さっきまで、片づけをしていたのだけど、気分がダダさがりだ。ダダダ。ダダさがりーーー。
ダダイズムって知っているかな? ダダイズムは、けっこう好きだった。辻潤(つじじゅん)なんて、けっこうおもしろかった。なつかしいなぁーー。
しかし、気分がさがる。片づけをするまえも、めいっていたけど、片づけ中も、片づけあとも、めいっていた。それにしても、うまくいかなかった人生だなぁ。どうする?
貧乏リタイア生活続行中です。節約生活をしています。脱力系です。 趣味は語学学習やアニメなど金がかからないものです。 普通の人のリタイア生活とはほど遠いものがあります。
さっきまで、片づけをしていたのだけど、気分がダダさがりだ。ダダダ。ダダさがりーーー。
ダダイズムって知っているかな? ダダイズムは、けっこう好きだった。辻潤(つじじゅん)なんて、けっこうおもしろかった。なつかしいなぁーー。
しかし、気分がさがる。片づけをするまえも、めいっていたけど、片づけ中も、片づけあとも、めいっていた。それにしても、うまくいかなかった人生だなぁ。どうする?
紅茶が飲みたい。じつは、すでに、2杯飲んだ。しかし、飲みたい。落ち着かない。飲むべきか飲まぬべきか。
まあ、これから、「片づけ」をやるつもりだ。このあいだ、片づけをした時の感想なのだけど……動きが遅い感じがするんだよな。
まあ、自分の感覚なんだけどさ。動きが遅くも、別に、いいわけだよ。けど、なんか、いやなんだよなぁ。
まあ、ともかく、のんびりやるしかない。急いでも無駄だ。急ぐとろくなことがない。
やりたくないから、やらない……という、手もある。
しかし、紅茶を飲みたい。飲むべきか、飲まぬべきか、それが問題だ。
* * *
そう言えば、むかし、外人の日本語学習者から「なになにを飲みたい」は正しいかどうかを訊かれたときがある。これ、使う場合があるんだよな。
けど、「なになにが飲みのたい」と「が」を使うように、教えられる場合があるらしい。こういう場合の「を」は、こういう場合の「が」よりも、使用頻度が低い感じがするけど、使わないわけではないんだよな。
「紅茶が好きだ」というような場合の「好きだ」というのは、形容動詞なんだよ。学校の文法で言うと、形容動詞だ。
でっ、じつは、「好く(すく)」というカ行五段活用の動詞がある。ところが、すくという動詞は、あんまり使われないんだよね。「なになにが好きだ」のほうが「なになにを好きだ」よりも、一般的なんだよ。
ちなみに「好きだ」の場合、じつは、「好きだ」を形容動詞と見るのか、「好き(動詞の連用形)」+「だ(助動詞)」と見るのかについては意見がわかれている。
まあ、形容動詞というものを認めない文法学者もいる。
普通は、「紅茶を好きだ」と言い切る表現はめったに使わない。この場合は、「紅茶が好きだ」と言うほうが自然だ。
しかし、「紅茶を好きな人は、いい人だ」というような文を考えた場合、別に、不自然ではないのだ。「紅茶が好きな人は、いい人だ」という文も不自然ではない。
しかし、「私を好きな人」と「私が好きな人」では、意味がちがうんだよね。「私が好きな人は、いい人だ」という文の意味と「私を好きな人はいい人だ」という文の意味は、ちがう。
「あなたを好きだ」は、「紅茶を好きだ」よりも、ぼくの感じで言うと……不自然度が低い。「あなたが好きだ」というという文の意味と「あなたを好きだ」という文の意味は、おなじだ。
たしかに「紅茶を好きだ」という文には、相当に、違和感を感じる。この場合は、「紅茶が好きだ」と言うべきだということになるのだろう。しかし、「あなたを好きだ」という表現になると、違和感が、さがる。
「ほかの誰でもなく、あなたを好きだ」と言う文だと不自然度が、さらにさがる。「あなた」のあとに「のこと」をつけると、さらに、不自然度がさがる。「ほかの誰でもなく、あなたのことを好きだ」だと、「を」を使っても、そんなに不自然ではない。
まあ、この場合「ほかの誰でもなく、あなたのことが好きだ」でも、意味がかわらない。「ほかの誰でもなく、あなたのことを好きだ」と「ほかの誰でもなく、あなたのことが好きだ」をくらべると、「ほかの誰でもなく、あなたのことが好きだ」のほうが、自然だと思う。
しかし、「ほかの誰でもなく、あなたのことを好きだ」という文は、そんなに不自然じゃない。
まあ、不自然とか自然とかというのは、ぼくが思っているだけのことだけどね。ようするに、ぼくの語感について話しただけだ。
いつも読んでくださるかたに感謝しております