「銀座のママが語る出世する男の特徴」なんて話をして、けっきょく、高い靴を買わせようとする人たちがいる。銀座のママというのも、ただの銀座のママではなくて、ものすごいベテランだったり、なんだか知らないけど、すごい人たちの接待をしてきた銀座のままだということになっている。
たとえば、「靴がきれいな人は、出世する」と銀座のママが言ったとする。靴がきれいというのは、靴自体が高いということを意味していない。
けど、記事を読んでいると、きれいな靴というのが、ようするに、高い靴であり、メンテナンスがいきとどいた靴のことなのだということがわかる。
けど、これも、原因と結果を言い換えているだけかもしれない。ようするに、たとえば、高くてメンテナンスがいきとどいたきれいな靴をはいている人は、すでにカネ持ちなのかもしれない。
カネもちが高くてメンテナンスがいきとどいたきれいな靴をはいているだけかもしれない。これも、スマホで話した話とおなじだ。だから、もう、話さない。
問題は、「カネをきたないものだと思っている」か「カネをきたなくないものだと思っているか」ということだ。あるいは、それにまつわる問題だ。
たとえば、普通の人をだまして、その気にさせて、高いものを売りつけることは、道徳的にいいことなのか、悪いことなのかということだ。
カネをきたないものだと思っている人は、普通の人をだまして、その気にさせて、高いものを売りつけることが、道徳的に悪いことだと思っている人だというイメージをあたえているのである。
そして、普通の人をだまして、その気にさせて、高いものを売りつけることが、道徳的にいいことだと思っている人は、カネをきれいなものだと思っている人だというイメージをあたえているのである。
ようするに、「おカネがきたないと思っている人は、貧乏で、おカネがきれいだと思っている人は、おカネもちだ」というような話につながっている。
おカネをきれいだと思っている人というのは、おカネが好きな人なのである。
いっぽう、おカネがきたないと思っている人は、おカネがきらいなのである。
……こういう思考方法。あー、もう、いやだなぁ。