精神世界の人が、よく「笑う門(かど)には福来る(きたる)」ということを言う。わらっていれば、福がくるんじゃないか。「笑う門(かど)には福来る(きたる)」というように、わらえば、幸福になるですよ……ということを言う。
けど、たいせつなことを忘れている。
わらいあっている関係がすでに成り立っているのである。
家族でわらいあう関係がすでに成り立っている。
もう、その時点で、幸福なのである。
きちがい的な親が子供を虐待しているような家庭では、わらないがないかもしれない。
じゃあ、きちがい的な親が子供を虐待しながら、わらえば、福がくるのか?
じゃあ、きちがい的な親が子供を虐待しているとき、こどもが、無理やりわらえば、福がくるのか? ちがうでしょ!!
なんで、これがわからないかな?
ある人が、きちがい的な親に虐待されているこどもに「笑う門(かど)には福来る(きたる)というように、わらえば幸福になる」と言ったとしよう。
そのこどもが、きちがい的な親を思い浮かべて、どんな気持ちになるか、まったくわかってないなぁ。まったくわかってない。
そのこどもが、きちがい的な親との間にあったさまざまなエピソードを思い出して、どんな気持ちになるか、まったくわかってないなぁ。
「家族でわらいあえば、しあわせになるから、家族でわらいあえばいい」……。
いや、家族でわらいあっている時点で、しあわせなんだよ。
そういう過去の出来事がある時点でしあわせなんだよ。そういう過去の出来事が……家族でわらっているような出来事が、過去においてたくさんある。
もう、その時点で、しあわせなんだよ。