たとえば、夏の暑い日、エアコンの冷房をつけられる人と、つけられない人がいるとする。その場合、エアコンの冷房をつけられる人は、おカネで、「清涼感」を買ったということになる。
エアコンの冷房をつけられない人は、おカネがないので、「清涼感」を買えないのである。
清涼感と書いたけど、これは、「快」だ。そして、おカネで、清涼感を買えない状態は、「不快」な状態なのである。
もし、おカネを使うことで、「すずしい状態」を買うことができ、すずしい状態が「快」をもたらすのであれば、おカネを使うことで、「快」をえたということには、ならないだろうか?
なると思う。
そして、不快な状態が続くと、からだに悪い影響が出るので、からだに悪い影響が出ないようにしたということになる。ようするに、おカネで、からだに悪い影響が出ないようにしたのである。
いっぽう、たとえば、おカネがなくて、エアコンを設置できない人は、「すずしい状態」を買うことができず、すずしい状態を買うことができる人よりも、体調が悪くなる確率があがるのである。あるいは、熱中症になる確率があがるのである。
おカネで「不快」な状態になることをさけた。
これは、おカネで「幸福」を買ったのとおなじではないか?
おカネを使って、体調が悪くなる状態をさけたのであれば、おカネを使って「体調を良好な状態にたもつ可能性」を買ったのではないか。
もちろん、エアコンをつけていたって、体調が悪くなることはあるので、ひとつの体調が悪くなる原因をつぶしただけなのだけど、それでも、暑いと感じて体調が悪くなっているのにもかかわらず、それをさけることができない状態よりも、よりよい状態なのである。
ようするに、不調になる確率をさげたのである。
熱によって不調になるということを考えれば、相対的に、「しあわせである状態」を買ったのだ。あくまでも、相対的なことだ。熱ではないほかの理由で、体調が悪くなることはあるので、あくまでも、熱に限った話だ。
それでも、不安な要素をひとつ消したということは、不安な要素がある状態よりも、安心感がある状態なのである。
おカネを使って、安心感を買ったのである。
* * *
おカネによって、不快な状態になることをさけられるのであれば、相対的には、おカネで、幸福感を買ったということになる。
「マイナス(不幸感増大)」「ゼロ地点(幸福でも、不幸でもない状態)」「プラス(幸福感増大)」ということを考えてみよう。
暑い部屋のなかで、暑さに耐えて生きることは、マイナスだ。
まず、からだがしんどい。気分が悪い。ともかく、不快だ。それを、エアコンの設置と、エアコンの運用によって、さけることができたのであれば、ゼロ地点にもどっただけなのだけど、相対的には、プラスなのだ。
おカネがなくて、エアコンを設置できずに、暑さのなかでくるしんでいるよりも、エアコンを設置して、エアコンを運用して、暑さという問題を解消できた状態は、プラス状態なのだ。
これは、不幸になるということをさけたという意味で、相対的に幸福なのだと言っていい。
カネがなくてそもそもエアコンを設置できないということを書いたけど、エアコンはあるけど、電気代を気にして、なるべく、エアコンを運用しないようにする場合も、おなじである。
電気代を気にして、エアコンをつけられないのであれば、それは、相対的にマイナスなのである。不快な状態なのである。一般的には、不快な状態が長く続くと、病気になりやすくなる。病気になると、幸福を感じる機会が減り、不幸を感じる機会が増える。
電気代というのは、おカネではないか。おカネで、不快な状態をさけたのである。これは、おカネが、幸福感に影響をあたえるということだ。
たとえば、頭がおかしい上司のもとで働いているとする。とても、ストレスフルな状態だ。不愉快な状態でいる時間が長くなる。不愉快な出来事が発生する機会が増える。
生活のためにお金をかせがなければならないから、なかなか、仕事をやめられずにこまっているとする。
おカネがあれば、仕事をやめられるとする。
Cさんは、おカネがあったので、頭がおかしい上司がいる職場で働くことをやめて、リタイアしたとする。Dさんは、おカネがないので、頭がおかしい上司がいる職場をさることができないとする。
その場合、Cさんは、おカネで、相対的なマイナスを解消したのである。
これは、ゼロ地点にもどっただけだけど、おカネによって、不幸な状態から離脱することができたのだから、おカネで相対的な幸福感を買ったということになる。
マイナスからゼロ地点にもどっただけで、ゼロ地点は、特に幸福であるわけではないけど、マイナスからゼロ地点にもどっただけでも、幸福感がしょうじるのである。
なので、おカネがあるということは、幸福感に影響をあたえる。
Dさんにくらべれば、Cさんは、幸福なのである。
ただし、頭がおかしい上司のもとで働くというマイナスをさけられたという意味で、幸福だと言っているだけだ。ほかのことでは、DさんのほうがCさんよりも、幸福かもしれないのである。
しかし、Cさんは、おカネで、いやな思いをすることをさけることができたので、その点においては、おカネで、相対的な幸福感を買ったということになる。
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まあ、一時的な幸福感と、幸福は、ちょっとちがう。幸福感を感じることが多く、不幸感を感じることが少ないか、あるいは、不幸感を感じることがない状態で暮らすことができれば、幸福だということにする。
快と幸福感については、人によってちがうと思う。快と幸福感をおなじ意味の言葉としてとらえている人もいるかとは、思うし、快と幸福感をちがう意味の言葉としてとらえている人もいると思う。基本的には、幸福へと向かう予感がある快を幸福感と言っているのではないかと、思う。幸福へと向かう予感がある快を幸福感だととらえている人は、不幸へと向かう予感がある快は、幸福感ではないととらえているので、快と幸福感の内容は一致しない。