1ブロックの人だって、2回連続で勝つことはある。ある人がAさんだとする。Aさんは、「勝てると思えば勝てる」「明るいことを考えれば、明るいことが起こる」「人に親切にすれば、勝てる」「すべてに感謝すれば、勝てる」と思って、パチンコをやった。
そうしたら、2回も連続で勝てた。1ブロックの条件は、10%だ。
10%だから、長く打てば、10%に収束していく。
2回連続で勝ったとき、「勝てると思えば勝てる」「明るいことを考えれば、明るいことが起こる」「人に親切にすれば、勝てる」「すべてに感謝すれば、勝てる」ということは、正しいと思ってしまうけど、20回連続で、「勝てると思えば勝てる」「明るいことを考えれば、明るいことが起こる」「人に親切にすれば、勝てる」「すべてに感謝すれば、勝てる」と思っていたのに、負けたことは、無視してしまう。
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「勝てると思えば勝てる」「明るいことを考えれば、明るいことが起こる」「人に親切にすれば、勝てる」「すべてに感謝すれば、勝てる」と、並べて書くと問題が発生するので、「すべてに感謝すれば勝てる」ということについて考えることにする。
たとえば、だれかが、「すべてに感謝すれば勝てる」と言ったとしよ。それをAさんが聴いて、「すべてに感謝すれば勝てる」と思って打った。そうしたら、勝てた。だから、Aさんは「すべてに感謝すれば勝てる」と思って打てば勝てると思うようになる。
そして、Aさんのなかでは「すべてに感謝すれば勝てる」というのは、真実になる。
ほんとうは、真実じゃないのだけど、Aさんの頭のなかでは、真実になる。
Aさんが、すべてに感謝しながら、パチンコを打って負けたとする。
「すべてに感謝すれば勝てる」と思っていたのに、すべて感謝したにもかかわらず、負けたのだ。
これを、Aさんは、無視してしまう。
勝ったときは、重視して、負けたときは無視してしまう。
だから、Aさんのなかでは、いつでも、「すべてに感謝すれば勝てる」というのは、真実だということになっている。
Aさんが、それでしあわせならいいけど、Aさんに「すべてに感謝すれば勝てる」と言われた人は、どうなのだろうか。
たとえば、「すべてに感謝する」ということを実行して、10000回打ったのに、9000回負けた人がいるとする。Bさんだとする。Bさんは、自分の体験から「すべてに感謝しても、勝てないときがある」「すべて感謝しても、負けることのほうが多い」と感じたとする。
その場合、Aさんが言っていることは、真実でないと、Bさんは感じるだろう。
2回連続して勝っただけで、「すべてに感謝すれば、勝てる」と思ったAさんは、じつは、Bさんとおなじように、10000回打って、だいたい、9000回ぐらい負けている。2回連続して勝ったことが1回あるので、Aさんが、「真実だ」と確信しただけだ。
事実の認識という点では、Bさんが正しい。
ただ、Aさんは「すべてに感謝すれば勝てる」ということを、宗教的に信仰しているので、事実をうけいれることができないだけなのだ。
Aさんが事実を見ないようにして、妄想的なことを言っているだけなのである。
妄想的なことなのに、「事実だ」とAさんが言っているだけなのである。
妄想的なことなのに、「真実だ」とAさんが言っているだけなのである。