2024年10月5日土曜日

眠りたい。

 はやく、しあわせな気持で、眠りたい。

ものすごく、不愉快な出来事を思い出したりする。ほんとうに、家族がきちがいだと、全部がボロボロになる。いやなことばっかりだったなぁ。


2024年10月4日金曜日

スローモーション

 もう、ほんとうに、スローモーションを見ているようなんだよなぁ。ほんとうに、展開がおそい。100分の1倍速スローモーションだ。

結果が、わかった。そこまでの道筋も、だいたい、わかった。あとは、実行されるのをまっているだけなんだけど、つらい。実生活は、つらいからなぁ。そりゃ、いままでの延長線上にあるのだから、つらいに決まっている。ともかく、はやくしてほしい。

どのみち、ぼくは、勝つ

 いまは、あんまりいい状態ではないけど、どのみち、ぼくは、勝つ。もう、決まっている。もう、決まっているんだよ。

目がいたい

 目がいたい。これは、だいたい、あの蚊取り線香事件のあとから、はじまっていたんだけどなぁ。けど、蚊取り線香事件のあと、郵便物・ポスティング物の処理をしたとき、また、かゆくなったんだよなぁ。ほうっておけぱなおるかと思っていたのだけど、なんか、今日はひどい。実際、調子がいいときは、なおっていた。だったら、昨日の夜、ダメになったと考えられるのだけど、昨日の夜は、特になにもやってない。ともかく、あの事件のあと、断続的に目が悪くなっているんだよね。なおったり、悪くなったりしている。ずっと調子がいいわけじゃない。あるいは、窓をあけて、外の空気をなかにいれたとき、花粉みたいな感じで、いろいろな粒子がとんできて、悪くなったのかもしれない。けど、右目がおかしい。左目は、だいじょうぶだ。

2024年10月3日木曜日

上の人たちによって、洗脳されて、圧力をうみだす側になっている。

 精神世界の人たちは、社会をよくしようと思っているのだけど、じつは、精神世界の人たちが、抑圧構造のなかで、圧力をうみだす「道具」になっている。まあ、上の人たちによって、洗脳されて、圧力をうみだす側になっている。

精神世界の人たちだけではなくて、プラグマティズムの影響をうけた人は、精神世界の人たちとおなじようなまちがいをおかし、精神世界の人たちとおなじような存在になっている。ようするに上の人たちによって、洗脳されて、圧力をうみだす側になっている。

*     *     *

ビジネス系……プラグマティズム、自助論、努力論、自己責任論、認知療法、行動療法、認知行動療法、行動主義心理学、アドラー心理学、日本労働教的な労働観

精神世界系……言霊、思霊、引き寄せ、すべて感謝主義、受け止め方主義

共通点は、生まれの条件をガン無視すること

共通点は、構造的な問題を個人の問題にすりかえてしまうこと

じつは、こういう精神世界的な考え方が、抑圧構造をうみだしている。

 ぼくは、ここで「明るいことを考えれば明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」というような考えたを批判しているわけなのだけど、これには理由がある。じつは、こういう精神世界的な考え方が、抑圧構造をうみだしている。これ、生まれの条件が悪い人を抑圧するための道具なのだ。精神世界的な考え方が好きな人は、本人の意思とは関係なく?抑圧構造に貢献して、圧力をうみだしている。ようするに、精神世界的な人が増えれば増えるほど、社会が悪くなっていくのであるる。社会の圧力が、よけいに高くなるのである。この社会の圧力というのは、よくない圧力だ。

条件の差を無視して、へんなことを言うな!

 精神世界の人と、条件が悪い人の相性が悪すぎる。条件が悪い人というのは、生まれの条件が悪い人だ。1ブロックと2ブロックのちがいについて話したけど、精神世界の人が、たいして、めぐまれていない条件だったとしても、生まれの条件がものすごく悪い人よりは、ましなのである。そして、この世で生きていると、それは、つらいことがある。生まれの条件がわいる人よりも、めぐまれてている人だって、生きていれば、つらいことがある。だから、別に、生まれの条件が悪い人以外の人が、つらいことを経験したことがないということを言っているわけではないのである。しかし、生まれの条件が悪い人は、性格が極端に悪い家族にかこまれているので、条件が悪い状態が長く続くことになるのである。じゃあ、まあ、性格が極端に悪い家族のことを、きちがい的な家族と言ったとしよう。きちがい的な家族のもとにうまれた人は、生まれながらに条件が悪い人だ。生まれたときだけではなくて、成長しているあいだ、ずっと、条件が悪いのである。それは、きちがい的な家族が、きちがい的なことを仕掛けてくるからだ。きちがい的な家族が、きちがい的な行動をするからだ。どうしたって、影響をうける。影響をうけないですませるということができない。けど、これだって、影響をうけないことは可能だ」と精神世界の人は言うわけである。「すべては受け止め方の問題だから、影響をうけないことは可能」なのである。「すべては受け止め方の問題だ」ということについて、批判されれば、「自分だってつらい思いをした(ことがある)」と言いかえしてくる。ほぼ、100%の確率で、こいつらは、こういうふうに言いかえしてくる。けど、きちがい的な家族のもとにうまれてきた人と、きちがい的な家族のもとにうまれてこなかった人では、ものすごい、差がある。差があるんだ。しかし、精神世界の人は、その差を、認めない。「自分だって苦労した」「すべては受け止め方の問題だ」「明るいことを考えれば明るいことが起こる」「暗いことを考えたから、ダメなんだ」と言ってくる。こいつらは、条件を無視して、無理なことを言ってくる。「きちがい家族の影響をうけないことは可能だ」というのも、無理なことのひとつだ。こいつらの言っていることは、すべてがすべて、こういう調子だ。条件の無視。無理難題。こいつらは、もうちょっと、まともに、現実を見たほうがいい。

ともかく、条件の差がある。条件の差を無視して、へんなことを言うな!

ともかく、条件の差がある。条件の差を無視して、無理なことを言うな!

 

大根は、そろそろ使わないとだめなんだよな

 昨日まで、ボロボロだったんだけど、今日は、ちょっと復活している。これから、大根を切るつもりなのだけど、大根を切るという力がなかったんだよね。まったくやる気がしなかった。けど、今日は、大根を切るつもりになっているので、ちょっとはちがうのだろう。

大根を切って、まあ、大根と肉の味噌汁をつくろうと思っている。あとは、カット野菜を投入することにした。カット野菜はいろいろと問題があるので、使うのをさけてきたけど、「ない」よりはましかなと思って使うことにした。ぼくのような人間だと、カット野菜を買っておいて、カット野菜をくさらせてしまうということがあるわけなんだよね。カット野菜は、いろいろな処理がしてあるので、問題がある。たぶん、処理の問題が、添加物のような問題になってる。処理された野菜をくって、だいじょうぶなのかなとも、思うけど、どうしても、野菜を切りたくないときがあるので、いちおう、買っておこうかなと思っている。

大根は、そろそろ使わないとだめなんだよな。だから、使う。大根を入れるなら、別にカット野菜を追加して入れる必要はないのだけど、気分で、入れる。

ボロボロにつかれているときは、ほんとうに動きたくない。動けない。でっ、あんまり言いたくないのだけど、動けない時間がけっこう長い。布団に「うちつけられた」ような状態で眠っている。これも、眠っていればいいのだけど、横になったまま起きている場合がある。横になっている時間が、いい時間であればいいのだけど、横になって時間が、くるしかったりする。くるしい状態で横になっているのは、くるしい。トートロジーなんだけどね。

まあ、ともかく、野菜を切れるところまで復活した。

2024年10月2日水曜日

ガタがきてこまっているのに、さらに、よけいな用事を頼まれてしまったのとおなじ状態

 まず、「おまえの身に悪いことが起こっているのは、おまえが悪いことを考えているからだ」とダメ出しをするのである。

そして、まったく役に立たないばかりか、むしろ、有害なことを教えるのである。し

かし、有害なことを教えたとは思ってないのである。

この条件というのは、見えない条件ばかりなので、実際に、その人……助言の対象となる人……本人……の身になって生活してしみないとわからないということが、いっぱいある。

どういう強さの条件が、どの程度の数、成り立っているかということが、他人にはわからないのである。だから、他人というものは、その人……助言の対象となる人……本人……に成り立っている強い条件を無視してしまう。

そして、「明るいことを考えれば明るいことが起こる」とアホなことを言う。

しかし、悪い条件が複数、成り立っている状態で「明るいことを考える」と、逆に「暗いことが起こる確率」が高くなるのである。

「明るいことを考えれば明るいことが起こる」と助言をする人たちは……「自分のこととして考える」ということがない人たちなので、それは、対象者に成り立っている多数の条件なんて、無視だ。

「明るいことを考えれば明るいことが起こる」と他人に言う人たちは、他人のことを自分のこととして考えることがないので、無理なことを言えるのである。「明るいことを考えれば明るいことが起こる」と他人に簡単に言える人は、他人の条件について、考える力が非常に弱い。相手の表面しか見えない。相手の条件は、無視している場合が多い。

これは、助言される人に、圧力が加わったということだ。助言される人は、誤情報を教えられたということだ。誤情報であるということは、ほかのところで述べている。「明るいことを考えれば明るいことが起こる」というのは、妄想なのである。基本的にはまちがった情報だ。誤情報だ。

そもそも、わるい状態で暮らしている人は、ぎりぎりの無理をしている。そういう状態で、圧力をかけられたらどうなるか?

ストスレ対抗でいっぱいいっぱいになっているのに、さらにがんばるということになる。いっぱいいっぱいで、いろいろなところに、ガタがきてこまっているのに、さらに、よけいな用事を頼まれてしまったのとおなじ状態になる。

たとえば、「明るいことを」を無理や考えたことにより、悪いことが発生したって、そんなことは、「明るいことを考えれば明るいことが起こる」と言った人は、まったく気にしない。もともと、「明るいことを考えれば明るいことが起こる」と簡単に言う人は、自分勝手な人で、幼稚な人なので、相手がこまるというとは、認めない。幼稚と言ってしまったけど、これは、幼児的万能感に支配されているということだ。

くるしい状態で明るいことを考えるということが、どれだけ、無理なことか、ぜんぜんわかってないのだ。くるしい状態といっても、まあ、種類がある。程度の問題がある。質の問題がある。「明るいことを考えれば明るいことが起こる」と言う人は、相手の条件を無視して、相手の状態を無視して、幼児的万能感に支配されたことを言うので、たちが悪い。

まあ、はげしく、つらい状態で、「明るいことを考える」ということが、どういうことなのかわかってないのである。そんなのは、考えられるはずがないのである。そして、もし、考えるとしても、からだの状態を無視して、無理やりに「明るいことを想像する」ということだから、むなしさがつきまとうことになるのである。「明るいことを考えれば明るいことが起こる」と言う人たちは、明るいことを考えられる状態しか想定してない。

いたくて、いたくてたまらないときに、「明るいこと」を考えてもしかたがないのである。いたくて、いたくて、たまらないときに、「明るいこと」を考えたって、いたさで、その「明るいこと」は消えてしまうだろう。

くるしいときも、おなじなのである。めちゃくちゃにくるしいとき、「明るい」ことを考えたって、なんのなぐさめにもならない。そもそも、考えることができない。

たとえば、きちがい的な騒音が鳴っている状態で、「明るいこと」を考えても、明るいことは、消滅して、怒りが沸き起こってくるのである。「明るいことを考えれば明るいことが起こる」と言う人たちは、明るいことを普通に考えることができるよゆうがある状態しか、想定してない。

けど、そういう状態でないときがある。そして、複数の悪い条件が重なった場合は、明るいことを普通に考えることができない状態なのである。これを無視するな。

*     *     *

「明るいことを考えると明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」と言う人について考えてみよう。

まず、「暗いことを考えると暗いことが起こる」というのは、事実、くるしい状態の人をせめている言葉なのだ。暗い出来事が発生してくるしんでいるのは、「おまえが、過去のある時点で、暗いことを考えたからなのだ」という考え方がある。「明るいことを考えると明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」と言う人は、相手の現在の状態について、そう考えているのである。

「おまえの身に悪いことが起こっているのは、おまえが悪いことを考えているからだ」とダメ出しをしてしまう時点で、この人は、相手のことをまったく考えてないということがわかる。

この人というのは、「おまえの身に悪いことが起こっているのは、おまえが悪いことを考えているからだ」とだれかに言った人のことだ。

「おまえの身に悪いことが起こっているのは、おまえが悪いことを考えているからだ」ということは「おまえの身に暗いことが起こっているのは、おまえが暗いことを考えているからだ」ということに置き換えることができる。

こんな、アホな決めつけをして、他人を攻撃している人が、他人の状態について深く考えられる人であるはずがない。

他人の状態についてまったく考えることができな人だから、幼稚な考えにしたがって、「暗いことを考えたから、暗いことが起きたんだ」と決めつけてしまう。

この発言をしているときは、相手の条件なんてまったく考えてないんだよ。

そして、「(自分が)相手の条件をまったく考えてないということ」について無自覚なんだよ。

「条件がいいと、明るいことが起こりやすくなり、条件が悪いと暗いことが起こりやすくなる」

 「明るいことを考えると、明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」という考え方は、

すでに、くるしい思いをしている人を、さらにくるしめる。

条件が、「苦しい状態」をつくりだしている。条件が、その人にとって「苦しい世界」をかたちづくっている。環境だ。条件だ。人によって、条件がちがうのである。「どんなうちにうまれたか」ということも、条件のひとつだ。

そして、この条件は「本人にはどうすることもできないこと」である期間が長い。

そして、いわゆる、密告による救済だけど、これが救済になってないのだ。つねに、建前とは、逆のことがおこなわれると考えたほうがいい。だから、社会的な救済はないと言っていい。

条件が悪い人には、いろいろと不愉快な出来事が発生するようになっているのである。条件がいい人には、いろいろと、楽しい出来事が発生するようになっているのである。

条件が悪い人は「運が悪い」と表現されることが、たびたび起こるようになっているのである。条件がいい人は、「運がいい」と表現されることが、たびたび起こるようになっているのである。

条件が、出来事の質を決めてしまっている。そして、「不可避である」部分がある。ところが、他人の条件を無視してしまう人は、他人に対して、「さけられることだ」と言ってしまう。しかし、助言される側の人間にとっては、さけられないことである場合が多い。

そりゃ、他人の……詳細だが頑丈な条件は、なかなか見えないところがあるので、「さけられることだ」と言ってしまう。

条件について言われれば、条件の概要は理解できるはずだと思ってる鈍感な人たちがいるけど、ほんとうは、条件について言われても、鈍感な人たちが、(対象となる人の)条件を無視してしまえば、助言をされる側の条件は、助言をされる人に影響をあたえてないことになってしまうのである。

鈍感な人たちは、他人の条件について、考え違いをしてしまうのである。

たとえば、AさんとBさんがいるとする。Aさんは、助言をする側だとする。Bさんは、助言をされる側だとする。

Bさんにとっては、不可避な条件なのだけど、鈍感なAさんにとっては、他人の話だから、Bさんの条件は不可避な条件には、見えないのである。

Aさんは、Bさんの条件を簡単に回避できるような条件だと思ってしまうのである。

ところが、Bさんにしてみれば、回避不可能な条件なのである。そして、条件からしょうじる「わるいこと」も回避不可能なのである。

この回避不可能性について、軽く見る人たちがいる。

ともかく、Aさんのような能天気な人たち、Aさんのような鈍感な人たちにとってみれば、他人の深刻な出来事は、たいして深刻な出来事ではないのである。そして、深刻な出来事をもたらす条件は、たいした条件ではないのである。

*     *     *

冒頭にもどると、 「明るいことを考えると、明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」いうのは、真っ赤な嘘だ。

ほんとうは「条件がいいと、明るいことが起こりやすくなり、条件が悪いと暗いことが起こりやすくなる」だけなのである。

だから、条件が悪いと、どれだけ明るいことを考えても、なかなか明るいことが起こらないということに直面することになる。条件の悪い人は、どれだけ明るいことを考えても、明るいことが発生せず、暗いことが起こり続けるということになる。

それは、悪い条件が、暗いことを発生させるのだから、条件がかわらない限り、高い確率で、暗いことが起こり続けるのである。

ところが、それを、「暗いことを考えているからダメなんだ」と、悪い条件の人のせいにする人たちが、あらわれる。

精神世界の人たちだ。

精神世界の人たちというのは、基本的に、幼児的万能感が捨てきれない人たちだ。幼児的万能感に強く支配されている人たちだ。

だから、基本的な思考が、幼児的万能感によって支えられた思考になる。その思考を、「悪い人たち」によって使われ、簡単に洗脳されてしまう……。

えらそうなことを言って、もともと、条件が悪い人のことを、言葉でいじめているのである。条件が悪い人に、『負のストローク』をあたえているのである。もちろん、悪気はない。ほんとうに、相手のことを考えるのが、苦手なだけなのである。

2ブロックの人は、1ブロックの人よりも、めぐまれている

 2ブロックの人は、1ブロックの人よりも、めぐまれている。 2ブロックの人は、1ブロックの人よりも、条件がいい。

だから、たとえば、2ブロックの人は1ブロックの人には、説教できるので、「上の人が洗脳用に用意した文言」を1ブロックの人に言うわけ。

たとえば、「努力をすれば成功する」とか「明るいことを考えれば明るいことが起こる」というようなことを言う。

2ブロックの人は、1ブロックの人よりも勝てるわけ。実際、勝てるわけ。

だから、2ブロックの人は1ブロックの人に対しては、えらそうなことを言ってもいいと思っている。

他人に「洗脳用の考え方」をおしつけてもいいと思っているわけ。

「洗脳用の考え方」は、ほんとうは、いいように、おしつけられたものなのだけど、「自分で考えて、自分で正しいと思ったから、選択した」とそういう人たち……単純な人たち……だまされやすい人たち……洗脳されやすい人たちは、考えているわけ。

だから、「自分」では、宗教的なことや、常識的なことは、うたがいようがないことだと思っているわけ。

けど、「上の人が洗脳用に用意した文言」というのは、理論的には破綻している。だまされやすい人や洗脳されやすい人は、「上の人が洗脳用に用意した文言」というのは、理論的には破綻しているということに、気がつかない。

 

だから、一見「もっともらしそうなこと」には注意が必要だ。

 上のやつらが、努力論をはやらすと決めたら、努力論がはやることになっているのである。上のやつらが、自己責任論をはやらすと決めたら、自己責任論がはやることになっているのである。

ブロックで説明してきたけど、10ブロックより上のブロックがあるとすると、こういうことをはやらせるということを決めるブロックは、10ブロックより上のブロックだ。

10ブロックは、そいつらが決めたことの恩恵を受けるブロックだ。9ブロックもおなじだ。10ブロックや9ブロックの上位ブロックは、楽なのである。

「常識」や「下位ブロックの人が信じていること」が、彼らに優位に働くのだ。

努力論だって、下位ブロックの人が信じてくれると、上位ブロックの人はやりやすくなる。上位ブロック人が、どんどん利益をえるということになる。そういうしくみが成り立っている。

「そういうしくみ自体に、文句を言わないようにする」というのが重要なことだ。

上位ブロック、中位ブロック、低位ブロックのすべての人が、「そういうしくみ自体」に文句を言わないようにするのだ。彼らは、中位ブロック、低位ブロックの人が、文句を言わないように洗脳する。

自己責任論だって、「そういうしくみに文句を言わせないようにする効果」がある。

そりゃ、上位ブロックの人は、文句を言うはずがないので、中位ブロック、下位ブロックの人が文句を言わないようにするということは重要なことだ。

中位ブロック、下位ブロックの人が文句を言わないような思想をふりまいておくのである。「その思想が正しい」と中位ブロック、下位ブロックの人たちを洗脳しておくのである。だから、一見「もっともらしそうなこと」には注意が必要だ。

いつも読んでくださるかたに感謝しております



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