがとうの象徴だと思ってしまうところがある。

ようするに、この人たちは、ありがとうを象徴してないないおカネというものについて考えてない。おカネがありがとうの気持ちを「あらわしている」場合もあるけど、そうではない場合もあるのだ。

しかし、「おカネ」というちゅうょう的な言葉には、おカネがすべて含まれる。ようするに、この文脈だとすべてのカネが、ありがとうの気持ちをあらわしているということになってしまうのである。こういうことに対する、無頓着さというのは、精神世界の人たちの、弱点だ。どうして、こういう詐欺にひっかかってしまうのか。どうして、詐欺的な説明を「真実だ」と思い込んでしまうのか。部分について言っているのか、全体について言っているのかと言うことは、常に考えなければならないことなのである。

「おカネがありがとうの量」なのであれば、おカネをいっぱい持っている人は、いっぱい「ありがとう」と思われた人だということになってしまうのである。「おカネがありがとうの量」なのであれば、おカネがない人は、人から「ありがとう」と思われることをしてこなかった人だということになってしまうのである。

けど、実際には、生まれながらの差がある。「生まれたうち」の親が、カネ持ちなら、最初から、だいぶカネをもっている状態がしょうじるのである。いっぽう、「生まれたうち」の親が、貧乏なら、最初から、カネをもってない状態がしょうじるのである。「ありがとうの量」は関係がない。

自分がかせぐときは、自分の行いに対して、人が「ありがとう」という気持ちを込めておカネを払ってくれるのだから、人からありがとうと思われる行為をした人には、おカネが入ってくるという理屈なのだ。けど、これは、おカネの流れの「一側面」を言ったにすぎない。

そうじゃない場合だって当然ある。

強欲な経営者が、労働者の賃金をかすめとった場合だって、おカネは、強欲な経営者のほうに流れる。もっと、制度として固定されている場合だってある。

ようするに、搾取をするのがあたりまえということになっている場合、搾取可能な側には、おカネが流れ込んでくることになる。すべてのおカネが「ありがとうの象徴」なのであれば、もちろん、搾取可能な側に流れ込んでくるカネだって「ありがとうの量を指ししめしている」ということになってしまう。ようするに、「全体詐欺」が成り立っている。

ようするに、おカネがありがとうの量をしめしている場合があるけど、おカネがありがとうの量をしめしてない場合もある。ところが、おカネがありがとうの量をしめしているということにしてしまうと、おカネがありがとうの量をしめしてない場合については考えなくなってしまう。

全体詐欺だ。

「おカネはありがとうの量」だと言っている人は、おカネがありがとうの量をしめしてない場合について、まったく考えない状態になってしまうのだ。なので、おカネがありがとうの量をしめしてない場合については、公然と無視して、すべての場合において「おカネはありがとうの量だ」と思い込んで、すべての場合において「おカネはありがとうの量だ」という前提で、ものを言うようになる。

精神の堕落である。

だまされているのである。

*     *     *

「全体詐欺」というのは、正確に書くと「部分→全体・抽象性詐欺」ということになる。

ひとつの側面について言っているにすぎないのだけど、全体についてのべているような印象を人々にあたえるのだ。その理論を聴いた人は、全体についてのべていると思ってしまう。その話のなかで、抽象的な言葉が使われている。この抽象的な言葉は、部分集合を全体集合のように、錯覚させるための抽象的な言葉だ。Aという部分集合とBという部分集合があり、Aという部分集合とBという部分集合で全体集合を形成しているとする。その場合、ーという部分集合は、当然ながら、全体集合ではない。けど、抽象的な言葉を使うと、抽象的な言葉を使ったときに、Aという部分集合が、あたかも、全体集合であるかのような印象をあたえることができるのだ。当然、Aという部分集合は、全体集合ではない。けど、説明をうけて、「その通りだと納得した人」は、それ以降、Aという部分集合を全体集合のように思ってしまう。

*     *     *

ちなみに、一度、Aという部分集合を全体集合のように思ってしまった人は、たとえ、「A派部分集合であって全体集合ではない」という説明をうけても、こんどは、納得しないようなところがある。これ、単純な人は、「Aは部分集合であって全体集合ではない」という説明をされても、「そういう場合もあるかもしれないけど、Aは全体集合だ。これで正しい」と言いだすのだ。単純な人は……Bという部分集合があるということを、いちおうは、認めるけど、そのあとすぐに、Bという部分集合を無視してしまう。

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 科学的だなんだといったって、細胞内に入ったm-RNAがどうやってスパイクたんぱく質をつくるのか、知らない人たちが言っていることなのだ。ディメリットとメリットを考えて……。はぁ、なに言ってんの? 細胞内に入ったm-RNAがどうやってスパイクたんぱく質をつくるのか知らない人たちが考えるディメリットやメリットなんだぞ。こんなの、ひっかけでしかない。そして、「自分がm-RNAがどうやってスパイクたんぱく質をつくるのか知らない」ということについて、まったく無頓着な人なんて、科学的であるはずがないだろ。

*     *     *

テレビにでてくる専門家が 「m-RNAがどうやってスパイクたんぱく質をつくるのか」について説明したと思う人もいるだろう。けど、その説明を聴いて「あれ、おかしいな」と思わないのは、非科学的な人だからだ。科学的な人なら、「あれ、おかしいな」と思うはずだ。

2024年11月5日火曜日

ところどころで、起きてしまう

 工事の音がうるさいので、ところどころで、起きてしまう。眠っていられない。今日は、幼稚園側と東側が特にうるさい。いまも、鳴っている。喉は、あいからわず、いたい。「すべての勧誘 お断り」と書いてドアに貼っておいたのに無視して、ピンポンを鳴らしやがって。インターホンになってないので、でないとわからない。最初、自分が今使っているガス会社の人かと思って話を聴いたら、別のガス会社の勧誘だった。ワク臭でやられた。ちょっと書いておいたけど、地域新聞のワク臭はきえた。たぶん、人がかわったんじゃないかな。けど、いつまた、復活するかわからない。

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 「人の思いのパワーは絶大だから、悪いことは起こらない」とディープステートにだまされている人たちが言っているのだ。これって、どうにかならないかな? だまされっぱなしのやつが、よく言うよなぁ。人の思いのパワーが絶大なのに、悪いことばかり起こっているじゃないか。しかも、自己責任論とおなじように、じつは、「人の思いのパワーは絶大だから、悪いことは起こらない」なんて考え方がはやっていると、デーブステート側がたいへんにやりやすい状態になってしまうのだ。基本、思霊的な考え方というのは、幼児的万能感から出てくるものだ。だれもが幼児期を経験しているので、とても、なじみやすい考え方なのだ。そして、どんな人も、『生』の不安を抱えているので、不安定な未来に関しては、「いいことが起こる」と思いたいという気持がある。ディープステートは、そこのところ……幼児的万能感をだれもがもっているということ……を利用して、思霊思考をはやらせて、思霊思考にとりつかれている人が、現実世界に対処できないようにしたのだ。はやっている精神世界の考え方というのは、ディープステート側にとって都合がいいものばかりなんだよ。ちなみに、新興宗教の考え方も、おなじだ。新興宗教は、ディープステート直轄の宗教だ。日本のだれもが知ってるような新興宗教団体というのは、ディープステートがつくった宗教団体だ。これでまちがいがない。

 

はやくしてほしい。

 あーー。つまらない。つまらない。やっと、11月5日。今日と明日で、アメリカ大統領選挙の結果がでる。まちにまった結果だ。これは、重要な選挙だ。選挙をやるのかどうかも含めて、大変興味深いものがある。しかし、ぼくは、つまらない。ここまでで、エネルギーをつかいはたしている。このあいだのシェディング(トランスミッション)がこたえたかなぁ。そのまえから、からだの状態が悪かったのに、また、あのにおいをかがされてしまった。喉がいたいのが、なおらない。

ともかく、明日になれば結果がでる。とりあえず、生きて、こえればいい。

今後のことに、あんまり期待ができないんだよな。はやく、黒側バイトを含めて、排除してほしい。あれに協力したやつらを全員、逮捕してほしい。はやくしてほしい。 

こんなごたごたな状態が、いつまで続くかわからない。処理に相当な時間がかかるような気がする。普通に考えれば、処理に時間がかかる。おそい展開になる。そりゃ、ものすごいことが起これば一瞬で解決するけどね。

2024年11月4日月曜日

ほんとうに、つかれた

 このさき、俺はどうしたらいいんだ。ほんとうに、つかれた。「もう、つかれた」。つかれたねぇーー。

横になっても、眠っても、つかれがまったくとれない。

このあいだのトランスミッションが効いている感じがする。喉がイガイガする。もともとだるいのに、そういう原因をつらないでほしいな。「すべての勧誘 お断り」と書いてあるのだから、「声をかけてほしくないんだな」と思って、スルーしてくれよ。

せっかく、地域新聞のトランスミッションがなくなったと思ったら、今度は、勧誘で、ナノ粒子をくらったか。


思霊雑感

 「明るいことを考えると明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」とワクチン騒動のさなかに言っていたのである。

もしかりに、コロナ騒動がはじまったとき、「明るいことを考えると明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」という考えをもっていて、「明るいこと」を考えたら、ワクチン騒動は起きてないのである。

自分が暗いことを考えると、世界で暗いことが起こるし、自分が明るいことを考えると世界で明るいことが起こるということだから、思霊主義者のだれかひとりが、コロナ騒動がはじまったとき、「これ以降、悪いことは起こらない」と明るいことを考えれば、それで、食い止めることができたのだ。

しかも、この「明るいことを考えると明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」というのは、一般人から見て陰謀論者の発言なのだ。

たぶん、インテルじゃなくて、インテル信者(Qアノン)なのだろう。Qアノンも設計者側がつくった用語だ。

設計者側がつくった用語で議論をしてもしかたがない。これは、「シェディング」という用語でもおなじだ。けっきょく、思霊主義者であり陰謀論者である人は、進行形のとき、「自分が」暗いことを考えなければ暗いことが起こらないという考え方をもっていたのである。

けど、それだけでは、不十分で、「他人が」暗いことを考えることも禁じなければならなかったのである。

けど、自分が暗いとを考えなくても、他人が暗いことを考えなくても、計画の主体者であるやつらは、計画を推し進めていった。それは、思霊主義者であり陰謀論者である人にとっても「暗いこと」なのである。

自分が暗いことを考えず、ほかのだれにも暗いことを考えさせないように、がんばっていたとしても、次から次へと暗いことが起こっていったのである。

どうしてかというと、次から次へと(彼らが)計画を実行したからだ。

ようするに、もし、思霊主義者が、2018年以前に、「暗いことは起こらない」と思えば、暗いことは起こらなかったのである。もしも、思霊理論が正しいなら、そもそも、新型コロナパンデミックが起こらなかったのである。

思霊主義者は、自分のことを言っているのか、世界のことを言っているのか、常にあいまいにしている。そして、自分が思うと、世界がその通りになると思っているのか、他人が思っても世界がその通りになると思っているのか、はっきりさせない。

だから、自分のことなのか、世界のことなのかということについて、常に思考的な混乱があり、さらに、自分が思うことなのか、他人が思うことなのかということについても、混乱があるのだ。そういう人たちなのである。

この人たちは、言霊主義者のように、はっきりしたことを言わない。言霊主義者ははっきりしたことを言うけど……常に断言しまくっているような状態だけど……「言ったから」と「言ったあと」の混同と「言葉の力」と「言霊の力」の混同があるので、どっちの意味でも使えるようになっていて、そのぶんだけあいまいなことしか言わないということになっている。本人は、混同しているとも思ってないので、その都度、「正しい」と思うことを言うのである。けど、厳密に考えると、この人たちは、その場その場で、異なったことを言っているのである。どうとでもとれるあいまいなことを言っているのである。本人が、意味的にあいまいなことを言っているというつもりがないだけで、あいまいなことを言っている。言霊主義者の話はここで終わりにして、思霊主義者の話にもどす。ともかく、思霊理論がただしいなら、自分が「明るいこと」を考えて、自分が「暗いこと」を考えなければ、それ以降は、一切合切、暗いことは起こらないということになるのである。もし、現在進行形で暗いことが起こっているというのであれば、それは、思霊理論がまちがっているということになる。ならざるをえない。そして、自分が「暗いこと」を考えなければ暗いことは起こらないと思っている一方で、他人が「暗いこと」を考えると暗いことが起こってしまうと思っているのだ。そして、自分が「暗いこと」を考えなければ暗いことは起こらない考えているなら、近い未来において、ディープステート側の人間が、悪いことをするということがなくなるのである。けど、もちろん、個人である自分が見ないふりをして、「起こらない」と思っていても、ディープステート側の人間が、計画通りに、細かい計画を次々に実行していくということになる。はっきり言えば、「暗いことを考えると暗いことが起こるから」「暗いことを考えないようにする」という対策では、なんの意味もないのだ。意味がないどころか、逆に、ディープステート側の人間に協力をしてしまっていることになる。そりゃ、見てみぬふりをして、「考えるな」とほかの人に言って、計画がスムーズに抵抗なく進むようにしてしまう。「考えるな」というのは、「暗いことを考えるな」ということだ。こんな無防備な状態はない。敵から攻撃をされているのに、それは見ないことにして「明るいことを考えましょう」と言っているのとおなじだ。敵から攻撃されているのに「暗いことを考えなければ、敵から攻撃されるという暗いことは起こらない」と考えて、見ても見ないふりを決め込むということだ。

ともかく、「思いが現実化する」とか「明るいことを考えれば明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」ということが正しいなら、すぐにでも、ディープステート側の行動を食い止めることができるのである。

けど、個人が「暗いことを考えないようにしても」暗いことを実行するやつらがいる限り、暗いことを実行するのである。計画をたてて、暗いことをしようとしているやつらは、暗いことを次々と実行していくのである。

それは、あいつらにとっては、明るいことかもしれないけど、やられるこっち側の人間にとっては、たいへん暗いことだ。

ともかく、どの時点でも、思霊理論が正しいなら、「暗いことを考えない」ことで、やつらの計画を頓挫させることができるのである。

ところが、そんなことを言っているあいだに、次々に、あいつらの計画が、実行されてしまうのである。この、実行されている期間中に「暗いことを考えると暗いことが起こるから、暗いことを考えないようにしましょう」なんて、やられる側に言ったってしかたがないのだ。こういうところで、ろくでもない行為をしている。

だいたい、恐怖があるから、「暗いことを考えないようにしよう」と言っているのである。暗いことが起こっているという認識があるのである。だから、さいちゅうだと言っているでしょ。現在進行形だと言っているでしょ。

*     *     *


たとえば、Cさんが2016年に「これから、悪いことは起こらない」と思ったとする。思ったのだから、新型コロナパンデミックなんて、起こらないのだ。プランとしてパンデミックを起こすということを計画した人たちがいても、Cさんが「これから、悪いことは起こらない」と思ったので、新型コロナパンデミックは起こらないのだ。もし、思霊理論が正しいなら、そうなる。だれかひとりが「これから、悪いことは起こらない」と思ったら、その瞬間から、悪いことは起こらないようになるのだ。「悪いことが起こると思うと、悪いことが起こり、いいことが起こると思えば、いいことが起こる」というような思霊理論は、ずっとまえから、言われていたことだ。だいたい、ぼくは、思霊主義者じゃないけど、「これから、悪いことは起こらない」と中学生のときに思ったことがある。ところが、2019年に新型コロナパンデミックが起こった。言霊理論というのは、だれが思うかを区別しないので、ぼくが思っても、思ったとおりになるはずなのだ。もし、ぼくが思って思ったとおりにならないのであれば……現実がぼくが思ったとおりにならないのであれば、それは、言霊理論がまちがっているということなのである。実際には、新型コロナパンデミックと言うのは、計画されたものであるから、新型コロナプランでミックだということになる。ちゃんと、悪いことが起こっている。悪いことを計画したやつらが、悪いことを引き起こしている。それは、ぼくが中学生のときに「これから悪いことは起こらない」と思ったにもかかわらず、起きているのである。思霊理論はまちがっている。まあ、こういうことを言うと、思霊理論を信じてない人が思っても効果はないとか言いはじめると思う。けど、そいつらだって、人生のなかで「これから悪いことは起こらない」と思ったことがあるはずだ。過去の時点でそう思ったのに、実際には、悪いことが起きたということを経験しているはずだ。思霊主義者だって、思った通りのことが起こらなかったということを経験しているはずだ。思霊主義者だって、思ってなかったことが起きたということを、経験したはずだ。思霊を信じていたって、そういうことがあったはずだ。

 

 

 

 

2024年11月3日日曜日

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 通貨というのは単なるお札だという理論がある。これが、本質的には正しい。この考えに立てば、財政均衡なんて関係がないということになる。刷ればいいのだから……。
基本いまの日銀(日本銀行)というのは、政府の銀行ではない。ディープステートと政府の銀行だった。政府がディープステートの下部組織なのだから、ディープステートの銀行だと言っても過言ではない。これが、金融奴隷制度のかなめなので、これは、破壊しておく必要がある。ようするに、政府をディープステートから解放して、日銀を政府の銀行にしなければならない。
単なるお札なんだけど……おカネと言うのは単なるお札なのだけど、「なんとなく信頼のおけるもの」でなければならないのだ。こっちは、人間の精神性の問題だ。だから、金(きん)とむすびつけておけばいい。金(きん)が量的に足りなくても、カネを刷ればいい。ようするに、カネに対して金の価値があがればいい。けど、金の流通量とものの流通量の関係課は、そこそこ、安定していなければならない。無尽蔵に吸っていいというわけではない。じゃあ、なにを基準して考えるべきなのかというと、ものの流通量だ。ものと書いたけど、サービスも含まれる。そして、問題なのは、銀行の信用創造なのだ。信用創造というしくみは、破壊しなければならない。
まあ、基本、まったくわかってない人は、ぼくの言っていることがまったくわからないと思う。これ、もう、次元がちがうんだわ。財政均衡なんて言っているやつらは、経済学がまったくわかってないやつらだ。

2024年11月2日土曜日

だるいと「いいやもう」という気持になる

 だるいと「いいやもう」という気持になる。

引き続き、あの薬を飲むしかないか。

しかし、勧誘するなと張り紙をしてあるのに、ガスの勧誘をしやがって……。ワク臭をふりまくな。

雑感

 うーー。騒音がひどい。おちこむーー。いろいろなところで、工事をやっている。幼稚園の園舎がでかいのだけど、そこに足場を組んで作業をしている。これが、うるさい。こまったなぁ。東側のやつも、家の解体工事をしているし、今年は、なんか、ひどいよ。

横になっていても、しんどいんだよなぁ。どうするかな?

 

後で消すかも

 さて、俺はどうするかな?

今後の変化は見たいような気がする。しかし、イーロン・マスクの動きを見ていると、「これ、ほんとうに大丈夫なのかな」という感じはする。とりあえず、白と言っておくけど、白は、人間機械化(人間と電子回路の融合)に関しては、ノリノリなんだよなぁ。けど、まあ、いいや。白が白なのかという問題はずっとあった。けど、この問題は、あつかいたくないなぁ。ものすごく低レベルなことをやっているわけだからさ。いや、前投稿でコメディだと書いたけど、これ、民衆のレベルに合わせているのである。彼らが民衆をどういうふうに考えているかわかる。

ともかく、でかい動きがある。そして、ぼく個人の動きというのが、全体に(それほど?)(まったく?)影響をあたえないのである。これ、自分の無力さを思い知らされるイベントになったなぁ。まあ、ぼくは、できる限りのことはやった。けど、たとえば、白とか黒という勢力があり、その勢力が出す情報を信じている人たちがいる。信じていると書いたけど、妄信している。これ、言ってみれば、どっちにしろ、だまされているのである。そういう力をもっている。嘘をつく力をもっている。公的な権力が嘘をついたら、その嘘を、嘘だと思わない人たちばかりなのである。この人たちが今回、どうなるのかということに関しては、書くわけにはいかない。

「もう、なんでもあり」

 昨日のトランスミッション(シェディング)で、喉がいたくなった。「いたくなった」と言っても、たいしていたくない。むかしの表現だと「えへんむし」みたいな感じ。喉がイガイガな感じだ。○○は効かなかったか。じつは、いま別の〇〇をきらしている。到着をまつしかない。

*     *     *

片づけなんだけど「もう、いやだな」という感じがする。もう、ほんとうに、いやなのだ。

*     *     *

やっと11月2日。ながい。ながい。ながい。

アメリカの状態は、「もう、なんでもあり」になっている。シリアスな映画が、コメディ映画になったなぁ。もう、コメディ映画。これ、もう、なんでもありだ。これで、芝居をしているということに気がつかないやつがいるのか? これで!

ほんとう、もう、コメディだよなぁ。

 それでも、まだ、日本人の9割が、わかってないわけだからなぁ。あーー、いやだなぁーー。いやだなぁーー。


2024年11月1日金曜日

雑感

 このさき、どうするかな? やっと11月1日になった。よかったよかった。しかし、まだ、1日。長い。もう、いいかげんにしてくれ。

工事にかこまれているような感じで、洗濯物を干せない。風にのって、解体中に出るほこりがこっちにくることもあるよなぁ。洗濯物に、ちょっとでも、そういうものがついてほしくない。けど、いたるところで工事をしているから、これ、今年中には終わらないよ。どうするかな? たしょう、ほこりがついても、干すべきかな?

あとは、まあ、昨日、ネットスーパーで食料品を買った。昨日は、あっちの手違いで、なんか、ほかの人の購入商品もまじってしまったみたいで、「これを買いましたか」というようなことを聞かれたので、確認した。けど、スポンジたわしをぼくが買ったのだけど、一度、ほかの人のところに届けてしまい、あとになって、スポンジたわしをぼくのところにもってきたのだ。ほんとう、いろいろたいへんだよね。あの人は、まじめないい人(みたい)だから、なんか、同情する。 

ともかく、食料品をゲットした。スポンジたわしもゲットした。カレーとかスパゲッティーを食べると、スポンジたわしがぬめぬめになりやすい。

あーー。別のところの工事が本格的にうるさくなってきた。がーーーっとやっている。どうするかな?

まあ、ほんとうは、引っ越しの用意をするべきなんだよな。どうしても、片づける気がしない。片づけるとなると、ダニに刺されるのだ。じつは、手の甲を、刺青のように刺された部分があり、そこが気になっている。これは、9月に刺されたものなのだけど、まだ、残っている。ほんとうにすごい医療機器が登場するのか?


 

雑感

 今日、じつは、プロパンガス屋の勧誘がきたんだけど、いわゆるワク臭がした。殺虫剤系のワク臭だ。「すべての勧誘、おことわり」と玄関に貼り紙をしてあるのに、それを無視して、勧誘してくる。最初は、今使っているガス会社が、ガスのことで、なにか言いたいことがあるから、きたのかと思った。だから、対応してしまったのだけど、ワク臭を感じた。

からだの中に入ったものが、完全に分解できればいいけど、残るとやばい。まあ、いちおう、〇〇を飲んでおいた。2文字ではない。あーー。こんなことがいつまで、つづくんだ。はやくしてくれ。○○、効け。


2024年10月30日水曜日

ありえる仮説

 どんな変なことでも、ありえると仮定して、考えるんだよ。そうすると、生きのこる仮説がある。生きのこる仮説は、どんな変な仮説でも、ありえる仮説なんだよ。常識的な考えに基づいて考えると、「これは絶対にありえない」と思える仮説も、残しておいて、実際の現象について考えなければならないんだよ。

すぐ消す

 ほしいのは正確なデータだ。アメリカ政府など、公的な機関が、正確なデータをだせばいい。トランプが約束をしているので、ワクチンに関してある程度のデータがでてくる。

陰謀論者の悪いイメージと言うのは、つくられたイメージだ。インテルが、(ばれてはまずい)真実情報の上に、嘘情報をたっぷりかけるから、一般人にとって、うけつけないものになる。一般人は、真実情報まで、「とるにたらないバカなやつらが言いっているバカ情報だ」と思ってしまう。それが、ねらいなんだよ。それがインテルのねらいなんだよ。なんで、気がつかないかな?

ともかく、きらいではなかった人が、陰謀論者の悪口を言っているところを見ると、いやな気分になる。これ、陰謀論者を批判できる自分は、じゅうぶんに知的だと思っているかもしれないけど、術中にはまっている。軽くだまされている。

ともかく、だるい。

 風呂に入りたくないけど、入るしかないから、これから、入る。しかし、だるい。こんなんで、だいじょうぶなんだろうか?

11月5日までが、長い。猛烈に、長い。もう、全部が、いやだなぁ。

ともかく、だるい。

しかし、このさき、どうするかな?

 なんとか起きて、なんとか、めしをくった。俺、すごい。

さてと、どうするかな。もう一回、寝るかな。

たまごがけご飯を食べたのだけど、たまごがけご飯だって、食べ終わった食器を洗うところまで含めれば、けっこうたいへんだ。

しかし、このさき、どうするかな?

うーーん。まようなぁ。この世でぼくが経験したことが、どうしても、うかんでくるんだよなぁ。これが、きつい。ほんとうに、くるしいことの連続だった。

2024年10月29日火曜日

雑感

 前投稿は自分で消した。もう、すべてがいやだ。

正直言って、つかれた。どうしようかな?

 正直言って、つかれた。どうしようかな?

 

2024年10月28日月曜日

しかし、こんなの、よくないよ

 しかし、こんなの、よくないよ。はやくしてくれ。白がたてている、黒側の人たちというのがいやなんだよね。もちろん、本人は〇〇されているけどさ……。もう、はやく、終わらせよう。

 

はやくしてくれ。

 はやく11月5日にならないかなぁ。もう、がまんできない。はやくしてくれ。

じつは

 じつは、QFSについて、書いたんだけど、運営がその投稿を削除してしまったんだよ。でっ、言いたいことは、インテルが言っているQFSは現実化しないということだ。あくまでも、インテルが言っているQFSね。これは、アンド回路思考とオア回路思考の問題がある。あいつらは、あいつらの考え方を盛り込んで、悪いほうに誘導しようとしている。これ、やっかいなんだよ。

彼らは、ワクチンでやったように、いろいろな詐欺部分を盛り込んでいる。 

詐欺部分がたいせつなんだよ。9割の真実のなかに1割の詐欺部分を盛り込んで、全体を台なしにするこころみだ。この部分について書くと、削除されてしまうし、LED蛍光灯のスイッチが、勝手に切りかわっしまう(ようになる)。

ともかく、11月5日までが、長い。長すぎる。もう、いいかげんしてくれ。

「えっ、柿ってこんなにうまかったの」

 昨日、柿を食べたんだけど、柿がうまかった。「えっ、柿ってこんなにうまかったの」と食べながら思った。ひさびさの柿はうまかった。

けど、いいことは、そのくらいのもので、けっこうくるしいんだよ。まあ、食費は前よりも、かかっている。どうしてかというと、むかしは、タマゴは普通のタマゴを買っていたわけだけど、いまは、平飼いタマゴを買っているからだ。わりと、こだわって買うものが多くなった。バナナもコメも魚も、こだわって買っている。だから、食費は、あがった。

柿はひとつしか買わなかったのだけど、もう一つ買っておけばよかったと思った。シーズン中にもう、二個ぐらいは食べたい。 

*     *     *

平飼いタマゴと安売りタマゴのちがいがあるかというと、ある。あきらかに、平飼いタマゴのほうがうまい。味がちがう。

2024年10月26日土曜日

これから、眠るーー。おやすみーー

 これから、眠るーー。おやすみーー。もう、ぼくはつかれた。

いまは、昼休み休憩中だからしずかだけど、午前中ずっと工事をしていた。うっさかった。土曜日なんだから、やすめ。

2024年10月25日金曜日

「かりに条件があるにしろ、そんなのは、たいしたことじゃない」


アニメの世界では、とても条件が悪い主人公が、条件が悪いにもかかわらず、勝ち続けている。

けど、現実世界では、条件が悪い人が、勝つなんてことはない。条件にもさまざまなものがあるけど、強固な条件というものがある。

それは、複数ある。なので、複数の強固な条件が、結果を決めてしまうところがある。というか、結果を、完全に、決める。

だから、どうあがいても、複数の、強固な悪条件がかさなると、複数の、強固な悪条件がかさなっている人は勝てない。

だから、アニメの世界で憂さを晴らすのだ。

複数の、強固な悪条件がかさなっているにもかかわらず、勝ち続ける主人公に、自分をかさねて、アニメを見るということになる。

けど、それは、アニメのなかの話だ。現実じゃない。

条件が悪いと、現実の世界では、どうすることもできない。

普通の人が、「社会に出たら、実力だ」というようなことを言ったり、「努力でどうにかなる」というようなことを言ったり、「言霊は絶対だ」というようなことを言ったりする。「明るいことを考えれば、明るいことが起こる」というようなことを言ったり、「いいことを引き寄せればいいんだ」というようなことを言う。

けど、条件の差は、強烈な力をもっている。10ブロックの人と、1ブロックの人が勝負をしているようなものだ。10ブロックに生まれたという条件が、重要。1ブロックに生まれたという条件が、重要。無情な条件の差こそが、結果をつくる。

こういう世界に生きている。

だからこそ、アニメや漫画やドラマの世界で、悪条件をものともせず、勝ちあがる主人公がいる。その主人公に、自己をかさねて、アニメやドラマを見て、マンガを読む。

そうすると、一時的には……ストレスが解消できる。

けど、そんなことをどれだけやったって、現実の条件をかえられるわけではない。現実の条件にやられたまま、人生が終わる。

そんな感じで生きている。

*     *     *

問題なのは、 「努力でどうにかなる」「言霊は絶対だ」「明るいことを考えれば、明るいことが起こる」「いいことを引き寄せればいいんだ」という条件を無視した言葉がうえから、ふってくるということだ。

ようするに、システム設計者がそういうアホな言葉をはやらせている。

現実世界で、そういうことを言う人たちは、自分で考えてそういうことを言っているようなつもりになっているけど、じつは、システム設計者が、しこんだことだ。

システム設計者が、そういうことを言う人たち……努力論者、言霊主義者、思霊主義者、引き寄せ論者を「育成」している。

そして、システム設計者が、アニメや漫画やドラマをつくる人たちを「育成」している。

そうすると、『条件無視王国』が成り立つ。最初から、条件を無視して考える思考スタイルが発生する。「かりに条件があるにしろ、そんなのは、たいした影響をあたえない」という条件を軽視した思考スタイルが発生する。

最初こそ、「たいした影響をあたえない」と言っているけど、すぐに、「だから、関係がない」と言って、完全に無視しはじめる。

けっきょく、「かりに条件があるにしろ、そんなのは、たいしたことじゃない」と条件の影響を無視して、なにごとかを言う。

そのなにがとかというのは、最初から、条件を無視したものなのである。

2024年10月24日木曜日

これで、食料をゲットした。しばらくは、いける

近所の工事現場が増えた。午後5時ぐらいから、眠ったようだ。午後9時5分ぐらいに、ネットスーパーの配達がきたので、チャイムの音で起きた。夏とはちがって、そのままの格好で、外に出れるので、たすかる。

外に出れると言っても、玄関までしか出ないけどね。この玄関と言うのは2階の玄関?で、1階の玄関のところに、荷物(注文した商品)をおいてもらう。

これで、食料をゲットした。しばらくは、いける。

ネットで、実写版のウイングマン(第1話)を見た。まさか、実写版で復活するとは思わなかったなぁ。けど、まあ、ちょっと前に、DMM TVの(先行放送)広告を見たから、知ってはいたけど……。まあ、見る方法はいくらでもあるけど、どうするかな?

「あおいさんの髪の毛は、水色っぽいほうがいいぞ」と思った。水色と言っても、いろいろとある。アニメ版の髪の毛の色は、青だ。アニメ版の青に似せたウイッグをつくると、(見た目が)重たくなるので、白に近い水色のウイッグをつくるべきだったなぁとは思う。

実写版の髪の毛(ウイッグ)は、白だ。青要素がない。

だから、「白と青の中間で、水色にしておけばよかったのに……」と思った。まあ、つやがある白系の水色のウイッグとして最適だったんじゃないかなと思う。

まあ、いいや。そういうものを、見られるところまでは、回復した。これ、だるかったら、見る気がない。Youtubeに公式の第1話があがっていから見たけど、見るのがもうちょっとたいへんだったら、見てないと思う。

注)「あおいさん」というのは、登場人物である「夢あおい」のこと。

 


あたらしく、東側の家を解体している

 あたらしく、東側の家を解体している。3方向で、工事をやっている。しかも、ななめ前のところを、北と西と考えると、4方向で工事をやっていることになる。いやーー。家もこわすことになると思うけど、近所でこれだけ、時期的にかさなって、工事があるなんて、ほんとうに、どうなっちゃっているんだ? ほんとうに、家を建て替える人が多い。持ち主が、かわっていることがほとんどだと思うので、厳密に言えば、建て替えではなくて、ふるい人が土地を売り、新しい人が、土地を買って、その土地の上に家を建てているのだと思う。けど、それも、建て替えに含めるとする。まあ、幼稚園はのぞく。園舎が大きいので、(こっち側の)相当に長い部分が補修工事の対象になっている。ともかく、工事現場にかこまれている。いま、はげしく、家をこわしている。

そういえば、「工事のお知らせ」という感じの書類が、ポストに入っていたわぁ。もう、時期とか場所とか、確認してない。

しかし、まあ、どうするかな?

 しかし、まあ、どうするかな?

これから、寝るわけだけど、どうしようかなーー。まだまだ、眠れない。

じつは、幼稚園も工事をしはじめた。これが、いまは、足場を組んでいる段階で、カーンカーンと金属音がする。工事現場にはさまれ感じがある。だから、どこらしかの工事がうるさいということになる。あとは、ミックスされて、うるさい。3カ所で、工事をしている。こまったなぁ。しかも、大規模工事なんだよな。

だから、昼間は、うるさい。昼間寝ている人間としてはつらい。まあ、あとちょっとで、夜眠る感じになると思うけど。

*     *     *

 

2024年10月22日火曜日

人生の雑感

 人の気持ちを考えると、言えなくなってしまうときがある。「こういうふうに言ったら、この人、こういうふうに思って傷つくのかな」と思って、言えないときがある。けど、それで誤解をうけることが多かった。これ、あっちをたてればこっちがたたずとおなじで、どっちかが傷つくわけだ。で、時間の流れというものがあって、ぼくもいそがしいときがあるわけ。だから、言えないときがある。けど、言っておくべきだったなぁと思う。相手の気持ちや、別の相手の気持ち考えないで、好き勝手に、そのとき思ったことを言っておけばよかったと思う。誤解をされることが多いんだよなぁ。ともかく、好き勝手かどうかは別にして、そのとき「言おうかな」と思っていたことは、その場で言っておけばよかったと、いまは思う。

やっぱり、ちょっとつらいかな?

 やっぱり、ちょっとつらいかな?

はやく時間がたってほしい。はやくしてくれ。

もう、がまんしたくないよなぁ。したくない。

もう、つかれたかなぁ。

2024年10月21日月曜日

『マザーボード愛』がなくなってしまった

 また、LED電灯のスイッチが、勝手に切りかわるという現象が発生した。これは、いやなんだよなぁ。調べてみる必要があるのだけど、憂鬱なので、できない。

やっと、動画を見られるぐらいには、復活した。しかし、どうしようかなーー。あんまり、見たくないしなぁ。けど、なんか、ほかにやることがないというか、やる気がしない。

*     *     *

いま、最近のCPUやGPUの動画を見たのだけど、いろいろと出ているなぁ。むかしは、性能比較とか、マザーボードとの最適な組み合わせとか、楽しんで見てたけど、いまは、あんまりおもしろくないなぁ。 ぼくが見てた頃は、動画じゃなくて、本やウエブサイトの説明だけどね。まあ、見てたというより、読んでいたが正確か。けど、写真も見てたからな。動画は見てなかったけど……。短い動画は見てたけど、メインじゃない。

『マザーボード愛』がなくなってしまった。

むかしは、マザーボードを見て、これ、きれいだな」と思っていたけど、いまはそれがない。自作ピーシーはそれなりに、楽しかったけど、あんまり、楽しくなくなった。終わったなぁ。

自作ピーシー動画を見ても、『めんどうだなぁ』と思ってしまう。

どうにかならないか。なんか、いろいろとやる気が出てくれればいいんだけどなぁ。 

*     *     *

自分が住んでいる階に、トイレとか風呂とか台所がないとだめだなぁ。これ、だるくて動けなくなると相当に、こたえる。

ところで、「とか」の使い方だけど、AとかBとかCとか」というように、最後の項目のあとにも、「とか」をつけるのが、正しい使い方だ。けど、最後の項目のあとは、「とか」をつけない言い方もある。ほんとうは、正しい使い方ではないけど、日常的に、自分がどういうふうに言っているかということを考えると、最後の「とか」はぬかして言っているのだ。

ちなみに、「最後の項目のあと」という言い方の場合『の』が重複しているのでよくない。けど、「最終項目のあと」とか「最後にある項目のあと」のほうが、不自然な感じもするんだよなぁ。


2024年10月20日日曜日

いったん、なおりそうになったのだけど、なおらなかった。

 いったん、なおりそうになったのだけど、なおらなかった。

頭が割れそうに痛いわけじゃないけど、なんか、頭蓋骨に沿って、へんな痛みを感じる。

 

2024年10月19日土曜日

えーー

 なんとか、洗濯とか風呂(入浴)とか、普通にやって、元気になるのをまとう。わりと、しんどい。そして、なんか先行きが、暗い。これは、理論じゃなくて、感覚のほうね。感覚的に、なんかやばい感じがするんだよなぁ。まあ、普通の人に、正しい陰謀論と、まちがってる陰謀論の区別なんてつくわけがない。しかし、これがこたえるなぁ。そして、界隈の人が、悪い人ばかりだったのである。これもこたえるねぇ。

まあ、いいや。ともかく、ここ、20日ぐらいは、一切合切、他人のことは考えないほうがい。キーワード検索なんかもしない。どうしても、気になってしまうんだけどね。けっきょく、自分に関係があることだから、気になってしまう。世間の動きというのが、自分の人生に影響をあたえてしまう。

うーー

 今年の夏は、ほんとうに、やばかった。よくないないじゃないかーーー。なかなか、よくならない。つらいばかりの日常だなぁ。

うー

 だるいけど、風呂に入った。ちゃんとわかしてから、入った。

もう、なんか、このあいだの状態がかなり復活している。普通に座っているだけなのに、はーはー言ってしまう。ちょっと息があがる状態になってしまう。けど、なんとなく、なおる感じがする。

横になっていても、つらい。腹がいたいのは、つらい。なんだか、全部、いやになっちゃった。これで、トイレの修理とか、風呂場の修理とか湯沸かし器の修理とか、外壁の修理とか、粗大ごみの処理とか、きつすぎる。 とくに、うちのなかに入らないとできないことに関しては、ダニやネズミの糞が気になる。

もう、全部だるいなぁ。

ティーサーバーがダメになってしまったのだ。茶こしの部分がちょっとぬめっとした感じになって、どうしても、つるつるにならない。茶こしの部分は全部金属だから、ゆでてみたんだけど、ダメだった。オーブントースターで5分ぐらい、加熱してみたんだけど、だめだった。8分にしてやってみたけど、だめだった。なので、すてることにして新しいのを買ったんだけど、新しいやつに問題があるのだ。使いにくい。ともかく、使いにくい。もともと使っていたやつが、なぜか、値上がりしていたので、買えなかった。安いやつを買ったら、ものとしては、いいのだろうけど、ぼくには使いにくいのだ。なので、あたらし、もともとのやつを買ったんだけど、箱をあける気持ちがないのだ。そして、今使っている、使いにくいやつをどうするかということで、もめている。ぼくの頭のなかでもめているんだよ。けど、正直言って、使いにくいものにつきあって、いいことなんてない。

2024年10月18日金曜日

からだが重い

 からだの感じが、蚊取り線香事件二日目に似ているんだよなぁ。吐き気とめまい。なんだか知らないけど、めまいが復活してしまった。なんだか知んないけど、からだが重い。今日は、工事の音が特別にうるさかった。工事の内容で、その日のうるささがちがう。今日は、がんがんがんがん、うるさっかなぁ。昼間が睡眠時間だから、こたえる。

体調、悪いけど、ともかく、改善を目指し、生き残る。

2024年10月17日木曜日

だるい。体調がわるい。

だるい。体調がわるい。なんか、吐き気がする。これは、このあいだのやつが続いているのか、それとも、なんかの原因で、このあいだのやつとは関係なく、吐き気がするのか、よくわからない。吐き気というのは、感覚としてはおなじだからなぁ。まあ、あのときのすごい吐き気ではない。けど、なんか、なおったのが、じつはなおってなくて、ちょっと残っているという感じもしないではない。なんかちょっと調子が悪いという感じの吐き気だ。たいしたことはない。けど、だるいのは、たしか。

このさき、どうなるんだろうな?

いろいろとわかっていることはあるのだけど、実際になってみないと、わからないということもある。結果はわかっているのだけど、そこに行くまでの、道中で、ちょっといろいろな変化があるという感じかな。まあ、はっきり言って、そこに行くまでに、どのくらい時間がかかるのかも、ちょっとわからないんだよなぁ。けど、悪魔の側に立たなかった人たちには、いい世の中になる。それは決まっている。けど、ぼく個人としては、いままで悪いことが起きすぎたというのがある。ここまで積み重なっていると、やっぱり、つらいものがある。

2024年10月15日火曜日

しかし、このさき、どうするかな?

 今日は、あったかいので、風呂に入った。湯船のなかで、シャワーをかけるという入浴方法だ。これができるのは、あったかい日だけなんだよな。

しかし、このさき、どうするかな?

 

今日も、体調が悪い

今日も、体調が悪い。特に、腹がいたいのはきいつ。

頭も、ぼーーっとする。

どうするかな?

 

2024年10月14日月曜日

これは、ゆゆしき事態だ。

「言えば、現実がかわる」というのは、ものすごく、楽な考え方なのだ。そして、実際にある条件を無視した考え方だ。ほんとうは、実際にある条件が、現実をつくりだしているのに、あたかも、実際にある条件なんて、まったく関係がないということを言いだす。ただ単に、言えば、世界がかわるのである。「おカネがたくさん入ってくる」と言えば、あらゆる実際の条件を無視して、おカネがたくさん入ってくるようになるのである……。彼らの妄想的な理論にしたがえばそうなる。ところが、現実は、時系列的な条件の組み合わせできあがっているようなところがある。本人が、かえたいと思う条件だって、言っただけでは、かえられない。実際の条件を無視しているから、言うだけでかえられるような気分になっているだけだ。そして、そういう気分にさせて、おカネもうけをしているやつらがいるのである。妄想的な理論には、トリックがあり、トリックにひっかかった人が、「言えば現実がかわる」ということを信じているだけなのである。

それだけなら、いいのだけど、数が多い。社会的な信念になってしまっているのである。つまり、共同幻想になってまっている。アホなくそ理論が共同幻想になってしまっている。これは、ゆゆしき事態だ。けど、「言えば現実がかわる」という妄想的な理論を信じている人は、それがわからない。

すぐに消す

一般人が軽く洗脳されてしまうから、俺がこまっているんだぞ。

まあ、そんなことを考えるときもあるね。

生ごみをすてられた

 生ごみをすてられた。これで、だいぶ進歩した感じがする。しかし、まだまだ、ゴミとの戦いが続く……。終わりなき戦いだ。

しかし、このさき、どうするかな?

外壁を見るたびに、そう思う。

「自分は」おカネが好きだから、おカネがよってくると……条件を無視して……自慢したいだけだ。

 闇献金ですら、きたないと考えるのはよくないということになってしまうのである。闇献金はきたない金(カネ)だと考えるような人は、おカネがない人だということになる。おカネがある人は、闇献金もポジティブに考えるのだ。

そもそも、おカネ自体がきたないわけではなくて、人間の行為がきたないわけだ。そして、その行為が慣習化しているのであれば、構造自体が、人間のきたない行為をうみだしているということになる。

おカネというのは、物理的なおカネと、精神的なおカネがある。闇献金のことをきたないという場合には、もちろん、物理的なきたなさを問題にしている話ではなくて、精神的なきたなさを問題にしているのである。

そして、何度も言うけど、おカネ自体には関係がないことだ。人間の行為の問題だから……。

けど、「きたないカネ」というような表現をすることもある。

だから、「きたないカネ」という表現はあいまいなのだけど、きたないカネにまつわる人間の行為も含んでいるような印象をあたえる。

彼らは「おカネもちは、おカネをきたないと思わないから、おカネもちなのである」と言う。

ようするに、闇献金のような行為を否定せず、むしろ、推奨している。おカネをきたないと思うのは、ともかく、いけないことなので、「闇献金がきたない」と思うこと自体が否定されてしまっている。

「おカネがきたないと思っている人は、貧乏人だ」というような考え方は、闇献金ですら、肯定してしまうのである。

ぼくの意見にしたがえば、闇献金に使われたおカネ自体がきたないかどうかは、別にして、行為自体は、きたないということになる。

しかし、彼らの意見にしたがえば、闇献金は、別にきたなくはないということになる。

「闇献金をきたないと思う人は、おカネにネガティブな人で、貧乏人なのである。貧乏人だから、闇献金がきたないとネガティブなことを言う」と、彼らは決めつけるのである。

こういう話が、あたかも、よい話として語られるのだ。

こんなのは、おかしい。

そして、「実際に行為がきたないではないか」とぼくが言えば、彼らは「だから、貧乏なんだ」「だから、ネガティブな人はおカネもうけがへたくそなんだ」と言うわけだ。

「おカネをきたないと思うと、おカネが、(あなたのことを)きらいになるから、よってこない」などと言うのだ。

「おカネが好きなになれば、おカネもあなたのことを、好きになって、よってくる」などと言うのだ。

*     *     *

こういう話が好きな人がいるけど、ぼくはどうかと思うね。おカネは無生物なので、理論的なことを話すなら、そういう言い方はよくない。

条件を無視して、「好きになれば、おカネがよってくる」なんて話は、アホくさい。

実際には、条件でがんじがらめになっているのだ。条件が悪ければ、おカネを好きになっても、おカネなんて、よってこない。

条件のいい人が、そういう「作り話」をしているだけだ。

「自分は」おカネが好きだから、おカネがよってくると……条件を無視して……自慢したいだけだ。 

*     *     *

これじゃまるで、闇献金に肯定的なおカネもちが、ポジティブないい人で、闇献金に否定的な貧乏人が、ネガティブな悪い人みたいじゃないか。

彼らは暗に「何事にもポジティブな人が性格がいい人で……おカネもちなんだ」「何事にもネガティブな性格が悪い人であり……貧乏人なんだ」ということを言う。

そして、「嫉妬」ということを言いだすのだ。

「貧乏人が、おカネがきたないと言うのは、カネ持ちに嫉妬をしているからだ」と彼らは決めつける。

「貧乏人が、闇献金はきたないと言うのは、カネ持ちに嫉妬をしているからだ」と彼らは決めつける。

「嫉妬をするから、そんなことを言っている」と彼らは決めつける。

「嫉妬をしやすい悪い人だから、おカネがきたないと、ネガティブなことを言うのだ」と彼らは決めつける。

ここでも、「嫉妬をしない(自分ら)カネ持ちは、いい人で、嫉妬をしやすい貧乏人は、悪い人だ」というイメージを……あたえようとする。

*     *     *

カネ持ちではないけど、貧乏人ではない人たちが、おカネもちであって、なおかつ成功法則にこっている人たちの言うことを聴いて……「そうだ。そうだ。その通りだ」と言い出す。

4ブロックの人は、まあまあ、貧乏人なんだけど、3ブロック以下の人に「おカネをきたないと思うから、おカネがよってこない」「おカネを、好きになれば、おカネがよってくる」「何事も、ポジティブに考えるのが重要」……などと、説教をしはじめる。

そして、5ブロックの人は、4ブロックの人に、6ブロックの人は5ブロックの人に、「それぞれ正しいと思っていること」をつたえる。

自分のほうが相対的に高い立場だと思えば、さも、自分が考え出したように、カネ持ちであって、なおかつ成功法則にこだわる人から教えてもらった考えをくちにする。

だから、「闇献金がきたないということにこだわるのは、いいことではない」ということになってしまう。

社会全体がそういう方向に動き出してしまう。

何度も言うけど、条件を無視してはいけない。条件が悪ければ、おカネを好きになっても、おカネは、もうからない。条件が悪ければ、おカネを好きになることで、一点突破なんてできない。条件が悪ければ、おカネを好きになっても、おカネもちになれない。

彼らは、嘘つきで、わなを仕掛けているのである。あたかも、「おカネを好きになることで」一点突破ができるようなことを言う。

けど、条件が、おカネがない状態をつくりだしている。

条件をかえなければ、おカネなんて入ってこない。条件をかえなければ、どれだけ、自分がおカネのことを好きになっても、なにもかわらない。


2024年10月13日日曜日

ともかく、粗大ごみをすてないことには、さきにすすまない。

 し、か、し、どうしたもんだ? どうしようかなぁーー。

どのみち、粗大ごみ業者の人は、ダニに刺されることになるなぁ。これを、さけたいんだけど、ビニール系のレインコートをあげることしか考えつかないなぁ。まあ、作業したところで、着るやつと、車に乗り込むときに切るやつは、わけたほうがいいだろう。なので、ひとりにつき、2枚必要になる。それを、注文して買ってみたのだけど、相手がいやがる場合もあるし、そこらへんは、相手の意志を尊重しよう。あんまり気にしてないかもしれないしなぁ。たとえば、植木職人の人は、虫に刺されるのだけど、あんまり気にしてないか、気にないようにしているみたいだ。虫よけスプレーで自分の身を完全に守れるのかというと、ちがうみたいだしなぁ。服の上にかけるにしろ、スプレー成分を吸い込むことになれば、気にする人は気にするからなぁ。作業につきものなのかなぁ。ネズミの糞があるところに行くということは、ダニに刺されるということも、織り込みずみなのかもしれない。けど、こんなことで、悩みたくなかったなぁ。ちがうんだよ。普通のうちにいるダニと、ネズミが入りこんでしまったところにいるダニがちがう。まあ、普通のうちにいるダニもいるけど、ネズミが入りこんでしまったところには、普通のうちにはいないダニも紛れ込んでいる可能性がある。

ともかく、粗大ごみをすてないことには、さきにすすまない。

*     *     *

あとは、これに関係なく、どうしようかなと思うことが、複数個ある。どうしようかなーー。

ダニに刺されたあとは残っているけど、とりあえず生きている。ご飯も食べている。

 

はやく、してくれ

 あー。まじで、つまんない。はやく、してくれ。展開がおそすぎて、スローモーションを見ているみたいだ。「まだ、そんなこと、やってんのか」という気持になる。うーーー。これは、きつい。

 あとは、フロイト全集やカレン・ホーナイ全集をどうするかなぁ。これらの本も、「ダニ本」になってしまったので、どうするかまよう。「もう、どうでもいいか」という気持もある。フロイト、ユング、カレン・ホーナイ、岸田秀、小室直樹、小浜逸郎、クレッチマー、ヘルマン・ヘッセ、その他、いろいろな分野の専門書……。どうしようかな。主に、心理学と経済学なんだよなぁ。経済学と言っても、経済人類学とか経済思想とかが、メインだなぁ。

「もう、一度、死んだ」という感じのことが起こるかもしれないので、どうしようかな?

サブスク……なんだけど

 サブスク……なんだけど、「むかし見ようと思っていたもの」というのが、あんまり見たく感じないんだよね。「あっ、これ、あるなら、見てみようかな」と思うけど、いざ見るとなると、めんどうくさい気持ちのほうが、でかいということに気がつく。ちなみに、アマゾンプライムと、マイ・ヒーローを契約している。これ、むかしだったら、相当に「くいついているの」だけど、いまは、なんか、意欲がたりない。かなり無駄にカネを払っている感じがする。

けど、重いし、場所をとる。

 気が狂いそうになったので?本箱の整理をした。フロッピーディスクをどうするかまよう。これ、すごい重さなのである。本箱の半分ぐらい、フロッピーディスクで埋まっている。たぶん、全部、ハードディスクに書き出して、もっているはずなんだけど、書きだしてないやつが入っていたらやばいので、捨てるわけにはいかない。しかし、フロッピーディスクというのは、なんのゴミなんだ? 不燃ごみか? これ、どうするかなぁ? 場所代や引っ越し代を考えると、ほんとうは、処分するべきなんだけど、処分できない。持っていくことになるなぁ。持って行った先で、今後考えよう。なんてたって、世界がかわってしまうかもしれないからなぁ。まあ、大きな時代の変化があるかもしれない。まあ、とりあえず、持っていくしかないなぁ。けど、重いし、場所をとる。

作業は、刺されたくないので、重装備で行った。スチーム洗浄機も使った。けど、これが、紙だと、ぬれてしまってよくないなぁ。紙の上に、数年分のほこりが積もっていて、そのほこりのなかにダニがいる場合がある。普通のダニではなくて、刺すダニだ。掃除機で対処することはできない。まあ、レイコップを買ったけど、出してない。けど、あれは、構造的にうまくいかない。ダニを吸うけど、排気口にダニを一切出さないやつか、ダニを殺す機能があるやつじゃないとだめだな。けど、掃除機の口(くち)のところが問題なんだよな。あとは、束ねてない紙だから、あつかいがむずかしい。

そして、あのスペースで、そういう掃除機(レイコップ)などをいじるのはむずかしい。相当に、むずかしい。とりあえず、スチームでダニを殺すしかないなぁ。あとは、ダニの処理をせず、ほこりの処理をせず、ビニール袋に封印して、そのビニール袋を冷凍庫に入れて、何週間か置いておけば、ダニは、死ぬ。ダニが死んだほこりは、扱いやすいので、普通に掃除機で吸える。

今回、シンナー用のガスマスクをしたけど、やっぱり、息が苦しくなるなぁ。

引っ越しがたいへんだ。

中古の安い家は、なにかみんな、問題をかかえているんだよなぁ。

2024年10月12日土曜日

腹がいたいのは、やばい。

 なんか、ひとりで暮らしていると、腹がいたくなったとき、さみしさを感じる。このあいだもそうだったんだけど、腹がいたいと、「このまま死ぬのかな」というような気持ちになるのだ。腹がいたいのは、やばい。

ダニやネズミの糞、外壁の老朽化や給湯器の老朽化で、なんか、ピンチなんだよなぁ。「いったい、俺はなんだったんだろう」と思う。

なんとか、逃げ切るつもりだったけど、どうも、あやしい。

 なんとか、逃げ切るつもりだったけど、どうも、あやしい。

ネズミの糞を処理したけど、もう、いやなんだよね。きちがい親父が「俺が(ネズミシートで)捕まえるからいい」 「俺が(ネズミシートで)捕まえるからいい」 「俺が(ネズミシートで)捕まえるからいい」と、絶叫して、工事をさせてくれなかったんだよね。そのあいだにすごいことになった。なっている。俺が、片付けているんだぞ。

工事の人でも、粗大ごみ業者の人でも、気をつかうだろ。

ともかく、すごく複雑なことになってしまうんだよな。ネズミ関連問題がなければ、こんなの、気にしないですんだのに。

*     *     *

ネズミ対策工事業者の人は、「晴れた日にバルサンをたけば、全部死ぬから大丈夫」と言っていたのだけど、ダメだった。ガスがまわらないところがある。紙でも、かさなっている部分はだめなのだ。座布団も、表面にしか(ガスが)届かないので、内側に逃げられるとだめだ。ダメなところがいっぱいある。タンスの引き出しだって、全部あけておかなければならない。そして、あけておいても、たとえば、タオルとタオルがかさなっている場合は、ダメなのである。

やばい

 やばい。給湯器をかえてくれと、圧力がかかっている。いろいろと、やばい。引っ越すなら、そんなものは必要がない。しかし……。人には言えない、あれやこれやがある。主に、ネズミ関係だけど。きちがい親父が、親父の人生の最後に、ろくでもないことをしてくれた。ずっと、たたられている。

いま、じつは、だるい。引っ越しなんて、できない。引っ越しの用意もできない。自転車屋のこともあるから、不動産屋も行きたくない。けど、どんどん、家の老朽化が進み、どんどん、植物が育ってしまう。梅の木が、すごい。竹を切ったら、梅の木が猛烈に伸びた。あれも、処分しておかないと、横のうちに枝がのびる。竹は切ったけど……相当に切ったけど、また、いろいろなところに、つきだしている。縁台の下にどばーーっとのびている。縁台の気の割れ目から、竹が噴き出しているような感じだ。あれ、横にのびるような形態で、のびているんだよな。防草シートのあいだにどばーーっとのびている。きりがない。 

ともかく、家に人を入れたくないわけ。きちがい親父があんなことやこんなことをしなければ、そんなことになってない。言いにくいんだよ。いちいち、言いにくい。

もし、給湯器をかえるとすると、やはり、うちに入って確認する部分ができる。あとは、シャワーも蛇口も、かえたほうがいいので、かえたいとは思っている。十数万かかる。 けど、引っ越すなら、関係がない。

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近くのアパートを借りて、風呂に入るときは、そこに行くという手もあるんだけど、シェディングがこまる。見えないし、ちょっとずつ吸わされるというのがいやだ。

2024年10月11日金曜日

しかし、このさきどうするかな?

「あとちょっと」という感じなんだけど、ほんとうに、どうしようかなぁ。とりあえず、風呂に入った。風呂に入るのも、体調が悪いとしんどいのだけど、あたたかくなったうちに入っておいたほうがいいと思って、入っておいた。まあ、入れてよかった。

 しかし、このさきどうするかな?

ネズミがいるみたいなんだよな。出て行ってはくれないか。

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現実的なことを考えると、相当に近くじゃないと、部屋を借りてもしかたがないと思う。けど、トランスミッション(シェディング)が気になるんだよな。気がつかないうちに、ナノ粒子を吸い込んでしまっているというのは、気になる。やはり、一軒家のほうがいいんだよね。一軒家を借りるとなるとかなりの勢いで、おカネがなくなるわけなので、いまいち、踏ん切りがつかない。

 けど、はやいところ、部屋を借りて、一度、このうちに、バルサンをかけたほうがいい。俺がいない時間をつくって、バルサンをたいたほうがいいだろう。だから、退避用の場所が必要なんだけど、ほんとうに、借りる元気がないのである。

 

 


温度変化にからだがついていかない

 温度変化にからだがついていかない。温度変化というのは、気温の変化のこと。あーー。こんどは、暑くなってきた。正直言って、猛烈にだるい。どうしようかな? このいやな感じ……。横になっていてもつらいし、眠るわけにはいかないし、どうするかな?

夏と冬しかない

 なんか、夏と冬しかない感じがする。秋がない。春がない。ないないない。これ、ほんとう、夏と冬しかないなぁ。じょじょに、温度がさがってくれないとこまるんだよ。そして、「温度がさがったなぁ」と思ったら、急に暑くなる。こまるんだよ。いま、寒いんだけど、このあいだ、一度暑いときがあったからなぁ。からだがついていかない。なんか、襟がついているジャージのようなものを二枚着て眠ったら、首がいたい。ジャージの生地じゃないけど、つくりはおなじ。

正直言って、体調が悪い。このあいだのがまだ残っている感じなのに、そのうえに、首のいたさが付け加わるとは……。

2024年10月10日木曜日

「おカネがない人は、性格が悪い。おカネがある人は、性格がいい」

 おカネがない人は、ネガティブだ。おカネがない人は、暗い。おカネがない人は、何事にもトライしようとする気持ちがない。おカネがない人は、あまえている。おカネがない人は、だらしがない人だ。おカネがない人は、格好悪い。

おカネがある人は、ポジティブだ。おカネがある人は、明るい。おカネがある人は、何事にもトライしようとする気持ちがある。おカネがある人は、あまえていない。おカネがある人は、清潔だ。おカネがある人は、格好良い。

おカネがある人と書いたけど、おカネもちでもいい。ともかく、おカネがない人のことをさげて、おカネがあるとのことをほめあげるようなことが、社会に流通している。

けど、みんな、条件を無視している。

条件について、ちょっとだけ、ふれる場合も、条件は、ちょっとだけしか影響をあたえていないという前提でものを言うのである。

これは、ようするに、「おカネがない人は、性格が悪い。おカネがある人は、性格がいい」というイメージを量産していることになる。

問題なのは、条件がつくりだすものなのに、性格がつくりだしていると、言い換えられることだ。9ブロックの子どもと1ブロックの子どもをいれかえた場合についてのべたけど、1ブロックの子どもは、9ブロックの子どもにくらべて、実際に挫折体験が多いのである。

10回リクエストして、9回、自分がほしいものを買ってもらえる子どもと、10回リクエストしても、1回しか自分がほしいものを買ってもらえない子どもとでは、挫折体験の多さがちがう。どれだけ言ったって、買ってもらえなかったということは、それをゲットできなかったという意味で、挫折体験なのである。ゼロブロックの子どもは、10回リクエストして、10回とも、拒絶されるので、1ブロックの子どもよりも、挫折体験が多い。どれだけ言ったって、買ってもらえなかったということが繰り返されれば、リクエストすることをやめてしまうだろう。それが、消極的と言えば、消極的ということになる。ようするに、ゼロブロックの子どもの、消極的な性格は、条件によってつくられたものなのである。ゼロブロックの子どものもともとの性格は関係は、とりあえず、関係がない。これは、じつは、いろいろなことがかかわっているので、一概には言えないのだけど、人間というものを考えると、やはり、傾向としては、挫折体験が多い人間のほうが、あきらめやすいという傾向がある。あくまで、傾向だ。そして、それは、時系列的につみ上がっていくのである。それこそ、赤ん坊のころから。まあ、本人が記憶しているのは、幼児期ぐらいからだけど……。遺伝子的な条件も、あきらめやすさに影響をあたえるとは思うけど、挫折体験の回数や頻度のほうが、あきらめやすさに影響をあたえる。

ともかく、お金のない家の子どものほうが、おカネのある家の子どもよりも、挫折体験が多い傾向がある。実際には、親の性格も、影響をあたえる。けど、親にカネがあるかどうかといのは、親の属性だ。親という条件を考えると、親にカネがあるかどうかという条件は、親の条件のサブカテゴリーの条件だということになる。だから、親の条件のうち、カネにかかわる部分をぬかした条件も、じつは、関係している。しかし、、親のカネに関する条件は、子どもの挫折体験に大きな影響をあたえている。無視することはできない。

いずれにせよ、カネがない人に悪いイメージをあたえて、カネがある人に良いイメージをあたえようとしているのである。それが、「うえ」のほうから、ふってくる。「正しいこと」としてふってくる。みんなが、そう思ってしまう。けど、そういうイメージは、条件を無視して、つくられるのである。特に、時系列的な条件なんて、徹底的に無視される。わずかに言及された場合でも、「ちょっとしか影響をあたえない」ということになってしまうのである。こういう態度自体が問題だ。

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「おカネがない人は、性格が悪い。おカネがある人は、性格がいい」というイメージについて、ちょっと語っておく。これ、じつは、平均以下の人も、大好きなのである。自分たちのことを悪く言うことがはやっているのである。ようするに、納得してしまっている。ブロックで言えば、4ブロック以下の人も、「おカネがない人は、性格が悪い。おカネがある人は、性格がいい」と思ってしまっているところがある。これは、洗脳されて、そう思っているだけだ。上から、条件を無視したまちがった考え方が、ふってくるのである。条件を無視したまちがった考え方が、正しい考え方として、流通してしまっているという問題がある。

条件が悪い人は、挫折を味わうようにできているのである。

 「おカネを好きなれば、おカネが入ってくる」と言っている人は、気持ちの問題で、おカネが入ってくるようになると言っているわけだけど、気持ちの問題じゃないのである。条件がある。じつに、さまざまな条件がある。じつにさまざまな条件が、時系列的に絡み合って、「いまの状態」をつくりだしている。さまざまな条件のほうが、「おカネを好きになること」よりも、現在における「ちから」がでかいのである。そういうふうに、思うだけで、簡単に状態をかえられるようなことを言うのは、よくない。これ、あんまりよくできてない「詐欺」だ。こんなの、だまされやすい人しかだまされない。

セミナー講師と受講生のように、実際におカネの流れがある場合だけではなくて、凡人Aさんと凡人Bさんのように、おカネの流れが発生しない場合でも、有害なことにはかわりがない。簡単にできるようなことを言うけど、簡単にできることじゃない。もともとが、嘘なんだよ。まちがった前提の上に成り立っている、嘘だ。条件が悪い人は、挫折を味わうようにできているのである。最初から、ガセネタだ。


「子どもは働けないからしかたがない。大人になって働けばいい」

 「子どもは働けないからしかたがない。大人になって働けばいい」とか「大人は労働ができるので、そんなことは関係がない」と思う人がいると思う。

けど、関係ないのは、労働ができるかどうかということだ。「おカネがない人は、おカネがきらいだ。おカネを好きになはれば、おカネが入ってくるようになる」という話をしていたのだ。

対処方法は、おカネが好きになることだ。

労働をすることじゃない。

労働の話なんて関係がないのである。思っただけで、思霊が、思ったことを現実化するように、「おカネを好きになっただけで」おカネが入ってくるようになるのである。言っただけで、言霊が、言ったことを現実化するように、「おカネを好きになっただけで」おカネが入ってくるようになるのである。

「おカネを好きになれば、おカネが入ってくるようになる」「思霊」「言霊」……全部、労働とは関係がない。

XをすればYになるというような言い方をするのであれば、おカネを好きになれば、おカネが入ってくるようになるのである。

おカネが入ってくると思えば、おカネが入ってくるのである。おカネが入ってくると言えば、おカネが入ってくるのである。

「好きになるだけ、思うだけ、言うだけ」……で、おカネがはってくるのである。

労働?

関係、ない。

「好きになるだけ、思うだけ、言うだけ」……全部、簡単な一点突破なのである。そうするだけで、おカネが入ってくるようになるである。そのように言っているのである。

この一点突破が、現実において意味がある一点突破かというと、ぜんぜん意味がない一点突破なのだ。どうしてかというと、そんなことをしても、状態がわからないからだ。

「おカネがなくて、ほしいものが買えない子どもは、おカネがきらいなのだろうか?」

「おカネがなくて、ほしいものが買えない子どもは、おカネがきらいなのだろうか?」と書いた。いいや。きらいじゃないだろ。おカネをもらって、ほしいものを買いたいのだから、おカネがきらいであるはずがない。

けど、けっきょく、どうあがいても、親が買ってくれなかったので、ほしいものを手に入れられなかったとする。

その場合、「不公平だ」という感情がうまれる。

たとえば、まわりの子どもが買ってもらっているのに、自分だけ、勝ってもらえないのは、不公平だという感情がうまれる。これは、嫉妬心と言えば、嫉妬心だけど、それほど、悪いものなのだろうか。やつらは、嫉妬心という言葉を使って、あたかも、この子どもが、悪い子どもであるように言う。

たとえば、9ブロックの子どもは、10回リクエストすると、9回は、好きなもの買ってもらえるとする。そして、ゼロブロックの子どもは、10回リクエストしても、0回しか買ってもらえないとする。

ようするに、ゼロブロックの子どもは、どれだけリクエストしても1回も買ってもらうことができないとする。

この場合、もし、情報がいきわたっているのであれば、ゼロブロックの子どもは……あきらめるまでは……「不公平だ」と思うだろう。

しかし、それは、ゼロブロックの特別な子どもが、特別に嫉妬心が強いから、感じることなのだろうか? 思うことなのだろうか?

もしかりに、9ブロックの子どもと、ゼロブロックの子どもをいれかえたら、今度は、9ブロックの子どもが、ゼロブロックの子供のように「不公平だ」と感じるのではないか。

ようするに、ゼロブロックの子どもが、特別に、嫉妬心が強いわけではなくて、人間というのは、そういうふうに感じるようにできているのではないか。

こんなもの、なぐられたらいたいのとおなじだ。もちろん、例外はいる。神経がうまく機能していなければ、いたさは感じない。けど、それこそ、神は、人間をいたさを感じるようにつくった。

ゼロブロックの子どもだって、なぐられたらいたい。9ブロックの子どもだって、なぐられたらいたい。

こんな不公平な対応をされて、不愉快な思いをしない子どもがいるだろうか。あるいは、人間がいるだろうか。

2024年10月9日水曜日

「おカネがない人は、おカネがきらいな人だ」→「おカネがきらいな人は、おカネがない人だ」

さまざまな条件を無視して「おカネを好きになれば、おカネがもうかるようになる」と言うやつがいる。さまざまな条件を無視するべきではない。

実際には、さまざまな条件があるので、おカネを好きになっても、おカネがもうかるようにはならない。

こういう一点突破を主張するやつは、(あなたのことを)だますつもりでいる。

条件を無視して、くそを言うやつらを、信用してはいけない。

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ところで、おカネが好きじゃない人なんているの?

まあ、いたとしても、例外的な少数派だな。おカネがありすぎて、きらいになっているのではないかな?

これも、言葉のトリックで、「おカネがきたない」と思っている人たちは、自動的に「おカネが好きじゃない人」になっているのだ。

特定の用途で使われているおカネが、きたないおカネだと比喩的に表現する人だって、おカネがきらいなわけではないだろ。

あいまいなことを言うやつは、自分でなにを言ってるか、よくわかってないやつだ。

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さまざまな条件によって、おカネがない生活をしている人が「おカネを好きになった」とする。

おカネが入ってくるようになるか?

ならない。

おカネを好きになるだけで、おカネが入ってくるのであれば、もう、とっくにおカネが入ってきている。おカネが入ってくるので、おカネがない生活をしてない。

おカネがない生活をしている人に「おカネを好きになれば、おカネが入ってくるようになる」と言うのは、意味がないことなのである。

「好きになれば」それで問題が解決するようなことを言っているけど、好きなのに、問題が発生し、継続しているのである。

こういう、くそ理論をふりまわすやつは、自分が言っていることがよくわかってないやつだ。

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おカネがなくて、好きなことができない人は、おカネがきらいなのだろうか?

おカネがなくて、ほしいものが買えない子どもは、おカネがきらいなのだろうか?

「おカネがない人は、おカネがきらいな人だ」という勝手な決めつけがある。

よく注意して聞かないと、こういうところにも、ひっかけがある。言っている人が、このひっかけに気がついてない場合がある。

ようするに、言っている人も、ぜんぜん、自分が言っていることがわかってない。

どういう前提で、どういうことを言っているのか、言っている本人が、わかってない。

さらにおろかなことに、「おカネがきらいな人は、おカネがない人だ」と思っているのである。

ようするに、「おカネがない人は、おカネがきらいな人だ」→「おカネがきらいな人は、おカネがない人だ」と一回転させて、無意味なことを言っている。

「おカネがきたないと考えるのはよくないことだ」

 おカネがきたないと考えるのは、よくないことだ。おカネがきたないと考えている人は、貧乏で、性格が悪い……ということを、うっすらと言うことで、闇献金や、闇献金にかかわる構造、人をだまして金儲けをする行為まで、うっすら、肯定されてしまっている。

そして、うっすらとだけど……闇献金にかかわる人たちや人をだましておカネ儲けをする人たちが、おカネもちで、性格がいいということになってしまうのだ。おカネ儲けがうまい人たちは、いい人たちなので、いい人たちがやることは、いいことだということも、うっすらと、言っている。

おカネがきたないと考えることを、否定することで、逆に、おカネをきたないと考えてないでおカネ儲けをする人たちが、うっすらと、肯定されている。

ようするに、尊敬するべきは、おカネがきたないと考えない人たちで、軽蔑するべきは、おカネがきたないと考えている人たちなのだ。「おカネがきたないと考えるのはよくないことだ」ということで、こういうことまで、全部、におわせてしまう。

*     *     *

完全に電子マネー化されたとき、この人たちは、対象としての物質的な硬貨や紙幣をうしなう。理論の根本をうしなうことになるなぁ。

対象としての物理的な「おカネ」がないのだから、きたないもくそもない。

だから、「おカネがきたないと思うことはよくないことだ」というところからひっぱって、おカネがない人たちをディスることもできなくなる。

「おカネがきたないと思うことはよくないことだ」というところからひっぱって、おカネもちを尊敬の対象にすることもできなくなる。

「おカネがきたないと思うことはよくないことだ」というところからひっぱって、きたないおカネをかせぐときにやる行為を、正当化できなくなる。 

*     *     *

物質的な硬貨や紙幣があると、物理的なきたなさと、精神的なきたなさをごっちゃにして、話しをすることができるのである。

まず、ここに、「ひっかけ」がある。トリックがある。

最初から最後まで、じつは、あいまいな話をしているのだけど、「おカネがきたないと考えるのはよくないことだ」ということは、つたわるのである。

そして、「おカネがきたないと考える人」に悪いイメージをあたえることに成功している。

いっぽう、「おカネがきたないと考えない人」によいイメージをあたえることに成功している。そして、おカネをもうけるときの範囲は気にしないということになる。

ようするに、どんなことをしても、おカネをもうけることができるなら、それは、正義だということになる。

「どんなことをしても、おカネをもうけることができるなら、それは、正義だ」と考える人たちを、「おカネがきたないと考える人」は、ある意味、批判しているわけだ。「おカネがきたないと考えるのはよくないことだ」という人たちは、批判している人が、悪いというイメージをあたえる。「どんなことをしても、おカネをもうけることができるなら、それは、正義だ」と考える人が正しくて、それを批判しているほうが、まちがっているということを、暗に言っている。

ようするに、「おカネはきたないものではないということがわかってないから、そういう批判をするようになるのだ」ということを言って、「おカネがきたないと考える人」のことを暗に批判するのである。

物理的なきたなさと、精神的なきたなさをごっちゃにして、話しをすることができるので、内容を特定して、批判することができないような構造になっている。まあ、本人は、本人の頭のなかでも、あんまり整理できてないことを、ごっちゃにして話しているだけなのだが、やっかいだ。

2024年10月8日火曜日

あと、ちょっと。

 さて、どうするかな? 今日、書きたいことは、だいぶ書いたから、いいや。あとは、料理でもつくるかな。きのうつくった味噌汁をまだ、食べ終わってない。あれ食べて、鍋をあけて作らなければならない。二つの鍋にものが入っている状態というのは、まずい。冷蔵庫のことを考えても、まずい。昨日のうちに、食料品を買っておいてよかった。いろいろと、つくれるものがある。

けど、頭がつまっている感じというのが、続いているんだよなぁ。いたいわけじゃないんだけど、なんかいやなんだよなぁ。右目は、なおった。これは、もう、なおったと言える。これも、まだちょっと、残っている感じはあるのだけど95%ぐらいはなおった。 

このさき、どうするかな? 人生のことだけど。どーーするかなーー。まあ、ぼくだけではなくて、人類にとって、たいへん大きな変化がやってくるわけなんだけど、いつやってくるのか、わからない。近いうちにやってくる。おそくても、2025年の2月あたりにはやってくると思うなぁ。あと、ちょっとだ。あと、ちょっと。

あと、ちょっとがんばればいい……。

印象操作をしている。

 まあ、おカネが好きな人が性格のいい人で、おカネがきらいな人は性格が悪い人だというイメージつくりだしているんだよ。おカネが好きになっただけで、運があがって、高収入になるのだから、簡単だろ。けど、おカネが好きになれば、運があがるということになるのだけど、おカネが好きな人だって、運がない人はいるよ。これ、おカネが好きとか、おカネがきらいということは、まったく関係がないのである。「運」というのは、ジョーカーワードで、運という言葉を使えば、成功とかおカネがあるというようなことに関しては、どんなことだって、説明できるのだ。もっともそうな説明ができる。けど、それは、現実の言い換えだから、意味がない。意味がないどころか、誤解や妄想がうまれて、まともな考えをもてなくなる。現実が見えなくなる。ともかく、おカネが好きな人が性格のいい人で、おカネがきらいな人は性格が悪い人だという印象を(ほかの人に)あたえたいやつがいるんだよ。「おカネが好きな人のころには、おカネが集まって、おカネがおカネが集まらない」ということを言うけど、これも、因果関係を無視して、妄想的なことを言っているにすぎないのである。右矢印で、思考の流れをあらわすとする。おカネが好きな人は性格がいい人→おカネが好きな人のところには、おカネが集まる→(おカネが好きな)おカネもちは、性格がいい人だ……ということになる。おカネがきらいな人は性格が悪い人→おカネがきらいだからおカネが集まらない→(おカネがきらいな)貧乏人は性格が悪い人だ……ということになる。印象操作をしている。

雑感

 悪い人がいると、緊張度が増すのである。とりあえず、いい人と悪い人とどちらでもない人の割合を考えないとだめだな。けど、悪い人が10%ぐらいでも、悪い人がいるという効果を、じゅうぶんに発揮するのである。これは、ようするに、掲示板に「あらし」がいるのとおなじだ。掲示板にあらしが全体の10%いるだけで、ものごくいやなことがしょうじる。基本的には、ものすごくいやなことがしょうじることを、さけることができない。そして、あらしが粘着する掲示板でずっとおちついた話をするなんてことはできない。あらしの書き込みだけ非表示にできる専用ブラウザーがあるとする。それだって、けっきょく、あらしに目をつけられた掲示板は、いい人や普通の人が、きえていくので、意味がないということになる。掲示板で話したけど、SNSでも似たようなところがある。もっとも、SNSは、ブロックがけっこう強烈なので、ある程度は身を守ることができる。けど、なにか不愉快な思いをしたあとにブロックするわけだから、ずっと使い続けていれば、ずっと不愉快な思いをするということになる。それから、運用が問題だ。そして、SNSでおカネをもうけようとする人たちが、うざい宣伝をしてくるので、うざいということが発生してしまう。あとは、単純に、気が合わない人がいる。気が合わないと感じる出来事が発生したあと、「気が合わない」と感じるわけだから、無傷ではない。それから、いろいろと気をつかう。たとえば、こっちが、食べ物の話をしたら、ものすごくまずそうな店のURLをはってきた人がいたわけだけど、URLをはってほしくはなかったわけ。どうしてかというと、店のURLがはってあるということは、ぼくがその店の宣伝をしているようになるから、いやなんだよ。けど、それを相手に言ってしまうと、問題が起こるような気がした。なので、気をつかって、まずそうな店のまずそうな料理について、いちおう、反応をしたのだけど、その反応が、相手には気にくわなかったみたいなんだよな。まあ、俺は、まずそうだと書くのも失礼だと思って、まずそうだとは書かなかったんだけど、へんなところで、相手の機嫌が悪くなったのだ。本人も、自己紹介欄で、「自分は性格が悪いとよく言われる」みたいなことを書いていたので、ほんとうは、あんまり、つきあいたくなかったんだけど、いちおう礼儀で、おうじたんだよな。ともかく、いろいろと気をつかう割に、不愉快な思いをすることがある。気をつかえば、不愉快な思いをすることをさけられるというわけではない。あれ、ほんとうに「こういうところに行けば」みたいなノリで、まずそうな店のURLをはったわけで、悪意はないんだよなぁ。反応にこまるやつというのが、いる。この反応にこまるやつというのは、悪い人ではないのだけど、反応にこまる。ともかく、運営側の宣伝もいやだし、いろいろといやなことがつみかさなってしまう。

そんなことより

 「おカネがきたないと思っている人は、おカネがきらいだからダメなんだ。おカネのことがきらいだと、おカネもその人をきらって、にげていく」なんてことを言うわけよ。じゃあ、その人がおカネをきれいなものだと思えば、おカネが入ってくるようになるのかと言えば、そうならない。そうなると言っているのが、彼らなんだけどね。そんなことより、構造的な格差について語ろうよ。生まれの格差について語って、解決方法を探りだそうよ。

まあ、ハイパーベーシックインカムは、ひとつの解決方法だ。

*     *     *

何度も言うけど、おカネを擬人化して話すのはよくない。おカネには意志がない。これ、ほんとうは、生まれの格差がおカネの格差をうみだしているのに、「すき」だとか「きらい」だとか、話のレベルが低すぎる。「きらいだからだめなんだ」「きらいだから、おカネがないんだ」という話になってしまう。「おまえが、おカネをきらいだから、おカネもおまえのことがきらいなんだよ。だから、貧乏なんだよ」と生まれの格差を無視して話したって、ただの悪口にしかならないぞ。 

条件の悪い人のせいにして、条件の悪い人を、ディスりまくる。よくない。よくない。

ここでも、価値観が逆転していて?あたかも、こうやって、条件の悪い人をディスりまくる人が、いい人だと思われるようになっている。条件が悪くて、おカネがない人は、悪い人なのである。だから、ダメだとダメ出しをされても、しかたがないのである。いっぽう、勝手な妄想理論をでっちあげ、人のことを悪く言った人が、いい人だと(信者)から言われるのである。信者のほうが人数が多い。割合が大きい。

*     *     *

お札やコインではなくて、電子マネーになったら、「おカネがきたないと思っている人は、おカネがきらいだからダメなんだ。おカネのことがきらいだと、おカネもその人をきらって、にげていく」と言っていた人は、なんと言いだすのだろうか?

普通の人をだまして、その気にさせて、高いものを売りつけることは、道徳的にいいことなのか

 「銀座のママが語る出世する男の特徴」なんて話をして、けっきょく、高い靴を買わせようとする人たちがいる。銀座のママというのも、ただの銀座のママではなくて、ものすごいベテランだったり、なんだか知らないけど、すごい人たちの接待をしてきた銀座のままだということになっている。

たとえば、「靴がきれいな人は、出世する」と銀座のママが言ったとする。靴がきれいというのは、靴自体が高いということを意味していない。

けど、記事を読んでいると、きれいな靴というのが、ようするに、高い靴であり、メンテナンスがいきとどいた靴のことなのだということがわかる。

けど、これも、原因と結果を言い換えているだけかもしれない。ようするに、たとえば、高くてメンテナンスがいきとどいたきれいな靴をはいている人は、すでにカネ持ちなのかもしれない。

カネもちが高くてメンテナンスがいきとどいたきれいな靴をはいているだけかもしれない。これも、スマホで話した話とおなじだ。だから、もう、話さない。

問題は、「カネをきたないものだと思っている」か「カネをきたなくないものだと思っているか」ということだ。あるいは、それにまつわる問題だ。

たとえば、普通の人をだまして、その気にさせて、高いものを売りつけることは、道徳的にいいことなのか、悪いことなのかということだ。

カネをきたないものだと思っている人は、普通の人をだまして、その気にさせて、高いものを売りつけることが、道徳的に悪いことだと思っている人だというイメージをあたえているのである。

そして、普通の人をだまして、その気にさせて、高いものを売りつけることが、道徳的にいいことだと思っている人は、カネをきれいなものだと思っている人だというイメージをあたえているのである。

ようするに、「おカネがきたないと思っている人は、貧乏で、おカネがきれいだと思っている人は、おカネもちだ」というような話につながっている。

おカネをきれいだと思っている人というのは、おカネが好きな人なのである。

いっぽう、おカネがきたないと思っている人は、おカネがきらいなのである。

……こういう思考方法。あー、もう、いやだなぁ。

 

「高いスマホを使うと、運がよくなって、収入があがる」

「自分の身のまわりを見ると、高いスマホを使っている人はみんな仕事ができるし安いスマホを使っている人は、仕事ができない。高いスマホを使えば、仕事ができるようになる」というようなことを、他人をだまして自分が利益をえたい人が、言ったとする。

安いスマホを使っている人が、高いスマホを買って、高いスマホを使えば、仕事ができるようになるかというと、そうではない。

だいたい、まあ、「自分の身のまわりを見る」という言葉で、保険をかけている。突っ込まれたら、「『自分の身のまわりを見ると……』と言っているでしょ」と言って逃げることができる。

けど、まあ、「高いスマホを使っている人はみんな仕事ができる」というような印象をあたえることができる。

因果関係について考えない人は、ころっとだまされてしまう。因果関係について考えたほうがいい。

*     *     *

たとえば、安月給の人が、きたないクレジットカードを使っているとする。この人がつとめている会社をかえないで、なおかつ、副業をしないで、おカネをもうけるのは、かなりむずかしい。

ようするに、高収入になれない。

もちろん、その会社で、ちょっとでもいいから出世するという方法もあるかもしれないけど、いまは、ちょっときついんじゃないかなぁ。

おカネが流れてくるパイプというものがあるとする。そのパイプをかえないと、なかなか、おカネが流れてくる量がかわらないのではないかということだ。

そして、たとえば、この安月給の人が、きれいなクレジットカード使えば、運があがって、おカネもちになるかというと、そうではないだろう。

まあ、きれいなクレジットカード使いはじめたら、宝くじに当たって、おカネもちになったというようなストーリを考えることもできる。あるいは、そういうことが、現実世界で起こる確率はゼロではないので、そういう人もいるかもしれない。

しかし、きれいなクレジットカードを使ったから、運がよくなって、宝くじが当たったわけではなくて、きれいなクレジットカードを使ったあと、たまたま、宝くじが当たっただけなのだ。

じゃあ、運をよくして、宝くじを当てるために、わざわざ、きれいなクレジットカードを使うようにした人のうち、どれだけの人が、宝くじを当てることができるのか?

「あと」なのか「から」なのか? それが問題だ。

これは、「あと」だ。

「から」じゃない。

きれいなクレジットカードを使えば、運がよくなって、宝くじが当たるようになると思っている人は、「あと」と「から」の区別がついてない。「から」じゃないので、宝くじが当たる確率はかわらない。

「運がよくなって」という言葉に、まどわされてはいけない。

そうすることによって、宝くじが当たる確率があがるのかどうかということを考えなければならないのである。

きれいなクレジットカードを使うことは、当たる確率にまったく影響をあたえない。当たる確率をまったくかえないものに、期待したってむだ。

ともかく、この世では、原因と結果を言い換えることがはやっていて、「あと」と「から」を混同することが、はやっている。どうしてなのかというと、信じやすい人をだますためだ。

原因と結果を言い換えているやつらは、それでおカネをもうけているのである。だまされたやつが、いらないものを買って、損をしているのである。

まあ、そういうことだ。

*     *     *

「原因と結果を言い換えているやつらは、それでおカネをもうけている」と書いたけど、たとえば、運があがると思っている人だって、おなじことを言う。

運があがると思っている人は、だます側のカモネギだ。

だから、運があがると思っている人であって、なおかつ、それで商売をしていない人は、利益をえているわけではない。だから、ただ単に、他人に対して「原因と結果を言い換えたこと」を言う人は、別に、悪意があって、他人をだまそうとしているわけではない。

しかし、「原因と結果を言いかえる思考」になれてしまうと、次々に、だまされるようになるので、注意が必要だ。

ようするに、利益をあげるほうも、原因と結果を言いかえた話をするし、利益をえない人も、原因と結果を言い換えた話をする。

これは、教祖と信者の関係が成り立っている。だから、別に「高いスマホを使えば、運がよくなって、収入があがる」と思っている人が、「原因と結果を言い換えること」によっておカネをもうけているわけではない。

もし、「高いスマホを使えば、運がよくなって、収入があがる」と思って、高いスマホを買った人がいたとすると、その人は、だます側の人ではなくて、だまされる側の人だ。

ようするに、教祖側の人は、利益をえているけど、信者側の人は、利益をえてない。

*     *     *

基本的には、教祖側の人というのは、それで商売をしている。だから、高いスマホをもつことによって運をあげて、おカネをもうけたわけではなくて、カモネギに、高いスマホを買わせることによって、運をあげて、おカネをもうけた人だ。

「運をあげて」と書いたけど、別に、運をあげてという言葉をぬかしても、そのまま、おなじことが成り立つ。

原因と結果を言い換えた話にだまされるほうも、だされるほうだけど、だますほうは、そのぶんだけ、運が悪くなっているのではないかと思う。

けど、それは、ぼくの特殊な考え方で、だまされた人も含めて、だました人は、運がよくなると思っているのである。

もちろん、これが、明言されることはないのだけど、原因と結果を言い換えるような思考方法になれていると、だれが、善人で、だれが悪人か、まったくわからなくなってしまうので、だまされた人間は、だます人間を善人だと思ってしまうのである。

それも、けっきょく、そのぶんだけ、運が悪くなったのではないかと、ぼくは思うけど、だまされている人は、そうは思わない。

ほんとうに、教祖と信者の関係が「うすく」成り立っている。原因と結果を言い換えて、嘘をつき、ものを買わせるなんて、悪いことだと思うけどなぁ。そして、運をさげることだと思うけどなぁ。

信者も、ほかの人には、えらそうに、説教をするのだ。「原因と結果を言い換える」思考方法になれている人は、たとえ、おカネがもうからなくても、教祖が言ったことを、ほかの人に、言う。

特に、実際にやったあと、いいことが起こったという場合は、注意が必要だ。「あと」と「から」の区別がついていない人だから、真実だと思ってしまう。

たとえば、「高いスマホを使うと、運がよくなって、収入があがる」という話を教祖から聞いた人がいるとする。まあ、信者だ。その人が、実際に高いスマホを使ったあと、収入があがるということが発生したとする。

その場合は、その人は、「高いスマホを使えば、運がよくなって、収入があがる」ということを信じてしまう。もっともっと、強く信じてしまう。この話は真実だと確信してしまう。

けど、真実ではない。嘘だ。

こういう人は、ほかの人に言いことを教えてあげようと思って、「高いスマホを使えば、運がよくなって、収入があがる」と、ほかの人に言うようになる。この人は、別に、それでおカネをもうけているわけではない。

だから、これは、おカネのためにやっていることではない。

しかし、教祖の役には立っているし、嘘をひろめてしまっている。はたして、運がよくなる行為をしているのだろうか?

運が悪くなる行為をしているのだろうか?

あるいは、運なんてまったく関係がない行為をしているのであろうか?

たとえば、信者の話を聴いて、高いスマホを買った人が、おカネがない状態のままなのであれば、「運があがらなかったじゃないか」というような気持ちはしょうじるだろう。高いスマホを買ったあと、よけいにおカネにこまるようなことがあるかもしれない。

その場合はどうなのだろうか?

やすい月給なのに、リボ払いで高いスマホを買ったら、よけいに貧乏になって、くるしい状態になってしまうではないか。高いスマホを買ったことによって、運があがっているのに、よけいに、くるしい状態になるのか?

運というのは、じつは、関係がない。運というのは、ジョーカーワード(マジックワード)だ。なんとだって言える。

けど、運がいいとか運が悪いとか、運があがるとかうんがさがるという言い方はある。ぼくは、運というのは官界系がないという立場にたっているので、運があがるとか、さがるというのは、関係がないことだと思っているけど、彼らの流儀にあわせて言えば……高いスマホを買ったことによって、支払いがくるしくなり、生活の余裕がなくなり、運がさがっていると言えなくはない。

*     *     *

あと、「高いスマホを使うと、運がよくなって、収入があがる」ではなくて、ほんとうは「高いスマホを使うと、運がよくなって、収入があがる」と(彼らは)言いたいのだよ。

彼らは……。だますために、「高いスマホを使うと」と言っているけど、彼らが、対象者に、ほんとうに求めているアクションは、「高いスマホを買うこと」だ。

 

カードがきたない人は、おカネがない。カードがきれいな人は、おカネがある

 だいたい、おカネがきたないかどうかなんて、カード時代には関係がない。カードがきたないかどうかの話になってしまう。カードがきたない人は、おカネがない。カードがきれいな人は、おカネがある。そんなことはない。カードですらなくなって、スマホに表示される表示画面がきたない人は、おカネがないとか、スマホに表示される画面がきれいな人はおカネがあるというような話になってしまう。

カードに関していうと、ATMで使った分だけ、カードがなんとなく、きたくなる。使い込まれたカードはきたなくて、使われてないカードはきれいだ。おカネがない人が、クレジットカードを手にしたけど、外ではまったく使わない場合は、ずっと、クレジットカードは、きれいなままだ。ネットで買い物をするときだけ、番号の確認のために、クレジットカードを見るけど、クレジットカード自体は、机の引き出しの中に入れておく場合は、クレジットカードは、きれいなままだ。キャッシュカードやデビットカードにも、同様のことが言える。

クレジットカード、キャッシュカード、デビットカードがきれいかどうかと、おカネがあるかないかということは、関係がない。 

*     *     *

スマホに表示される表示画面がきたない人は、おカネがないとか、スマホに表示される画面がきれいな人はおカネがあるということについて、ちょっと語っておこう。それじゃあ、スマホ本体はどうなのかという話だ。これは、カネがない人は、機種変更を頻繁に繰り返すわけにはいかないし、そんなに高性能なスマホを買うわけにはいかないという事情があるから、安いスマホを長く使っている場合がある。高くて、新しいスマホを使っている人は、カネがある場合がある。けど、それは、カネがある人は、高いスマホをもっている確率が高く、カネがない人は安いスマホをもっている確率が高いということを意味しているだけだ。カネかをもっている人が高いスマホを買って、カネをもってない人が安いスマホを買うということは、いちおう、考えられることだ。カネをたくさん持っているということが、原因。高いスマホをもっているということが、結果だ。これを、逆向きの話にしてしまってはいけないのである。ようするに、原因と結果をいれかえて話をするべきではない。たとえば、「高いスマホを使っている人は、高いスマホを使っているので、おカネが入ってくる」とか、「高いスマホを使っている人は、高いスマホを使っているから、高収入になる」とかというような話にしてしまっては、いけない。

「おカネと性格を結び付けて語るやつ」

 カネがないやつは、カネをきたないと思っているからカネがないんだ」ということなのだけど、これが、意外にやっかいな話なのだ。言っているほうが、言っていることについて、よく考えているわけではなく、なんとなく言っているだけの話だからだ。はっきり言えば、「カネをきたないと思っているから、カネがないんだ」というのは、嘘だ。まちがい。妄想。

じゃあ、なんで、話が複雑になるかというと、カネが物理的にきたないという層の話や、カネが心理的にきたないという層の話や、裏献金の話がいっしょになっているから、最終的には、なにを言っているのか、わからなくなる。ようするに、なんとなく、雰囲気で言っているだけで、特定できる意味がない。ところが、雰囲気で言っているのにもかかわらず、雰囲気で「言いたいことはなんとなくわかる」というような特殊な状態をつくりだしている。

ごちゃごちゃにして語るというのは、特に、テクニックではない。これ、言っている本人が、明確に区別して考えてないから、そういうごちゃごちゃな話になる。

何度も言うけど、条件を無視して、「おカネがある」とか「おカネがない」という話をしてもしかたがない。そして、条件を無視して「おカネがある人はこういう人だ」とか「おカネがない人はこういう人だ」とか「おカネがある人はこういう性格をしている」とか「おカネがない人はこういう性格をしている」とかという話をするのは、もっともっと、無意味だ。

しかも、「おカネをえやすい人」と「おカネをえにくい人」について、語る場合は、どうしても、おカネをえにくい人をディスることになり、おカネをえやすい人をほめることになる。おカネのあるなしと、性格の話を結びけるのは、ほんとうに、よくない。これは、うちくだかなければならない妄想をつくりだしている。 

条件を無視して、「おカネと性格を結び付けて語るやつ」を見たら悪魔の協力者だと思っていい。

いつも読んでくださるかたに感謝しております



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