2023年4月27日木曜日

明るいことを考えれば、明るいことがおこって……

 「何月何日に、くる」と言っていた人は、そういうふうに言っていた人のことを、信じた人の、期待を裏切っている。こないわけだから、裏切っている。かりに、「何月何日に、くる」と言っていた人に悪意がなかったにしても、自分のことを信じた人が、期待を裏切られたと思っているということは、気にするべきなのである。ところが、まったく気にしない。5日ぐらいすると、また、「何月何日に、くる」と言い出す。「何月何日に、くる」と言っている人はみんな、自称5次元人なんだけど、「毎回こないので、こないだろう」と言っている人を3次元人だと言ってののしるのだ。5次元人がそんなことをするの? 自分の言葉を信じた人の気持ちをまったく気にしないなんて、おかしいと思わない? いまの医療では治らない病気になっている人は、「なんでも治すことができる医療機器が何月何日に利用できるようになる」というようなことを聞けば、期待をもつだろう。そういう期待を、1年間で48回ぐらいは、裏切っているのである。

たとえばの話だけど、「何月何日に、くる」と言っている人が、ほんとうは、「なんでも治すことができる医療機器」がこの世に存在しないということを知っていたら、どうなんだろかと考えるわけだよ。まず、「なんでも治すことができる医療機器」がこの世に存在しなければならないんだよ。そして、国内のいろいろな軍事施設に、くばられてなければならないんだよ。順番待ちはあるというようなことを言っているのだけど、そもそも、くばられてなかったら、どうなんだろうかということを考えるわけよ。で、そのような機器はこの世に存在しないし、当然、数千台もつくられていないということを知っていて「くるくる」と言ってる人は、どういう人なんだろうかということを考えるわけだよ。

順番待ちについて語ったり、優先順位について語ったりするのは、そういう医療機器があることを前提にして話している。それらしく、聞こえるように話している。もし、存在しないということを知っている人がそういうことを言っているのであれば、これは、悪意があると思われてもしかたがないことだ。悪意があってウソを言っていると思われてもしかたがない。

こういうことに対する、「くるくる」と言っている人たちの反応がみんな同じなのである。判を押したように、おなじなのである。これも、不可解なことだと思う。

あとは、「明るいことを考えれば、明るいことがおこって、暗いことを考えると暗いことがおこる」というような考え方が、とてつもなく、まずく働くことがある。どういうことかと言うと、たとえば、「すばらしい医療機器がくる」ということは、明るいことだ。「すばらしい医療機器がこない」ということは、暗いことだ。ほんとうは、そんな医療機器がないことを知っていながら、「すばらしい医療機器がくる」と言うことは、いいことなのかわるいことなのか? そのうちくるかもしれないという意味で言っているのではなくて、今年の何月何日に、くるはずだ……くる……と「相手」に期待をもたせる形で断言するのは、よくないのではないかと思うのだ。ぼくは……。だって、「こない」ということを知っているのに、むだな希望をもたせるために、「くる」と言っているのだから、悪いおこないじゃないか。ところが、「明るいことを考えれば、明るいことがおこって、暗いことを考えると暗いことがおこる」というような考え方が「正しい」と思っている人たちは、「くる」と言っている人たちをいい人たちだと思ってしまう。そして、「こない」と言っている人たちを悪い人たちだと思ってしまう。こういうところに、落とし穴があるのである。


 

 

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