別に、本人が、本人の身に、いいことが起こるんじゃないかと思うのはいいんだよ。
けど、法則性があるようなことを言うなということなんだよ。
どうしてかというと、法則性がないからだ。
これ、法則性詐欺なんだよ。
「明るいことを思えば、明るいことが起きて、暗いことを思えば、暗いことが起こる」というのは、法則として成り立っていることではない。
ところが、あたかも、法則として成り立っているようなことを口にする。
それは、よくないことなんだよ。
どうしてかというと、法則として成り立ってないからだ。
勝手に、自分のなかで「いいことが起こるような気がする」とか「社会はいい方向に向かう」と思うことは、いいことだ。これは、なんかそういう気がするということだから、別に、法則性とは関係がない話だ。
けど、法則性があるようなことを言いやがるのである。
そうなると、現実を無視してしまう。
これは、ものすごく重要なあやまちだ。
条件が悪い人のことをおいつめることになるのである。「そんなつもりはない」と言うかもしれないけど、条件が成り立っている。条件を無視するべきではない。
それから、悪い為政者が、社会を悪い方向に引っ張ろうとしたとき、悪い為政者の味方をしてしまうことになる。
これ、わからないかもしれないけど、今回、そういうことが実際に起こった。
もう、すでに起こったことだ。
悪い人たちが、一般人をだまして、悪い方向に導こうとするとき、「明るいことを思えば、明るいことが起きて、暗いことを思えば、暗いことが起こる」という考え方が、その後押しをしてしまうのだ。悪い人たちは、やりやすくなる。「明るいことを思えば、明るいことが起きて、暗いことを思えば、暗いことが起こる」と言う人たちが、増えれば増えるほど、悪い人たちは、やりやすくなるのである。悪い人たちが、プランを実行するとき、「明るいことを思えば、明るいことが起きて、暗いことを思えば、暗いことが起こる」と言っている人が多ければ多いほど、スムーズに、プランを実行できるということになってしまうのである。
だいたい、現実的な条件を無視してしまうというのは、よくない。
特に、自分のことではなくて、人の条件を無視して、妄想的なことを言うのはよくない。
ほんとうは、法則性がないのに、法則性があると仮定して、ものを言ってしまうのはよくないことだ。
だって、それだと、どれだけ条件が悪くても、条件が悪い人が、「明るいこと」を考えれば、それだけで、その条件が悪い人の身の上にも、「明るいことが発生する」ということになってしまう。
ところが、そうじゃないのである。
現実は、その思いを、うらぎる。現実は、思ったとおりにならない。思ったこととはまったくちがう現実の出来事が発生する。
現実の話をしているわけ。
現実の世界で、条件が悪いということは、悪いことが発生しやすいということなのである。
こっちのほうに、法則性がある。
現実の条件がどれだけ悪くても、本人が明るいことを考えていれば、明るいことが起こる……これが、嘘なんだよ!!
そして、そういう嘘に傷つくのは、「明るいことを思えば、明るいことが起きて、暗いことを思えば、暗いことが起こる」と言っている人たちではなくて、条件が悪い人たちなんだよ。現実世界で条件が悪い人たちなんだよ。
現実世界で、条件が悪い人の身の上に、暗いことが発生してしまう。条件がいい人よりも、条件が悪い人に、暗いことが発生しやすいんだよ。
こっちのほうが、法則性があることなんだよ。
精神世界の人にしたがえば、「どんだけ、条件が悪くても、明るいことを考えていればそれでいいんだ」ということになってしまう。
けど、実際に起こるのは、明るいことではなくて、暗いことなのである。どうしてかというと、条件が悪いからだ。
条件を無視して、妄想的なことを、言うのはよくない。
特に、ほかの人の身の上のことについて、妄想的な発言をするのはよくない。
だいたい、もう、何回も書いているけど、精神世界の人の言い分をきいてしまうと……「暗いことが起こっている人は、暗いことを考えたからダメなんだ」……ということになってしまうのである。
あるいは、精神世界の人の言い分をきいてしまうと……「悪い状態の人は、悪いことを考えたから、悪い状態になった」……ということになってしまうのである。
けど、実際の現実世界では、暗い人が、明るいことを考えても、明るいことが起こらず、暗いことが起こってしまうのである。
どうしてかというと、条件が悪いからだ。
条件を無視して、「暗いことを考えたから、暗いことが起こったのだ」と考えてしまうのはよくないことだろ。他人のことなんだぞ。
精神世界の人たちは、他人の身の上に起こったことについて、そういう判断をして、そういう発言をしているんだぞ。
精神世界の人たちは……「(その人が)暗いことを考えたから、その人の身の上に暗いことが起こったのだ」……と決めつけている。
ちがう!!
条件が悪いから、その人の身の上に暗いことが起こった。
条件が悪いということは、かなりの高確率で、暗いことが起こるということなのである。
精神世界の影響をうけた人は……みんな!! 条件を無視して、法則性があるようなことを言って、条件が悪い人のことを追い込む。
条件が悪い人がどれだけ、頭のなかで「いいこと」を考えたって、条件が悪いのだから、「いいことが起こる確率」はきわめて低いのである。
ところが、「いいこと」を考えただけで、それをかえられると(精神世界の人たちは)言うのだ。
「いいこと」を考えるといいことが起こるのだから、それ(実際に悪いことが起こるということ)をかえることができるということになる。
ところが、現実世界では、そうならないのである。
現実的な悪い条件が、「いいこと」を考えたかどうかよりも、現実的な結果に影響をあたえるのである。
実際に、悪いことが起こってしまった場合、それは、悪いことを考えたから、悪いことを考えた人が悪いということになっているのだけど、それは、まちがいだ。大きく、まちがっている。
そして、自己責任論がつけくわわれば、「実際に悪いことが起こったのは、悪いことを過去において考えたやつの責任だ」ということになってしまうのである。
これは、「悪いことが起こる」とその人が考えなかった場合でも、結果的に、現実世界で悪いことが起こった場合、精神世界の人はその人(条件が悪い人)が「悪いことを考えたから悪いことが起こった」と考えるということを意味している。
現実世界で、条件が悪いから、悪いことが発生したのに、悪いことを考えていなかったにもかかわらず、精神世界の人たちが……「(その人が)悪いことを考えたから、悪いことが実際に起きた」と決めつけてしまう。
「悪いことが起こったなら、悪いことを考えたにちがいがない。悪いことを考えた、おまえの自己責任だ」と精神世界の人が、悪いことが実際に起こった人に言うことになるのである。悪いことが起こった人というのは、条件が悪い人のことだ。条件に関係なく、事前に悪いことを考えたかどうかに関係なく、実際に悪いことが起こったなら、その人が、事前に悪いことを考えたから、悪いことが起こったのだと(精神世界の人たちが)決めつけてしまう。
そして、悪いことが起こると(事前に)考えたのだから、悪いことが起こると(事前に)考えた人の責任だということにしてしまう。ようするに、実際に悪いことが起きたなら、その人は、過去において悪いことが起こると考えたから、悪いことが起こったのだと、自動思考をしてしまうのである。精神世界の人は、そう自動的に考えてしまうのである。
そして、さらに、本人が「悪いことを考える」という……悪いことをしてしまったのだから……悪いことが実際に起こったのは、過去において、悪いことが起こると考えた人の自己責任だと、自動思考をしてしまうのである。精神世界の人は、そう自動的に考えてしまうのである。
もちろん、そういう自動思考の前提には、妄想が成り立っている。
悪い条件が、悪い出来事をつくりだすことがある。ところが、そういう条件については、ガン無視して、ただ単に、その人が「思ったから」そうなった……その人が思ったからダメなんだと……勝手な自動試行して、その人のことをせめる人たちが存在する。精神世界の人たちと、インフルエンサーの言うことを信じて、ちょっだけ、かぶれた人たちだ。
この人たちは、条件が悪い人のことを、不当にののしっている。
しかし、妄想的な人たちは、「(自分は)いいことを言った」と思って悦に浸っているである。条件が悪い人が、不愉快なるようなことを言ったのに、いいことをしたと思って悦に浸っているのである。
実際には、無実の人に、濡れ衣を着せて、さらに、そうなったのはおまえのせいだ」と言って、けなしている。こういうことをやっておいて、本人は、「いいことをした」と思っているのである。役に立たない、非・現実的な対策を教えてあげて、本人は「いいことをした」と思っているのである。
精神世界の人たちは、条件が悪い人のことを、不当にののしっている。精神世界の人たちがやっていることは、善行じゃない。