「おカネで、しあわせは買えない」と言っている人は、自分がおカネもちだということを無視して、なおかつ、おカネ以外のたいせつなものに、おカネが影響をあたえているということも無視してしまっている。
おカネがあるうちに生まれて、医学部に通い、医者になった男性がいるとする。この人は、おカネがたっぷりあるわけだ。それは、小さいときもおカネがたっぷりある生活をしていたし、いまも、おカネがたっぷりある生活をしているということだ。
幸福の要素として、(1)おカネ、(2)妻、(3)子ども、(4)仕事、(5)友人というものについて考えてみよう。
この男性は、(1)おカネ、(2)妻、(3)子ども、(4)仕事、(5)友人も「もっている」状態だ。不足してないのである。そして、「おカネじゃしあわせはかえない」と言っている。
おカネをもっているけど、破綻した生活をしている人のことを見て、そのように言っているのだ。
たとえば、結婚できず、歳をとったあとも、カネの力で愛人をつくり、その愛人に殺された人がいたとする。
とりあえず、Bさんだとする。そのBさんのすがたを見て「おカネじゃしあわせは買えない」と言っている。
けど、自分は、すべてもっているのである。まあ、みたされていると言ったほうがいいか。
たとえば、Bさんは結婚できなかったけど、医者になった男性は、結婚をしている。医者になった男性は、そのとき、自分がおカネもちだったということの有利性についてはまったく考えてないのだ。
そして、医者になった男性は、結婚生活も順調で、こどもともうまくやっている。
おカネがあるうちに生まれて、医学部に通い、医者になった男性のことを、Aさんよぶことにする。
Aさんは、(1)おカネ、(2)妻、(3)子ども、(4)仕事、(5)友人というものを、全部、「もって」いる。
「もって」いるという言い方は、要素によっては、日本語として、不自然だ。
まあ、妻がいるし、妻との友好的な関係がある。子どもがいるし、子どもとの友好的な関係がある。仕事をしていて、部下との友好な関係がある。ちなみに、Aさん本人が、医院長だ。社会的に地位の高い仕事をしていて、実際の仕事場では、トップだ。そして、友人がいるし、友人との友好的な関係がある。
ところで、たとえば、子どもをキャンプに連れて行ってやったとする。子どもと、しあわせな時間をすごした。
これは、ただではできない。
子どもをキャンプに連れて行ってやることには、カネがかかる。子どもにカヌーにのるという体験をさせてやったとする。まあ、カヌーに連れて行ってやるという表現が適切なのであれば、カヌーに連れて行ってやったとする。
これも、ただではできない。子どもと素敵な時間をすごした。子どもをスキーに連れて行ってやったとする。子どもと素敵な時間をすごした。
これも、ただではできない。
おカネがかかっている。Aさんは、おカネで、子どもとのしあわせな時間を買っている。Aさんは、おカネでしあわせを買ったのだ。
どうして、そのAさんが「おカネじゃしあわせは買えない」と激しく主張するのか?
Aさんは、おカネで、しあわせを買っているじゃないか。
* * *
とりあえず、妻と結婚したとする。これは、Aさんがカネもちだったということと、無関係ではないはずだ。Aさんが医者の息子で、不自由なく育ち、医学部に入れてもらった。そして、医者をやっている……。
おカネがある。
おカネがあるということは、結婚に影響をあたえる。もちろん、なかには、おカネなんて関係がないと思っている女の人もいる。Aさんの妻も、おカネなんて関係がないと思っているかもしれない。
けど、一般的に、カネがあるほうが、カネがないよりも、結婚するということにおい、有利だ。これは、結婚相談所で、主に、男性のほうの年収が重要な情報になるということと一致している。
もちろん、男性の年収を気にしない女性だっているけど、男性の年収を気にする情勢のほうが多い。男性の場合、年収が高いほうが、有利に話をすすめられる。
結婚したあと、妻との生活に、おカネがかからないわけではない。
妻との友好的な関係を維持するために、おカネが必要であるということは、否定できない。有効的な関係を維持して生活をしている……。おカネは関係がある。
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第1要素の「おカネ」が、第2要素の妻、第3要素の子ども、第4要素の仕事、第5要素の友人に、影響をあたえているのではないか思う。もちろん、おカネがある場合は、プラスの影響をあたえ、おカネがない場合は、マイナスの影響をあたえることになる。
しかし、例外はある。
おカネがあることがマイナスの影響をあたえることもあるし、おカネがないことが、プラスの影響をあたえることだって、あるかもしれない。
ようするに、例外的には、反対のことが起こる可能性がある。
しかし、その確率は低い。おカネがある場合は、プラスの影響をあたえる確率のほうが高い。おカネがないほうが、マイナスの影響をあたえる確率のほうが高い。
ともかく、未成年時代のおカネの影響も含めて、第1要素のおカネが、ほかの要素に影響をあたえるのである。ならば、おカネがあることや、逆におカネがないことは、ほかの「幸福の要素」に影響をあたえるのであって、影響をあたえないのではない。