2024年9月12日木曜日

「しあわせ体験」をカネで買っているんでしょ

 「おカネじゃ、しあわせは買えない」と言っているAさんは、おカネで、しあわせをかえる場合があるということを認めていない。

けど、本人は、そういうことを認めていないのだけど、子どもをスキーに連れて行って、子どもとしあわせな時間をすごしたことについては、まったく考えてないのである。

子どもとしあわせな時間をすごすための費用(おカネ)についてまったく考えてない。

「けっきょく、カネがかかってんじゃないか~~」と言いたくなる。

ところが、こういうことをAさんに言うと、「そういうこともあるかもしれないけど、おカネじゃ、しあわせは買えない」と言う。

いや、あるかもしれないのではなくて、あるんだよ。

自分はカネで、子どもとのしあわせな時間をつくっているのに、あたかも、その幸せな時間と、おカネが関係がないようなことを言う。

この人は、めぐまれすぎて、「ない場合」のことが、ほんとうにわかってない。「ない場合」というのは、「おカネがない場合」のことね。Aさんの頭のなかで、おカネがない状態というのが、想像できないのである。リアルな状態を想像できない。

なんか、童話のなかで聞いたような「おカネのない状態」や、ニュースで見た「おカネがない状態」しか、思い浮かばないのである。

だから、本当は、たっぷりあるおカネで、自分が、常日頃(つねひごろ)から、しあわせを買っているのに、それに気がつかない。

ネズミが出ない家に住んでいる。ダニに毎日やられてない。それだって、おカネがあるかできることだ。おカネがなかったら、そういう状態から抜け出せなくなる。

もっとも、おカネがあっても、ぬけだけない場合もあるんだけど、それはまた、別の話だ。

ほんとうは、常日頃(つねひごろ)から、「おカネ」でしあわせな時間を買っている……。

これに、Aさん本人が気がついてないのである。

妻や子どもとのしあわせな時間ということを考えた場合、妻や子どもに、意識が集中してしまって、妻や子どもとのしあわせな時間に「おカネがかかっている」ということは、ガン無視してしまう。

はっきり言えば、しあわせな時間を維持するのに、おカネがかかっているのだけど、Aさんは「おカネがかかっているという事実」を無視している。そして「おカネじゃ、しあわせは買えない」と言い続ける。

ちなみに、こういう人……Aさんに、こういうことを言うと、「おカネがなくても、妻や子どもと、しあわせな時間をすごすことは、可能だ」ということを言いだすのだ。

けど、本人は、おカネをたっぷりもっている。

結婚にだって、おカネがかかっているはずだ。子どもの生活にだって、おカネがかかっているはずだ。

そして、そういうさまざまな費用を、ほんとうに、まったく問題なく、負担できる人なのだ。Aさんはおカネをたっぷりもっているので、そういうさまざまな費用を問題なく、負担できる。それは、おカネをたっぷりもっているからだ。おカネで、妻や子どもとのしあわせな時間をつくっているのである。そういう人が、「おカネじゃ、しあわせは買えない」「おカネじゃ、しあわせは買えない」と何回も何回も主張する。

はっきり言って、おカネがない人は、しらけてしまう。

おカネもなく、妻もいないし、子どももいない人が、「おカネじゃ、しあわせは買えない」という言葉を聞いてどう思うか?

しあわせの要素をすべて持っている人が「おカネじゃ、しあわせは買えない」と主張する。全部、もっている人だ。特に、おカネに関しては、おカネもちと言えるほど、おカネをもっている。Aさんの場合、子どものときから、おカネもちなのである。

子どものころ、おカネをもっているのか、おカネをもってないのかというのは、その後人生に影響をあたえる。たとえば、医者の子どもは、おカネもちだから、自身(子どものほう)も医学部に行ける。親がおカネもちというのは、医学部進学という点において、有利なのだ。

もちろん、親が金持ちでも、本人が医学部に進学を希望していても、医学部に進学できない場合も、少しはある。

けど、おカネがなくて、医学部に進学できない人よりも、おカネがある人は、有利なのだ。だから、おカネがあるかどうかは、医学部進学に影響をあたえる。プラスの影響だ。

ところが、医者の子どもであるAさんが、「おカネとしあわせは関係がない」と言うのだ。自分が、医学部に進学するとき、おカネをもっていたということが、どれだけ有利なことなのか、まったく自覚がない。

医学部進学が、その人にとって「しあわせ感」をもたらすことだとする。おカネがあるということは、医学部進学というしあわせ感をもたらすものに、プラスの影響がある。

おカネがあるのに、医学部に進学できなかった人がいるとする。なら、おカネは、医学部進学に関係がないことなのか?

ちがう。関係はある。

「例外がいるから関係がない」と言う人は、勘違いをしているのである。

それぞれ、例外がいるので、「……は可能だ」「……がなくてもできる」と言える状態になる。だから(関係がないということが)あっているような感じがしているだけだ。

おカネと医学部進学は関係があり、おカネがあるほうが、進学しやすいのである。

ちゃんと、関係がある。

けど、おカネがなくても、医学部に進学した人がいるので、おカネがなくても医学部に進学はできると、関係性を否定する発言をする人がいる。

けど、「おカネがあるほうが……進学しやすい」ということは、かわりがないのである。

*     *     *

例外を考えなければ、おカネがある人という集合のなかに、医学部に進学する人という集合があるのである。医学部に進学する人という集合のなかに、おカネがある人という集合があるわけではない。おカネがあるということは、医学部に進学するときの(基本的な条件)になるものなのである。基本的な条件を満たした人が、医学部に進学できるのである。

しかし、奨学金でもなんでもいいけど、例外があるとする。例外は、例外だ。例外となるものは、一般的な傾向とは、ちがう傾向をもっているということだ。

例外を考えなければ、おカネがあるということは、医学部に進学するときの(基本的な条件)なのである。

Aさんは、自分がおカネをもっていたので、「おカネは関係がない」「おカネでは、医学部進学は買えない」「おカネがあるということと、医学部に進学することでえる幸福感は関係がない」「おカネがあるということと、医学部に進学することでえたしあわせな生活は関係がない」と言っているだけなのである。 

*     *     *

たっぷりカネをもっているということを利用して、さまざまな「しあわせ体験」をしているのに、口を開けば「おカネじゃ、しあわせは買えない」と言っているやつって、なんなんだ?

「しあわせ体験」をカネで買っているんでしょ。

自分がどれだけ恵まれた状態で生きているのか、ぜんぜんわかってないなぁ。平均よりずっとおカネもちのうちに生まれたということも、まったくわかってない。カネがあるという優位さを最大限に利用して、さまざまな「しあわせ体験」を買ってきたのに、まったく、わかってない。

いつも読んでくださるかたに感謝しております



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