うちのドアは、もうすでに、こわれているので、内側に強く引っ張らないと、ドアがちゃんとしまらない。地方新聞に気をとられて、内側のに強く引っ張らないと、しめたように思っても、ほんとうはしまってない(しまったと言える状態ではない)ということに、気がつかなかったのだ。ドアの内側に立って、普通にドアが閉まった状態になったら、ドアをしめたと思うだろう。ドアをしめたときの明るさになるのだから。つまり、ドア付近の光景としては、ドアをしめた状態なのである。ちなみに、「地方新聞に気をとられて」と書いたけど、シェディングの可能性に気をとられたのである。そりゃ、危険物をそのままの状態でうちなかに置いておくわけにはいかないので、ビニール袋で封印しないといけないと思った。ドアを内側に強く引っ張らないと、ネズミが入ってくる可能性があるということは、そのときは考えなかったのだ。これは、とりもなおさず、ネズミが入ってくるという暗いことを考えなかったということだ。暗いことを考えなかったのに、ネズミが入ってきた。ネズミが入ってくると考えなかったのに、ネズミが入ってくるという暗いことが発生した。暗いことを考えると、暗いことが起こるということは、この例でも否定される。ネズミが入ってくるという暗いことを考えて、ドアを内側に強く引っ張るべきだったのである。そのことについて、考えなかったから、ネズミが入ってきてしまったのである。
「暗いことを考えると、暗いことが起こる」という文は、「暗いことを考えると、100%の確率で暗いことが起こる」という文と、意味的に等価だ。暗いことを考えなければ、暗いことは起きないのである。ところが、人間が……うっかりミスをする場合は、まさに、暗いことが起こる可能性について考えなかったから、ミスをしてしまったのだ。暗いことが起こる可能性について考えず、その可能性について対処しなかったから、暗いことが起こった。このままだと、暗いことが起こるかもしれないと、暗いことが起こる可能性について考えをめぐらさなかったから、あとで、ミスをしたということに気がつくのだ。
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人間がミスをした場合は、過去のある時点で、自分がミスをしたということに気がつかなかったということなのだ。なので、暗いことを考えなくても、暗いことは起こりえる。さらに、自分がミスをしたことに気がついたとしても、「このくらいなら、だいじょうぶだ」と思って、ミスをしたことを無視した場合、それは、「このくらいなら、だいじょうぶだ」と明るい見通しをもったということなのである。けど、あとで、重要なミスだということを指摘された場合、あるいは、重要なミスだということが発覚した場合、明るい見通しをもったのに、暗いことが起こったということになる。ようするに、明るいことを考えたのに、暗いことが起こったのである。
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だいじょうぶだ」と過去の時点で思って、実際にだいじょうぶだったということもある。だから、だいじょうぶだと明るいことを思ったら、実際に、暗いことが起こらなかったということもある。しかし、だいじょうぶだと明るいことを思ったのに、実際に暗いことが起こったという場合もある。なので、「明るいことを思うと、明るいことが起こる」とは言えない。そして、「暗いことを思うと、暗いことが起こる」ということも、言えない。明るいことを思ったのに、暗いことが起こる場合もあるし、暗いことを考えたのに、明るいことが起こる場合もある。どうして、「明るいことを思うと、明るいことが起こり、暗いことを思うと、暗いことが起こる」と言うのか? 自分の経験を考えれば、明るいことを思ったのに、暗いことが起こる場合があるということがわかるだろ。自分の経験を考えれば、暗いことを思ったのに、明るいことが起こる場合があるということがわかるだろ。
100%詐欺をしているということに、いいかげん気がつけ。
「明るいことを思うと、明るいことが起こり、暗いことを思うと、暗いことが起こる」なら、うっかりミスをすることなんてないんだよ。
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自分で味噌汁をつくって食べたら、味付けが濃すぎて、まずかったということがあったとする。その場合、みそ汁をつくっている時点では、味付けが濃すぎるということに、気がついていなかったのである。ミスをしたのに、ミスをしたと気がつかなかった。あとで、実際に食べたとき、味付けが濃すぎたということに、気がついたわけだ。うまい味噌汁をつくったつもりなのに、まずい味噌汁ができあがってしまったのである。気がつかなかったということは、まずい味噌汁をつくっているのではないかという可能性について考えなかったということだ。暗いことが起こる可能性について考えなかった。しかし、暗いことが起こった。味噌汁の味付けに関しては、あとで、修正が可能なときもある。濃すぎたなら、お湯や水で薄めればいい。しかし、このことは、別に「暗いことを考えなかったのに、暗いことが起こった」ということを、否定しているわけではない。すでに、暗いことが起こったあとのことだ。暗いことが起こらなかったわけではない。ある時点で、対処可能だから、対処が可能だと思っただけだ。「明るいことを考えれば明るいことが起こるので、暗いことが起きたとしても、それは関係がない」ということではないのだ。
もちろん、みそ汁の味付けが濃すぎたということは、たいしたことではない。しかし、ミスをしたということに気がつかなかったということは、「暗いことを考えなくても、暗いことが起こる」ということを意味しているのである。大きな事故につながる場合も、ミスをした時点でミスをしたということに気がつかなかったということが多い。もちろん、ミスをした時点のすぐ後の時点で、ミスをしたということに気がつく場合もある。気がついたけど「大きな事故にはつながらない」と明るいことを考えたので、あとあと、大きな事故につながることがある。何度も何度も言うけど、「明るいことを考えれば明るいことが起こる」ということは、まちがっている。妄想的な信念だ。何度も何度も言うけど、「暗いことを考えれば、暗いことが起こる」ということは、まちがっている。妄想的な信念だ。現実を見て、現実について考えたほうがいいぞ。ミスをした直後に、ミスをしたということに気がついて、ミスをなおすということだって可能な場合がある。ミスをなおすというのは、ミスについて適切な対処をするということだ。対処可能なら、暗いことが起こる可能性について考えて、対処しておいたほうがいい。それこそ、暗いことが起こる回数を少なくしている。暗いことが起こる確率をちいさくしている。