2020年2月9日日曜日

ともかく、ひさびさの汁汁カレーだ。今夜は楽しませてもらうぜ


正直言って、かなりつかれている。けど、なんて言うか、いちおうは、生きている。生きるのがけっこうたいへんだ。
さっき、汁汁カレーを作った。作ったと言っても、まだつくっているさいちゅうだ。スロークッカーで調理中なので、まだ、できてない。スロークッカーはぼくには、まったくむいてないということがわかってしまった。
けど、まだ、おかってが使えないので、スロークッカーにたよらざるをえない。このあいだ、一度冷凍した生ラーメンを使って、電子レンジでラーメンを作ったのだけど、たいへんだった。ラーメンは、鍋で作るに限る。

うどんも、鍋で作ったほうが、一〇倍ぐらい楽だ。ともかく、おかってには、瞬間湯沸かし器がある。冬は瞬間湯沸かし器の便利さがよくわかる。
さっきも、スロークッカーに肉を入れるとき、肉を手でさわったので、手を洗わなければならなくなったのだけど、水で手を洗ったら、手が強烈につめたくなった。ひえた。
これ、けっこうこたえる。
調理をするときは、手を洗ったり、具材を洗ったりする機会がわりとあるんだけど、そのとき、水道水のつめたさがよくわかる。冬だからね。『つめてーー』と思う。むかしの人は、こういう水を使っていたのかと思ったりもするけど、ほんとうに、瞬間湯沸かし器がないところで調理をすると、瞬間湯沸かし器の偉大さがわかる。
おかってで普通に使っていたときは、『便利だな』と思ったときもあるけど、あたりまえになっていて、とくに、なにも感じなかった。ないと、わかるんだよねーー。ないと、わかる。
おかってなら、いろいろと洗って、フキンでふいて、かわかすところにおいておくだけなんだけど、おかってじゃないところで、調理をすると、そういうことも、けっこう、たいへんで、おかっての便利さを思い知らされる……。これも思い知らされた。ともかく、調理をするなら、ちゃんとしたおかってじゃないとだめだ。
いつも使っている鍋なら、目分量で、どんぴしゃの味がつくれるのだけど、スロークッカーの内側の土鍋は、ちょっと、目分量の感覚がずれる。基本的なかたちがちがうからなぁ。スロークッカーの内側の土鍋は、植木鉢のような形をしている。もちろん、穴はあいてないけど、全体のシェイプが植木鉢に似ている。なので、水の量と調味料の量の感覚がわからない。そういうことを考えても、やっぱり、しゃしゃっと、おかってで、料理をつくったほうが何倍も楽なのだ。
汁汁カレーがうまく作れるかどうかわからない。汁汁カレーはブイヨンの量が問題になる。カレー粉の量よりもブイヨンの量のほうが重要なんだよな。カレー粉はちょっと入れすぎたかもしれない。カレー粉が入っている缶を地層から、抜き出したようなものだよ……。いや、実際には袋のなかに入っているから袋を抜き出したんだけど、これも、ネズミが出なければやらなくて良かった作業だ。おかっても、ネズミが出なければ、普通に使えてた。
ともかく、午後八時ぐらいには、食べられるんじゃないかな。けど、これまた、肉がデカイ肉だ。一枚の肉だった。切ってあるのかと思った。切ってなかった。あとで、取り出したあと、切る。これも、包丁とまな板がよごれるのでたいへんだ。だいたい、まな板の置き場所がないんだよね。ほんとうにこまった。おかってが普通に使える状態なら、楽にできることなのに……。
ともかく、ひさびさの汁汁カレーだ。今夜は楽しませてもらうぜ。

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