2023年10月11日水曜日

ほんとう、眠っただけで、えらく、つかれた

 ほんとう、眠っただけで、えらく、つかれた。寝ているあいだじゅう、格闘していたような感じだ。夢だから、いろいろとへんな部分はあるけど、「きもち」はリアルで感じた「きもち」とおなじなのである。あのとき、あんなふうにこまっていた。あのとき、あんなふうに「えっーー」と思っていた。

俺も、あれがあれだから、ちょっとでも、読みたいと思ったマンガは読んでおいたほうがいいのかな? マンガを読むのは、ちょっとおカネをかければいいだけの話だ。ここに座ったまま読める。旅行に行くのとは、わけがちがう。まあ、あれがあれだから、旅行にも行けなくなってしまった。おやじが死んだら、旅行に行こうと思ってたんだけどな。あたらしいところに引っ越そうと思っていたんだけどな。

「旅行に行く」は、二重表現じゃないよな。

「旅行に行く」も、二重表現だとする意見もあるなぁ。

たしかに、「馬に乗馬する」というような、二重表現は気になるけど、どうなんだろうな。「旅行」は、完全に名詞になっているので、二重表現じゃないという意見もあるなぁ。しかし、名詞になっていても、「旅行」のもとの意味が、「旅に行く」ということだから、「旅行に行く」というのは、二重表現だとする意見もあるなぁ。

歌を歌うというのは、どうなんだろうな?

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まあ、旅行という言葉を使うなら、旅行をするという言い方を選んだほうがいいのだろう。コロケーションを考えると「旅に出る」のほうが「旅に行く」よりも一般的だと思うのだが。「旅をする」もあるなぁ。けど、目的地がはいると、「行く」のほうが、いいんだよな。どこどこに行く。「沖縄旅行」など、目的地と旅行が組み合わさると、「旅行に行く」の自然さが増す。「旅行に行く」と「沖縄旅行に行く」だと、「沖縄旅行に行く」のほうが自然な感じがする。あくまでも、ぼくの主観だ。

「旅に行く」の場合、「旅」には、どこかに行くという意味が含まれているので、二重表現になるのかな?

旅行の場合は、目的地がはっきりしているけど、旅の場合は目的地がはっきりしてない……と言う人もいるけど、旅の場合でも、目的地がはっきりしている場合がある。旅の場合は「目的地がはっきりしている場合」と「目的地がはっきりしてない場合」について言及することができて、旅行の場合は、「目的地がはっきりしている場合」について言及するということになっているのかな? 

旅に出るほうが、旅行をするよりも、お気楽な感じがするよね。まあ、トランスミッションの戸を考えると、旅に出る気がしない。旅行をする気にもなれない。


 

いつも読んでくださるかたに感謝しております



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