2021年1月1日金曜日

疲れ果てていると、そういうところで、失敗が多くなる

『ご注文はうさぎですか?』というのをちょっと見たのだけど、そのとき、とあるハンバーガーショップのコーヒーカップホールダーをごみ箱に入れたのを思い出した。俺はそのとき、バイトをしていて、ものすごく疲れていた。コーヒーカップをホールドするものなのだけど、取っ手部分がついていて、飲みやすくしたものなのだ。けど、あれは、わからない。たとえば、紙やプラスチックのごみを捨てるところに、「コーヒーカップホールダーはここにおいてください」と書いてあれば、そこに置くのだけど、そういうことが書いてあるものがないのである。コーヒーカップホールダーがひとつ置いてあれば、そこにおいていいのだなということがわかる。あのとき、ほんとうに、猛烈に疲れていた。通勤に、片道、約2時間かかるのだけど、俺は、疲れ果てていた。まあ、長期騒音の影響があって、なかなか眠れな状態だったので、疲れがたまりにたまっていた。いまだったら……正常な状態であれば……金属製のコーヒーホールドを、スタッフがいるところにもって行くということができた。けど、台の上に置いておくというのが、適切な行動なのかどうかわからなかった。台の上に置いておく……そのまま立ち去るというのが、俺には、まずいことに思えたのだ。ごみとして捨てるよりも、出しっぱなしにしておくほうがより悪いというような感覚があった。疲れ果てていなければ、「置いておけばいいや」と思って、置いておくということも選択できた。しかし、疲れ果てている俺は、ふぎゃーっとなって、コーヒーカップホールダーをゴミ箱に入れた。そのとき、「また、探さなきゃいけない」「ほんとうに、捨てそうな感じがしない人なのに、わからないのかな?」とスタッフが言ったような気がしたのだ。これは、空耳なのかどうかわからないけど、なんか、そんな感じがした。けど、それは、捨てたあとの話だ。これ、後悔しているんだよ。アルバイトさんの仕事を増やしてしまった。たぶん、ゴミのなかから、金属製のコーヒーカップホールド探し出さなければならないのだ。

なにを言いたいのかというと、疲れ果てていると、そういうところで、失敗が多くなるということを言いたいのだ。これは、疲れ果てている以上、さけられない。どれだけさけようとしていても、注意力や判断力が落ちるときがある。というか、疲れ果てていると、注意力や判断力が落ちている。けど、アルバイトさんの仕事を増やしてしまったことにはかわりがないので、後悔している。

けど、あのコーヒーカップホールダーは、曲者で、捨てるもののなかに捨ててはいけないものが入っているということになる。しかも、どこに置くべきなのか、明示されてないのである。たとえば、「捨てないでください」と書いておくとする。その場合、「捨てない」ということはわかるけど、そのあとどうすればいいのかわからない。だから、どこに置くのか場所を明示したほうがいい。ところが、そういう張り紙がなかった。じつは、捨てたあとに、ゴミ箱の「かがまないとわからない部分」に「コーヒーカップホールダーは、捨てないでください」と書いてあったような気がした。それを読んだから、スタッフが不満を言っているような感じがしたのかもしれない。あるいは、ほんとうに、スタッフがそういうふうに言ったのかもしれない。それは、わからない。

台の上にひとつは、その コーヒーカップホールド(ホールダー)が置いてあれば、「ああ、ここに置いておけばよいのか」ということがわかるのだけど、俺がゴミ箱のところに行ったときは、一個もコーヒーカップホールド(ホールダー)が置いてなかった。あれ、片づけないで、ひとつは置いておくべきなんだよ。

で、数十日後に、「あまりにもコーヒーカップホールダーを捨てる人が多いから、コーヒーカップホールダーを提供することはやめた」というようなアナウンスがあったのだ。で、たぶんコーヒーカップホールダーは廃止されたと思う。あれ、誤解するんだよ。

けど、捨てたのは、なんか、こころのこりなんだよな。失敗したと思っている。俺はなるべくスタッフさんの仕事を増やすようなことはしたくないのだ。したくないのだが、そういう失敗もある。ぼくは、じつは、きちがいおやじに育てられたので、ものすごく基本的な部分!で店にいるときの行動にあんまり自信がない。これ、頭がおかしい親に育てられた人は、わかると思う。頭がおかしい親だけではなくて、たとえば、外食などをしないうちで育てられた人は、外食店での行動に自信がないと思う。まず、そういうのが、ベースにあるんだよな。ほんとうは……。

なんていうのかな、これは、こっちに書くべきことじゃないけど、頭がおかしい理由で怒り狂うような親に育てられた子供は、基本的に、「気がつかない子供」ではなくて「気にしすぎる子供」になる。さらに、貧乏という要素が加わると、いろいろと問題が出る。こういうのは、よく、発達障害だと思われる要素なのだ。けど、これは、発達障害ではない。むしろ、逆。気がつかないのではなくて、気がつきすぎるのである。よその人は、気にしすぎる子供の「不適切な行動」と気がつかない子供の「不適切な行動」の区別がつかない。これ、逆なんだよ。ほんとうは「人の表情を読めない子供」と「人の表情を読みすぎて崩壊してる子供」の違いがある。まあ、いいけどさ。これは、こっちに書くようなことじゃないから。

いつも読んでくださるかたに感謝しております



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