「おカネをもってない人は、おカネはきたないものだと考えている」「貧乏人は、おカネをきたないものだと考えているから貧乏なんだ」というような通説があるのだ。
精神世界の人は、ほとんど、みんな、そんなことを言う。
判を押したように、「おカネがない人は、おカネがきたないものだと思っているから、おカネがない」というようなことを言う。
けど、これは、まちがいだ。
まず、きたないというのが、物理的なきたなさと、けがれのような心的なきたなさということについて、あいまいに述べている言葉なのだ。あいまい表現。どっちともとれる表現。両方と成り立つ表現。
精神世界の人の言い方というのは、非常に、あいまいなのである。
だから、いろいろなところに、しかけを盛り込むことができる。そして、そのしかけに関して、精神世界の人たちが無自覚だというのがある。
それこそ、しかけるほうが、だますために、こういう表現を使っているのである。精神世界の人たちというのは、いろいろなところで、洗脳されている人たちだ。
精神世界の人たちは、おカネにまつわることに考える場合も、どういう家に生まれたか、どういう家で育ってきたかという基本的な条件を無視する。
おカネに関しては、お金持のうちに生まれたか、貧乏な家に生まれたかということは、非常に重要な条件だ。
だから、条件を無視した思考というもの自体に、問題がある。
たとえば、9ブロックの人が、1ブロックの人に対して「1ブロックの人は、おカネがきたないと思っているから貧乏なんだ」と言ったとする。1ブロックの人は10回にだいたい1回しか勝てないので、基本的に貧乏なのである。
1ブロックの人が、9ブロックの人よりも、貧乏なのは、だいたい10回に1回しか勝てないという条件によって、決まっていることだ。9ブロックの人は、10回にだいたい9回勝てるので、1ブロックの人よりもお金持なのだ。
これは、条件によって決まっていることだ。
別に、9ブロックの人は、おカネがきれいなものだと思っているから10回にだいたい9回、勝てるわけではない。つまり、9ブロックの人は、おカネがきれいなものだと思っているからおカネもちであるわけではないのだ。
ようするに、9ブロックの人は、「自分はおカネがきれいだと思っているから、お金持で、1ブロックの人は、おカネがきたないと思っているから貧乏なのだ」と勝手に決めつけているだけだ。
これは、まちがった思考なのである。まちがった判断なのである。
ところが、9ブロックの人は、おカネに対して特殊な信仰をもっているので、自分のまちがいに気がつことができない。精神世界の人もおなじことをしている。
現実の条件を無視して、「おカネがきたないものだと思っている人は、貧乏で、おカネがきれいなものだと思っている人は、おカネもちだ」と決めつけている。これは、まちがった決めつけだ。