2024年8月18日日曜日

けど、「否定して判断した」という、記憶が残らない。

 「明るいことを考えれば明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」ということを信じているのに、自分は、パチンコをやったとき、あんまり勝てないので、パチンコをやめたという人がいる。

パチンコでお金をかせぐことができるという「明るいこと」を考えれば、パチンコでお金をかせぐことができるという「明るいこと」が起こるはずなのである。その人は、それが絶対法則だと確信している。

なら、明るいことを考えてパチンコをやれば、かならず、明るいことが起こるはずなのである。確信しているのだから、ずっとやるべきだろう。というか、なんで、勝てるという「明るいこと」を考えて、パチンコをやったのに、負けるという「暗いこと」が起こるのか?

おかしいじゃないか。

明るいことを考えてパチンコをやったのに、負けた……この事実だけで……このひとつの事実だけで……「明るいことを考えれば明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」という言葉がまちがっているということがわかる。

「明るいことを考えれば明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」という命題が『偽』であることがわかる。

なんでわからないの?

なんで、現実を見ようとしないの?

なんで、負けたにもかかわらず、「明るいことを考えれば明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」ということは、絶対法則だと思っているの?

 

*     *     *

 

たとえば、Eさんは、「明るいことを考えれば明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」というということを信じているのだけど、何十回かパチンコを打ったら、負けたので、パチンコをやらないようにしたとする。

パチンコをやめたのは、毎回、「勝てる」と明るいことを考えたのに、負けたので、「負けることもある」ということを理解して、やめたのである。

つまり、現実的なことに関しては、現実的な判断をしているのである。けど、それでも、「明るいことを考えれば明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」という考え方をあきらめきれないのである。

これは、幼児的万能感がつよく残っている人には、よくあることだ。本人は、矛盾を感じないのである。現実的な場面では、「明るいことを考えれば明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」という考え方を否定して、判断しているのである。

けど、「否定して判断した」という、記憶が残らない。いつまでもいつまでも、「明るいことを考えれば明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」ということになっているのである。

本人は、現実的な場面では、現実的は判断ができるのだけど、「明るいことを考えれば明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」という考え方を自分が否定したという自覚がないので、他人には、「明るいことを考えれば明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」という考え方は正しいと、主張しまくるのである。

本人にとって現実的なことに関しては、本人が気がつかないまま「明るいことを考えれば明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」という考え方を否定して、判断しているのに、他人には、「明るいことを考えれば明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」という考え方は絶対的に正しいと主張しまくるのである。

はっきり言って、迷惑なやつだ。

こういうやつらが、ひじょうーーーに、多いのである。どんだけ、こういうやつらがいるか、数えきれないほど、いっーーっぱい、いーっっっぱい、いる。本人が、気がついてないというところが、「悪質」なんだよなぁ。

まあ、こどもっぽいと言えば、こどもっぽいのだけど……。

そして、気がついていないのだから、「悪意」はないということがわかるのだけど、「悪意」がないぶんだけ、「悪質だ」ということがあるのだ。

この世には、そういうことがある。

 

いつも読んでくださるかたに感謝しております



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