まあ、最初の設定が、現実に反映するようにできているので、モデルはモデルでしかない。
けど、いちおう、思考実験として、パチンコ屋について考えてみよう。
パチンコ屋は、各ブロックに1軒しかなく、パチンコ屋に行くということは、そのブロックのパチンコ屋に行くことを意味する。ひとり、1日に1回しか、パチンコ屋に行けない。パチンコ屋で使うカネ(投入金)は、みんな、おなじ金額にする。パチンコ玉が、特定の場所に入った場合に出てくるパチンコ玉の数も、みんなおなじ。これは、どのブロックでもおなじだ。
そして、ゼロブロックは0%の確率で玉がでる。1ブロックは10%の確率で玉がでる。2ブロックは20%の確率で玉がでる。3ブロックは30%の確率で玉がでる。4ブロックは40%の確率で、玉がでる。5ブロックは50%の確率で、玉がでる。6ブロックは60%の確率で、玉がでる。7ブロックは70%の確率で、玉がでる。8ブロックは80%の確率で、玉がでる。9ブロックは90%の確率で、玉がでる。10ブロックは100%の確率で玉がでる。
こういうことにしておこう。
各ブロックの玉がでる確率が、そのまま、その人たちの、パチンコで勝つ確率になる。確率なので、揺らぎがあるけど、1ブロックの人は、だいたい平均すると10回に1回だけ勝つということになる。
もちろん、2回連続して勝つこともあるし、20回連続して負けることもある。あくまでも、何回も何回も、試行を繰り返した場合だ。
7ブロックの人は、だいたい平均すると10回に7回勝つということになる。もちろん、10回連続して勝つこともあるし、7回連続して負けることもある。
けど、でる確率という条件は決まっているので、努力をしても、でる確率はかわらない。
「でる」と明るいことを考えた場合と、「でない」と暗いことを考えた場合のでる確率は、長期的にみればかわらない。けど、だれがか「でる」と明るいことを考えれば、でると言ったとしよう。これは、まちがっている。かーーせんぜんに、まちがっている。
その人が明るいことを考えたから、確率がかわるかというと、確率はかわらない。
完全なまちがい。
けど、「でる」と明るいことを考えて打ったら「でた」ということがあったとする。そうすると、その人は、……「でる」と明るいことを考えれば、でる……と考えてしまうようになる。
そのあと、「でる」と明るいことを考えて打ったにもかかわらず、でなかった(けっきょくその日はまけた)ということがあったとしても、その人が、その事実を無視して、無意識的に記憶に残さないようにすれば、でたときの記憶ばかり残って、でなかったときの記憶は、ないということになる。
あるいは、出なかった日の回数がうっすらとぼけていて、「そんなに負けてない」というようなおおざっぱな記憶が残ったとする。
そうなると「そりゃ、でなかったときもあるかもしれないけど、でると思えば、だいたい、でる」と言うようになる。
「アバウト思考」をするパーソナリティーであって、なおかつ、自分にとって有利な記憶は強く残り、自分にとって不都合な記憶は薄く残るか、忘れてしまうというようなパーソナリティだと、そういうふうに考えてしまう。実際の勝率と、その人が思っている「だいたいの勝率」にちがいがある場合がある。
ゼロブロックに住んでいる人は、どれだけ「でる」と明るいことを考えても、でない。
明るいことを考えても、明るいことは起こらず、明るいことを考えたのに「負ける」という暗いことが起こる。
これは、ゼロブロックに住んでいる人の性格とか、思いとかとは、関係がない。ゼロブロックに住んでいる人の頭のよさとか、スキルのすごさとは、まったく、関係がない。
ただ、ゼロブロックに住んでいて、ゼロブロックのパチンコ屋に行くしかないから、明るいことを考えてやっても、暗い結果がでるということになる。
けど、何回も何回も、出ないという結果を繰り返すと、「やる気」をなくすようになる。そして、「でる」という明るいことを考えれば、明るいことが起こり、でないという暗いことを考えればでないという暗いことが起こるという考え方は、まちがっていると考えるようになる。
これを、たとえば、9ブロックの人が見た場合、「そんなふうに考えているからでないんだ」「ネガティブに考えているからでないんだ」と考える場合がある。
9ブロックの人は、自分のめぐまれた条件を無視してしまうので、自分より下の条件をもっている人を見ると、そういうふうに考えがちなのだ。
けど、まちがっている。
条件が影響をしている。ここでは、でる確率という条件が影響している。
そして、そのブロックにうまれたら、そのブロックのパチンコ屋に行くしかないという条件が影響をあたえている。各ブロックの人が、みーーんなみんな、条件を無視して、「性格」や「明るい思い」や「暗い思い」が、玉がでるかどうかに影響をあたえていると考えていたとしたら、滑稽ではないか。
だって、みんな、玉がでる確率という条件を無視して……この世界では所与の条件を無視して……まちがったことを言っているからだ。
原因について、考え違いをしているのである。
滑稽。滑稽。幼児的万能感にみたされている人ばっかり……。
玉がでる確率という条件だけは無視して、あーーだこーーだと言っているのである。
「でると思えばでる」「勝つと思えば勝つ」と条件がいい人が言う。条件が悪い人は、どれだけ「でる」と思ってもでない。「でる」というような明るい思いとは関係なく、条件が決まっているので、条件が悪い人が、どれだけ「でる」と思ってパチンコをやっても、でない。これは、その人の気持ちの問題じゃない。
けど、『条件』というものをガン無視する人は、「暗いことを考えたから出ないんだ」と理由付けをしてしまうのである。
けど、そうじゃない。
玉がでる確率という条件を無視しているから、そういう精神論が正しいと思うようになってしまう。玉がでる確率という条件が、影響をあたえている。
「明るいことを考えたか」「暗いことを考えたか」なんて、まったく関係がない。