あのあと、眠って、起きて、ポテトを食べたところだ。さむい。冷凍ポテト(カット品)をオーブントースターで焼いたものを食べた。たまには、こういうのも食べたい。うまかった。
しかし、どうするか?
あいかわらず、からだがかゆい。このさきのことを考えると、頭がいたい。ともかく、からだのかゆさをどうにかしないとなぁ。すべてが、めんどいのじゃ。
貧乏リタイア生活続行中です。節約生活をしています。脱力系です。 趣味は語学学習やアニメなど金がかからないものです。 普通の人のリタイア生活とはほど遠いものがあります。
あのあと、眠って、起きて、ポテトを食べたところだ。さむい。冷凍ポテト(カット品)をオーブントースターで焼いたものを食べた。たまには、こういうのも食べたい。うまかった。
しかし、どうするか?
あいかわらず、からだがかゆい。このさきのことを考えると、頭がいたい。ともかく、からだのかゆさをどうにかしないとなぁ。すべてが、めんどいのじゃ。
つまーーんない。ほんとうに、つまんない。あとは、からだがいたがゆい。これ、どうにかしないとなぁ。いま、ハードディスクの整理をしている。これで、容量が増えるだろう。まあ、外部ハードディスクに移動しているだけだけど……。で、まあ、あとは、熱湯消毒をしたあと洗濯をした。部屋干しになっている。これから眠るつもりだから、干せない。だいたい、今日は、このあと雨がふるみたいなので、出せない。
とりあえず、起きて、一回目のご飯を食べて、文章を書いたあとだ。とりあえず、文章を書いた。けど、生産的なことはそれだけしかしてないなぁ。あとは、背中がかゆい。これ、もう、書いているあいだも、いたがゆいからずっと気になっている。これ、きちがい親父がきちがい親父ではなくて正常親父だったら、こんなことになってないんだよな。
置き配系の郵便物をゲットした。これは、ビワの葉茶だ。これが、うまいのかどうかわからない。うまかったら、ヨモギ茶のかわりに飲む。ヨモギ茶はきらいではないけど、あんまり、飲み続ける気分にならないお茶だ。たまには、いいかなという感じだ。背中がいたがゆいので、いちど、横になる。戦力が落ちるんだよなぁ。
風呂に入ったのだけど、やはり、かゆくてかいてしまった。いまは、かさぶたから血が流れて、いたい。いたがゆい。やっぱり、引っ越すべきなんだよな。長期騒音とか、親のきちがい行為とかいろいろとあって、つかれはてていて、引っ越しができない。まず、これがある。そして、外部的な環境として、シェディングがある。これは、2019年以前には予想していなかったことだ。ともかく、動けなくなってから、ダニ問題が発生してしまうんだよなぁ。きちがい親父がネズミを導入して、不可避的にダニ問題が発生してしまう。で、ネズミをふせぐことだけでも、相当に苦労したけど、ダニ問題も苦労した。で、これが、程度の問題で、この程度まで、ダニがあらゆるところにいきわたってしまうと、だめなのだ。普通の対策では、だめな状態になる。もう、この家はつぶして、引っ越したいのだけど、その元気がない。
起きたときは、からだがだるくて、風呂に入れないような感じだったけど、なんとか風呂に入れるような感じになってきた。なんとかなるかな。
しかし、どうしたものだろう?
アニメは見ている。しかし、アニメがあんまり、精神にいい影響をあたえる感じがしないんだよな。戦闘ものは、殺戮・くびちょんぱだし、学園ものは、「空気読みまくり」の人間関係、丸出しだからなぁ。
日の光で、あったかくなってきた感じがする。なんとかなりそうな予感。
とりあえず、風呂をたてる。
オーブントースターを使うために、エアコンを切る。オーブントースターで冷凍のチャーハンをあたためることにした。チャーハンというのも、ときどき、食べたくなるものなんだよな。チャーハンも自分で作って食べたほうがうまいけど、冷凍もうまいので、冷凍でもいいかなと思う。冷凍のチャーハンは、けっこう質が高い。店で食べるアジを100だとすると、90ぐらいの味が出ている。
コメがなくなったので、このあいだ、こんなときのために買っておいたコメの箱をあけた。無農薬・ササニシキ……高い。約5キロで、送料をあわせて、約5300円。5000円超えるんだよね。送料が高いわけ。送料は、商品の中に含まれてないみたいなんだよな。がっちり、1300円の送料をとる。まあ、いいけどさ。「朝日」というコメだと、4500円になるから、そっちを買おうかなと思ったりもする。けど、めんどうくさいので、一度買ったところで買っている。コシヒカリ系をさけるとなると、カネがかかるのだ。
けどさ……。けどさぁ……。段ボール箱をあけてから、実際に、電子ジャーのなかに入れて、二回こした水を入れて、スイッチ入れるということが、けっこうたいへんなんだよね。もう、こういうことをするだけで、つかれている。
うーん。どうするかな? 買い物じゃ、解決しないしなぁ。
なんか、買い物に期待してしまうところはあるよね。この買い物で、解決できるんじゃないかと思ってしまう……よーーな……ところがある。どうするかな? 買い物じゃ解決しない。
一般人は、バカな反ワクと反ワクの区別がつかないんだよ。
インテルというのはバカな反ワク情報を常に流している。インテルは、グループになっていて、だれかがバカな反ワク情報を流すと、そのグループのみんなが、さわぐようになっている。
インテルというのは、常に、へんなネタで盛り上がっているわけ。はずれたって、まったく気にしないで、がんがん、はずれることを、繰り返し繰り返し、言う。情報発信する。繰り返し繰り返し、おなじネタを発信するというのは、それなりに、意味がある。
ひとつは、インテルの情報を信じている人の気持ちをうちくだくこと。そしてもうひとつは、インテルの情報を信じてない人にバカにされることだ。
いろいろなネタがあるのだけど、すべてのネタで「くるくる詐欺」をしている。回転ずしみたいなもので、「くるくる」と言って、こなかった、おなじネタが、また、まわってくるわけ。「くるくる」→「こなかった」をずっと繰り返すわけだよ。何度も言うけど、この繰り返しには意味がある。
インテルがバカな反ワク情報を流した場合、その情報をバカにする人たちがいるわけ。これも、インテル協力者で、インテルとおなじ役目を背負っている。インテルと、インテルの情報を「これだから、反ワクはバカだ」という調子でバカにする人たちというのは、背後でつながっている。
で、そういう人たちが「これだから、反ワクはバカだ」というような感想を書くと、普通の人がそれを拡散するということになる。普通の人は、同意しているわけ。だから、自分が洗脳されているわけではないと思っているわけ。けど、これが、洗脳なんだよ。
「バカな反ワク情報」と「反ワク情報」をおなじものとしてあつかうという罠がある。トリックなんだよ。バカな反ワク情報を語っているバカなインテルは、別に、反ワク派すべての人を代表しているわけではないわけ。ようするに、バカな反ワク派と反ワク派がいるわけだけど、「これだから、反ワクはバカだ」と思ってしまう人は、両者の区別をしていない。
これは、インテル協力者が、両者をまったくおなじものとしてあつかって、感想を言うから、そういうふうに、思えるのだ。インテル協力者が拡散したものを読んだ人が、ごく自然に、そういうふうに思うようになっている。
「もう、つかれたなぁ」と一日に、何回も、こころなかで、つぶやいている。今日というか、起きてから、庭の竹を切った。1メートル法というのを、試しているさいちゅうなんだけど、むかし、試しにやってみようと思って、6月に、1メートルの高さで切ったのだ。その場合、やはり、かれたりはしないで、横側に無数の枝をのばして、横にひろがるように葉っぱをつけたわけ。なので、横側の枝を、冬のうちに切っておく必要がある。なので、切った。これも、本当はやりたくないことなのだけど、ものすごく横にひろがって、(葉っぱの数が)ものすごいことになっていたから、切った。
からだがかゆくて、からだがだるいので、あんまりたいしたことはやってない。
ともかく、からだがかゆい。全般的な興味がなくなっている。行動を起こすには、ある程度の量が必要なのだ。たとえば、本を読むには、本を読むだけの「意欲の量」が必要なのだ。ところが、全般的に枯れていると、本を読むための「意欲の量」がたりなくて、本が読めなくなる。
これは、なんというのかな? 休んでいればどうにかなるようなものではない。あたまにカスミがかかっている感じで、やばい。意欲がさがっているのがわかる。自分でもわかる。
電子書籍を買うか、紙の本を買うか、まよっている。ほんとうは、紙の本に対するこだわりがある。このこだわりは、到底、ひとことでは説明できない。複数のこだわりがあるのだ。しかし、まあ、自分の体力状況を考えると、紙の本を買って読む気力がない。紙の本をおいておくスペースがたりない。以前はなかったことだけど、紙の本を買って、読まずに、置いておくということが、増えた。こんなことは、以前はなかった。買ったら、全部読んだ。
電子書籍を買うメリットは、いろいろあるけど、スペースを圧迫しないというのが、一番のメリットだ。そして、紙の本よりも、読めるようになるまでの時間が短い。そして、テキストであれば、文字の大きさをかえることができる。紙の本に対するこだわりをすてて、電子書籍を買うべきなのである。だいたい、電子書籍のほうがわずかに安い場合が多い。
しかし、紙の本には愛着がある。どうしたものだ?
ななんっと、生ごみを出すことに成功した。これは、あっぱれ。あっぱれじゃ。というわけで、なんとか、生ごみを出すことに成功した。これで、出せない場合は、けっこう、重圧なんだよ。残っている生ごみの袋を見て、圧力を感じる。ともかく、睡眠時間がずれているので、どーしても、出しにくいときがあるんだよな。今回は、ちょっと、その時期を抜け出してきたような感じ。月の満ち引きでいうと、やや三日月になったところ。
まあ、俺にしても、楽しい記事を書きたいのだけど、そういうわけにはいかない状態なんだよねぇーー。まあ、これは、ぼくのノートみたいなものだから、どうでもいいや。
背中がかゆいけど、中華丼を食べ終わった。うまかった。レトルトのなかでは、うまいほうだ。あれ、熱湯消毒しないで、普通に洗ったシャツを着たから、だめだったのかな……などと考えている。風呂から出たばかりだから、皮膚が敏感になって、かゆく感じると思ったけど、あのとき、新たに刺されたのかもしれない。
これから、どうしようかな?
じつは、鼻のところがなおってないのだけど、ガスマスクをつけて、横の部屋を片づけようかなと思っている。まあ、ほんとうなら、近くに宿を借りて、動いていたはずなんだけど、やはりシェディングの問題で、お流れになった。けど、どのみち、ぼくが動かないと、ダニから解放されないのだよな。もう、普通のレベルではさんざん動いているけど、(問題の根が深いので)まだ、改善できてない。前投稿にも書いたけど、「期間の長さ」というのが問題なんだよね。あそこまでやられると、「ぜんとっかえ」しないと無理なんだよね。
まあ、それは、ぼくの特殊事情なのでねぇーー。
どうするかな?
はて、どうしたものかな? これから、レトルトの中華丼を食べるつもりだ。レトルトは、うまくない。うまくない。お勝手のガスレンジを使えるなら、簡単につくれるものなのに、ここだとつくれないのだ。スペース的にちょっと無理なのだ。フライパンを使ったものは、ちょっとここだとつくれない。
背中が猛烈にかゆいので、布団のなかでひっかいてしまった。いたがゆくなった。さて、どうするかな? これも、どうにかしないとなぁ。ここは、やばいんだよな。最後の最後に、ここに、入られてしまったんだよな。
きちがい親父のきちがい行為で、いまも、かゆい暮らしをしている。俺だって、こんなのは、いやだ。はやく、引っ越さないとなぁ。あれだけネズミの侵入をうけると無理なんだよね。全部が無理だ。
ナノ粒子にさらされることは、がまんして、なんとか、不動産屋に行って、いろいろとやらなきゃ。きちがい親父がネズミを導入して(長期間、わけのわからないことを言って)がんばらなかったら、こんなことになってねーー。そして、そういうことが、他人の身には、起こらないことなのである。
* * *
さらに、ここに、きちがい親父のことを書いてしまうのは、じつはまずいことだ。ここは、そういうことを書くところではなかった。けど、日事象生活について書くとなると、どーーしても、いま、かゆいなら、かゆいということについて、書かなければならないことになる。理由を書かずに、そういうことを書くのは不自然だ。
ピザを食べた。ときどき、こういうのも、食べたくなる。うまいやつなんだよね。生地の部分が、いい具合にかたくなる。サクサクする食感。
はて、どうしますかね。脳みそにもやがかかっている感じがするけど、動けるからなぁ。動いておいたほうがいい感じもするなぁ。
まあ、さっき、シンクの掃除をした。あれ、きたなくなっちゃうんだよね。
一回、横になるかなぁ。
よし、ネットスーパー注文品の受け取りを完了。これで、食料確保ができた。じつは、食べずにくさらせてしまうものがある。これは、問題があるのだけど、どうしても、そうなってしまう場合がある。
トランプの裏になにがあるかなんて、わかるわけがない。黒がやる気になってやったことだけど、白がそれを黙認したというのも事実だ。そして、陰謀論すべてがファンタジーや都市伝説のあつかいをうけているけど、これもつくられたものだ。大半の人が、言っちゃ悪いけど、だまされている。白は、じつは、あれにいろいろと協力している。もちろん、やらせて、証拠をつかみ、すべてを終わらせるという方法を選択したということは、じゅうぶんに、理解できる。実際、大半の人の行動を見ていると、実際にやらせなければ、そうだったということを認識するのはむりだろう。実際にやったあとですら、このざまなのだから。このざま。このざま。このざま。「どれだけ、思考力がないんだよ」と言いたくなる。5G、酸化グラフェン、脂質ナノ粒子とものを、問題視しているほうが、バカであるように思われているけど、バカは、そういうふうに思っているやつらだ。
問題は、プリオンたんぱく質だ。プリオンたんぱく質に対して有効な対策がない。クルクミンでどうにかなるという意見はあるけど……そして、クルクミンにたよるしかないけど……ほんとうのところ、どうなのかわからない。脳内に入ったものを含めて100%除去できなければ、意味がないんだよ。そして、プリオンたんぱく質は、目に見えない。どのくらい、自分が吸い込んでしまったかわからない。そして、プリオンたんぱく質をはきだしている人たちが、はきだしているということについて、無自覚だ。なので、普通に不動産屋や市役所に行っただけで、プリオンたんぱく質にさらされる可能性がある。確率は非常に高い。
この文章を読んで、「陰謀論のバカ」と思っている人たちは、m-RNAの作用機序や副反応について、まったく理解してない。副反応のとき、なにが起こっているのか、正確に理解している人は、ほとんどいない。もともと、知らされている人をのぞけば、99・9999%ぐらいの人が、誤解をしている。まあ、誤解するのはわかるけど……。
起きて、お茶漬けを食べた。正直言って、さむい。けっきょく、このあいだ、一日だけあたたかくなって、いっきにさむくなった。どうするかなーー。いま、風呂をたてている。風呂に入ると痛痒くなるので、あんまり入りたくないけどしかたがない。どうするかなぁーー。
枕をかえてみた。今日じゃなくて、昨日なんだけどね。枕カバーも二枚、すてる。基本、防ダニ枕カバーを三重にしてあるんだよ。どうするかなーー。まあ、もとの枕もそんなには使ってない枕なんだけどなぁーー。
風呂から出たあと、どうするかな?
起きて、文章を書いたあと、お茶を飲み、ゆっくりしていた。うむ。こう書くとなかなかいいなぁ。実際は、ちょっとちがう。かなり、しんどいのだ。どうするかなぁ?
じつは、まだ、先週、木曜日のゴミ出しがひびている。あたまに霧がかかったような状態になっている。頭の芯が重いんだよなぁ。あとは、腹の調子がおかしい。もちろん、かゆさもある。全体的に不調だなぁ。今後10年、どうしようかな?
今後10時間、どうしようかな?
どっちも、まったく、なんだかわからないよ。ほんとう、俺の人生なんだったんだろうな?
これから、眠るーー。おやすみーー。
あーー。せめて、まるまる荘時代の体力が復活したらなぁ……。
もう、まともな文章は書けないし……。けど、たぶん、眠れない。頭がこの感じになるとだめだ。まあ、布団にもぐって、時間がすぎるのをまとう。
いやーー。まじで、自分の人生、なんだったんだ??って思うよ。思うよ。思う……。
いろいろと、うかんでくるんだけど、全部、暗い記憶だ。なんかいやな感じがつきまとっている。まあ、長期騒音なんだけどさ……。
たとえば、ポジティブという言葉には、単に「積極的」という意味のほかに、「良い」という意味や「善い」という意味が含まれているとする。ぼくはそう思わないのだけど、そういう意味が含まれているとする。その場合、ぼくが「ポジティブな行動」ということについて考えると、なんか、いやな感じがするのである。「善い行動」「良い行動」なのであるから、いいじゃないかと思うけど、なんか、いやな感じがするのである。するする。まあ、それは、個人の言葉の感覚なのだろう。しかし、なんか、ぜんぜん、いい気分にならないのだ。たとえば、ポジティブな行動にこだわって、ポジティブな行動をしている人のことを考えると、なんか、いやなのだ。
* * *
順番がずれてしまったけど、たぶん『消極的な善、積極的な善』のあとの文章。
積極的な行動ってなんですか? たとえば、ぼくは、ここに文章を書いている。そして、それを公開している。これは、積極的な行動だと言える……ような気がする。
けど、ぼくのなかでは、ちがう。これ、別に、積極的な行動ではないのである。
むしろ、消極的な行動なのである。べつに、書かなければならないから、書いているわけではない。文章トレーニングのために書いているわけではない。
1日に30回、うでたてふせをすると積極的に決めて、積極的にうでたてふせをするような行為とは、ちがうのである。そういう意味はまったくない。1日のなかのルーティンワークではない。
なんとか、努力して、積極的にやっているような行為ではないのである。積極的に「やろう」と決めてやっている行為ではないのである。
なんだって、積極的な行為だと言えば、積極的な行為になるし……本人のなかで積極的な行為になるし、なんだって、消極的な行為だと言えば、消極的な行為になるのである。本人のなかで、どう思っているのかということと、他人から見てどういうふうに見えるかは、ちがう。ちがうことがある。おなじこともあるけど、ちがうこともある。かならず、おなじではない。
まあ、ぼくにとって文章を書くという行為は、ご飯を食べるような行為なんだよ。あるいは、息を吸ったり吐いたりするのとおなじ。積極的に、息を吸ったり吐いたりすることもあるけど、普段は、特に意識せずに、息を吸ったり吐いたりしているのではないか?
特に意識せずにやることは、積極的な行為ではないし、消極的な行為でもない。特に、意識して、消極的に息を吸ったり吐いたりするということもあるかもしれないけど、普段はそういうことはしない。
ネガティブという言葉には、「悪い」というイメージが付与されているけど、ほんとうは、ちがうのではないかと思う。付与というのは、社会的に「ネガティブ」という言葉に、「悪い」というイメージを付与しているということだ。根暗、嫉妬、悪意というような意味が付与されているように見える。けど、単に「消極的」ということだとするなら、根暗、嫉妬、悪意というような意味は含まれないと思う。けど、「根暗」というのは、やっぱり、それだけで、悪い意味を含んでいるんだよな。「根暗」と言ったら「悪い性格」であって「良い性格」ではないし、「善い性格」でもないんだよ。けど、「根が暗い」ということが、悪いことなのかどうか? なんか、それは、積極的なことが善であるという生活のなかで、ある意味、人工的につくられたイメージなのではないかと思う。ただ単に、消極的な人を、根暗と言って「いじめる」「いじる」のであれば、それこそ、悪をなしているということにならないか?
ともかく、ネガティブかポジティブかということではなくて、よいかわるいかということについて言うなら、まず、からだが重要だ。やっぱり、ネガティブやポジティブという言葉には、ほんとうは「ぜんあく」や「よいわるい」が含まれてないのだけど、人々が勝手に「ネガティブなら悪い」「ポジティブならよい」というイメージを付与しているために、言葉とずれが生じてしまうのではないかと思う。だって、そうだろ。消極的な善、積極的な善……。どっちも善だ。ネガティブを消極的と訳して、ポジティブを積極的と訳すなら、ネガティブな善、ポジティブな善もどっちともあるということになる。そして、ぼくなら、消極的な善のほうが、好ましいのである。積極的な善って、いやな感じがする。なんか、押しつけがましい感じがただよってくる。けど、ネガティブをたとえば、「暗い」と訳すと?暗い善ということになる。暗い善?なんのことだろうか? ポジティブを「明るい」と訳すと?明るい善ということになる。明るい善?なんことだろうか?
おだやかだが、いやな出来事が発生しない暮らし……。おだやかだが、いやな他人が(自分のうちに)いない暮らし……。こんなものだろ。けど、「他人」というのがからんでいるんだよなぁ。ただ単に、いやな人が(うちのなかに)いない暮らしではなくて、自分にとって好ましい人が(うちのなかに)いる暮らしなんじゃないかなぁ。自分にとって、「とてつもなく好ましい」人がいたら、そりゃ、うれしくなるだろ。
からだのことと、他人のことというのがあるんだよな。からだのことというのは、ようするに、あそこがいたい、ここがかゆいといったたぐいの悩みだ。これは、純粋に悪いことだと思う。いたいのは、いたいだけで「あく」なんだよ。まあ、これを「ネガティブ」と表現するかどうかというの問題だ。いい暮らしと悪い暮らしということを考えた場合、いい暮らしというのは、まず、からだの悩みがない暮らしだ。それが理想なのだけど、まったく体の悩みがない暮らしというのは、そんなにはないかもしれない。多少はあるというのが、たぶん、多くの人にとってあてはまることなんじゃないかなと思う。もちろん、まったくない場合もある。ぼくも、むかしは、まったくなかった。まあ、そりゃ、つねられたらいたいし、ころんだら、いたいわけだけど、そういうイベントがなければ、特に、なにもないのが普通だという暮らしだ。
ネガティブ忌避みたいなことを書いている人もいるよね。まあ、わからないではない。けど、その人が、ポジティブに生き生きと暮らしているかというと、そうではないと思う。むしろ、ネガティブな生活をしていると思う。もう、うんざりするほど、ネガティブな生活をしてるんじゃないかなと思う。だって、ほんとうに充実していたら、ネガティブなことを書いている他人のことなんてまったく気にならないだろ。そんなひま、ないよ。
だいたい、ネガティブは悪いものであり、ポジティブはいいものだという前提自体が、とてつもなく、うたがわしい。ネガティブには、「よしあし」は含まれてないし、「ぜんあく」も含まれてない。 ポジティブには、「よしあし」は含まれてないし、「ぜんあく」も含まれてない。ところが、ネガティブなのは悪いことなんだと思ってしまっているのである。じゃあ、その人が、なにをネガティブだと感じて、なにをポジティブだと感じるのか? これにはほんとうは、自分のなかの視線と、つくられた視線がある……ような気がする。
一般人が考えているようなポジティブな考え方や、ポジティブな行動について、考えて、それがいいものかどうか、考えてみると、いいもののようには思えない。まあ、自分にとって!いいものかどうかということなのだけど……。ポジティブなイメージというのが問題なのだ。ポジティブなイメージというのは、一般人がポジティブだ感じるようなイメージだ。それって、ほんとうに、自分にとって、いいものだと感じているのかな?
どうするかなぁーー。『居酒屋新幹線』というのを、見るか。何本か、まえに見た。『孤独のグルメ』の見てない回を見るか。まあ、そんな感じで、くつろごうかな。
ほんとうに、つかれた。酒なんて興味はないし、旅行もするつもりはない。あーーあ。きれいな一戸建て住宅で、きれいな女の子が一緒に住んでいたら、まあ、それでいいんだけどなぁ。ははっ。長期騒音で、全部くずれた。まあ、こういうふうなことを、書くべきか書かぬべきかということで、ちょっと悩むわけなんだけど、けっきょく、これは、ぼくのノートみたいなものなので、書いてもいいだろうと思って書いている。
DMM TVを復活させたので、むかしの特撮も見られる。 『居酒屋新幹線』はDMM TVにある。ほかのところにもあるのだろうけど、興味がないので、わからない。
いまさっき、起きた。ボロボロ感がすごい。からだが、あいかわらず、かゆい。どうするかな? 親父がきちがい行為をして、ダニとネズミの糞を残していったんだよな。これ、難問で、どうしても、業者の人には刺されてもらうことになる。これが、いやなんだよな。バルサンでぜんぶ解決できるようなことを言ってた人がいたから、信じたようなところもあるんだけど、実際にやってみたら、ちがうということがわかった。
* * *
のどがかわいた。スパゲッティーを食べた皿を見て……「食べたなぁ」と思った。そりゃ、自分が眠るまえに、食べて、皿にお湯を入れて、さめた電熱器の上に置いておいたのだけど、だれも片づけるわけではないので、そのまま、おいてあるわけだ。で、眠って起きたときは、そんなのは覚えてなくて、スパゲッティーの皿を見て「食べたなぁ」と思ったわけ。けど、なんか、自動的に、きれいになっていればいいのになぁ。あーー。こういうときも、「ひとりだなぁ」と思うわけよ。冷凍スパゲッティーも、オーブントースターであっためるので、皿というのは、ガラスの四角い皿だ。これが、すぐれもので、すごいのだ。役に立っている。
* * *
しかし、つかれた。つかれたーー。俺はほんとうに、復活するのかな? 復活するはずなんだが。
夜だー。さて、このさきどうするかな? あー、どうするかな?
いま、たらこでご飯を食べたところだ。うまかった。今朝、というか、昨日の朝?……ぼくは、生ごみをすてた。ずっと、廊下のところに置いてあったみっつのゴミ袋と、今回新しくできあがったひとつのゴミ袋をすてたーー。すてたーー。これ、ほんとうに、脳みそ破壊爆弾なのである。眠れない状態で起きていたのけど、起きている状態がつらい状態なのである。だから、青いカゴが出てきたら、すぐに捨てて、眠る態勢はいるつもりだった。けど、こういうときにかぎって、青いカゴが出てこない。何回、見に行ったかわからない。あっ、二階のドアのところから、見えるんだけど、ドアをあけてちょっと階段のところまで出ないとわからない。
これ、ほんとうにつらい。最後、もう、今回出て、青いカゴがなかったら、もう、ゴミを出すのはやめようと思って、確かめたら、青いカゴがあった。だから、必死になって、ゴミ袋を出してきた。この、睡眠の関係でものすごく体を動かしにくいときに、からだを動かすというのが、並じゃないのだ。どうしても、長期騒音の朝を思い出す。今回も朝だったわけだしなぁ。ただが、ゴミ捨てで、こういう状態になってしまうのだから、もう、終わりだなと思う。だから、夜のうちに出せるマンションのほうがよかったのだけど、シェディング攻撃で、その話はなくなった。これからも、ゴミ出しの死闘が続くのだろう。
まあ、ゴミを出したあと、すぐに眠れるのかというと、眠れないのだ。これが、きつい。ほとんどの脳みそが、眠る状態になっているのに、一部の脳みそが、それにものすごくあがなうのだ。一部の脳みそが非常に緊張した状態をつくりだして、眠らせてくれない。
しかし、もう用事がすんだ状態で布団のなかで横になっているのと、用事がすんでない状態で布団のなかで横になっているのとは、ちがう。ちがうんだねーー。用事がすんだ状態で横になっている場合は、これから眠ってもいいわけで、用事がすまない状態で横になっているときは、これから眠ってはいけない状態だから、ちがう。
また、ネットスーパーの注文をしてしまったのだけど、冷蔵庫に余裕がない。だいじょうぶかなと思ったけど、どうも、あれやこれやと付け足しているうちに、ちょっとオーバーしたのではないかと思っている。
昨日は、水餃子を食べたのだけど、煮込みすぎた。さらに、電熱器なので、さめるのに時間がかかって、二回目に食べたときは、とろとろになっていた。一回目は、まあ、普通だったんだけど、一晩おいて、二回目を食べようとしたら、とろとろになっていることに気がついた。半分ぐらい残っていた。
それから、また、道に迷う夢を見た。何回も同じような夢を見ているんだよな。けっきょく、ひとりでどこかの会場に行くのだけど、会場を出たら、くるときの道とはまったくちがう道になっていたのだ。「道がぜんぜんちがう」と思って、とりあえず、駅につきそうな道を歩いたのだけど、なんだか、駅から離れているような感じがしたときに、目が覚めた。人は、だれもいなかったんだよね。会場にはいたけど、外に出たら、だれもいなかった。
ときどき、道に迷う夢を見るんだよなぁ。これ、俺の人生そのものなんだよな。
* * *
おかずは、いろいろとあるのだけど、どうも、腹の調子がおかしい。食べたくないものは食べたくないんだよね。冷蔵庫のなかにあるものを処理するために食べているのだけど……。8割は食べたけど、2割は残っている。2割残ってるところで、新しく買い物をして、付け足すわけなんだけど……。あー、なんか、もう、つかれた。
ともかく、きょうは、受け取りをすればいいや。昨日、風呂に入ったのだけど、いたがゆくて、いたがゆくて、もう、たまらんわぁーーという感じになった。これも、どうにかしなければ……。しかし、もう、なんか、つかれた。
言っていいのかどうかわからないけど、もとのデータが改ざんされているということは、とても重要なことだ。公開されるもとのデータが、公開された時点で改ざんされているということは問題がある。そして、もとのデータを公開しているところが、政府や統計局など、たいへん権威があるところだと、ものすごく問題がある。これで、みんなやられちゃった。議論の前提になるデータが改ざんされたデータであるということは、ものすごく問題がある。そして、改ざんされているということが、当然、公表されない。改ざんされていると考えているほうが、おかしいと一般の人が考えるようになる。実際、一般の人は、改ざんされているとか、改ざんされている可能性があるからその可能性について考えなければならないと言っている人のことを、きちがいだと思うのだ。陰謀論者のバカだと思うのだ。
もう、つかれたなぁ。進んではいるみたいだけど、日本がガラパコス諸島になっている。この、日本のしずけさはなんだ。ヨーロッパとアメリカはどうにかなっている。アフリカは最初からだまされていない国が多い。やっぱり、アジアがやばい感じだなぁ。これ、いったい、いつになったら、終わるんだ? それにしても、日本人の洗脳されっぷりが、やばいなぁ。まあ、日本は、二重に洗脳されているからなぁ。みなさんに言いたいのは「ちょっといい話」みたいなものが、みなさんをどういうところに連れていくかということなんだよね。あれは、SDGsの社会に連れていくつもりだ。SDGsというのは、人権がない管理社会だ。なんだかわからないきれいな文字列で、粉飾しているけど、ほんとうは、ひどい社会だ。いい社会のように思わせようとする努力がすごいけど、これも、洗脳のうちのひとつだ。SDGsにむかうようなことはすべて、悪。SDGsにむかわないようにすることは、すべて、善だ。これがわかってない人が多すぎる。
うーーん。腹がいたい。こまったねーー。腹がいたいのはこまったねーー。こまったねーー。けど、まあ、なんとかなるか。しかし、めんどうだ。なんか、生活能力がさがっているので、ゴミのなかで暮らしているような感じになっている。まあ、もともとそうなんだけど……。まあ、いろいろ買いたいものを買っていたら、アマゾンの箱がいっぱいになったという感じかな。あけてない箱が、かなりある。もう、どうでもいい。腹がたいたしーー。しかし、つかれた。うーーん。
あと数か月したら、「だまされた」とさわぎだすだろう。そう期待する。こんな状態だと、こんな状態が永遠に続くような感じさえする。けど、たぶん、ちがう。けど、まあ、みんながさわぎだしころ、ぼくは……さめているかも。ぼくはあんまり、さわぎたい気持ちにはならないのだろうなと思う。4月あたりに、最初の仕事が終わるんじゃないかな。最初の仕事というのは、白側にとっての最初の仕事。
これで、ぼくの言っていることが、正しいということに、多くの人が気づくようになったとしても……もうだめだ。多くの人が、数か月後、あるいは、数年後、ぼくが言ってたことが正しかったんだなと思うようになったとしても、もう、だめだ。俺のこころが、もう、動かない。
それから、小学2年生のときなんだけど、あることを思い出した。それは、ぼくが悪いんじゃないのだけど、ほんとうはTさんの味方になるべきだったんだなぁ。しかし、S君がほんとうは、あれをこわしたんだよな。本人は否定していたけど。なんでこんなことを思い出したのか。まあ、これなら……これだけぼかして書けば……本人が読んでもわからないだろう。S君と一緒に帰ったけど……。そういえば、Tさんが「そんなやつと一緒に帰るの」と言ったんだよね。傷ついていたのはTさんなんだよな。けど、S君は否定していたんだよな。
ともかく、なんか、いい思い出だってたくさんあったはずなのに、なんか、トラブルの記憶がいっぱい出てくる。
ともかく、このさき、ほんとうのことがわかったとして、ほかの人が、だまされたということに気がついたとして……。もう、だめだ。俺のこころが、もう、だめだ。楽しくならない。長すぎたよ。
ともかく、かゆいのをどうにかしないとなぁ。あとは、やり残したことをやらないとなぁ……。しかし、これ、いつも思うけど、適切な時期というのがある。適切な時期をのがすと、できない。そのときとは、ちがうからなぁ。おなじような状況でも、ちがう。あきらかにちがう。こっちの気分がちがう。
けっきょく、時間がたってしまったから、やり残したことなんて、できないということだ。できないのだからしかたがない。それにしても、マンガみたいな世の中になったなぁ。たとえ、ほとんどすべてのことかをあきらかになるにしろ、ぼくはもう、よろこべない。
まあ、けど、なってみないとわからないなぁ。案外、よろこんじゃうかもしれないし、それはわからない。いまは、「よろこべないんだろうなぁ」と思っているということだ。実際に、きたら、よろこんでしまうかもしれないしなぁ。よろこべるかもしれないしなぁ。そんなの、実際にきてみないとわからない。
体がいたがゆくて、こころが、すれる? すれるねぇーー。なんとなくうかんだけど、正しい表現なのか自信がないなぁ。まあ、不愉快だと思ってくれ。
こころが、こわれちゃうなぁ。ほんとうに、いろいろあったなぁ。不愉快なことばかり、たくさんあったなぁ。いま、一階の掃除をしようかと思っているのだけど、なんか、見ただけで、かゆくなりそうな感じがするので、憂鬱になった。これで、掃除中に顔を刺されたら、もう、自殺したい気分になる。俺は顔を刺されたくないんだよ。あと、どうしようかな。粗大ごみ業者を呼ぶつもりだったんだけど、彼らが刺されるのは問題があるので、どうするかまよっている。バルサンは、だめだ。バルサンをたいても、どのみち、彼らは刺される。
昨日、めちゃくちゃな気分になって、眠れなくなったんだけど、なんとか、眠れた。だいぶ、時間がたってたと思う。5時間ぐらい、眠れない状態で横になっていた。あーー。もちろん、かゆいよ。
* * *
レイコップみたいな、吸い込んだダニを熱で殺すような掃除機は、うちではつかえない。いま、そういう状態じゃないんだ。引っ越したいけど、ワクチン・トランスミッションが気になる。
* * *
展開がおそいんだよなぁ。みんなが、ワクチン・トランスミッションについて理解しているような状態というのは、いつになったら……。もう、いいか。つかれたなぁ。つかれたわぁーー。おそすぎる。おそいよ。
うー。風呂に入った。かゆーーい。ひっかききずがふえた。見たくない。
まあ、風呂に入ったというのが、今日、最大の出来事だな。ぼくにとっては……。そして、かゆい……。これもでかい。でかい。「もう、いいかな」という感じもする。ともかく、かゆさをどうにかしないとなぁ。たぶん、ひとつの大きな原因として影響をあたえているダニを、どうにかしないとなぁ。けど、これが、ここまでだめになるとだめなんだよ。ネズミの侵入をうけていた時期が、長すぎるんだよな。みんな、わかってない。きちがい親父がどれだけの意地で、工事に反対したかわかってない。きちがい親父がどれだけの意地で、魚をほぼ一日中出しっぱなしにすることにこだわったか、わかってない。
まだまだ、さむい。一面雪だ。これは、めずらしい。
明るくなればたしょうは気温があがると思ったけど、さむい。まあ、たしょうは、夜にくらべたら、あがったんだろうなぁ。
不愉快な夢を見た。現実がかなり反映されている夢だ。夢らしい部分もあったけど。ぼくをくるしめているのは、いろいろと誤解をしている人たちなのだけど、その人たちが「がんばればいいことあるよ」みたいなことを言う夢だ。ぼくは、人々の誤解をとくために、がんばっているんだよ。その人たちのために、その人たちがもっている誤解をとくために、がんばっているんだよ。
白の介入があったからなんとかなったけど、白の介入がなければ、明るいことを考えれば明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こるので暗いことを言うのはやめましょう……などと言っている人は、暗い世界に誘導されて、そこで、殺されるか、考えることができないバカな完全管理奴隷にされてしまっていた。完全管理奴隷にされてしまうのは、10年後なんだけどね。
あーー。まじ、さむい。さむいと、からたがかゆくなるのでまずい。背中がかゆい。これは、たぶん、ダニではないと思う。けど、わからない。断言はできない。
しかし、めんどうだなぁ。どうするかな?
また、里芋の煮っころがしをつくって食べた。けど、これは、すでに煮てある冷凍里芋を使って作っているので、ものすごく楽だ。楽なのだけど、エアコンのスイッチを切らなければならないので、さむかった。まあ、食べたいからつくったんだけど、やっぱり、里芋の煮っころがしは、うまいなぁ。うまい。
というわけで、食べ物には満足しているのだけど、さむいし、おもしろくない。どうしておもしろくないかというと、いままでに遭遇した現実の出来事が、ひどいことだったからだ。「もう、つかれたよ」という感じがある。
インテルは、『白』の動きを利用して、かくしたいことをかくしているだけだ。かくしかたが、普通の人が考えるかくしかたとはちがうんだよ。これは、指導をうけている。洗脳のプロがちゃんと考えて、彼ら(インテル)にそういうことをさせている。だから、普通の人は、彼らが、『白』側で、『白』の情報をばらしている……と思ってしまう。あるいは「黒側がかくしたいことを、あきらかにしようとしている」と思ってしまう。けど、そういうふう思ってしまったら、そういうふうに思った人の負けで、彼ら(インテル)の勝ち。これがわかってないんだよな。普通の人は、これがまったくわかってない。彼ら(インテル)にだまされているのに、「自分は、じゅうぶんに知的で科学的だ」と思ってしまう。そして、一部の陰謀論とすべての陰謀論の区別がつかないので、「陰謀論を信じている人はバカだな」と思ってしまう。だまされちゃっているから「自分は科学的だ」と思い、「それにくらべて、陰謀論者は非科学的だ」と思ってしまっている。そういうふうに、(一般の人に)思わせるように、インテルが動いている。
陰謀論にだまされてないから、じゅうぶんに知的だと思っているのかもしれないけど、一部の陰謀論は正しい。インテルやインテル信者が言っていることとは、まったく関係なく、『白』が動いている。まったく関係がないんだよ。『白』の動きは、インテルとはまったく関係がない。インテルは完全に『黒』側。そして、反『黒』側的な発言をしている旧Twitterの有力アカウントは、すべて、『黒』側。反『黒』的な発言をしている研究者や医者は、すべて、『黒』なんだよ。『黒』側によって用意された人たちだ。
一部の陰謀論が正しいということに思い至らないのであれば、知的じゃない。科学的じゃない。科学的な人なら絶対に、どんなことがあっても、一部の陰謀論が正しいということに思い至る。
だまされちゃっているやつが「いいことがある、と言えば、いいことがある」「明るいことを考えれば、明るいことが起こる」なんて言っている状態なんだよ。だまされちゃっているから、そのままだと、悪いことが起こるんだよ。
確実に悪いことが起こるんだよ。
だから、いいかげん気づけと言っているのに……。『白』の介入があったから、のんびり生きていられるだけなんだぞ。まあ、遅効性の毒を入れられてしまったけどな……。遅効性だから、気がつかない。「いま、元気なら、それでいい」。けど、原理というのがあるんだよ。物理法則が成り立っている。遅効性の毒は、物理法則にしたがって、運動をする。なので、やがてその効果があらわれる。
起きたとき、「みんなよくやっているよなぁ」と思った。けど、考えてみたら、ぼくには、みんなにはない、大きなことがいくつかあった。ほのか人よりつかれていて当然だ。昨日、からだがかゆくてかゆくて、めちゃくちゃな気持になった。まだ、かゆいんだけど……。それに、展開がおそいんだよなぁ。アメリカやヨーロッパは、動いているのだけど、日本がなぁ……。日本がこれじゃあなぁ……。こいつら、洗脳が深すぎて、なにを言ってもむだだからなぁ。ふかーーく、ふかーーく、日本のDSメディアに洗脳されている。
いやーー。まじ、つまんないわぁーー。あーー、つまんない。
まあ、文章を書いた。お茶を飲んだ。……それだけだ。主なことはそれだけしかしてないぞ。うーーん。こまった。一階の掃除をしなければならないのだけど、ダニに顔を刺されるのがいやだからやりたくない。
いまは、特に読みたい本もないし、見たいアニメもない。こまったなぁ。
これから、ポテト焼きを食べて、そのあと、横になる。今日は、里芋の煮っころがしをつくるつもりだ。ポテトというのは、マックポテトのようにすでにカットされている冷凍のポテトをオーブントースターで焼くだけだ。油を使うバージョンと、油を使わないバージョンがあるけど、今回は、油を使わないバージョンだ。
昨日も食べた。なんか急に、食べたくなることがあるので、冷凍のポテトを買っておいたのだ。油をひいたほうが、うまいね。けど、油をひくと、からだがかゆくなる感じがあるんだよね。それで、油なしでやっているわけ。
起きたけど、どうするかな? なにを考えても、「やりたくない」という気持になる。けど、横になっていても、しかたがないんだよなぁ。しかし、からだがかゆい。気分がすぐれない。まあ、あんまり気分はよくないけど、横になっているしかないかな?
いつも読んでくださるかたに感謝しております