2024年10月9日水曜日

「おカネがない人は、おカネがきらいな人だ」→「おカネがきらいな人は、おカネがない人だ」

さまざまな条件を無視して「おカネを好きになれば、おカネがもうかるようになる」と言うやつがいる。さまざまな条件を無視するべきではない。

実際には、さまざまな条件があるので、おカネを好きになっても、おカネがもうかるようにはならない。

こういう一点突破を主張するやつは、(あなたのことを)だますつもりでいる。

条件を無視して、くそを言うやつらを、信用してはいけない。

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ところで、おカネが好きじゃない人なんているの?

まあ、いたとしても、例外的な少数派だな。おカネがありすぎて、きらいになっているのではないかな?

これも、言葉のトリックで、「おカネがきたない」と思っている人たちは、自動的に「おカネが好きじゃない人」になっているのだ。

特定の用途で使われているおカネが、きたないおカネだと比喩的に表現する人だって、おカネがきらいなわけではないだろ。

あいまいなことを言うやつは、自分でなにを言ってるか、よくわかってないやつだ。

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さまざまな条件によって、おカネがない生活をしている人が「おカネを好きになった」とする。

おカネが入ってくるようになるか?

ならない。

おカネを好きになるだけで、おカネが入ってくるのであれば、もう、とっくにおカネが入ってきている。おカネが入ってくるので、おカネがない生活をしてない。

おカネがない生活をしている人に「おカネを好きになれば、おカネが入ってくるようになる」と言うのは、意味がないことなのである。

「好きになれば」それで問題が解決するようなことを言っているけど、好きなのに、問題が発生し、継続しているのである。

こういう、くそ理論をふりまわすやつは、自分が言っていることがよくわかってないやつだ。

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おカネがなくて、好きなことができない人は、おカネがきらいなのだろうか?

おカネがなくて、ほしいものが買えない子どもは、おカネがきらいなのだろうか?

「おカネがない人は、おカネがきらいな人だ」という勝手な決めつけがある。

よく注意して聞かないと、こういうところにも、ひっかけがある。言っている人が、このひっかけに気がついてない場合がある。

ようするに、言っている人も、ぜんぜん、自分が言っていることがわかってない。

どういう前提で、どういうことを言っているのか、言っている本人が、わかってない。

さらにおろかなことに、「おカネがきらいな人は、おカネがない人だ」と思っているのである。

ようするに、「おカネがない人は、おカネがきらいな人だ」→「おカネがきらいな人は、おカネがない人だ」と一回転させて、無意味なことを言っている。

いつも読んでくださるかたに感謝しております



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