「いいことを考えただけ」で、いいことが起こるなら、だれも苦労は、してない。
「明るいことを考えただけ」で、明るいことが起こるなら、だれも苦労は、してない。
たとえば、ある年の1月に、「いいことがある」と思ったとする。けど、その年の2月に「悪いことが起こった」とする。
そういうことだってある。
「いいことがある」と思ったのに、悪いことが起こった。
そういう現実だってある。
その場合、「いいことを思うといいことが起こり、悪いことを思うと悪いことが起こる」というような法則性がありそうな文言というのは、どうなってしまうのだ?
法則性がないということが証明されたようなものじゃないか。
だいたい、「いいことを思うといいことが起こる」ということは、「いいことを思うと、100%の確率で、いいことが起こる」ということと意味的に等価だ。
「いいことを思ったのに、悪いことが起こる」場合があるなんてことは、言ってない。
「いいことを思ったのに、悪いことが起こる」場合はないのである。
しかし、「いいことを思ったのに、悪いことが起こる」場合だってある。
それが現実だ。
この文言は、現実を説明してないのである。
法則性なんてないのである。
妄想で、現実を説明しようとしても無理がある。