2026年9月10日木曜日

2026/09/10 13:25

今日は、とりあえず、なまごみを捨てることができたので、よしとする。なまごみを捨てないと、やばいのだ。ネズミ関係のことで、なまごみを放置することはできない。なまごみを捨てることは、重要なタスクだ。もう、やったので、いいや。今日は、なまごみを捨てただけで、もう、いい。

あとは、風呂に入るかもしれない。掃除をするかもしれない。まあ、風呂に入ったら、相当に進んだということになる。けど、なまごみを出すのも、風呂に入るのも、けっきょく、現状維持行為なんだよな。現状維持の先に、行けない。

現状維持行為をしないと、さがっていくという問題がある。その場にとどまれるのではなくて、悪い方向に動いしてしまう。これが問題なんだよな。動く道路ということを考えると、ダメになるほうに、常に、道路が動いている。道路の上にそのまま、とどまると、けっきょく、ダメになる方向に動いしてしまう。これが、問題なんだよ。目的地に近づく「動く道路」ではなくて、目的地から遠ざかる「動く道路」なんだよね。その「負の動く道路」のうえで、目的地のほうに、歩かなければならない。動く道路の速度と、同じ速度で、まえに進まないと、現状維持ができない。これが問題だ。

それに、せっかく、熱闘処理後洗濯をしたのに、部屋干ししたら、ひとつの室内用ズボンがくさくなった。これは、もう、捨てるしかない。洗って、日光が当たるように干せば大丈夫かもしれないし、漂白剤を使えば、それでいいのかもしれない。けど、どっちもだめだ。日光が当たるように干したことがあるけど、においが残った。それから、漂白剤は持っていないし、室内用ズボンには色がついているので、あんまり使いたくない。そもそも、漂白剤は持っていない。その他、殺菌系の液体につけるということが考えられるけど、それも、したくない。けっきょく、おなじ室内用ズボンを買おうかなと思っている。いまは、そうだ。

ようするに、まえに進むつもりで、やったのに、結果的にうしろにさがってしまうことがあるのだ。まあ、洗濯に関しても、現状維持であるわけで、もっと進むことにはならない。現状維持の先に進めるわけではない。

最近、すずしくなったので、室内用ズボンが必要になったのだ。温度調整がむずかしい。厚手の室内用ズボンと、薄手の室内用ズボンをもっている。厚手の室内用ズボンだと、暑いのだ。

ともかく、現状維持ですら、けっこう、むずかしい。うしろにさがってしまう。

あとは、約20日後に、歯医者に行けるかどうか、わからない。たぶん、行けると思うけど、自信はない。昨日も、夜、睡眠のことでおかしくなった。今日も、ごみ捨ての時間に間に合ったけど、ほんとうは、動きたくない時間に起きて、動いた。

夜は、おかしい気分になることがある。おかしい気分になることが多い。ものすごく、不安になる。ぼくの状況を考えると、それも、うなずける。そりゃ、いままでの生活が生活だから、不安になってもしかたがない。長期騒音で、人間関係が、全部、きれちゃったからなぁ。

 

2026/09/10 11:28

前提の部分に間違いがある人に、「前提の部分に間違いがある」ということを、言いにくいんだよな。ものすごく、指摘しにくい。これが、いやなんだよな。

たとえば、中国女店員に「前提の部分に間違いがある」ということを言いにくい。

たとえば、だいじょうぶ店員に「前提の部分に間違いがある」ということを言いにくい。

中国女店員に「店で食べるものと、持ち帰るものを、注文されたら、一緒に出すようにするべきだと思っているみたいだけど、店で食べるものを先に出すべきだ」とは言いにくいのだ。「両方とも一緒に出すべきだ」という前提に間違いがあるのである。けど、これを実際に指摘された、中国女店員は、しゃがみこんで、両手で頭を抱えて「あの人きちがい、あの人きちがい、あの人きちがい」と絶叫してしまったんだからな。俺が指摘したわけではないくて、だいじょうぶ店員が指摘したわけだけどね。

だいじょうぶ店員に「あなたは、自分が店で食べるものと、持ち帰るものを、注文されたら、店で食べるものを先に持って行くべきだと思っているけど、そう思っていない店員がいる」ということを指摘するのは、いやなことなんだよ。そういうふうに言われたら、だいじょうぶ店員は「だれが、そうした」ということを訊きだそうとするだろう。中国女店員はわかっていないと言えば、中国女店員からすれば、自分がいないときに、告げ口をされたような気分になるだろう。だいたい、ほかの客もいるのだから、「前提の部分に間違いがある」という、割と時間がかかる話をし始めるのは、ちょっと、気が引ける。

まあ、あれに関しては、中国女店員には、かならず、「店で食べるものを先にもってきてください」と言って、だいじょうぶ店員には、どれだけ不安な場合でも、「店で食べるものを先にもってきてください」と言わなければよかったんだよな。そういうルールにしておけばよかった。全員に言うというルールが一番確実な結果をもたらすルールだったんだけど、だいじょうぶ店員が『言われることにこだわる』とは思わなかった。だいじょう部店員にしてみれば、「店で食べるものを先にもってきてください」と言われることが、(あんまりいいことじゃない)のだよな。「そんなのは、あたりまえだから、言わなくていい」「いちいち言う必要はない」という感情がうまれる。

これが、わからなかった。「そんなのは、あたりまえだから、言わなくていい」「いちいち言う必要はない」というような意味の反応かえしてくる店員がいるということが、最初の時点では、わからなかった。俺には、わからなかった。

だいじょうぶ店員は、自分がわかっているから、ほかの店員もわかっているはずだと思っていた。ようするに、だいじょうぶ店員は「店で食べるものと、持ち帰りするものを、両方とも頼まれたら、店で食べるものを先に出す」というルールを理解している。そして、「ほかの店員も、このルールを理解している」と思っていた。「ほかの店員も、このルールを理解している」という前提が間違っている。間違った前提だ。間違った前提だけど、本人は、間違っているとは思っていないので、間違いを指摘されると、ある程度、不愉快な気持ちになるのである。基本的な部分の間違いを指摘されると、(人は)あんまり良く思わない。どうしても、不愉快だという感覚がしょうじる。どうしてかというと、間違いだとは思っていないからだ。

前提となる部分は、本人にとって「あたりまえ」のことだから、まちがっているとは思っていないのである。まあ、だれだって、間違いを指摘されるのは、いやなことだと(ぼくは)思う。特に、自分の深いところにある間違いを指摘されるのは、だれだって、いやことなのではないかと(ぼくは)思う。

 

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