「おカネじゃ、しあわせは買えない」といっている人は、たぶん、「おカネよりも、もっと、たいせつなものがある」と言いたいのではないかと思う。
「みんな、おカネおカネと言っているけど、ほんとうは、おカネなんかよりも、もっともっと、たいせつなものがあるんじゃないか」とほかの人に、言いたいわけである。
けど、本人が、上位1%のなかに入るおカネもちなのである。さらに、生まれたときから、上位1%のなかに入るおカネもちなのである。親が上位1%のなかに入るおカネもちだからだ。
だから、「おカネよりも、もっと、たいせつなものがある」と主張する本人は、ずっと、おカネにみたされて暮らしてきたわけ。
下位10%の人の暮らしを知らないわけ。下位50%の人の暮らしを知らないわけ。上位1%以内の人がもっているおカネに関する考え方と、下位10%以内の人が思っているおカネに関する考え方はちがう。
おカネに関係した経験もちがう。
おカネで苦労をしたことがない人が、「おカネよりも、もっと、たいせつなものがある」「おカネよりも、もっと、たいせつなものがある」と言ったって、言われたほうは、しらけてしまう。
だいたい、「おカネよりももっと、たいせつなものがある」といっているけど、その、「おカネよりも、もっと大切なもの」が、ある程度は、おカネによって維持されているものなのだ。
家族とのしあわせな暮らしのほうが、おカネよりも、もっと大切だとする。
別に、「おカネのほうが、家族とのしあわせな暮らしよりもたいせつだ」と言いたいわけじゃない。
まあ、上位1%以内の人は、ほかの人が「おカネのほうが、家族とのしあわせな暮らしよりもたいせつだ」と思っていると(ぼくは)思う。ほかの人は、「おカネのほうが、家族とのしあわせな暮らしよりもたいせつだ」と思っているから、ほかの人は「おカネおカネ」と言うのだろうと、上位1%以内の人は、思っていると(ぼくは)思う。上位1%以内の人はそう思っているところがあると(ぼくは)思う。
まあ、どれだけ意識的なのかはわからないけど、ともかく、そういう前提も、ちょっとは横たわっている。ようするに、上位1%以内の人が、どれだけ意識的に、他人がそう思っていると思っているか、わからないけど、ある程度は、そういうふうに考えているところがあるんじゃないかなと(ぼくは)思う。
けど、「おカネじゃしあわせは買えない」ということについて、反論している人は「おカネのほうが、家族とのしあわせな暮らしよりもたいせつだ」と言いたいわけではないのである。「その、家族とのしあわせな暮らしを維持するために、おカネが必要なんじゃないか」ということを、言いたいのである。