さまざまな条件を無視して「おカネを好きになれば、おカネがもうかるようになる」と言うやつがいる。さまざまな条件を無視するべきではない。
実際には、さまざまな条件があるので、おカネを好きになっても、おカネがもうかるようにはならない。
こういう一点突破を主張するやつは、(あなたのことを)だますつもりでいる。
条件を無視して、くそを言うやつらを、信用してはいけない。
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ところで、おカネが好きじゃない人なんているの?
まあ、いたとしても、例外的な少数派だな。おカネがありすぎて、きらいになっているのではないかな?
これも、言葉のトリックで、「おカネがきたない」と思っている人たちは、自動的に「おカネが好きじゃない人」になっているのだ。
特定の用途で使われているおカネが、きたないおカネだと比喩的に表現する人だって、おカネがきらいなわけではないだろ。
あいまいなことを言うやつは、自分でなにを言ってるか、よくわかってないやつだ。
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さまざまな条件によって、おカネがない生活をしている人が「おカネを好きになった」とする。
おカネが入ってくるようになるか?
ならない。
おカネを好きになるだけで、おカネが入ってくるのであれば、もう、とっくにおカネが入ってきている。おカネが入ってくるので、おカネがない生活をしてない。
おカネがない生活をしている人に「おカネを好きになれば、おカネが入ってくるようになる」と言うのは、意味がないことなのである。
「好きになれば」それで問題が解決するようなことを言っているけど、好きなのに、問題が発生し、継続しているのである。
こういう、くそ理論をふりまわすやつは、自分が言っていることがよくわかってないやつだ。
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おカネがなくて、好きなことができない人は、おカネがきらいなのだろうか?
おカネがなくて、ほしいものが買えない子どもは、おカネがきらいなのだろうか?
「おカネがない人は、おカネがきらいな人だ」という勝手な決めつけがある。
よく注意して聞かないと、こういうところにも、ひっかけがある。言っている人が、このひっかけに気がついてない場合がある。
ようするに、言っている人も、ぜんぜん、自分が言っていることがわかってない。
どういう前提で、どういうことを言っているのか、言っている本人が、わかってない。
さらにおろかなことに、「おカネがきらいな人は、おカネがない人だ」と思っているのである。
ようするに、「おカネがない人は、おカネがきらいな人だ」→「おカネがきらいな人は、おカネがない人だ」と一回転させて、無意味なことを言っている。