体がだるい。吐き気がすこし、残っている。まあ、残っているというか、新たにしょうじたのか。このあいだから、つながっている感じもあるけど……。
ともかく、なんか、いやだなぁ。
人に親切にして、きらわれたことを思い出した。これ、へんなものを読まないで、普通の状態だったら、やってない行為なんだよなぁ。「人に親切にしよう」と思ってやったことは、全部失敗。俺は、普通に、普段から親切だから、意識的に「人に親切にしよう」と思っているときは、過剰に親切になってしまっている。人に親切にすると運がよくなる系の本って、不親切な人と、普通の人向けの本なんだよ。 親切な人が読むと、過剰に親切にすることになる。それは、やはり、自分の親切にした気持ちにふりまわされることになる。だから、まあ、結果的には、人に迷惑をかけたことになる。これが、不思議なプロセスなんだよなぁ。
いまさっき、なんか、夢を見ていて、起きたときに、実際にあった「親切にしようとして、傘にいれたら、あとできらわれた事件」を思い出して、へこんだ。
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「それは、親切にするしかたが悪いんだ」「それは、親切にする方法がまちがっていただけじゃないか」と思う人がいるかもしれないけど、こういう人は、普通の人だ。こういう人と、もとから親切な人の構造がちがう。もう、感覚がぜんぜんちがう。「それは、親切にするしかたが悪いんだ」「それは、親切にする方法がまちがっていただけじゃないか」なんて言うやつらは、きらわれたことに気がつかないやつらなんだよ。相手が、どう思ったかということに、常日頃から、鈍感なやつらなんだよ。うらまれることをしたあとも、「いいことをした」「親切にした」と思っているようなやつらなんだよ。ぜんぜん、感覚値がちがうから、こういう人たちの影響をうけないほうがいい。もちろん、「それは、親切にするしかたが悪いんだ」「それは、親切にする方法がまちがっていただけじゃないか」と言う人たちは、「人に親切にするといいことがある」「人に親切にすると運があがる」と普段から言っている人たちだよ。「だから、人に親切にしてあげればいい」と言っているやつらだよ。こいつらの感覚と、もとから親切な人の感覚は、ぜんぜんちがう。こいつらの感覚で、こいつらはものを言っている。ぜんぜんちがう、初期値。ぜんぜんちがう、感覚。
パーソナリティーとしては、宗教の勧誘をして、いいことをしたと思っているやつらだ。あるいは、恵まれすぎていて、感覚的にのぼせあがっているやつらだ。
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抗がん剤というのは、問題があるものなのだ。だから、医者は、自分には抗がん剤なんて打たないと決めている。自分の家族にも、打たせないだろう。ところが、自分の患者には、ガンガン抗がん剤を打ってなにも感じないような人なのだ。こういう感覚が成り立っている。「人に親切にするといいことがある」「人に親切にすると運があがる」と言っているのだけど、抗がん剤を(他人に)打つことにまったく抵抗がない人がいる。こういう感覚なんだよ。信じられないけど、こういう感覚。