2020年2月3日月曜日

どうして、俺の部屋は散らかるか? 再考


さて、どうしたものか?
正直いって、つかれたな。どうしたものだろうか?

また、横になるか? まあ、横になったとしても、そんなにいいことはない。いいことはないけど、比較的にいってて、楽である。あくまでも、比較的にいって、の話しだ。楽だけど、つらい。横になっているとき、ほんとうに楽なのかというと、楽ではないのだ。
横になっているとき、ほんとうはつらい部分がある。だるい部分がある。その、つらい部分やだるい部分をどうするかという話しなのだ。


ところで、昨日は、『仕事ができる人はなぜデスクがきれいなのか』という本を読んだ。この本は、アマゾンのマーケットプレイスで買ったんだけど、蛍光ペンでいっぱい線が引いてあった。こういう本は『可』で出さなければならないのだけど、出品者は『非常に良い』で出していた。

けど、まあ、安いからいいや。前に読んだ人がどういうところに線を引いているのかはまったく興味がない。それどころか、線が引いてあるところはさけて読むようなところがある。けど、基本、『書いてあることが理解できればいい本』なので、そういう読み方でもいいと思う。たぶん、正確に理解していると思う。書いてあることはねーー。書いてあることを理解することと、書いてあることを実行することはちがうのだ。

基本、体力がなくてこまっている。

この本の著者も「もとあったところにもどすのはあたりまえ」という考えが基本にある。それは、たしかにそうなのだけど、人によっちゃーー……それができない。まあ、そういう人たちのために、このほんの著者は『習慣化』という方法を紹介しているのだけど、そういう人たちは習慣化に失敗している人たちなのだ。けど、まあ、そこそこ、かたづけなければならない。どこになにがあるのかわかるレベルでかたづいていれば、問題はない。けど、なんていうのかな? 基本的に体力がない人はやはり、かたづけ好きにはならないと思う。

『かたづけ』も『かたづけ』と書くか『片付け』と書くかでまようなぁ。

公的な場所は、まったく汚さないように、気を使うけど、自分のうちに関しては、開放感がある。外で気を使っているぶんだけ、うちのなかでは、散らかしてしまおうという気分がある……みたいだ。だって、俺がかたづけるしかないのだから。俺が散らかしたものを他の人がかたづけるというのは、気が引けるけど、俺が散らかしたものを俺がかたづけるのであれば、気が引けるということはない。

基本、なんとなくだけど、机の上に袋や缶をおきたい。袋などは、破ったらすぐにゴミ袋のなかに入れるべきなんだよな。あるいは、使い終わったらすぐにゴミ袋に入れるべきだ。ゴミ袋は可燃ゴミ袋と不燃ゴミ袋とプラスチック用のゴミ袋があるから、その都度分類して、すぐに捨てたほうがいい。

けど、たとえば、ティーパックの袋を机の上に置きたいんだな。で、ティーパックは一回では、捨てないので、ティーパックを置くためのカップに入れる。これは、実際に何度か使うので、非合理的な行動ではない。出がらしの紅茶のほうが体にいいような感じすらすることがある。というのは、ぼくが一日に紅茶を飲みすぎていると感じるからだ。だいたい、紅茶も緑茶も利尿作用がある。なので、ぼくのような人間はそれほど飲まないほうがいい。

けど、飲みたい。がぶ飲み。水のように飲む。実際、水やお湯を飲む回数というのは少ない。あとは、コーラの缶だけど、しばらく、机の上に置いておきたい。これ、捨ててから眠るとか、あり得ない。だいたい、洗って捨てなければならないので、けっこうたいへんなのだ。どうしたって、あとまわしになる。「起きてからやろう」ということになる。
なので散らかっていく。


エディタで書いてから、コピーアンドペーストで貼り付けるのだけど、IE11を使うようになってから、IE11が、改行を削除してしまうという問題がしょうじている。
なので、いちいち、修正しなければならないのだけど、修正するのがめんどうなときは、修正しないので、そこのところ、よろしく。

いつも読んでくださるかたに感謝しております



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