2026年6月7日日曜日

2026/06/07 12:45

紅茶が飲みたい。じつは、すでに、2杯飲んだ。しかし、飲みたい。落ち着かない。飲むべきか飲まぬべきか。

まあ、これから、「片づけ」をやるつもりだ。このあいだ、片づけをした時の感想なのだけど……動きが遅い感じがするんだよな。

まあ、自分の感覚なんだけどさ。動きが遅くも、別に、いいわけだよ。けど、なんか、いやなんだよなぁ。

まあ、ともかく、のんびりやるしかない。急いでも無駄だ。急ぐとろくなことがない。

やりたくないから、やらない……という、手もある。

しかし、紅茶を飲みたい。飲むべきか、飲まぬべきか、それが問題だ。 

*     *     *

そう言えば、むかし、外人の日本語学習者から「なになにを飲みたい」は正しいかどうかを訊かれたときがある。これ、使う場合があるんだよな。

けど、「なになにが飲みのたい」と「が」を使うように、教えられる場合があるらしい。こういう場合の「を」は、こういう場合の「が」よりも、使用頻度が低い感じがするけど、使わないわけではないんだよな。

「紅茶が好きだ」というような場合の「好きだ」というのは、形容動詞なんだよ。学校の文法で言うと、形容動詞だ。

でっ、じつは、「好く(すく)」というカ行五段活用の動詞がある。ところが、すくという動詞は、あんまり使われないんだよね。「なになにが好きだ」のほうが「なになにを好きだ」よりも、一般的なんだよ。

ちなみに「好きだ」の場合、じつは、「好きだ」を形容動詞と見るのか、「好き(動詞の連用形)」+「だ(助動詞)」と見るのかについては意見がわかれている。

まあ、形容動詞というものを認めない文法学者もいる。

普通は、「紅茶を好きだ」と言い切る表現はめったに使わない。この場合は、「紅茶が好きだ」と言うほうが自然だ。

しかし、「紅茶を好きな人は、いい人だ」というような文を考えた場合、別に、不自然ではないのだ。「紅茶が好きな人は、いい人だ」という文も不自然ではない。

しかし、「私を好きな人」と「私が好きな人」では、意味がちがうんだよね。「私が好きな人は、いい人だ」という文の意味と「私を好きな人はいい人だ」という文の意味は、ちがう。

「あなたを好きだ」は、「紅茶を好きだ」よりも、ぼくの感じで言うと……不自然度が低い。「あなたが好きだ」というという文の意味と「あなたを好きだ」という文の意味は、おなじだ。

たしかに「紅茶を好きだ」という文には、相当に、違和感を感じる。この場合は、「紅茶が好きだ」と言うべきだということになるのだろう。しかし、「あなたを好きだ」という表現になると、違和感が、さがる。

「ほかの誰でもなく、あなたを好きだ」と言う文だと不自然度が、さらにさがる。「あなた」のあとに「のこと」をつけると、さらに、不自然度がさがる。「ほかの誰でもなく、あなたのことを好きだ」だと、「を」を使っても、そんなに不自然ではない。

まあ、この場合「ほかの誰でもなく、あなたのことが好きだ」でも、意味がかわらない。「ほかの誰でもなく、あなたのことを好きだ」と「ほかの誰でもなく、あなたのことが好きだ」をくらべると、「ほかの誰でもなく、あなたのことが好きだ」のほうが、自然だと思う。

しかし、「ほかの誰でもなく、あなたのことを好きだ」という文は、そんなに不自然じゃない。

まあ、不自然とか自然とかというのは、ぼくが思っているだけのことだけどね。ようするに、ぼくの語感について話しただけだ。

いつも読んでくださるかたに感謝しております



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