闇献金ですら、きたないと考えるのはよくないということになってしまうのである。闇献金はきたない金(カネ)だと考えるような人は、おカネがない人だということになる。おカネがある人は、闇献金もポジティブに考えるのだ。
そもそも、おカネ自体がきたないわけではなくて、人間の行為がきたないわけだ。そして、その行為が慣習化しているのであれば、構造自体が、人間のきたない行為をうみだしているということになる。
おカネというのは、物理的なおカネと、精神的なおカネがある。闇献金のことをきたないという場合には、もちろん、物理的なきたなさを問題にしている話ではなくて、精神的なきたなさを問題にしているのである。
そして、何度も言うけど、おカネ自体には関係がないことだ。人間の行為の問題だから……。
けど、「きたないカネ」というような表現をすることもある。
だから、「きたないカネ」という表現はあいまいなのだけど、きたないカネにまつわる人間の行為も含んでいるような印象をあたえる。
彼らは「おカネもちは、おカネをきたないと思わないから、おカネもちなのである」と言う。
ようするに、闇献金のような行為を否定せず、むしろ、推奨している。おカネをきたないと思うのは、ともかく、いけないことなので、「闇献金がきたない」と思うこと自体が否定されてしまっている。
「おカネがきたないと思っている人は、貧乏人だ」というような考え方は、闇献金ですら、肯定してしまうのである。
ぼくの意見にしたがえば、闇献金に使われたおカネ自体がきたないかどうかは、別にして、行為自体は、きたないということになる。
しかし、彼らの意見にしたがえば、闇献金は、別にきたなくはないということになる。
「闇献金をきたないと思う人は、おカネにネガティブな人で、貧乏人なのである。貧乏人だから、闇献金がきたないとネガティブなことを言う」と、彼らは決めつけるのである。
こういう話が、あたかも、よい話として語られるのだ。
こんなのは、おかしい。
そして、「実際に行為がきたないではないか」とぼくが言えば、彼らは「だから、貧乏なんだ」「だから、ネガティブな人はおカネもうけがへたくそなんだ」と言うわけだ。
「おカネをきたないと思うと、おカネが、(あなたのことを)きらいになるから、よってこない」などと言うのだ。
「おカネが好きなになれば、おカネもあなたのことを、好きになって、よってくる」などと言うのだ。
* * *
こういう話が好きな人がいるけど、ぼくはどうかと思うね。おカネは無生物なので、理論的なことを話すなら、そういう言い方はよくない。
条件を無視して、「好きになれば、おカネがよってくる」なんて話は、アホくさい。
実際には、条件でがんじがらめになっているのだ。条件が悪ければ、おカネを好きになっても、おカネなんて、よってこない。
条件のいい人が、そういう「作り話」をしているだけだ。
「自分は」おカネが好きだから、おカネがよってくると……条件を無視して……自慢したいだけだ。
* * *
これじゃまるで、闇献金に肯定的なおカネもちが、ポジティブないい人で、闇献金に否定的な貧乏人が、ネガティブな悪い人みたいじゃないか。
彼らは暗に「何事にもポジティブな人が性格がいい人で……おカネもちなんだ」「何事にもネガティブな性格が悪い人であり……貧乏人なんだ」ということを言う。
そして、「嫉妬」ということを言いだすのだ。
「貧乏人が、おカネがきたないと言うのは、カネ持ちに嫉妬をしているからだ」と彼らは決めつける。
「貧乏人が、闇献金はきたないと言うのは、カネ持ちに嫉妬をしているからだ」と彼らは決めつける。
「嫉妬をするから、そんなことを言っている」と彼らは決めつける。
「嫉妬をしやすい悪い人だから、おカネがきたないと、ネガティブなことを言うのだ」と彼らは決めつける。
ここでも、「嫉妬をしない(自分ら)カネ持ちは、いい人で、嫉妬をしやすい貧乏人は、悪い人だ」というイメージを……あたえようとする。
* * *
カネ持ちではないけど、貧乏人ではない人たちが、おカネもちであって、なおかつ成功法則にこっている人たちの言うことを聴いて……「そうだ。そうだ。その通りだ」と言い出す。
4ブロックの人は、まあまあ、貧乏人なんだけど、3ブロック以下の人に「おカネをきたないと思うから、おカネがよってこない」「おカネを、好きになれば、おカネがよってくる」「何事も、ポジティブに考えるのが重要」……などと、説教をしはじめる。
そして、5ブロックの人は、4ブロックの人に、6ブロックの人は5ブロックの人に、「それぞれ正しいと思っていること」をつたえる。
自分のほうが相対的に高い立場だと思えば、さも、自分が考え出したように、カネ持ちであって、なおかつ成功法則にこだわる人から教えてもらった考えをくちにする。
だから、「闇献金がきたないということにこだわるのは、いいことではない」ということになってしまう。
社会全体がそういう方向に動き出してしまう。
何度も言うけど、条件を無視してはいけない。条件が悪ければ、おカネを好きになっても、おカネは、もうからない。条件が悪ければ、おカネを好きになることで、一点突破なんてできない。条件が悪ければ、おカネを好きになっても、おカネもちになれない。
彼らは、嘘つきで、わなを仕掛けているのである。あたかも、「おカネを好きになることで」一点突破ができるようなことを言う。
けど、条件が、おカネがない状態をつくりだしている。
条件をかえなければ、おカネなんて入ってこない。条件をかえなければ、どれだけ、自分がおカネのことを好きになっても、なにもかわらない。