2024年5月2日木曜日

やっぱり、好きな人と行動していたときは楽しかった

 しかし、みんな、楽しみというのはなんなんだろうな? みんな、どういうときに、楽しいと感じるのかな? まあ、ぼくも、長いこと、人間をやってきたので、「楽しい」と思うことはあった。まあ、それぞれに、「楽しい」の「楽しい」がちがうわけだけどね。子どものとき、友達と遊んだのが、一番、楽しかったことなのかな。まあ、子どものころは、人間だれでも、躁状態に傾いている。俺も例外ではない。

長期騒音で、だいぶ、「楽しい」と思う感情が死んだんだよね。正確に言えば、楽しいと思う、根源的な感情だ。これは、どうにもならない。だから、まあ、楽しいと思うようなことをやっても、あんまり楽しくはない。これは、どうにもならない。けど、最大限、自分を楽しませようとすると、どうなるのか? これも、まったくわからない。旅行とか異性との付き合いとか、そういうものに楽しみを見出す人が多いけど……。たとえば、旅行で考えればわかるのだけど、ぼくは、旅行に行っても、楽しくない。シェディングがまったくなかったとしても、楽しくない。異性との付き合いも、「どんぴしゃ」の人がいれば、楽しいと思うのだろうけど、「どんぴしゃ」の人からちょっとでもはずれると、楽しくないのだ。ストライクゾーンが、極端に小さいのだ。まあ、それはそれとして……。ゲームとか、スポーツとか……。まあ、旅行よりももっと楽しくない……。感情が麻痺しているからね。

スキーとかゴルフはちょっとやってみたい感じがある。けど、旅行とおなじで「ちょっと」なんだよね。終活という言葉があるけど、終活の一環として、やってみたい気持ちはあるのだけど、その過程で、ちょっとでもいやなことが起こったら、相当にダメージをうけてしまう。まあ、いまは、スポーツの話だけど、旅行の話にすれば、わかりやすい。旅行中に、なんかのトラブルがあると、とてつもなく、へこむ自信がある。

まあ、けっきょく、一番楽しいというような感じがしょうじるのは、やっぱり、他人がかかわっているような感じがする。やっぱり、好きな人と行動していたときは楽しかった。人がかかわっているんだよね。そりゃ、子どものころからそうだ。うちは、きちがい親父ときちがい兄貴が家族だから、ほかの人たちとはちがうのだ。きちがい兄貴がもたらしたことが、でかすぎる。

も、う、感情、死んだよ。死んだと書くと、ちょっとでも、楽しいと思うなら死んではいないだろ……と言われそうなので、楽しみに関しては麻痺していると書いた。感情全体で言えば、憂鬱になったり、怒ったりしているのだから、感情は、まだ、ある。感情はあるのだけど、楽しくはないのだ。

 

 

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