風呂に入った。あーー。やっと、入ったという感じ……。それに、風呂に入ると、なんかマラソンをやったような感じになるんだよね。めちゃくちゃにつかれる。もう、風呂でつかれる状態になっている。まあ、長期騒音の疲労蓄積なんだろうな。
昨日、じつは、夜になってから、「工事の人が、パティをとった」ということについて、腹がたって腹が立ってしかたがない状態になって、眠れなくなった。パティというのは、俺が、ネズミがはいらないように、板と板のあいだに、うまいことつけておいたパティのことだ。あれは、とらなくていいと言ったのに、とってしまったのだ。もうひとつ、パティをとってしまったのだけど、それも、よく見ないとわからない穴をふさぐためのものだったから、とってしまってはダメなのだ。あれも、いじらなくていいと言ったのに、勝手に、「ドアがあいたほうがいいだろ」と思ってとってしまったのだ。で、これには、伏線がある。長期騒音にやられていない状態でいきていたら、こんなことにはなってないのである。長期騒音が、遠因なのである。で、その遠因は、いまもひきずっている。普通の人が活動している時間に活動できなくなる時期があるので、非常にこまる。夜眠らず、昼間、工事の人に対処するとなると、ずっと起きているわけだから、意識が遠のくことがあるのである。というか、ともかく、普通の状態ではないので、普通なら、説明できることが説明できなくなってしまう。普通なら、思い出せることが、思い出せなくなってしまう。ようするに、思考がまとまらない状態になる。はっきりした記憶がない状態になる。これ、みんな、ネズミは穴から入ってくると思っているでしょ。穴からも入ってくるけど、板の隙間からも入ってくる。この板の隙間というのが、人間にとって、認識しずらい隙間なのである。とくに、板をおさないと、板がへこんで、隙間ができるという場合は、かなり、認識がむずかしいのである。工事の人は、「ドアはあいたほうがいい」「こんなパティはとったほうがいい」「ちゃんとやってやるからだいじょうぶだ」と言ったわけ。工事の人にとってみれば、横に幅10センチぐらいの板を貼れば、縦の板をおさえられるからだいじょうぶだと認識していたわけ。けど、そうじゃないんだよね。で、頭がすっきりしていた状態なら、「いや、これは、ここ隙間ができるんですよ」ということを説明できたのだけど、眠たくて、できなかった。「これ、なんかあったんだけどなぁ」みたいな感じで、工事の人が、自分の方法にこだわる人で、おしがつよかった。自分がやりたいことをやってしまうようなところがある人なんだよな。もちろん、「相手のためを思って、自分の技術を使うということができる」「相手のためにやってやるべきだ」と普通に考えてしまう人で、この人も、相手の立場に立って考えるということが苦手な人だったんだよな。悪意はないのは、はっきりしている。けど、悪意がないだけに、反論するのがむずかしいのである。悪意があって、悪意があることをしようとしている場合は、「それはおかしい」と反論できるのだけど、善意がある人であって、なおかつ専門的なぎじゅひがある人に、「こういうふうにしたほうがいい」と言われるとなかなか、反論することができない。それから、パティをぼくがつけたのは、3年前だから、ちょっと忘れていた。ほんとうに、おさないと、へこむというとがわからないところだったので、「これは、なんかあったんだけどなぁ」みたいな感じがしていたのだけど、眠たくて思い出せなかった。ともかく、おしが強い。「自分が相手にやってやりたいこと」と「相手が自分にやってほしいと思っていること」の、区別がつかない傾向が、その人にはある。「自分が相手にやってやりたいこと」を「やってやりたい」と強く思っている人なんだよな。で、きちがい親父がそういう人間だったので、こういうタイプの人が相手だと、いろいろな精神的な葛藤がはじまってしまうのである。ともかく、すっきりした頭じゃないと、説得できない相手なんだよなぁ。
これ、前の日、ちゃんと眠っていたら、「おしがち」できたのに、「なんか、あれだよなぁ」と思って、めんどうくさい気持ちも手伝って、「おしがち」できなかった。おしがちというのは、この場合、説得して勝つということね。「ほら、こうやって、ちゃんと(横木をつけて)おさえつければ大丈夫だろ」と言われて、「うーーん、ここはなんかあったんだけどなぁ」みたいな感じで、おしがちできなかった。お勝手の玄関の下は、「やらなくていい」と言ったのに、(工事の人が)勝手にやって、(ぼくは)あとで報告を受けたのである。ともかく、ぼくがパティをつけてから、工事の人を頼んで工事が始まるまでに3年ぐらいかかっているので、なんか、記憶がうすかった。工事の人は、「こんなのはがすべきだ」という気持がいっぱいなんだよ。そういう気持が、まんまん。「ちゃんとやってやるから」と言われると、寝不足でぼーっとした頭だと、反論ができない。