パチンコとかルーレットとかを使って説明してきたけど、パチンコで金をかせぐしかない世界や、ルーレットでカネをかせぐしかない世界における、パチンコやルーレットというのがなんなのかというと、仕事なのだ。労働なのだ。
まあ、ルーレットで説明する。
ゼロブロックの人は、飢え死にしてしまうので現実的ではない。こどももつくれない。
1日に1回だけブロック内のルーレット屋に行って、ルーレットをする。
これは、遊びじゃない。
生活費を稼ぐために、だれもがやらなければならないことなのである。拒否権はあるとする。ルーレット屋に行かないことも、自由だとする。
けど、この設定は、かえてもいい。
けど、とりあえず、拒否権があるものとする。1日に1回だけ行けるけど、さぼるのも自由だということだ。けど、昨日さぼったので、今日は2回言ってもいいということにはならない。
ルーレットの勝負で1回勝つと、1万円もらえるということにしよう。
1ブロックの人の勝つ確率は10%なので、30日通い続けると、だいたい、3万円稼げるということになる。31日の月あるし、28日の月もあるし、29日の月もあるのだけど、話を簡単にするために、30日ということにしておく。
2ブロックの人の勝率は20%なので、月に30日通い続けると、だいたい、6万円稼げるということになる。
けど、もちろん、揺らぎがあるので、4万円しか稼げない月や7万円稼げる月もある。
けど、ずーーっと長くこの勝負を続けていると、月にだいたい平均6万円ぐらいかせげるということになる。
でっ、おさっしのとおり、3ブロックの人は、9万円、4ブロックの人は、12万円、5ブロックの人は15万円、6ブロックの人は、18万円、7ブロックの人は、21万円、8ブロックの人は24万円、9ブロックの人はと27万円、10ブロックの人は30万円、かせげるということになる。
もちろん、10ブロックの人をのぞいて、揺らぎがあるので、平均ということだ。
ゼロブロックについては、存続不可能ということで、今回は考えないことにする。ゼロブロックと10ブロックをのぞいて、揺らぎがある。
1ブロックの人は、どれだけ、がんばって、どれだけ、願いをかけてルーレットをまわしても、平均で月に3万円ぐらいしか稼げない。
しかし、10ブロックの人は、どれだけ手をぬいても、どれだけ願いをかけなくても、ともかく、ルーレットやに行って、ルーレットをまわせば、月に30万円稼げる。30万円稼げることが決まっている。
けど、ぼくが設定した条件を知らない人たちは、10ブロックの人は、運があるというのである。10ブロックの人は、負けるということがないので、強運の持ち主だということになる。
いっぽう、1ブロックの人は、運がない人だということになる。何回やっても、そんなに勝てない「ダメなやつ」だということになってしまうのである。
1ブロックの人が、どれだけ、勝つことについて、くわしく勉強したとしても、勝率はかわらず、だいたい10回に9回は負けるということになる。
勝つコツについてどれだけ、調べても、勝てる回数がかわらない。
もちろん、揺らぎがあるから、「この方法で勝てる」と確信するときはあるのだけど、けっきょく、何回も何回も、繰り返せば、その方法は無力だということがわかるのだ。
ようするに、その方法でやったときの勝率は10%、その方法を使わなかったときの勝率は10%で、揺らぎがあるにしても、ずっとやっていれば、10%に対応した回数ぐらいしか勝てないということがわかる。
どれだけ、運をあげようとしてもむだ。
どれだけ、いろいろな方法を考えても、むだ。
もうすでに、説明したことだから、省略して説明するけど、10ブロックにおいて、「絶対に負ける」と全部の回で思って、ルーレットをまわした人は、「勝つと思えば勝てる」という法則性がありそうな言葉が、嘘だということに気がつくのである。
どうしてかというと「負ける」と思ってやっても、勝ってしまうからだ。
勝つと思ってまわしたら、10回まわして、10回とも、勝てた……。
だったら、「勝つと思ってやれば、勝つ」ということが、法則として正しいのかどうかということを問題にしているのである。
じつは、「勝つと思ってやったら、100%の確率で勝てた」にしろ、「勝つと思ってやれば、勝つ」という法則が成り立っているわけではないのだ。
負けると思ってやっても、100%の確率で勝つからだ!!
それなら、「負けると思ってやったら、100%の確率で勝てた」のだから「負けると思ってやれば、100%の確率で勝てる」ということが法則として正しいのか?
「負けると思ってやれば、勝つ」という法則が成り立っているわけではないのだ。
50%の回は、勝つと思って、やって、50%の回はまけると思ってやっても、100%勝ってしまう。
なので、「思いに関係なく、やれば、勝つ」というのが、いちおうは、正しいということになる。
「勝つと思えば、勝つ」というのは、まちがいで、「思いに関係なく、勝つ」というのが、正しいということになる。10ブロックではそうなる。
もうすでに、説明したことだから、このくらいでいいだろう。
もうすでに、説明したことなんだけど、さらに、ちょっとだけ、説明しておく。
10ブロックの人が、「あくびをしながらまわすと勝てる」と言ったとする。
ゼロブロックの人が「あくびをしながらまわしても、勝てない。1ブロックの人は、あくびをしてまわしても、10回に1回ぐらいしか勝てない。
「1回でも勝てたじゃないか」と言う人もいるかもしれないけど、あくびをせずにまわしても、10回に1回ぐらいは、勝てるのである。
なので、あくびをしてまわすかどうかということは、勝率には影響をあたえない。あくびをしてまわすということが、さも有効な方法だということを言うのは、よくない。
くしゃみをしてまわすということも、目をつぶってまわすということも、おなじだ。それらの方法は、結果に影響をあたえないのである。
精神世界の人は、「まねをすればいい」ということを言う。
お金持のまねをすれば、お金持になる。
運がいい人のまねをすれば、運がよくなる。
こんなの、うそ。大うそ。
しかも、まねをすることで、マイナスになることはないという前提でものを言っているのである。
10回に1回しか勝てなくて、生活がぎりぎりになってしまっている人に、マイナスになることはないという前提でものを言うのはよくない。
そりゃ、「あくびをする」ぐらいだったら、いいかもしれないけど、やること自体におカネがかかることだと問題が発生する。
たとえば、長財布を買って、長財布を使うということだ。
これ、生活がぎりぎりなのに、長財布を買わなければならない。お金持のまねをするために、生活がぎりぎりである人が、長財布を買わなければならない。買った時点で、マイナスだ。効果がなければ、マイナスなのである。
長財布の効果がないことは、決まっているので、マイナスになるだけで終わる。長財布で運をよくする……長財布でルーレットで勝てるようにする……という試みは、マイナスで終わるのである。
* * *
ちなみに、付け加えて言っておくと、精神世界の人は、トライをするとトラブルがしょうじることを、無視する傾向がある。
「やるだけやってみればいいじゃないか」と言うのである。「ニコニコすればいいことがある」と言っている人は、ニコニコしたことで悪いことがしょうじる可能性について、まったくまったく、考えてないのである。
ニコニコすれば100%いいことがあると思い込んでいるのである。ニコニコしたら「なに、にやにやしているんだ」と、ガラの悪い人にからまれるということだってあるのだ。
ニコニコしていたら「おまえ、俺のことをわらったな」と殴り掛かってくるやつだっているのである。
そんなことは、絶対にないと言い切れるのか?
ニコニコしていれば、かならず、いいことがあると言い切れるのか?
ニコニコしたので、トラブルがしょうじたということだって、実際にある。ニコニコという表現が、プラスイメージの表現なので、ニコニコという表現に引きずられてしまうけど、本人が主観的にニコニコしていたって、他人がどう感じるのかはわからないのである。
他人は「ニタニタしていた」と感じるかもしれないのである。
ニコニコではなくて、単に「わらう」と表現したっておなじだ。
わらえば、100%いいことがあるのか?
わらったことで、トラブルが発生することは、絶対にないのか?
たとえば、AさんとBさんがいたとする。AさんとBさんは知り合いではない。AさんがBさんの顔を見て、わらった。Bさんは、不審に思って、「俺の顔がおかしいのか」と言ったとする。これだって、トラブルだ。
いいことが起こるとは限らない。
Cさんが、Dさんの顔を見て、けらけらとわらいだしたとする。Dさんは、あんまりいい気持にならないだろう。Cさんに対して、Dさんは、悪いイメージを持つことになる。
わらえば、かならず、いいことがあるとは言えない。