2021年1月23日土曜日

のんびりしている人も含めて、ちがうと思う。

 風呂に入った。風呂に入るのも命がけである。

だいたい、体じゅうにかきこわしのあとがあるので、あんまり入りたくない。これも、じつはいろいろなことが影響している。二系統ある。しかし、まあ、いいや。ともかく、あんまりよくない。

むかしは、こんなことはなかったからなぁ。

コーヒー、飲みたい。じつは、昨日、飲んだ。起きたあとに飲んだから、体感的には「きょう」だ。12時をこえているからね。しかし、部屋が片付かない。さらに、さっき、お玉を落とした。落としたところは、夏に殺虫剤をかけたところだから、お玉を使う気になれない。

雨がやんだら、お玉を買ってこよう。あとは、スリッパか。

むかしだったら、ここで、パソコン系のことをやって、眠るところなんだが、やる気がしない。パソコン系はデザイン系のことね。文章系じゃない。文章に関してはパソコンという感じではないんだよな。

俺は、一生、生活保護以下の生活だと思う。月額で考えた場合ね。居住費、税金、社会保障費、NHKあたりを含めた、生活費を考えるとだいたい、生活保護以下になる。まあ、好きなものを食べているけどね。

俺の問題は、そこじゃない。それ以前の問題だ。

このさき、どうするかな? 時間はもどってこない。そりゃーそーだ。しかし……。あれはひどかったなぁ。ほかの人はちがうんだよね。のんびりしている人も含めて、ちがうと思う。ほかの人は、俺が経験したような長期騒音は経験してないし、俺が経験したような「うちでの」出来事は経験してないと思う。もちろん、だれもがちがうわけだけど……。俺が言いたいのはそういうことではなくて、ほんとうに、かわった家だったということだ。

ともかく、「今を楽しみましょう」というようなことを含めて、ぼくは、肯定できない。そりゃ、楽しめる人は楽しめるのだろうけど、俺は楽しめない。たとえば、10時間1分走ったとしよう。その場合、10時間2分目の状態は、10時間1分走り続けたということの影響を受けている。たとえ、10時間2分目に記憶喪失になって、10時間1分走っていたということを、忘れてしまったとしても、体がつかれているという感覚はあるはずだ。その場合、過去の影響を受けている。過去に関する記憶をなくしたとしても、体が「過去の出来事」の影響を受けている。 この場合、「過去の出来事」というのは走ったということだ。

けど、一年たてば、たしかに、影響はなくなる。けど、走っているときに、なんらかの病気になったなら、その影響はうけるかもしれない。まあ、これは、たとえ話だ。たしかに、影響が小さなくなった過去の出来事というのはある。もはや、影響を与えてないと考えることができる過去の出来事はあるだろう。しかし、10時間2分目と同じように、本人の記憶とは関係なく、過去の影響を受けていることがある。記憶ばかりではないということは、言っておきたい。過去の出来事ということを考えると、たいていは、記憶の話になってしまうからな。

 

 

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