2022年11月7日月曜日

報告がない

バリバリのサラリーマンも含めて、幼児のようにだまされてしまった。ほんとう、毒の飴玉をもらってよろこんでいる5歳児とおなじ。
相関関係ではなくて、因果関係を証明できるけど、そういうことをすると、まるまるされてしまうのである。証明できるのは、医者ね。俺じゃない。
因果関係を証明できないとなると「ワクチンで死んだとは言えない」という、理屈が成り立ってしまう。もちろん、そういう理屈を成り立たせるために、医者をまるまるしている。
そういうことに気がつかない人たちが、ワクチンを打ってしまう。「因果関係が証明できないのだから、ワクチンの被害者は0だ」と言う人たちがあらわれる。「因果関係を証明できないのに、どうして、ワクチンのせいだと決めつけることができるのだ」と言う人たちがあらわれる。
普通の人たちは、そういう人たちのいいぶんを信じてしまう。うらになにがあるか、気がつかない。いいかげん、そういうしくみで「封殺している」ということに気がつこうよ。まあ、こう言ったって、わからない人にはまったくわからない。よく、社会人がつとまるなぁと思う。
なんでわからないの?
「報告がない」という言い方だって、おなじだよ。報告がないのと、実際にそうなってないというのは、ちがうんだよ。どうして、そのしくみに気がつかないのか? こんなの、すぐに、気がつくだろ。
ワクチンの重症化予防効果だって、重症化なんて予防できるわけがないでしょ。感染予防効果がないのに、重症化予防効果があるというのは、矛盾しているんだよ。同じしくみで増えている。同じしくみで「予防しようとしている」。しくみがちがうわけじゃないんだよ。なんで、気がつかないかな?

相手が100人だと、勝てないけど、相手が100万人だと勝てるとか言っている人を見たらどう思う? 同じしくみで、たたかっているんだぞ。勝てるわけがないでしょ。感染予防効果はないけど、重症化予防効果はあるなんて話は、そういう話なんだよ。

 
「同じしくみで増えている」と書いたけど、もちろん、これは、新型コロナウィルスがあるという前提で書いている。しかたがないから、そういう表現を使ったけど、そもそも、新型コロナウィルスがない。
そういう意味では、重症化を予防する意味なんてまったくない。感染を予防する意味なんてまったくない。こういうふうに、いちおうは、新型コロナウィルスがあるという前提で話さなければならないときもある。そういう場合は、あとで、訂正する必要がある。

いつも読んでくださるかたに感謝しております



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