2024年10月8日火曜日

「おカネと性格を結び付けて語るやつ」

 カネがないやつは、カネをきたないと思っているからカネがないんだ」ということなのだけど、これが、意外にやっかいな話なのだ。言っているほうが、言っていることについて、よく考えているわけではなく、なんとなく言っているだけの話だからだ。はっきり言えば、「カネをきたないと思っているから、カネがないんだ」というのは、嘘だ。まちがい。妄想。

じゃあ、なんで、話が複雑になるかというと、カネが物理的にきたないという層の話や、カネが心理的にきたないという層の話や、裏献金の話がいっしょになっているから、最終的には、なにを言っているのか、わからなくなる。ようするに、なんとなく、雰囲気で言っているだけで、特定できる意味がない。ところが、雰囲気で言っているのにもかかわらず、雰囲気で「言いたいことはなんとなくわかる」というような特殊な状態をつくりだしている。

ごちゃごちゃにして語るというのは、特に、テクニックではない。これ、言っている本人が、明確に区別して考えてないから、そういうごちゃごちゃな話になる。

何度も言うけど、条件を無視して、「おカネがある」とか「おカネがない」という話をしてもしかたがない。そして、条件を無視して「おカネがある人はこういう人だ」とか「おカネがない人はこういう人だ」とか「おカネがある人はこういう性格をしている」とか「おカネがない人はこういう性格をしている」とかという話をするのは、もっともっと、無意味だ。

しかも、「おカネをえやすい人」と「おカネをえにくい人」について、語る場合は、どうしても、おカネをえにくい人をディスることになり、おカネをえやすい人をほめることになる。おカネのあるなしと、性格の話を結びけるのは、ほんとうに、よくない。これは、うちくだかなければならない妄想をつくりだしている。 

条件を無視して、「おカネと性格を結び付けて語るやつ」を見たら悪魔の協力者だと思っていい。

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