問題なのは、「明るいことを考えれば、明るいことが起こる」というような、いちおうは前向きで、通りのよい考え方が、実際には、条件が悪い人をくるしめているということだ。
しかも、「明るいことを考えれば、明るいことが起きて、暗いことを考えると暗いことが起こる」という考え方は、もっともっともっと、条件が悪い人をくるしめることになる。
これは、あまり言うべきではないのだけど、カルマ論に関係している。
つまり、なぜ、ゼロブロックに生まれる人もいるし10ブロックに生まれる人もいるのかということが問題になる。
ぼくの説明を読んでいるとき、10ブロックや9ブロックに生まれた人は、運がよくて、ゼロブロックや1ブロックに生まれた人は運が悪いと思った人はないだろうか。
まあ、ぼくは、書いているとき、そういうふうに思う人がいるだろうなと思って書いていた。
ようするに、ゼロブロックに生まれたやつは、ゼロブロックに生まれたから、運が悪いということになる。
そして、すべては自己責任という考え方が付け加わると、ゼロブロックに生まれたやつは、ゼロブロックに生まれたから悪いんだということになってしまう。
「ゼロブロックに生まれたやつは、ゼロブロックに生まれたから、運が悪い。そんなのは、自己責任だ」ということになる。
生まれかわりやカルマということについて考えると、ゼロブロックに生まれた人は、前世で悪いことをしたから、ゼロブロックに生まれたんだということになる。10ブロックに生まれた人は、前世で善いことをしたから、10ブロックに生まれたんだということになる。
ほんとうだろうか。
ぜんぜんちがうのではないか。
むしろ、10ブロックに生まれた人は、悪魔の手先として悪いことをしたから、10ブロックにうまれ、ゼロブロックに生まれた人は、良心に従って善いことをしたから、ゼロブロックに生まれたのではないか。
10ブロックに生まれた人は、前世で極悪の限りを尽くしたから、10ブロックに生まれたのではないか。ゼロブロックに生まれた人は、前世で、苦しみながらも善行をしたから、ゼロブロックに生まれたのではないか。
じつは、割り振りをしている存在がどういう存在なのかということで、結論が180度変わってしまう。この人間は、ゼロブロックに割り振る。
この人間は10ブロックに割り振るということを決めているのは誰なのか?
悪魔なのか、神なのか。
神だと考えると、あたかも、カルマ論が正しいような気がしてくる。
しかし、神ではなくて、悪魔が割り振りをしているとしたらどうだ。
悪魔が、輪廻をつかさどっているとしたらどうか。
まさしく、悪魔の手先として使える悪人を10ブロックに転生させ、最も神にに近い、善人を、ゼロブロックに転生させるのではないか。
ゼロブロックにうまれさせ、善人に、悪の感情を植えつけようとするのではないか。悪魔なら、そうする。悪魔が輪廻システムを管理しているのであれば、当然そうする。