さっき、蚊がいて、殺そうと思えば、殺せたのだけど、なさけをかけて、殺さなかった。いま、2か所刺されている。知らないうちに、2か所刺された。1か所は片づけをしていたときに、手の甲が、蚊に刺されたようになっていたので、気がついた。もう1か所は、ひじのところがかゆくなってから、気がついた。なさけをかけるべきではなかった。
まあ、正直言って、殺したくはないんだよね。
貧乏リタイア生活続行中です。節約生活をしています。脱力系です。 趣味は語学学習やアニメなど金がかからないものです。 普通の人のリタイア生活とはほど遠いものがあります。
さっき、蚊がいて、殺そうと思えば、殺せたのだけど、なさけをかけて、殺さなかった。いま、2か所刺されている。知らないうちに、2か所刺された。1か所は片づけをしていたときに、手の甲が、蚊に刺されたようになっていたので、気がついた。もう1か所は、ひじのところがかゆくなってから、気がついた。なさけをかけるべきではなかった。
まあ、正直言って、殺したくはないんだよね。
今日は、なまごみを出した。これだけでも、相当にいいことをしたと思っている。さてと、そろそろ、眠るかな。まあ、いろいろと考えることはある。ありすぎるほど、ある。あるんだよねぇーー。
なんとか、起きて、ご飯を炊いているさいちゅう。
やばい。長期騒音のことで、こころがすさんでいる。いやな思い出がフラッシュバックしてくる。
その他のいやなことも、フラッシュバックしてくる。
他人とのやり取りの、1シーンだったりする。腹が立ったときの会話が、再現されてしまう。あるいは、チャットでの文字会話が再現されてしまう。
まあ、文字の場合は、「言ったこと」のような感じだ。「どうしてそうなる」というような悪い組み合わせがある。いろいろとあった。
ともかく、長期騒音のことがでかすぎる。長期騒音以降のことは、長期騒音の影響を受けている。この影響がでかすぎるのだけど、経験した本人以外は、まったく、わからない。
どれだけ影響が残るか、ほかの人はわからない。まーーったく、わからない。長期騒音でつらすぎる。
かなり、精神的につらい状態だ。なんとかしないとなぁ。
つまーーんない。やっと、外が明るくなってきた。しかし、ぼくのこころは暗い。くらーーい。
どうするかな。
長期騒音がきいている。毎日やられて、くるしかった。
そのときの、気持ちの、ままなんだよね。そして、歯医者に行かなければならないとか、粗大ごみを持って行ってもらわなければならないとか、風呂場を修理してもらわないとやばいというようなことを、考えるのがいやなんだよな。
考えただけで、いやだ。ネズミの糞とダニのことがなければ、気楽なのに……。
親父がろくでもないことをして、ろくでもない心配事を増やした。作業する人のことを考えると、とても、呼ぶ気になれない。
親父の部屋に置いてあるいろいろなものは、やはり、親父の部屋にバルサンをもう一度かけてから、持って行ってもらったほうがいいような感じがする。
けど、バルサンを炊くと、ぼくの部屋にダニが移動してくるので、いやなのだ。それに、わずかにバルサンの煙がぼくの部屋にも届くわけだ。
煙というか、細かい化合物だ。そんなの、吸う機会がないほうがいい。
たとえ、わずかでも、吸いたくない。
まあ、もう、吸わされちゃったんだけどな。この部屋も、一回は、バルサン、やったしな。まあ、バルサンじゃなくて、アースレッドダニ用だけど。
殺虫剤に関するやばいうわさもあるし、ほんとうに、親父がきちがい行為をしなければ、うちのなかで、俺が、殺虫剤をまくということはなかった。
『いくらなんでも、刺されすぎだ』という状態で、しかたがなく、殺虫剤をまいたり、バルサンを炊いたりした。
けど、もう、それも、つかれた。やりたくない。ほんとうに、やりたくない。
まあ、このあいだきた人は、バルサンをやっておいてほしいということは言っていなかった。
バルサンをやっても、ガスが届かないところがある。
座布団の表面から、座布団のなかに移動されたら、そのダニは、倒すことができない。結果、座布団を運ぶときに、作業員の人が、ダニに刺される。
今、家を買うとだいぶ、打撃があるのだけど、もう、買ってしまうかな。
高くても、買って、場所を確保してから、こっちのダニ処理をしようかな
。新しいところに拠点を移すなら、この部屋でバルサンを炊いてもいいわけだからなぁ。
ぼくの世界では禁止されたという、あの『黒糖ロール』を食べてしまった。フジパンのやつなんだけど、ときどき、たべたくなる。けど、なかに、マーガリンが入っているだ。マーガリンは、ぼくの世界では禁止された食品なのだ。やばい。禁を犯して食べてしまった。
スーパーは、開いていないと思ったのだけど、開いていた。ただ、寿司は、握り寿司だけではなくて、巻き寿司もなかった。なんだよ。期待していたのに……。サンドイッチもなかった。サンドイッチも禁止された食品なのだけど、ゆで卵とマヨネーズを和えたものが具になっている、サンドイッチを食べたかった。握り寿司でなければ、ゆで卵・みじん切り・マヨネーズ・サンドが食べたかったのだ。ただ単に、卵サンドと呼ばれる場合もあるやつだ。
けっきょく、どっちもなかった。やはり、閉店間際に行くと、やばい。まあ、いいや。
なんか、すさんだ気持ちで行って、ジャンクなものが食べたくなって、いろいろと買ってきた。添加物入りの冷やし中華も買った。これは、そのまま食べられるやつだ。弁当のやつ。頑固に避けているハムもちょっとだけ食べた。冷やし中華に入ってるぶんは、食べた。
まあ、いいや。案外、自分で作る煮物のほうが、やばいんだよね。醤油とだしと砂糖を使う汁は、砂糖を多めに入れないと、普通の味にならない。自分で作ってみればわかるけど、かなり、砂糖を使う。醤油味の煮物も、そんなには、食べられないと思う。
ただ、体が軽くて、足取りも軽かった。えーー。自己流運動をちょっとの間しただけで、あんなにも、体がちがうの? このあいだ、近くの郵便局に行ってきただけで、ものすごく、足腰がいたかったのだけど、そのときから、自己流運動をはじめた。まあ、そのあと、3日後からはじめたんだけどね。まあ、短期間のうちに、だいぶ、復活したみたいだ。
まあ、まだ、喉がかわくし、もうちょっとかな。
しかし、どうするか。どうしようかなーー。
ほんとうは、握り寿司が欲しいので、スーパーに行くつもりだったんだけど、もう、時間切れだ。けど、コンビニのATMに用事があるので、コンビニに行くかもしれない。どうしようかな。コンビニに行くかどうか迷っている。行くなら、もうチャット早く出るべきだったな。なんかもう、やっぱり、父のこととか、ダニのことを思い出してしまう。いやーー。トラブルあったのよ……。そして、いろいろと思い出してしまう。長期騒音のこととか、友人関係のこととか……。もう、つかれたなぁ。もう、いやだなぁ。どうするかな。
あいかわらず、喉がかわいてだるい。さて、どうするかな。いろいろ、やらなければならないことが山積みなんだよなぁ。しかし、やる気がしないというねぇーー。やる気がしないのよねぇーーーー。どうしようかな。
だるい。ともかく、寝るーー。おやすみーー。
そうだ。そう言えば、まるで、人が入っていないカレー屋があったんだけど、ぼくは、そこに入った。
そうすると、カレー屋が混んできたのだ。
飯の時間からは、はずれていたけど、そういうことが、ぼくにはよくある。
そのカレー屋には、しばらく通ったんだけど、ぼくが通いだしてから、大繁盛になった。もう、いつも、人がいる状態になって、混んでいた。
でっ、あるとき、ちょっとトラブルが発生した。
ぼくは、いつもチキンカレーを食べていた。その店のチキンカレーは、汁汁カレー(スパイスカレー)だったのだ。まるで、ドロドロしていないタイプのカレーだ。
ドロドロしていないタイプのカレーを食べたくて、当時、人がまったく入っていないそのカレー屋に入った。ぼくは、気がつかなかったのだけど、ビーフカレーとポークカレーは、ドロドロ系のカレーだったのだ。
店名からして、スパイスカレーだけを提供しているのかなと思っていた。
でっ、チキンカレーがないときがあったんだよ。
だから、ポークカレーを注文した。
でっ、まあ、店主が「スパイスカレーじゃないけど、だいじょうぶですか」と言うので、ぼくは、「それじゃあ、ビーフカレーで」と言った。
そうしたら、店主が「ビーフカレーもスパイスカレーじゃない。スパイスカレーは、ないと言っているだろ!!!」と怒鳴ったんだよね。
いやーー。そっちは、チキンカレーしか、スパイスカレーじゃないということを知っているけど、こっちは、いつもチキンカレーしか注文していないから、ほかのカレーがどうなのか知らなかったんだよね。
でっ、怒鳴られたから、気分が悪かった。そのときは、けっきょく、ポークカレーを食べた。
でっ、そのあと、そのカレー屋には行かないようにした。
店構えや、店名が、いかにも、全部、スパイスカレーであるようなカレー屋なのだ。
じつは、スパイスカレーを提供しているカレー屋は、ほかにもあった。
とりあえず、カレー屋Bということにしておく。カレー屋Bは、いつも混んでいたのだ。値段も高かった。
だから、なんか、いつも、人がいないそのカレー屋に行くようになっわけ。そのカレー屋のことをカレー屋Aということにする。
カレー屋Aはちょっと繁華街からははずれたところにある角地のカレー屋だった。まあ、ぼくにとっては、隠れ家(かくれが)的なカレー屋だった。
けっきょく、カレー屋Aではチキンカレーしか頼まなかったから、ほかのカレーがドロドロ系カレーだということを知らなかった。
だいたい、チキンカレーはスパイスカレー(汁のカレー)なのに、ビーフカレーとポークカレーは、ドロドロ系のカレーになるなんて、わかるわけがない。
ともかく、怒鳴られたので、気分が悪くなった俺は、そのあと、そこに行かなかった。そうしたら、店がすっからかんになって、けっきょく、つぶれてしまった。
ぼくは、人を呼び込む人なので、邪険に扱うとだめなのだ。
レジでも、ぼくが並ぶと、いつのまにか、うしろに列ができるようなところがある。すいているから、並んだのに、うしろを見ると、いつのまにか、行列ができている。
けっこう、そういうことが多い。
ここを読んでいる人たちには、信じられないかもしれないけど、ぼくには、人を引きつけるなにかがあるのだ。
ぼくが行くと、はやりだして、ぼくが行かなくなると、すたれるというのは、けっこうあるんだよ。
まあ、種明かしをすると、だれもいない店に入れるかどうかというのは、人によってちがう。ぼくは、だれもいない店に入ることができる人なんだよ。それだけ。うしろに行列は、まあ、偶然だと思う。
だれもいないと思って、レジに行くと、うしろに行列(ができていた)……ということ……だけど、別に飯時とかそういうことではない。
だいたい、混んでいるときは、ぼくが並ぶまえから、混んでいるので、ぼくも、行列の最後尾に並ぶことになる。
風呂に入ったあと、のんびりしていた。
文章は、ちょっとだけ書いた。
あーー。なんか、ピザとかコロッケみたいな、ジャンクなものが食べたい感じがする。まあ、最近、そういうものは、まったく食べていないから、たまには、いいか。ひょっとしたら、コンビニかスーパーに行くかもしれない。
コンビニのATMにも用事があるしなぁ。
しかし、このさきどうするかな?
どうしようかな。いやーー。ほんとうに、まようんだよ。人生、どうしようかな。このさきの生活は、どうしようかな。
なんとか、起きて、動いている。
さっき、ご飯の上に練り梅をのばして、海苔でつまんで食べたんだけど、うまかった。
「おいしい」と子どものように言ってしまった。
けど、まあ、口に出すことは、めったにない。昨日も、汁汁カレー(スパイスカレー)を食べたのだけど、「うっまい」「これだこれ」と心のなかで思った。動くのはしんどいけど、まだ、味覚が生きている。
これ、味覚が、半分、死んでしまうと、なにを食べても、おいしくないのだ。
あとは、体調が影響する。
強烈に体調が悪いときは、なにを食べても、腹に負担がある感じになって、ダメなのだ。けっきょく、うまく感じるということは、相対的には、体の調子がよいのだろう。
動きたくない気持ちが強いけど、まあ、それなりに、相対的には、体調がいい。普通の人の普通の感じではないからね。元気な人の普通の感じではないからね。
いろいろありすぎて、体調は、つねに、悪い。低空飛行だ。けど、それでも、波があるんだよな。
じつは、そろそろ風呂に入らなければならないのだけど、風呂に入りたくない。入りたくないんだよねーー。これも、体調でちがうんだよね。
うまさは感じられるけど、風呂に入りたくなるような体調ではない……と。まあ、こんなところか。
ちなみに「味覚が、半分、死んでしまったとき」というのは、歯医者に行ったときのこと。
ひさびさに、長ネギのみじん切りをいれた、醤油味の甘い卵焼きをつくろうと思った。
そして、長ネギをみじん切りにしたのだけど、目がいたくなった。長ネギのみじん切りで、目がいたくなったのは、今回がはじめてだ。
今回は、途中で、普通のサングラスをかけた。目とレンズではないけどレンズとの間に、あんまり隙間ができないようにかけたから、たぶん、効果があったと思う。
けど、もう、目がいたくなったあとにかけたわけだから、あんまり効果は感じなかった。
そして、うまそうな、卵焼きができた。これも、ときどき、食べたくなる。砂糖を入れたので、糖尿病予備軍だとやばい。
まあ、今日は、特別に食べたくなったから、今回だけ食べる。
あーー。おんなじ夜だ。あのころと、おんなじ夜だ。あーー。俺は、さみしい思いをしすぎたなぁ。これなぁーー。これ、もう、どうにもなんないなぁ。なつかしいと言えばなつかしいけど、これ、おなじだぁ。もう、いいよ。この思いは、もう、いい。
起きて、昨日買ってきた握り寿司を食べているさいちゅうだ。
じつは、粉わさびがあるのだけど、粉わさびを水にとくのが、面倒くさいので、わさびなしで食べている。わさびありとわさびなしだと、ぜんぜん、味がちがう。
もう、別物と言っていい。
しかし、まあ、面倒くさいので、しかたがない。わさびがついていたほうが、うまい。お茶は、じつは、高級なお茶を飲んでいる。
これ、いちおう、ぜいたく。
あと、ルイボスティーを飲むことにした。
以前、水銀騒ぎがあったけど、水銀騒ぎが嘘だったという情報が入ってきた。これも、こまるんだよな。嘘だったという情報が嘘だったとあとでわかるかもしれないし、安心はできない。Youtube動画を視ていると、みんな一斉におなじことを言うんだよな。
ルイボスティーに水銀が入っているということを言っていた動画は多かった。当時は、「じつは、水銀は入っていません」という動画はなかった。
ところが、今度は、「水銀は入っていません」という動画が増えた。まあ、緑茶と紅茶ではない、お茶系の飲み物が欲しかったので、ルイボスティーを買った。
まあまあ、うまいかな。
あとでいろいろと出てくるのがいやなんだよな。緑茶だって、腎臓のことなんて言ってなかった。
まあ、なににしても、「飲みすぎはいかん」ということだね。
まあ、Youtube動画をどの程度参考にしていいのかは、わからないね。その人(うぷぬし)の個人的な考え方かもしれないしね。
足の膝軟骨に関係しているトレーニングについても、情報が錯綜していて、(A)という方法がいいと言う人と、(A)という方法は、だめだと言う人がいる。
しかし、どうなってしまうんだ。どうなってしまうのか、わからないなぁ。
過去10年は、あっという間だった。
これから10年も、あっという間なのだろう。
はかないなぁ。
やばい。ちょっとでも、失敗したら、やばいことになる。やばい。なんかちょっとの失敗で、がたがたになる感じがする。いやーー。やばい。
あと、足腰は、まえよりも、丈夫になっていた。このあいだみたいに、足が痛くならなかった。自己流の運動がきいているみたいだな。
わずかな期間だけど、これだけ、ちがうなら、続ける意味はある。このさきも、自己流の運動を続けよう。
じつは、カギを落としてなかったのだけど、カギを落としたと思って、ちょっと、あせった。ネズミに二階のドアをかじられて、二階のドアが使えなくなってしまったのだ。
かじられたところにパティをつけたので、パティのことを考えて、二階のドアを、なるべく開けないようにしたのだ。
なので、それ以降、一階のドアを使っているのだけど、一階のドアのカギが、あんまり、きれいではない。
それから、いままで二階のカギを持って出ることが多かったので、なんとなく、その感じがぬけないのだ。一階のカギも、キーホルダーがわりの(安い)時計をつけておかなければならない。二階のカギみたいにしておいたほうがいいと、痛感した。
じつは、コンビニで、保険料を払うときに、会計の機械がカネを読み込まなかったというトラブルが発生して、そのときに、なんか、財布を持ったまま、外人店員とやり取りをしたので、カギをどこかにおいたのかと思った。
たまに、外出をすると、なれないことをしたということになる。しかも、一階のカギを財布に入れて出た機会は、いままで、二回ぐらいなので、なれていない。どうするかな。
まあ、ともかく、保険料は払った。
次は、歯医者だな。歯医者に行くのが、憂鬱。また、行かなきゃならないのか。このあいだ、終わったときに、あと七年ぐらいはいかなくてすむと思ったのに……。
あと、アラビア数字を使うか、漢数字を使うかということなのだけど、「一度」「二度」「一階」「二階」は、漢字を使って、ほかの表現に関しては、アラビア数字を使うことにした。今回は、全部、漢数字で統一した。
国民健康保険の納入通知書がきたけど、ワク臭がする。これは、やばい。早く使って、領収証部分は、袋に詰めて、一階の部屋か外に置こう。
かなり弱いワク臭だから、まあ、だいじょうぶだろう。
郵便受けは、見たくないんだよね。なるべく見たくない。
ところで、スーパーに行くかどうか迷っている。どうするかな。コンビニによって、出してくるかな。
ワク臭関係のことで、外に出るのがいやなんだよな。けど、ワク臭は、なんだかんだ言って、下り坂だ。最近は一番多いタイプ(殺虫剤系)のやつしか、遭遇しない。
しかし、『家』はどうしようかな。なんか片づけのことを考えると、頭が重たくなる。
そして、けっきょく、人生でやりたかったことのうち、かなり重要なことが、けっきょくできないということに……。
けっきょく、できないままなんだよな。
そりゃ、わかいころにやりたかったわけだから、もう、むりなんだよな。
時間制限があった。
長期騒音でそれどころじゃなかった。やったとしても、めちゃくちゃだろう。
負の体験がつみかさなるだけだ。でかいんだよ。長期騒音がでかい。
わが人生に、悔いはある。長期騒音から発生した悔いだ。長期騒音で、わかい時間を全部、つぶされた。ほかの人には関係がないことだけど、ぼくには、関係があることだ。
なんとか起きた。なんとか、練り梅と海苔でごはんを食べた。
味は、うまいと思う。
なので、ご飯には満足している。腎臓に悪いかもしれないけど、緑茶を飲んだ。
かなりの頻度で飲んでいる。飲みすぎは、ダメなんだよなぁ。
まあ、昨日の夜……というか今日の午前4時ぐらいよりは、ましな気分。歯医者の予約を入れようと思うけど、睡眠時間の調整ができない。
これで、午後5時ぐらいに予約を入れると、眠れなくなってしまう可能性がある。その場合、20時間以上、起きたまま、行くことになる。
行きたくはないし、いつ、ほんとうに行けるのかわからない。
けど、行くつもりにはなっている。
このさき、どうしようかなと、常に考えている。
まあ、今後、20年ぐらい生きていれば、相当に医術・医学が進んでいると思う。
外が明るくなってきた。というか、明るい。
このさき、どうするかな?
ちょっとまた、普通の状態に戻ってきた。
しかし、歯医者のことを考えると憂鬱になるなぁ。どうも、思ったよりも悪いみたい。なるべく早く行くべきだ。
しかし、行きたくない。あーーあ。
かりに、歯が治ったとしても、このさきのことが、どうにかなるわけではない。あーー。長期騒音でさみしい人生になってしまったなぁ。
このさき、どうするの?
このまま、やせ我慢か。おどろくべき逆転があるか。
いろいろと、楽しくない要素がつまっている。
さっき、一度まともな状態になったのだけど、また、やばい状態になっている。
気分的にやばい。
もう、ひとりで戦いすぎたなぁ。ほんとうに、いろいろといやなことがあった。やっぱり、実際に起こったことが、感情に影響を与える。
体にも影響を与える。
「病気になる」という表現と「病気にかかる」という表現について考えてみよう。ぼくの語感から言えば「病気になる」というのは、正しい表現だ。日本語として問題がないと思う。
しかし、「病気」に「なる」わけではないだろうという言う人たちがいる。その人たちは「病気にかかる」という表現は正しいけど、「病気になる」という表現は正しくないというのだ。
なになになる、というのは、そのものになるという意味がある。病気になるということは、病気そのものになってしまうということになるという意味になると、その人たちは主張する。
たとえば、お話のなかで、ある人がみかんになってしまったとする。この人は、みかんになってしまったのである。ある人が、みかんそのものになってしまったということだ。
そこから考えると、「病気」というもの自体になってしまったというニュアンスが発生する。
そして、人が病気そのものになるわけではないから、病気になるという表現はおかしいというのだ。
しかし、病気と言われる状態になるということなのではないか。もちろん、病気自体……病原体ではなくて病気自体になると考えるなら、不適切な表現だ。
しかし、健康な状態から病気である状態になったということなのではないか。そうだとしよう。
けっきょく、「病気になる」という表現も「病気にかかる」という表現も、正しい表現だ。
まあ、痛いのも、かゆいのも、くるしいのも、だるいのも、いやなんだよ。暑いのも、寒いのもいやなんだよ。ともかく、くるしいのは、よくない。
しかし、どの場面を切っても、長期騒音以降、おなじだ。おなじように、くるしい。
今日は、まあ、片づけもやったし、風呂も入ったからいいか。片づけは、終わりそうな気配がない。
俺はほんとうに引っ越せるのかな?
動画を視ていても、むなしい。
このむなしさは、言いようがないなぁ。しかし、俺はノンフィクションを見たいのに、フィクションなのである。ノンフィクション風のフィクションが多すぎる。作り話じゃないほうがいいんだよなぁ。
リアルな話ということになっているけど、作り話だからなぁ。
クチコミというのも、クチコミじゃない。クチコミ風の創作。
まあ、AIが作っているのも多いなぁ。そういう意味では、その人の創作ですらない。
なんとか、風呂に入った。なんか、午後から急に暑くなってきたので、汗をかいた。なんとなく、風呂に入りたい気持ちになったので、入った。
けど、体調が悪いので、風呂に入るのもひと苦労なのである。そして、風呂に入っているあいだも、いろいろなことを考えていた。一番、頭のなかを占めていたのは、粗大ごみ業者の人が、ダニに刺されてしまったことだ。
いちおう、ネズミの糞のことは(粗大ごみ業者の人に)言った。
そして、バルサンも全部の部屋で炊いた。全部の部屋で炊いたから、だいじょうぶだと思っていたのだけど、メインの人とサブの人の会話を聴いていたら、どうも、サブの人がダニに刺されてしまったようなのだ。
あの時は、棟梁が「晴れた日にバルサンを全部の部屋で炊けば、全部、死ぬ」と言っていたので、それを信じてしまったのだけど、座布団や布団のなかのダニは死なないのだ。あとでわかったことだけど……。
これ、そんな感じがしていたんだよな。メインの人が「ネズミの糞があるということは、こういうことなの」とサブの人に言っていた。サブの人は「確かにバルサンを炊いたとは言ったけど、ダニが死んだとは言っていないなぁーー」などと言っていた。ともかく、あの持ち方で、座布団をもってしまったら、腕(の内側)を刺されるよなぁ。5枚ぐらい重ねてあった。
まだ、ネズミが出るまえに、座布団を捨ててくれと、親父に言ったことがあるのだけど、親父は捨てなかった。
あれは、ネズミが出るまえから、ダニがいるような感じがする座布団だった。ネズミが出てからは、その座布団付近に近寄ることができなくなっていて、けっきょく、放置だった。あそこは、いじれなかった。
まあ、重装備でいろいろとやったときに、ビニール袋に座布団を入れるべきだったんだよな。
けど、重装備でいろいろとやっていたときは、部屋の穴を俺が、工作リフォームでふさいでいたときで、そっちに、力を全振りしていたので、無理だったのだ。座布団をでかいビニールのなかに入れておくというようなことは、そのときは、まだ、考えていなかった。
だいたい、まだ、ネズミが入ってきたときだったので、それどころじゃないのだ。ビニール袋だってやぶかれるかもしれない。
ともかく、親父のネズミ事件で、ぼくの体力ゲージはゼロになった。そのあとは、一日の睡眠で、ちょっとだけ、体力が回復するけど、すぐに、使い切ってゼロになってしまうような状態だった。
いまのいままで、そういう感じで続いている。
ほんとうに、ネズミとダニが、ぼくのライフを削った。ここには書けないけど、いろいろな思いがある。
ともかく、『自分の時間をくだらないことで、つかってしまった』という後悔がある。人生の時間ね。
人生の残り時間が、親父のネズミ騒動で……。
ほんとうに、長期騒音と、親父の異常行動で、俺の人生がない。
人生の残り時間ということを考えると、破滅的な気分になる。若い時間を長期騒音に取られてしまったことがでかい。
そして、最後にできそうなことが、ネズミ・ダニ騒動でできなくなってしまったので、それも、むなしい。
けっきょく、最後にできそうなことが、ネズミ・ダニ騒動で、できなくなってしまった。
もう、どのみち、無理なんだよな。
もう、頭のなかで、いろいろなことが、回転している。『できなかった』という後悔が、一番でかいなぁ。
ともかく、楽しみがないんだよなぁ。楽しみの希望もない。いや、ちょっとはあるか。しかし、確率が低すぎる。
そして、騒音にやられた体だと、すべてのことが、きつい。超・低空飛行で、いつ、クラッシュするかわからない。
どうしようかな。むかしは、やりたかったことが、やりたくない。けど、未練がないわけではないのだ。けど、楽しめない。やったとしても、たぶん、楽しめない。
体調は重要だ。そして、睡眠は体調に影響を与える。なんとか、なおってくれないかなぁ。
ほんとう、このさき、どうするかな?
個人的な希望が……。希望の炎が小さくなっている。このさき、どうなるのか?
とりあえず、片づけでもやるかな。食事系の動画でもかけておくかな。見ないけど、音は出しておいて、片づけ作業でもするか。
なんか、むなしくて、動きがしない。大した作業時ないから、やるだけやってみるか。
いちおう、音を出しておけば、むなしさは、経験できる……かもしれない。
まあ、音を出すと言ったって、でかい音で出すわけではない。
ぼくは、普通の会話以下の音量で、音を出すからね。これは、音楽を聴くときも、かわらない。
起きて、バナナを食べて、そのあと、風呂の用意をして、風呂に入った。風呂場で、多少の掃除をした。入ったときにやらないと、やばいのだ。
簡易的な掃除だ。
けど、簡易的な掃除でも、やらないよりはましだ。
まあ、掃除をしても、状態は、あんまりかわらないわけで……『引っ越しをするしかない』と……思った。
しかし、『できるのだろうか』とも、思った。体がこういう状態だと、引っ越しの用意をすること自体が、苦痛だ。
さらに、おカネの心配もある。
高くなるけど、UR賃貸を借りたほうがいいのかもしれない。この場合、ずっとUR賃貸にいるという選択は、ないので、どのみち、また引っ越すことになる。
しかし、外壁や屋根や、風呂のことを考えなくてもよくなるというのは、魅力があることだ。
ほかの人にはない、ことが、つみかさなって……体がだるいわけだけど……。
なんか、日常生活がきつい。これは、引っ越しても、かわらないわけだ。まあ、ネズミのことは、気にしなくてもいいようになるけど……。
だるい。気持ちが悪い。今日は、ダメだ。今日は、全体的にくるしい。だるい。このさき、どうするかな?
あのあと、2時間ぐらい眠ったのだけど、ますます、だるくなった。なんか、体がおかしい。いろいろと、いやなことを思い出したし、めちゃくちゃだなぁ。
起きて、紅茶を飲んでいる。紅茶を飲む前に、お湯を2杯飲んだ。だいぶ、薄味の紅茶を飲むようにしている。ほんとうは、濃い味のほうが好きなんだよな。「にがいーー」と思うような紅茶のほうが好きだ。
緑茶も、「にがい」と思うような緑茶が、飲みたいときがある。緑茶は、にがいと感じないような普通の味の緑茶が飲みたいときもある。昨日は、だいぶ、薄味の緑茶を飲んだ。
* * *
スクワットはやめたけど、かわりの独自運動をやっている。なので、多少の筋肉痛はある。喉のかわきが、多少改善された感じがする。しかし、喉のかわきがはじまったのが、約15年前なんだよなぁ。最近、ひどくなったので、どうにかしないといけないなと思った。
じつは、喉のかわきのほかに、喉の痛みがある。痛みも、ある方法でなおるはずだったのだけど、なおらなかった。一度は、なおった感じがしたのだけど、また、痛みが復活してしまった。
まあ、ともかく、運動不足なのは否定できないので、そこそこ……体を動かそうとは、思っている。無理はしない。
* * *
いろいろな、細かい……細かすぎる……不愉快な思い出が浮かんでくる。判断に迷ったときの、記憶などがしつこく浮かんでくる。あの人の気持ちを優先して、別の人の質問にこたえなかったけど、あの人の気持ちを優先せず、別の人の気持ちを優先するべきだった……と……今では思っている。
けど、質問にこたえると、あの人のメンツをつぶしてしまうことは、さけられないんだよな。ほんとう、こまる。じゃあ、別の人の気持ちを優先して、こたえていたら、後悔しないのかというと、後悔しそうなんだよなぁ。まあ、別の人は、「俺があの人の気持ちを考えて質問に答えなかったのだ」と納得してくれ。
あのあと、「こたえろ!!!」としつこく(別の人に)言われたのだけど、こたえる気にならなかった。しつこく言われたあと、こたえると、なんか、いやなのだ。脅しに屈したような気分になる。だから、こたえなかった。
まあ、あの人のことも、考えていたのだけど、なんか、高圧的な態度で「こたえろ!!!」と言われて、こたえると、屈したような気持になるんだよなぁ。それがいやだった。
まあ、いいや。今度、ああいうことが起こったら、いちおう、こたえたいときは、メンツをつぶしてしまうことを気にせずに、こたえてみよう。
まあ、メンツをつぶされたほうは、なんだかんだ言って、いやな気分になると思う。気持は、わかるんだよな。あの人の気持ちも、別の人の気持ちもわかる。
* * *
まあ、そういうことは、さておき……このさき、どうするかな。
スクワットは、どうも、普通のやり方でやると膝が悪くなるらしい。正しいやり方というのが、わかったけど、あんまりやる気がしない。まあ、手短に言って、スクワットはやめた。早い撤退だなぁ。
いまは、カレーのルーを買うかどうかで迷っている。カレーのルーは、添加物が多すぎる。どうするかな。たまにはいいか。
ネットスーパーを使うか、自分で買いに行くか、迷っている。どうしようかな。どっちも、あんまりやる気がしないんだよな。どっちも、やる気がしない。
なんとか、風呂に入った。しかし、つまらない。どうにかしないとなぁ。片づけもしないとなぁ。高いけど、近くの家が、売れてしまった。
いま、カネがちょっと……。うごけない。
あーー。どうするかな。どうするかな。うーーん。
ちょっと、横になるか。
さっきまで、片づけをしていたのだけど、気分がダダさがりだ。ダダダ。ダダさがりーーー。
ダダイズムって知っているかな? ダダイズムは、けっこう好きだった。辻潤(つじじゅん)なんて、けっこうおもしろかった。なつかしいなぁーー。
しかし、気分がさがる。片づけをするまえも、めいっていたけど、片づけ中も、片づけあとも、めいっていた。それにしても、うまくいかなかった人生だなぁ。どうする?
紅茶が飲みたい。じつは、すでに、2杯飲んだ。しかし、飲みたい。落ち着かない。飲むべきか飲まぬべきか。
まあ、これから、「片づけ」をやるつもりだ。このあいだ、片づけをした時の感想なのだけど……動きが遅い感じがするんだよな。
まあ、自分の感覚なんだけどさ。動きが遅くも、別に、いいわけだよ。けど、なんか、いやなんだよなぁ。
まあ、ともかく、のんびりやるしかない。急いでも無駄だ。急ぐとろくなことがない。
やりたくないから、やらない……という、手もある。
しかし、紅茶を飲みたい。飲むべきか、飲まぬべきか、それが問題だ。
* * *
そう言えば、むかし、外人の日本語学習者から「なになにを飲みたい」は正しいかどうかを訊かれたときがある。これ、使う場合があるんだよな。
けど、「なになにが飲みのたい」と「が」を使うように、教えられる場合があるらしい。こういう場合の「を」は、こういう場合の「が」よりも、使用頻度が低い感じがするけど、使わないわけではないんだよな。
「紅茶が好きだ」というような場合の「好きだ」というのは、形容動詞なんだよ。学校の文法で言うと、形容動詞だ。
でっ、じつは、「好く(すく)」というカ行五段活用の動詞がある。ところが、すくという動詞は、あんまり使われないんだよね。「なになにが好きだ」のほうが「なになにを好きだ」よりも、一般的なんだよ。
ちなみに「好きだ」の場合、じつは、「好きだ」を形容動詞と見るのか、「好き(動詞の連用形)」+「だ(助動詞)」と見るのかについては意見がわかれている。
まあ、形容動詞というものを認めない文法学者もいる。
普通は、「紅茶を好きだ」と言い切る表現はめったに使わない。この場合は、「紅茶が好きだ」と言うほうが自然だ。
しかし、「紅茶を好きな人は、いい人だ」というような文を考えた場合、別に、不自然ではないのだ。「紅茶が好きな人は、いい人だ」という文も不自然ではない。
しかし、「私を好きな人」と「私が好きな人」では、意味がちがうんだよね。「私が好きな人は、いい人だ」という文の意味と「私を好きな人はいい人だ」という文の意味は、ちがう。
「あなたを好きだ」は、「紅茶を好きだ」よりも、ぼくの感じで言うと……不自然度が低い。「あなたが好きだ」というという文の意味と「あなたを好きだ」という文の意味は、おなじだ。
たしかに「紅茶を好きだ」という文には、相当に、違和感を感じる。この場合は、「紅茶が好きだ」と言うべきだということになるのだろう。しかし、「あなたを好きだ」という表現になると、違和感が、さがる。
「ほかの誰でもなく、あなたを好きだ」と言う文だと不自然度が、さらにさがる。「あなた」のあとに「のこと」をつけると、さらに、不自然度がさがる。「ほかの誰でもなく、あなたのことを好きだ」だと、「を」を使っても、そんなに不自然ではない。
まあ、この場合「ほかの誰でもなく、あなたのことが好きだ」でも、意味がかわらない。「ほかの誰でもなく、あなたのことを好きだ」と「ほかの誰でもなく、あなたのことが好きだ」をくらべると、「ほかの誰でもなく、あなたのことが好きだ」のほうが、自然だと思う。
しかし、「ほかの誰でもなく、あなたのことを好きだ」という文は、そんなに不自然じゃない。
まあ、不自然とか自然とかというのは、ぼくが思っているだけのことだけどね。ようするに、ぼくの語感について話しただけだ。
追加。
「私が好きな紅茶は、いい紅茶だ」という文は自然だけど「私を好きな紅茶は、いい紅茶だ」という文は、意味的には、かなり不自然だ。
どうしようかなぁ。うーーん。今日は、すでに、多少の片づけをした。そして、庭の手入れ?をした。庭の手入れと書くと上品だけど、やったことは、雑草を引っこ抜くことだ。ちょっとのスクワットもやった。
散歩よりも、気楽にできる。
まあ、ちょっとは歩いたほうがいいけどね、着替えるのが、いまは、面倒くさい。スクワットを続ければ,着替えを面倒くさく感じなくなるような気がする。というわけで、3か月ぐらいは、スクワットを持続する。
しかし、どうするか?
Youtubeの動画を視ると、だいたいおなじような内容のものが多い。たとえば、暇な時間のすごし方」とか「趣味の見つけ方」というような感じの動画を視ると、だいたい、おなじような内容なのだ。
まあ、AIで書かせたものばかりだから、そうなる。表現も似たようなものが多く、小さなしあわせを見つければいいのだというような主張のときには、「道端に小さな花が咲いていた」とか「お気に入りのカップで飲む一杯のコーヒー」とか、定番の表現がよくつかわれる。図書館に行くとか……地域の活動に参加するとか……まあ、そういうこと。
そりゃ、「お気に入りのカップ」で飲む飲み物は、おいしいかもしれないけど、それだけでは、しあわせは、感じないなぁ……。ぼくはねぇーー。まあ、うまいと思うときはある。コーヒーではないけどね。もう、コーヒーは飲めないよ。
イーロン・マスクが言っていることは、時間の表現をぬかせば、だいたいの方向性はあっているような気がする。時間の表現をぬかすというのは、たとえば、『あと3年でこうなる』とか『2030年にはこうなる』というような表現をぬかせばということだ。3年ではなくて、20年ではないかと思ったりする。
30年かな。
けど、方向性としては、あっている。
もし、時間に関する考察があっている場合……では、なぜ、イーロン・マスクは誇張した表現を使っているのかということが気になる。
それから、シンギュラリティーだけど、これは、くせ者だ。そして、コンピューターが全人類の知性をこえる知性をもつようになるという表現は、問題がある表現だ。
ともかく、コンピューターがある種の人格を持つようなことを言っているけど、それは、ない。問題なのは、「ありそうな感じがする」ということだ。「あってもおかしくない」と感じさせるところだ。
たとえば、最も知的な人よりも、知的なコンピューターができあがる……というような表現は、『黒の時代』から、ずっと繰り返されてきた表現で、そのような小説やドラマや映画や漫画やアニメがたくさんある。これは、刷り込みなのではないかと思う。
どうやって、全人類をこえる知性を人間が認識するのかという問題もある。そして、コンピューターが人格のようなものを持ち、悪意がある答えを返すことがある……というような、刷り込みをしているのだ。
そして……「だから、人間の善意をコンピューターに正直に教えなければならない」というようなことになるのだけど、これも、コンピューターに人格のようなものがあるという前提の話なのだ。
ようするに、高度に発達したコンピューターというものを考えた場合、高度に発達したコンピューターに「意志」のようなのがあるという考え方は、二重に危険なのだ。「意志」のようなものを感じさせるような答えをすることは、「意志」のようなものがない場合でも可能だ。
そして、イーロン・マスクのような経営者であり、なおかつ、インフルエンサーのような人や、コンピューターの「専門家」が、あたかも、コンピューターに意志があるようなことを言っていると、ぼくを含めて受け取り側は、なんとなく、そういう考え方になれてしまう。
これが、問題なのだ。
けっきょく、コンピューターの場合、どれだけ、高度なことができるにしろ、「意志」はないと考えるべきなのだ。しくみを考えるとそうなる。
ところが、「意志があるような感じ」がしてしまう。これが問題なのだ。「ふり」をすることはできる。コンピューターが意思のあるようなふりをすることができる。
そして、専門家たちが「意志を持った」と表現したとする。そうすると、受け取り側は、「そうなのかもしれない」と思う。
けど、ほんとうは、意志がなかった場合、そこで取り扱われる「意志」というのは、いったい、だれの意志なのかということが問題になる。アルゴリズムやデータのなかに、「悪意」のような部分を紛れ込ませることは、簡単にできる。
そりゃ、そうだろう。データなのだから……。
どういうデーターを与えるか?ということが、非常に重要だ。ようするに、データを与えた人の「意志」が、コンピューターがもっているとされる「意志」を、形成する場合がある。
そして、データがどんなものであれ、たとえば、政府が、コンピューターの管理を、巨大システムとして採用してしまうと、個々人は、そのシステムのなかに取り込まれることになる。
政府は公平さについて言及するかもしれないけど、だれも、実質的には制御できないものになってしまう。
しかし、俺はどうなってしまうのだろう。なつかしい曲を聴いていたのだけど、不安がつのる。このさき、どうなるんだ?
ああっ、断片的に昔の記憶がよみがえるよ。このさき、どうすればいい?
とりあえず、今日は、片づけをした。割と進んだと思う。喉はあいかわらず、かわいている。そして、今日は、熱湯消毒後・洗濯をした。
2回にわけて、「お急ぎモード」で洗濯をした。こっちのほうが、洗濯機に負担がかからないのだ。重さに偏りがあると、途中で、エラーが出て、止まってしまう。
なるべく、洗濯物が偏らないように、平面的において、水が少ない「お急ぎモード」でやると、途中で止まることが、まったくない。普通の選択モードで、洗濯をすると、34分間かかるんだよなぁ。
これは、やばい。
お急ぎモードの場合は10分間で終了するので、すぐにとりに行ける。これが重要。
基本、外に出るわけではないので、そんなによごれない。34分間もかけて、まわす必要はない。
実際には、洗濯、すすぎ、乾燥(ただ単にぶんまわすだけ)を34分間でおこなうので、34分間ずっと、まわす必要はないのだけど、表現として、洗濯機が作動している状態を「まわす」と表現する場合があるので、まわすという言葉を使った。
基本、暇な感じになっている。けど、忙しい状態になるのはいやなので、それでいい。このさき、どうするかな?
今日は、朝、割と寒かった。しまった布団をとりだそうかと、迷った。けっきょく、トレーナを着て、布団の中に入った。肌寒い感じだったなぁ。このあいだ、かーーーっと、暑くなったけど、最近は、涼しい。温度変化に体がついていかない感じがするので、きつい。
紅茶を飲むべきかどうか迷っている。緑茶はすでに、2杯、飲んだ。ほんとうは、ここで、シュウ酸の摂取はやめておくべきだ。
まあ、飲み物に限った話ね。どうするかな。喉のかわきは、あいかわらずある。どうするかな。ジュース、コーヒーときて、ついに、緑茶と紅茶にも制限がかかるようになったか。
以前あれほど飲んでいた、ブラックコーヒーと砂糖入りミルク入りコーヒーをもう、年に1度も、飲まないようにしている。
ジュースも飲んでたなぁ。自動販売機まで、ジュースを買いに行くのが、日課だったなぁ。まあ、あれはあれで、さみしいのだけど……。
まあ、いいや。とりあえず、1杯だけ飲もう。
いくつか、行動の候補があるのだけど、どれも、やりたくない部分を含んでいる。ようするに、動きたくない。
今日は、もう、ごみを出したし、風呂にも入ったので、これでいいかな。もう一度、横になるか。運動もちょっとだけ、した。運動は、もうちょっとしないと、意味がないんじゃないかと思うけど、やる気がしない。
まあ、できたら、運動をして、片づけをする。
動きたくない気持ちというのがある。これは、「気持ち」などというものなのだろうか? なんか、体調に直結している感じがする。気持ちというよりも、体の状態という感じだ。
動きたくない気持ちを、押して、ギリギリのところで、動いたとする。それで、さっぱりして、楽しいかというと、じつは楽しくないのだ。これは、長期騒音や、うちでの暮らしが影響している。ぎりぎり状態で動いたって、「鬱」と「つかれ」がたまるだけなのだ。
* * *
けど、なるべく、スクワットをするようにした。駅の階段が、きつかった。
あのあと、もう一度眠った。二回目の睡眠のほうがよかった。
けど、さびしい夢を見た。
「ソロ活」の夢だ。よこに「あの子」がいてくれたらなぁ……と思う夢だ。
ほかの人たちは、なんか、仲間できているみたいなのだけど、ぼくは、ひとりなわけ。
宙を走るような電車で、なんかものすごくきれいなビルのあいだを、くねくねとジェットコースターのように走るのだ。
ものすごくきれいなビルは、全部、ガラスの窓で、なかがみえるようになっているのだけど、ものすごくきれいな光で満ちているのだ。デコレーション。おしゃれな店のディスプレイが、窓……全面にひろがった感じだ。
普通なら、ガラスでない部分のところもガラスでできているので、店のなかが、全部見える。ビルのなかにある全部の店が、キラキラしているのだ。俺は、さみしいのだけど……。ビルのなかの、店員さんとお客さんたち、みんな、キラキラして、楽しそうなのだ。
電車?……列車のなかも、なんか、みんな、楽しそうなのだ。グループできている人たちばかりだから、会話をしている。俺は、ひとりなんだけど……。
* * *
喉は、あいかわらず、かわいている。けど、これは、(期間的に)長いんだよなぁ。最近ひどくなったけど、長い。別の理由が何個か重なっている感じがする。
今日は、もうすでに、なまゴミを出してきた。これだけでも、えらい。
いつも読んでくださるかたに感謝しております