2024年10月10日木曜日

「おカネがない人は、性格が悪い。おカネがある人は、性格がいい」

 おカネがない人は、ネガティブだ。おカネがない人は、暗い。おカネがない人は、何事にもトライしようとする気持ちがない。おカネがない人は、あまえている。おカネがない人は、だらしがない人だ。おカネがない人は、格好悪い。

おカネがある人は、ポジティブだ。おカネがある人は、明るい。おカネがある人は、何事にもトライしようとする気持ちがある。おカネがある人は、あまえていない。おカネがある人は、清潔だ。おカネがある人は、格好良い。

おカネがある人と書いたけど、おカネもちでもいい。ともかく、おカネがない人のことをさげて、おカネがあるとのことをほめあげるようなことが、社会に流通している。

けど、みんな、条件を無視している。

条件について、ちょっとだけ、ふれる場合も、条件は、ちょっとだけしか影響をあたえていないという前提でものを言うのである。

これは、ようするに、「おカネがない人は、性格が悪い。おカネがある人は、性格がいい」というイメージを量産していることになる。

問題なのは、条件がつくりだすものなのに、性格がつくりだしていると、言い換えられることだ。9ブロックの子どもと1ブロックの子どもをいれかえた場合についてのべたけど、1ブロックの子どもは、9ブロックの子どもにくらべて、実際に挫折体験が多いのである。

10回リクエストして、9回、自分がほしいものを買ってもらえる子どもと、10回リクエストしても、1回しか自分がほしいものを買ってもらえない子どもとでは、挫折体験の多さがちがう。どれだけ言ったって、買ってもらえなかったということは、それをゲットできなかったという意味で、挫折体験なのである。ゼロブロックの子どもは、10回リクエストして、10回とも、拒絶されるので、1ブロックの子どもよりも、挫折体験が多い。どれだけ言ったって、買ってもらえなかったということが繰り返されれば、リクエストすることをやめてしまうだろう。それが、消極的と言えば、消極的ということになる。ようするに、ゼロブロックの子どもの、消極的な性格は、条件によってつくられたものなのである。ゼロブロックの子どものもともとの性格は関係は、とりあえず、関係がない。これは、じつは、いろいろなことがかかわっているので、一概には言えないのだけど、人間というものを考えると、やはり、傾向としては、挫折体験が多い人間のほうが、あきらめやすいという傾向がある。あくまで、傾向だ。そして、それは、時系列的につみ上がっていくのである。それこそ、赤ん坊のころから。まあ、本人が記憶しているのは、幼児期ぐらいからだけど……。遺伝子的な条件も、あきらめやすさに影響をあたえるとは思うけど、挫折体験の回数や頻度のほうが、あきらめやすさに影響をあたえる。

ともかく、お金のない家の子どものほうが、おカネのある家の子どもよりも、挫折体験が多い傾向がある。実際には、親の性格も、影響をあたえる。けど、親にカネがあるかどうかといのは、親の属性だ。親という条件を考えると、親にカネがあるかどうかという条件は、親の条件のサブカテゴリーの条件だということになる。だから、親の条件のうち、カネにかかわる部分をぬかした条件も、じつは、関係している。しかし、、親のカネに関する条件は、子どもの挫折体験に大きな影響をあたえている。無視することはできない。

いずれにせよ、カネがない人に悪いイメージをあたえて、カネがある人に良いイメージをあたえようとしているのである。それが、「うえ」のほうから、ふってくる。「正しいこと」としてふってくる。みんなが、そう思ってしまう。けど、そういうイメージは、条件を無視して、つくられるのである。特に、時系列的な条件なんて、徹底的に無視される。わずかに言及された場合でも、「ちょっとしか影響をあたえない」ということになってしまうのである。こういう態度自体が問題だ。

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「おカネがない人は、性格が悪い。おカネがある人は、性格がいい」というイメージについて、ちょっと語っておく。これ、じつは、平均以下の人も、大好きなのである。自分たちのことを悪く言うことがはやっているのである。ようするに、納得してしまっている。ブロックで言えば、4ブロック以下の人も、「おカネがない人は、性格が悪い。おカネがある人は、性格がいい」と思ってしまっているところがある。これは、洗脳されて、そう思っているだけだ。上から、条件を無視したまちがった考え方が、ふってくるのである。条件を無視したまちがった考え方が、正しい考え方として、流通してしまっているという問題がある。

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