暇流片づけ学

暇流片づけ学

●机の上が散らかるのは「お菓子を置くスペース」がないからだった!


僕の部屋はいろいろと散らかってます。人を呼べません。
適切な散らかり具合を維持してます。適切な散らかり具合というのは、散らかっているけど、散らかっていることで、「なになに」ができないということがないレベルの散らかり具合のことです。

ようするに、ハサミを使おうとしたら、ハサミを使えるということです。ドライアーを使おうと思ったら、ドライアーが使えるということです。ボールペンを使おうと思ったら、ボールペンを使えるということです。まあ、しつこくなったけど、「なになにがない」とか「なになにがみつからない」というレベルだと、問題が生じる不適切な散らかり具合ということになります。

で、まあ、通常のことは出来るんだけど、それでも、ちょっと散らかってきたなと感じています。パソコンの机の横に、もう一つ物を置くための机?があるのですが、その上が、せんべい、ほかのお菓子、たわし、サングラス、のみもの、本などで、グチャグチャです。
考えてみれば、自分の部屋には、「お菓子を置くスペース」がないんですね。
お菓子を置くスペースを考えなければ~~。

あんまり、綺麗だと、落ち着かないんですよね。だから、カタログとか床に置いておかないと?なんとなく、落ち着かない。まあ、捨てればいいんですけどね。ここの机の上を片付けたら、そこで、パソコンを組み立てようとか考えています。今回は、写真をとって、記事にしようかなと考えています。といっても、ここに載せるわけじゃないと思うけど。ここは、あくまで、リタイア生活~暇すぎて死にたいだから。どうなんだろうな~~。ここに載せてもいいか。どうなんだろうな。SEO的には、まずいことで、ちゃんと、パソコン自作なら、パソコン自作で、サイトを作ったほうがいいです。けど、どうなんだろうな。サイトを作るほどのボリュームはないだろうからな~~

といろいろ考えてしまいます。


まあ、適当に、机の上を片付けるわ。その後だね。なにをやるにしても。



●散らかり具合と、やる気の無さは、相関関係がある!

「いろいろ、考えると、やる気が無くなる」という問題があって、「考えすぎ」と、「やる気の無さ」は、相関関係があると思う。もちろん、考えるほどほど、やる気がなくなる。あとは、「やる気の無さ」と、「散らかり具合」も相関関係があります。当然、「やる気が無い」ほど、散らかり具合がひどくなる。ということは、「考える」ほど、散らかり具合がひどくなるということか。まあ、そうかも。

(↑ここらへんに関しても、下で紹介するサイトにいろいろと関係したことが記述されています)


いろいろ考えるというのは、そもそも、頭のなかが整理されていない状態だからね。

それから、いろいろ考えるというのは、なにかそれ!をやるにしても、それをやる前に、なにか別のことをやらなきゃいけないといったことが増えることを意味するから、やっぱり、この意味でも、やる気が無くなる。

そもそも、机の上を片づけないといけないと思ったのは、そこにマザーボードなどを置いて、写真を撮ろうとしたからなんで、マザーボードの写真を撮るということのために、机の上を片付ける必要性が生じてしまうわけです。写真を撮ろうと思わなければ、片付ける必要がないわけです。

で、じゃ、マザーボードの写真をとって記事を書くというのは、「意味があることなのだろうか」と思うと、そんなに意味が無いような気もしてくるわです。そういうわけで、どんどん、やる気がなくなっていく。ハードルが、高くなる。行為1をやるためには、行為2をやることが必要だということになると、面倒臭さが、一段とアップするわけです。今回は、行為2までだけど、これが、行為3、行為4となると、もう、「やめた」ということになると思います。

まあ、たしかに、「意味合い」というのが関係しているとは思う。意味合いというのは、自分にとって、それがどれだけ価値があることかという問題です。

僕のやる気の無さは、ちょっと、身体的な側面があるので、そんなには、改善されないのだろうけど、まあ、やる気の無さについて考えてみるいい機会になった。前から書いていることなんだけど、「価値がある」と思うと、どうしても手が出なくなるという問題があります。「有用」「有効」であると判断すると、なんとなく、やる気がそげるのです。

無用なことじゃないと、やる気になれないという病にかかっている

と考えたほうがいいのかもしれない。僕にとって、楽にできることは、楽にできるわけだから。もっとも、身体的に、疲れ果てているときは、無理です。普段なら楽にできることも、できなくなってしまう。身体の問題と、精神の問題は分けて考える必要がある。

●ハードルを下げることと「価値観」の親密な関係

これには、責任感というものもつきまといます。かりに、なにかを作って売るとすると、買った人が、価格に対して有益であったと思うものを作らないとダメだと思うわけです。価格なりの、品質があったかということが問題になるわけですね。自分が買う方の立場なら、まあ、シビアな目で視るわけですけど、自分が売る方の立場に立ったとすると、やはり、なるべく、リーゾナブルで、価値が有るものを売りたいと思うわけです。

ダウンロード製品などは、なんというのかな、まあ、ダウンロードに関わるお金がかかってしまうわけです。まあ、どこの時点でお金がかかるかは、けっこう複雑なので、いいとして、ともかく、本当は、100円で売りたいけど、300円にしなければならないとか、そういうことがあるわけですね。まあ、300円って、なんだよーーって思うかもしれないけど。まあ、値段に関しては、これもまた、いろいろとあるので、いいです。

で、まあ、言いたいことは、自分があの素材を300円で買うか?ということだったりします。いやいや、それが言いたいわけではなかった。まあ、ともかく、言いたいことは、ハードルが上がるということです。ハードルが上がって、やる気がなくなる。それに、お金云々に関しては、初期費用がかかるばあいがあるから、失敗したくないとか、いろいろな事を考えてしまいます。(初期費用が必要でない場合もあります)。

うー、ん、……最後になってまとまらなくなったけど、たしかに、勝手に自分の中で、ハードルを上げてしまうと、やる気がなくなる、というのは、どうも事実らしい、ということです。ハードルは下げないとね。というわけで、どうやって、ハードルを下げるかという問題も生じます。ハードルを下げるのは、価値観が関わることだから、けっこう、むずしいところがあるんじゃないかなと感じています。

価値観といったけど、道徳観と言ってもいいです。ずっとまえから、ハードルを下げなければと思っていたのだけど、けっきょく、下げられなかった。まあ、価値観が関わってしまうところでは、あるいは、他人に影響を与えてしまうところでは、ハードルを下げてしまうわけにはいかない部分があるとは、思います。自分だけに関わっているばあいは、ハードルを下げるのは、案外、楽にできることかもしれません。

●触発されて、記事を書きました

まあ、ここまで、だらだらと思ったことを書いてきたわけですが、今回、この記事を書いたのには、理由があります。というか、あるサイトの記事を読んでいたら、いろいろと書きたくなってきたんですね。で、その記事は以下の記事です。↓

Lifeimprovement 汚部屋の時は「こんなんじゃダメだ。変わりたい」ってずっと思ってた。


さいたま市在住ライフオーガナイザー(うさ脳タイプ) オオノミエコさんが書いた記事です。
本来なら、トラックバックするところなんですけど、Bloggerはトラックバックができないので、コメントを入れておきました。





作者のイメージではありません。サポートガールのみどりです。


やっぱり、僕は、だらだら、片付けようと思う。
お片づけは、終わりなき戦いなのだから~~

いつも読んでくださるかたに感謝しております



人気の投稿

ブログランキング・にほんブログ村へ