2024年8月25日日曜日

悩みはあるし、見せかけの解決法はある

パチンコで説明してきたけど、ルーレットで説明してもいい。

たとえば、1から100までの目(め)があるルーレットを使うことにする。かならず、1から100までの目で、とまる。つまり、中間でとまるとか、ずっとまわり続けるということはない。

まあ、くぼみのようなものがあり、それが目を構成しているなら、くぼみとくぼみのあいだに出っ張ったところがあるということになる。その、出っ張ったところでとまるということはないということだ。

ゼロブロックの人は、1から100目がでたら、はずれ。

1ブロックの人は、1から10までの目が出たときは、当たりで、それ以外の目が出たときは、はずれ。

2ブロックの人は1から20までの目が出たときは、当たりで、それ以外の目が出たときは、はずれ。

以降、3ブロックは30まで、4ブロックは40まで、5ブロックは50まで、6ブロックは60まで、7ブロックは70まで、8ブロックは80まで、9ブロックは90まで、10ブロックは100までとする。

ゼロブロックと10ブロックには揺らぎがない。ゼロブロックは100%の確率ではずれる。10ブロックは100%の確率であたる。ほかのブロックでは、揺らぎがある。

問題なのは1ブロックの人が、「どうして自分は運がないのだろう」と悩んでしまうところだ。そして、「運をつけるための方法」や「運をあげるための方法」というのが、すべてカス方法で、まったく役に立たない方法だということだ。

悩みはあるし、見せかけの解決法はある。

しかし、その見せかけの解決法は、さらなる悩みしかうみださない。

絶望しかうみださない。

絶望しかうみださないことが、最初から決まっている。

役に立たないことが、最初から決まっている解決法だ。

9ブロックの人は、約90%の確率であたる。

その時々で、揺らぎがあるから、ぴったり、90%の値に対応した回数だけあたるわけではない。けど、だいたい90%の値に対応した回数だけあたる。

もちろん、試行回数が10回であれば、揺らぎの影響を大きく受けてしまう。しかし、試行回数が100000000000回であれば、揺らぎの影響は小さくなる。

9ブロックにいるSさんは、「運」がいい人なのか?

1ブロックにいるTさんは「運」が悪い人なのか?

9ブロックにいるSさんは、実際に運がよく見えるので、運をあげる方法について言及すことができる。もちろん、Tさんだって、言及することはできる。

けど、運が悪そうに見える人が、運をあげる方法について語ったって、だれも信用しないだろう。

Sさんには、固有の「ツキ」があるというわけではない。

Sさんを1ブロックに移動して、Tさんを9ブロックに移動すれば、Sさんの「ツキ」は終わり、10%ぐらいしか勝てなくなる。

ようするに、固有のものではないのである。

「運」とか「ツキ」というものは、固有のものではないのである。

けど、「そうみえる」ことがある。

ただ単に見えているだけなんだよということを言いたいわけ。

結果から、運がいいとか、運がないと言っているだけであって、それは、結果を「運がいい」とか「運が悪い」という言葉で、言い換えているにすぎない。

だから、原因にはならない。

もう、何回も書いていることなんだけど、そういうことだ。

「運をあげる方法」なんてない。

なぜかというと、「運」という言葉で、過去の結果を、言い換えているだけだからだ。

固有のものではない。

たとえば、Sさんは、約90%の勝率なので、運があるように「み・え・る」。

見えるだけなんだけど、見える。

*     *     *

Sさんが、長財布を使っていたとしよう。

そして、Sさんが、「長財布を使うと運がよくなる」と言ったとする。

それを聴いた?Tさんが、Sさんの「まね」をして、長財布を使いだしたとする。

はたして、Sさんの運はあがるのかどうか?

はたして、Sさんの勝率はあがるのかどうか?

あがらない。

運もあがらなければ、勝率もあがらない。

Tさんが1ブロックにいる。Tさんが1ブロックにいるという条件?が、ティーさんの実績をつくりだしている。

それ以外ではない。

だから、あがらない。

どれだけ、長財布を使っても、あがらない。

どれだけ、「長財布を使えば運があがる」と強く信じても、あがらない。

ずっと信じていれば、ときどき、連続してあたるときがある。

そのとき、Tさんが、じゅうぶんにおろかなら、「長財布を使えば、運があがる」と信じてしまう。

けど、ずっとずっと、やり続ければ、けっきょく、10%に相当した回数に近い回数しかあたらないということになる。

ほんとうの条件が、まったくまったく、かわらないということがわかる。

長財布を使うかつかわないかという条件は、ほんとうの条件とは、まったく無関係なのである。ほんとうの条件とは、回数のちがいをうみだしている条件のことだ。

長財布が運をあげたように見えたけど、じつは、あげてなかった。

けっきょく、おなじだった。

どうしてかというと、Tさんが、1ブロックに住んでいるからだ。1ブロックのパチンコ屋にしか行けないからだ。

長財布は、まったく、運とは関係がないのである。

運というのは、結果を言い換えているだから、まったくまったく、意味がない。

固有のものではないとずっと書いてきたけど、これは、その人に固有のものではないということだ。

わかるかな?



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