2021年1月11日月曜日

「もとうつ病患者」というような肩書を持っている人も、「やられてない人」のなかに入る

「つかれ」について考えていた。「やる気」について考えていた。「楽しみ」について考えていた。

けっきょく、疲れとやる気は反比例する。そして、それはどうにもならない。あとは、「やられちゃったひと」はもう、普通の状態には戻らないということだ。一度、セルフニグレクト状態になってしまった人は復活しても、「もとの状態」には戻らないということだ。

うつ病状態が長い人は、もう、「もとの状態」には戻らない。ライフハック的な「うつ対処」や「やる気を出す方法」は、まったくもって無意味。

無意味であるばかりではなくて有害。有害なのは確かなのだけど、「うつ」でくるしい人や「やる気がなくて」くるしんでいる人はどうしても、「方法」をさがしてしまう。そして、そこには、有害なことが書いてある。

有害なんだよ。

無益ではなくて、有害。

どうして、有害なのかというと、余計に疲れる方法しか書いてないからだ。あるいは、そもそも、「やられちゃった人」向けの話ではないので、「やられちゃった人」が読むと、余計に、落ち込むからだ。

やられちゃった人というのは、すぐにそういう状態になったわけじゃなくて、言ってみれば「やられてない人向け」の考え方を読んでトライすることで、とてつもなくこまった状態になってしまった人なのだ。

ようするに、そこに書いてある方法が、その人たちの首をしめることばかりなのである。そこに書いてある方法が、余計にだるくなる方法、余計に憂鬱になる方法、余計に疲れる方法なのだ。どうしてそうなるかというと、書いている人間が「やられてない人」だからだ。

注意しなければならないのは「もとうつ病患者」というような肩書を持っている人も、「やられてない人」のなかに入るということだ。うつ病と言っても程度があるし、原因がちがえば中身もちがう。客観的に見れば、もとうつ病患者は「やられちゃった人」に見える。

これが、問題なのだ。

これは、ひっかけだ。

実際、もとうつ病患者は、自分の過去について大げさに語るわけだし、あたかも、ひどいところから復活した人間に見える。けど、やはり、落ち込みが小さかった。その人の主観的な部分では、ものすごい落ち込みだったのだろうけど、落ち込みが小さかった。

どうして、そういうふうに言い切ることができるかというと、彼らが語っているような方法で復活したからだ。これは、彼らがどれだけ大げさに語るにしろ、彼らの「まあ、うつ病」がそんなにはひどくなかったということを物語っている。

だから、やられちゃった人というのは、へんな期待をもって、カス情報をつかんでしまうのだけど、これがまた、彼らの苦しさを増してしまうのである。まあ、こういうことを言うと「カス情報」とはなんだと、せめられてしまうわけだけど、まあ、「カス情報」と言わせてくれよ。実際に、役にたたない情報なのだから。


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