よく生きてきたよなぁ。
けど、どうして、いやなことを思い出してしまうんだ?
とりあえず、玉ねぎとしらたきの煮物をつくった。これに、あとで、肉をたす。どうして、いま(肉を)入れないのかというと、ないからだ。 これで、野菜を摂取できる。
貧乏リタイア生活続行中です。節約生活をしています。脱力系です。 趣味は語学学習やアニメなど金がかからないものです。 普通の人のリタイア生活とはほど遠いものがあります。
あー。やっとこさ、風呂に入った。風呂だって、長期騒音期間中はたいへんだった。そして、そのことが圧力になって、スイッチが入ってしまうのである。まあ、微妙なことなんだけどな。けど、あのときは、こうしてあげたほうがよかったなと思うようなことだ。
あー。
ともかく、つかれた。どうするかな? 雨がふっている。見積もりにくるかどうかだな。まあ、あっちが決めてくれ。どのみち、今日は、作業できないと思う。けど、昼間から晴れる感じがあるんだよな。そういう天気予報になっている。この地域の天気予報によると……。
いろいろと不愉快なんだよな。不愉快な感情を、きた人(あう人)には、もちろん、ぶつけたくはない。ぶつけるつもりなんてまったくない。なので、なるべく、不愉快だと思っていることを察知されないようしなければならない。ところが、これがまた、へんな圧力をうむのである。
まあ、正直言って、つまらないなぁ。どうしようかな。ともかく、顔をダニに刺されたくない。とくに、鼻周辺は、絶対に刺されたくない。そうなるとやはり、掃除ができない。どうしようかな。このままにすることもできない。
ともかく、つまらない。つまらない。
なんか、いいこと、ないかなぁ?
あーあ。つまんない。
気をうしなうように眠りたい。眠っているあいだは、しあわせな夢を見たい。見たい。
はっきり言うと、世間の展開がおそい。こんなにゆっくりしていて、いいの? はやくしてくれ。急展開を、希望。
「うんちくを傾ける」と表現するときは、うんちくを語っている人に対して中立的なイメージがある。しかし、「うんちくを垂れる」と表現するときは、うんちくを語っている人に対して悪いイメージがある。「傾ける」と「垂れる」でちがう。これは、だれが感じていることかというと、言っている人、書いた人が感じていることなのだ。ようするに、だれかがだれかのことをどう思っているのかということをあらわしている。たとえば、だれかAと、だれかBがいたとする。Aが自分の知っていることについて、Bに語ったとする。BがAの言っていることには、わずかだがたしょうの価値があると思っている場合や、Aの言っていることは特に不快ではないと思っている場合は、Bは「Aがうんちくを傾けた」と表現するけど、BがAの言っていることには価値がないと思っている場合は、Bは「Aがうんちくを垂れた」と表現するのだ。Bの感情が「傾ける」と「垂れる」のちがいになってあらわれている。「Aがうんちくを垂れた」とBが表現する場合は、BはAの話に不愉快ない印象をもっているということを表現している。
* * *
「うんちくを垂れる」という言い方はまちがってるという説がある。しかし、そういうふうに言う人たちが、実際にいる。「うんちくを垂れる」という表現を使う人たちが、実際にいる。彼らの気持ちを無視していいのだろうか。彼らには「垂れる」と言いたい気持ちがあるのだ。まあ、ぼくは、「うんちくを垂れる」という言葉を、今回以外で、使ったことがない。ぼくは、「うんちくを傾ける」と言葉を使っている。特に悪意がない場合は、「かたむける」を使いましょうね。誤用ということになっているから。
* * *
「たくわえた知識」と「教え」はちがう。だから、「教えを垂れる」は正しいけど、「うんちくを垂れる」は正しくない……。こういう理屈なんだよね。けど、たくわえた知識が、マナーにかかわることやルールにかかわることであった場合、その、「たくわえた知識」は、「教え」になる。なので、「たくわえた知識」と「教え」が重複する場合がある。ようするに、「たくわえた知識」だから、「教え」にならないかというと、そうではないのだ。ここのところを、「誤用だ」と言う人たちはどう考えているのだろうか。
ようするに、「たくわえた知識」であるか「教え」であるのかを「客観的に」判断することができないという問題が、よこたわっている。これ、現実社会では、言われたほうの主観なんだよ。なにか客観的に「たくわえた知識」が存在しているわけではない。
* * *
うんちくに関しては「かたむける」のほうがコロケーションとしては正しいということは言える。ようするに「たれる」と言っている人が、知らないで「たれる」と言っているのか、自分の気持ちを表現するために「たれる」と言っているのかのちがいはあると思う。
あーあ。よくやってきたよなぁ。
しかし……。
あんまり興味がなくても、ちょっとは気になるものに関しては、見ておくかな。こどものころの特撮というのをもう一度見てみようかなという気持はあったんだけど、実際にやってみると、おもしろくないのだ。けど、それでも、見ようかな。
あとは、 『めしばな刑事タチバナ(1)[立ち食いそば大論争]』というのを買った。中古で一番安いやつを買った。
これも、気になってはいたものの、買わなかったものなのだけど、買うことにした。まあ、かりることも検討したんだけど、まあ、ほとんど、送料だけで、買えるから買っておいた。ハードルはあるんだよね。置き場所と意欲の問題だ。こういうマンガは、何回も読むような漫画ではないので、買う必要はないという考え方が、ある。
けど、「こういう雰囲気のマンガをちょっとめくってみたい感じがするとき」はある。
そういえば、中学のとき、インスタントラーメンの味のちがいについて、くわしく語っていたのだけど、そういうことをしていたのは、考えてみたらぼくだけだ。わりと、うけたよ。ヨーグルトとか、焼きそばとか、アイスとかそういうことについても、わりと、くわしく語っていたのだ。考えたら、そういうことを言っているのは、友だちのなかでは、ぼくだけだったな。たぶん、学年のなかでもそうなんじゃないかな。さすがに、「タチバナ」のような、うんちくはなかったけど、微妙な味のちがいについて詳しく語っていた。
グルメと言えば、高級店に行って、みんなが食べたことがないような高級な料理を食べて、うんちくを述べるというのが主流だった。そこらへんでは手に入らない高級食材がテーマだったりする。
けど、『めしばな刑事タチバナ』はちがう。ぜんぜんちがう。すべて、みんなが気楽に食べられるもの……だ。こどものころから、食べてきた、普通の食品……。そういうものに、テーマを絞っている。高級店ではないけど、店に行かないと食べられない『孤独のグルメ』に出てくる料理よりも、その点において、突き抜けている。
これ、ドラマで初めて見たとき「やられた」と思ったんだよな。グルメで、インスタントラーメンやアイスについて語っている……。完全にやられた。『タチバナのようなのうんちくはないけど、俺が中学生のときにやりたかったことは、これなんだ』と思った。
おいしい汁汁カレー(しるしるかれー)の作り方。
以下の材料を目分量!でいれる。
一回目は、箸や計量スプーン(3グラムぐらい)を使って、ちょっとずつたしていって、自分の味をきわめるべし。べしべし。
ブイヨンは絶対に入れるべき。カレーパウダーだけ入れたって、うまくならない。カレーパウダーだけ入れればいいと思っている人は、「まったくうまくないじゃないか」と言ってさってしまう。まあ、まて。ブイヨンを入れないとだめなんだよ。ブイヨンを入れないと、「カレーの味」にならない。
GABAN 純カレーパウダーは、カレースパイスのセットなのだけど、これを参考にして、各種スパイスをブレンドすると、スパイスカレー(汁汁カレー)のベースができあがる。このベースに、GABAN 純カレーパウダーに入ってないスパイスを、好みにおうじて!たすといいのではないかと思う。GABAN 純カレーパウダーのスパイスは有機栽培ではないので、有機栽培にこだわる人は、各種有機栽培スパイスを個別に買って、自分でブレンドすればいい。
からさの調節は、普通のコショーでできる。これも、好みにおうじて、いろいろなコショーをたせばいい。
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GABAN 純カレーパウダー
↑必要
洋風スープの素 本格派国産 ブイヨン 150g 化学調味料無添加・遺伝子組換え材料不使用・動物性素材不使用 [05]
NICHIGA(ニチガ)
↑必要
食塩無添加 国産野菜5種類の旨味スープだし 150g 化学調味料無添加・動物性素材不使用 [01] NICHIGA(ニチガ)
NICHIGA(ニチガ)
とりあえず、カレー、つくっている。
しかし、どうするかな?
なんだかいろいろと、行動しなければならないことはあるのに、ぜーんぜん、やる気になれない。やる気にならない。まあ、このあいだ、鼻の横を、刺されたというのがでかいな。まだ、きれいに治ってない。気になる。
* * *
サブスクで、いろいろと、見ても、つまらない。つまんない。むかしは、おもしろかったのに、いまは、つまんない。
悪いけど?読むところが、だんだん少なくなっている。ブログ全盛時代のブログがなつかしい。Twitterは、むいてないんだよなぁ。まあ、何人か、ブログのようなものとして見ているTwitterアカウントがある。しかし、いろいろと広告がありすぎて、おちつかない。ツイートがブログの記事にくらべて、短すぎる。おちつかない。
* * *
食べたいものはカレーなんだけど、くさるかもしれないので、麻婆豆腐を食べるべきだと思う。けど、いまは、カレーのほうがいいかな。肉だけカレーになってしまうけど。どうするかな。カレーにしたって、一杯分だけ作るというわけにはいかない。肉の量から考えると二杯分だ。使わなかった肉を、冷凍するという手はあるけど、使わなかった肉を冷凍するというのが、めんどうだ。
* * *
ともかく、ひまなんだよね。けど、なにかやるとなったら、爆発してしまう。料理だって、パソコンだって、いまのレベルで、限界だ。けど、憂鬱でひまだ。いろいろと、希望がなくなっているんだよね。
あのあと、眠れた。よかったー。よかった。
いま、起きたところ。ほんとうは、玉ねぎ入りのカレーをつくりたいところなのだけど、玉ねぎを切って入れるという作業を省略したい気持ちもある。とてつもなく、めんどう。まだ、麻婆豆腐が残っているから、それを、食べるかな。それとも、玉ねぎなしカレーをつくって食べるかな。鶏肉はある。鶏肉は切る必要がないので、いれればいいだけなので、楽だ。どうするか? カレーにするべきか? それとも、麻婆豆腐にするべきか? まよう。
洗濯終了。部屋干し。
ともかく、もう、気をうしなうように眠りたい。なにも考えたくない。しかし、考えてしまう。 もしかりに、(当時のあの子のような)ものすごくかわいい子といっしょに暮らしたとしても、しあわせになれない感じがする。楽しくない感じがする。「つまらなさ」はたいして減らない感じがする。あいかわらず、つまらないと言っているだろう。言わなくても、思っているだろう。楽しくない。
はやく、気をうしなうように眠りたい。じつは、洗濯物が、洗濯機の中に入っていることに気がついた。このあいだ、洗濯して、そのままになっている。とりあえず、洗濯することにした。あたらしいのをたして、洗濯。
しかし、もう、限界だ。もう、限界だ。こまかーーい記憶が、おそってくる。これ、例の、「そういうことをこの人に訊くな」ということを書いた人がいたので、質問にこたえにくくなったいうやつなんだけど、あちらをたてればこちらがたたず、みたいなことはある。で、ものすごく微妙なレベルで、人の気持ちを傷つけないようにすると、もう、だめなのである。その質問をした人は、捨て台詞を残してさってしまったのだけど、その前に、あれは、こうでこうでということを俺が書いておけばよかった。その質問をした人の気持ちを考えると、なんか、どろっどろな気分になってしまうのである。そのときは、「こっちの人を無視して、こたえを書くのは問題がある」と思って、たいして気にしてなかったんだよな。それが、このあいだから、きゅうに気になっている。なんで、21年間気にしてなかったことが、突然、気になるのか?
いま、冷静に考えると、質問をした人にこたえて、質問をするなと書いた人には「気にしなくていいから」とか書くべきだった。けど、それも、そのとき、案としてあった。けど、「気にしなくていいから」とぼくが書くと、その人が傷つくかなと思ったのである。
ともかく、なんというか、もう、なんか、気分が落ち込む。これは、小さなことだけど、その前に、いろいろと(リアルで)あった。家族とのもめごとがあった。
人間の基本構成から言って、「みんなが傷つかない」ようにはできないのだ。できるという人がいるかもしれないけど、そいつは、俺の気持ちを激しく傷つけたあらし、みたいなやつとおなじだと思う。ものすごく嫌味な対応をして、傷つけないように対応したと、自分で思ってしまうようなやつだ。あのセンスはない。こいつ、ほんとうに、人をだまして、きちがい行為をしやがる。あれで、気をつかっていると思っているやつなんだよな。中年の女の人だけど……。マナー講師みたいなことを言ってたけど、ほんとうに、自覚がないやつなんだよな。ああいう頭の人も、ときどき見かける。
ともかく、ものすごく細かいところまで気にするなら、だれかしら傷つく……。人間はほんとうにそういうふうにできている。
ほんとうに、ほんとうに、つまらないなぁ。どうしようかな。
あーー。
麻婆豆腐を食べた。うまかった。麻婆豆腐のもとを使った。まあ、添加物はいろいろとはいっているのだろうな。けど、まあ、これに関してはしかたがない。
辛口を使ったのだけど、辛口と言っても、からくはないんだよね。一味唐辛子をかけて食べた。
こどものころ見ていた番組を見たんだけど、おもしろくない。もっとおもしろく見れると思ったんだけどな。どうするかな? 雨なので、熱湯洗濯はできないな。できるけど、できない。湿気がだめなんだよな。
あとは、コーヒーを飲みたいけど、飲んだら、確実に腹がいたくなることがわかっているので、飲めない。飲めないけど、飲もうかな。
昨日、ひさびさに、さやえんどうを食べたのだけど、失敗した。まず、このさやえんどうは、かつお生節(かつおなまりぶし) といっしょに食べるはずだったのである。かつお生節(かつおなまりぶし) とさやえんどうと醤油、砂糖、だしを使った料理がある。それをつくろうとしたんだけど、かつお生節(かつおなまりぶし) を通販で買うかどうかまよっているうちに、めんどうくさくなって、とりあえず、さやえんどうを冷凍庫に入れたのだ。それから、だいぶ時間がたって、冷凍このさやえんどうを処分しないとやばいなと思って、昨日、オーブントースターで焼いてみたのである。そうしたら、まずかった。というか、うまくなかった。もう、見た目から失敗していた。だいたい、さやえんどうは、へたをとらなければならないのである。それがめんどうだった。そして、油をひかないでやったので、味がうまくなかった。おととい、餃子を食べたので、油はじゅうぶんにたりているので、昨日はとりたくなかった。
かつお生節(かつおなまりぶし) を買うかどうかまよう。これ、ネットスーパーでは売ってない。完全に通販になる。しかも、ほしいやつは3本パックなので、3本、食べられるかどうか、疑問を感じる。かつお生節(かつおなまりぶし) をつかった料理は、おかあさんがつくる料理のなかで、あんまり好きじゃなかった料理なんだけど、きゅうに、食べたくなった。きらいではないからね。きらいではない。ふつう。特に好きというわけではないけど、特にきらいというわけでもないという、へんなポジションの料理。とっきどき、骨がはいっていて、完全に安心して食べられる料理じゃなかった。やっぱり、カレーのほうが好きだろう。カレーは骨なんて関係がないし。骨と言っても、小骨で、なんか、7ミリぐらいのトゲのような感じなんだよな。たいていは、入ってないのだけど、ときどき、入っているときもあるのだ。ときどきよりも、頻度は少ない。ともかく、一度でも、トゲのような小骨でくちのなかがいたくなったということを経験すると、その料理は、敬遠するようになる。味は、きらいじゃないんだけどね。
「みんな、よくやっているよなぁ」とは感じる。一日に、何回もそう感じる。「ぼくも、よくやってきたよなぁ」とも感じる。一日に、何回もそう感じる。
しかし、つかれた。よくやってきた。けど、つかれた。
この世は狂人によって支配されているのだけど、「この世は狂人によって支配されている」と言った人が、ほかの人から狂人だと思われるわけ。それも、とおして、狂人の支配なんだよ。まあ、これ、ジョン・レノンが言ったことなんだけど、ジョン・レノンが正しかった。
ぼくだって、説得したくないけど、多数決とバックドアオフィスの世界だから、誘導されてしまう。世間一般の人が誘導されてしまう。世間一般の人が誘導されてしまうと、気がついている人もあおりをうける。
ジョンレノンの言った狂人の支配だけど、これは、強烈だ。強烈なんだよね。まあ、一般人からすると、気がついた人は、ほんとうに、狂人に見えるわけ。そして、インテルとインテルにだまされた人がいるわけ。この人たちも、狂人に見えるわけ。気がついた人と、インテルの見分けがつくかというと、つかない。一般の人から見ると、どっちも一緒に見える。なので、気がついたの人の立場がどんどん悪くなる。おなじことが、気がついた人とインテルの信者にも成り立つわけ。そして、この世には、それとは関係なく、くるっている人がいる。気がついた人と、それと関係なく、くるっている人の区別がつくかというと、一般人にはつかない。わかるわけがない。だって、一般人って、気がついてない人だからね。で、まあ、そこらへんのことを含めてものすごくうまくできている。で、こういうことを言っても、一般人から見ると、妄想に見えるわけ。
罠にかかりそうな人に、「それは、罠だ」と言ってあげた場合、ありがとうと感謝されるかというとそうではないのだ。かなりの高確率で恨まれる。これも、そうなっている。嘘が、複雑なのだ。状態は、かなり複雑な状態になっている。ひとすじなわじゃ、いかない。
まあ、ぼくが言っていることも、インテル信者が言っていることも、見分けがつかないと思うけど、それは、いろいろと情報が不足しているからだ。あるいは、まちがった情報をいっぱい、受けとってしまったからだ。まちがった情報の妄想が発達しているのである……一般人のなかには。けど、これは、決着がつかない。話し合いでは決着がつかない。
ほーーんと、どうなるんだろうな? ぼくは~~。
なんか知らないけど、いろいろなことを思い出して、鬱になっている。やばい。まあ、こんなの、いつものことだけど……。
こころぼそい状態で暮らしてきて、いまにいたる。はっきり言って、いいところに引っ越したとしても、このこころぼそさは、かわらないと思う。そりゃ、ネズミとダニからは解放されると思うけど……。それは、とても重要なことだけど……。
はやく、市場の一時的崩壊、こないかな。デフォルトまっているよ。
あくまでも、一時的な崩壊だからね。(たてなおしはあるし、たてなおしたあとの世界のほうがいい世界だ)
あんまり好きじゃない言いかたなんだけど、ナイヤガラというのがある。ナイヤガラの滝のように、どばーっと落ちることだ。下落。ナイヤガラ、くると思うけど、くるとしたら、いったい、いつくるか? まあ、6月が一番確率的には高いと思う。けど、今年中にはきてほしいなぁ。こないとはじまらないんだよ。
散歩、行ってきた。
いやーー、ひつじ雲がきれいだった。俺、ひつじ雲、すきなんだよ。小学2年生のころに見た、ひつじ雲と、たいしてかわりがないひつじ雲だけど、ぼくのほうは、かわってしまったよ。かわっちゃったよ。あーー。
むかしだったら、自動販売機のところまで行って、飲み物を買って、飲みながら帰ってくるということをしていたと思うのだけど、人工甘味料が気になるので、そういうことは、しないことにしている。まじで、砂糖だけにしろ。とくに、カロリーゼロとかそういうことが書いてないやつも、普通に、人工甘味料がはいっている。それも、脳みそに到達しないということになっているのに、10%ぐらいは、到達するのである。10%到達するのと、到達しないというのは、ちがうことだ。ちがいがある。どうして、10%到達するのに、脳みそには到達しないということになっているのか? 血液脳関門をこえられるかどうかというのは、重要な問題だ。到達しないと書いてあれば、(その物質は)血液脳関門をこえられないんだなと思うだろ。
自動販売機のところまで行って、なにも買わずに帰ってくるか?
いわゆる、散歩だ。
いやー。もう、人生について考えちゃうよ。
甘味料として砂糖だけがはいっている炭酸飲料水だったら買うんだけどな。
鼻の横の(たぶん)ダニ刺されあとが気になるなぁ。うーーん。あーー。ほんとうに、微妙だから、目立ちはしないのだけど……。
あーあ。どこでやられたのかわからないんだよな。まあ、作業後にやられたのは、はっきりしているんだけど……。
さて、どうするかな?
まず、紅茶でも飲むか。
しかし、どうするか? これからの世の中というのは、ワクチンを打った人が考えているようにはならない。ならないんだよ。だからと言って、インテルが言ってるような世の中になるかというと、ならないんだよ。どっちも、不正解。両方とも、まちがっている。
DS予備軍が動き出しているから、普通の人はDS予備軍にもかるくやられてしまう。たとえば、スター被害者を支持してしまう。これは、危険だ。あとは、トランプやプーチンがどの程度(しろいのか)ということが問題だ。これもでかいんだよな。けど、まあ、DSメディアを信じて、ロシアが悪いと思っている人の思考レベルでは、まったく、なにもわからないだろう。さらに、このことにまったくなにも共感をしめさない人たちの共感レベルだと、先行きは、暗いと言わなければならない。
どれだけの時間をかけて、洗脳をとくつもりでいるのか?
++++++++
まあ、普通にテレビでやっているから「DSメディアを信じるな」と言ってもむだだなぁ。いつになったら、DSメディアが真逆の放送をしていたということが、あきらになるのだ? その人たちにとって、あきらかにならないと、こまるんだよな。俺が……。
日本のDSテレビ局なんて、ロシア-ウクライナのことについて、まったく逆の情報を流している。ひどいよなぁ。まあ、信じるなと言っても、キー局がやっていることだから、信じちゃうよな。あと2年、かかるのかな? それだと、おそすぎる。
やっぱり、つかれたし、楽しくない。
(このあいだ)鼻の横をダニに刺されたんだけど、まだ、なおらないんだよな。完全に、きれいに、あとがない状態になるかどうかわからない。
いろいろと憂鬱だな。かりに、ひまだとして、……やらなければならないことはあるから、ひまではないのだけど……ひまだとして……それで、なんでも好きなことをやれるとしても、なんか、なにもやりたくない。
いろいろ、やっていたけど……あがいていたけど……若い時間を使ってしまった。若いとき、いろいろとがんばっていたけど、けっきょく、むだだった。若いとき、長期騒音なしで、あの子といちゃいちゃしたかったなんていうことが、死ぬ前に気になるんだろうなぁ。いまさら、どうすることもできない。
俺、悪いけど、もてた。くそ長期騒音さえなければ、普通の気持ちでつきあえた。くそ長期騒音がすべてをぶっこわしてしまった。普段から、長期騒音で「じんじょうじゃない気分」だ。これ、だれにもわからないだろうな。あんな状態でつきあったって、いいことない。
あの状態は、いいがたい。経験がない人にどれだけ言ったってわからないだろう。そうすると、経験がない人は、いろいろとまちがった想像をして、いろいろとまちがったことを言ってくるのである。言ってくる。もう、つかれた。
インテルとインテル信者がいたわけだけど、インテルはあっち側で、インテル信者はあっち側の言っていることを信じちゃっている人だった。なので、ぼくの味方ではない。そして、反ワクなのに、インテルでもインテル信者でもない人たちがいたのだけど、この人たちも、じつは、用心深いDSが、うまいこと配置した人たちだった。わりとでかいアカウントで、反ワク的なことを言っているのだけど、アカウントが凍結しない人たちがいた。この人たちは、ぼくの知っているなかでは、ひとりをのぞいて、みんなあっち側だ。
この人たちが味方ではなかったというのが、しんどい。
これから、あの人たちのなかから、活躍する人が出てくると思うけど……けっきょく、DSなんだよな。政治家予備軍がひどいね。
お菓子のラムネを食べた。うまい。うまいなぁ。
けど、なんか、すべてが、ばからしい。セルフニグレクトの人の気持ちがわかる。消耗しちゃったんだよね。これ、復活しないんだよな。
俺、もう、つかれたなぁ。
市役所に出す書類の手続きなどをやっていると、ほんとうにひとりなんだなと感じる。
あとは、ガス器具の点検にくるのだけど、それがいやなんだよな。うちのなかがぼろぼろになっているから。いちおう、バススリッパみたいなものを買ったけど、どうしようかな。土足であがってもらうというのが一番いいのだけど、相手が嫌がるかもしれないしな。けど、あそこに……。バススリッパは、ズボンのすそを内側に入れないとだめだ。それを言うのも、めんどうだし、ワクチンを打った人がはいたバススリッパをぼくがはくわけにはいかないから、けっきょく捨てることになる。ほんとう、これ、憂鬱なんだけど……。ネズミ騒動がなければ、別にそれほど憂鬱じゃない。いま、一階は、ものをいじらなければ、ダニには刺されない。通り抜けるだけならオーケー。台所は、じつは、だいじょうぶな状態になっている。しかし、なんか、こころが重いなぁ。ともかく、書類を書いていると、ほんとうに、ひとりなんだなぁと感じる。
ともかく、顔を刺されずに、掃除をしたいのだけど、それが無理なのだ。可能性はある。刺されないときもあるけど、刺されてしまうときもある。どうしようかな。
ほんとうに、掃除や片づけをしたくない。とくに、段ボールがかかわっているものは、要注意だ。
動かさなければ刺されない。いじらなければ、刺されない。
いわゆる「垂直マウス」を買うかどうかまよっている。ようするに、縦にしてマウスをにぎりたいのだ。じつは、机の表面が床から73センチある。ほんとうは、70センチぐらいが、適切なのだ。ぼくにとっては……。あくまでも、ぼくにとっては……の話だ。で、まえまえから感じていたことなのだけど、右手でマウスをもつと、右肩があがって、左肩がさがってしまうのだ。キーボードはさすがに、手のひらを机の表面に対して、平行にして使いたいけど、マウスは問題がある。じつは、キーボードも、ななめ縦型のキーボードがある。左右対称なので、全体的には山のような形になる。人間工学的には、こっちのほうが、いいみたいなのだ。けど、ぼくは、キーボードにはそれを求めない。問題は、マウスだ。マウスに関してだけは、なんか、ななめ縦型のマウスのほうがいい感じがする。手が楽で、肩があがらない。
けど、いま、このマウスは使えるマウスだ。こわれていないという意味で使えるマウスだ。どうするかな? こういう便利グッズを買ってものが増えていくのはさけたい。
* * *
ちなみに、「いわゆる」は、「いわいる」ではない。口語で「ゆう」を、文語で「いう」と書くので、「いわゆる」も、「いわいる」と書くべきだと思う人がいるとは、思うけど、じつは、「いわゆる」は「いわゆる」でいい。
まあ、お気に入りの紅茶を飲めるのだから、よしとするか。
寝る直前じゃないけど、寝る前、最後に飲んだものは、ヨモギ茶だ。ヨモギ茶は、ヨモギの味がしない。正確にいうと、ヨモギ餅の味がしない。ヨモギ茶は、ドクダミ茶に近い味だ。ヨモギっぽい味じゃなくて、ドクダミ茶の味に近い。
農薬系紅茶だって、喫茶店で飲んだら高いぞ。
しかし、ほんとう、どうしようかな。
今朝というか、もう、昨日の朝になってしまうのだけど、ともかく、ゴミを出すのがきつい。ゴミだけではなく、郵便物を出すのもきつい。朝、通勤・通学の時間、コンビニのまえにあるポストにはがきを入れただけで、きつかった。あの雰囲気は、いやだな。まあ、帰ってきて、数時間後には眠るわけだけど、くるしかったな。長期騒音の憂鬱を、いっきに思い出した。まさしく、あのなかで、死にそうな気持でがんばっていた。何千日も感がばっていた。長期騒音期間中の一日一日が、ぼろくそに、きつい。あれ、わかってない人に、なにを言ったってむだだ。どんな気持ちで、ぼくが生きてきたか、ぜんぜんわかってない。で、そういう人も、俺とおなじ状態で、騒音を聞かされ続けたら、そうなる。『人間』ならそうなる。
だから、外国に行っても、解決しない。たとえば、パタヤが好きな人が、「パタヤにくれば、うつ病なんてなおっちゃうぞ」と言ってたけど、それはちがうのだ。その、パタヤが好きな人は、長期騒音を経験してない。「俺だって日本にいたときは、うつ病になって死にそうだった。通勤のとき自殺しようと思った」……「けど、パタヤにきたら、うつ病が治った」……。まあ、そういう人もいる。いることは否定しない。けど、そういう人とぼくとはちがう。そういう人の経験と、ぼくの経験はちがう。そういう人の憂鬱な経験とぼくの憂鬱な経験はちがう。ちがうのでちがう。
起きた。だいぶ前に起きたのだけど、やっと活動できるようになった。なれた。まあ、活動できるようになったと言っても、ご飯の用意をするとか、お茶を淹れる気になったとか、そういうレベルだ。
気絶仕様に眠って、10時間ぐらいして、目が覚めた。
ところで、 「まあ、活動できるようになったと言っても」のところなんだけど「まあ、活動できるようになったと言っても」と書くか「まあ、活動できるようになったといっても」と書くか、まようのだ。いつもいつも、「いって」と「言って」をどう使いわけるか、まよう。もちろん、基本は知っている。「言う」という言葉を使う場合は、実際に、言っている場合だ。けど、この基本原理だけでは、どうするかまようケースがいっぱいあるのだ。実際に言ってなくても、こころのなかで言えば言ったということになる。これ、「その世界」のなかで、だれかに言っている場合と、本人のこころなかで、次の言葉について説明する場合はちょっとちがうのだ。感じがちがう。さらに、統一性と例外ということを考えると、非常に、頭を悩ませる問題になる。
まあ、いいか。
ともかく、このさきどうするか、悩んでいる。どうしようかな?
いやーー、書いてもしかたがないのはわかっているけど、つまんない。正直言って、つまんない。どうしようもなく、つまんない。どうするかな?
これ、どうするの?
まあ、やらなきゃならないことはあるけど、ダニに刺されたくないから、やりたくない。
つかれた。つかれたんだよ、な。
つかれた。
これが、眠れば回復するようなつかれならいいのだけど、もう、限界をこえているから、眠っても、ぜんぜん、回復しない。ほんとうに、こまった。どうしようかな? まあ、原因はわかっているのだけど、対処方法はない。ないんだよね。「もう、ほんとうにつかれた」と一日何回も、こころのなかで、言っている。
どうにか、一日をすごすだけで、限界なんだよね。
さて、どうするかな?
いちおう、一本、文章は書いた。このさき、どうするかな?
鼻の横は、やはり、虫系・ダニ系なんだろうな。小さいけど、刺された。前にやられた時とおなじだ。やっぱり、放置しておいた段ボール箱をいじるとやばい。まあ、親父がネズミを入れなかったら、段ボール箱を放置しておいてもそんなことにはならない。刺すやつはめったにいないからね。
ともかく、ここから離脱しないとだめだ。けど、エネルギーがたりないんだよね。
ともかく、つかれた。このつかれは、言いようがないなぁ。
熱湯洗濯をしたあと、眠った。
起きたけど、すべてがめんどうだと感じる。
めんどーー。すべてがすべて、めんどうだ。
むりなんだよ。あんなに長期間やられたら、楽しもうたって楽しめない……よ。楽しめないからだになっちゃうよ。からだはからだだ。生物的反応とその結果がある。これ、みんな、一日やすめば回復するような、その結果ばかり考えているから、ぼくの言っていることがわからなくなるけど、「のこる」。堆積する。蓄積する。反応の結果が、生物的に固定する。
++++
熱湯洗濯と書いたけど、実際には、バスタブに約60度のお湯を注ぎ、そこに、1時間ぐらいつけておいて、そのあと、普通に洗濯する方法です。
じつは、昨日、また一つ鼻の横をさされた「みたい」なんだよね。直径0.7ミリぐらいのちーーさいやつなんだけど、なんか、いままでさわった感じなかったところに、みずぶくれ?のような感じで突起を感じた。で、かいたらこわれた。なんか、いま、かさぶたっぽくなっている。これが、横になったときに、鼻をさわったらわかったんだけど、どこで刺されたかわからないんだよね。もし、ベッド付近で刺されたのだとしたらやばい。昨日も、片づけをしたので、段ボール箱や箱のなかの服をいじっている。そのときに、ついたのだろうか? どっちも断言できない。それとも、ダニに刺されたわけじゃなくて、ニキビのようなものなのだろうか? これとおなじものが十数日まえにできて、なおっている。たぶん、あとはついてない。けど、どうなんだろう? もし、ベッド付近で刺されたのだとしたらやばい。
あーー。まるまる荘時代がなつかしい。ほんとう、なつかしいわぁ。あのころは、わかかったなぁ。あのころは、わかかった。あーあ。
なにもしないまま、ここまできちゃったよ。
これ、が、ぼくの、すなおな、感想だな。あーーあ。
ほんとうに、「あーーあ」。
きゅうに食べたくなったロールケーキを買っておいたので、ロールケーキを食べた。これは、もちろん、健康にはよくない。ときどき、こういうものも食べたくなる。ロールケーキと言っても110円ぐらいの安いやつだ。菓子パンのたぐいだね。
いま、暇な感じがするんだけど、やらなければならないことは、わりとある。あるのだけど、まったくやりたくない。やりたくない。
いやーー、このさき、ほんとう、どうしよう。
LED蛍光灯のコントローラーを見つけた。これがあると、輝度を最低限まで低くすることができる。最低限まで低くすると、白いキーボードの照り返しがなくなる。
黒いキーボードは、すでに、うちにある。そこに置いてある。まだ、箱をあけてない。このまま、白いキーボードを使うか、黒いキーボードにきりかえるか、どうするかな?
関係はないけど、ほんとうに、時間がたつのがはやい。はやすぎる。どうしようかな?
世間的には、まだ、新型コロナウィルスがあると思っている人が多い。人体から単離された新型コロナウィルスがないということだけでも、認知したら、いまの状態がどれだけ異常な状態か、認知できるのに、みんな、みんな認知しないんだよな。ある病原体がある症状を引き起こすということは、確認されていなければならないことなんだよ。けど、その病原体が体の中から発見されない。これが、どれだけ異常なことかわからないかな?
「あることにして」やっている。「ある」と仮定してやっている。
これがどれだけ、異常なことか、科学的な思考ができる人なら、すぐにわかるはずだ。けど、みんな、わかってない。
いぇーーい。起きた、起きた。起きました。
さて、どうするかな?
はやくも、いろいろとへんなこと、いやなことを思い出して、ひとりで、自問自答している。
どうするかな?
まあ、いまは、しずかだ。
体調すぐれず、寝ても覚めても地獄。
けっきょく、だるい。だるすぎる。
微熱かな。
それとは、関係なく、ともかく、ひとに誤解されたのがくるしいな。あれ、しまったな。ちがうのに……。まあ、別にいま会うわけじゃないし、基本、日本語で言っても英語で言ってもわかる相手じゃないし……。その当時は、気にならなかったのに……。そのときはね……。翻訳をかってでたやつに「きみじゃなくて彼だよ」って言ってやればよかったな。これ、その人が気にするかなと思ったんだけど、相当に繊細な人じゃないと気にしない。言っておけばよかった。これ、小さな出来事なんだけど、スペイン語を人たち8人ぐらいが、めちゃくちゃに怒ってたんだな。まあ、なんか、俺がチャットルームに入ると、すぐに、落ちる人たちがいて、その人たちがその人たちだったんだよな。なんか、俺がすごい人種差別者だと思われたみたいだ。しかも、ほかの日本人がうわさしていて、それで気がついたんだよな。俺がいないときに、なんか話したのかもしれない。
ともかく、これは、誤解されただけで、悪意はなかった。俺は、「OK」って書いた。俺がOKと言ったら、OKなんだよ。「君じゃなくて彼のことだよ」ではなくて、「俺がOKと言ったら、OKなんだよ」でもよかった。いま考えるとそうだ。あのとき、5個ぐらいの会話をかかえていたんだよな。聖徳太子のように、5個のグループと、5個の別の会話をしていた。その話しかけに応じると、6グループと話すことになる。けど、「OK」と書いたのに……。人種差別主義者? 翻訳家に申し出たやつは(あの人となはしをさせてくれと申し出たのは)ひとりだけど、その背後に8人いたのだ。8人の代表でひとりが話しかけたみたいだ。翻訳家に話しかけたみたいだ。その8人がものすごく、うらんでいるみたいなんだよね。ちがう、誤解だ。俺も、まあ、日本語を使わないで、すべて英語でコミュニケーションしようなど思っていたのがまちがいだった。けど、翻訳家は日本語を学び始めたばかりなので、日本語で書いて、ちゃんとわかったのかどうかもわからない。うそろしいほど、覚えがはやいやつだったけど。
しかし、なんて言うか、全部、つかれた。あと、となりの幼稚園のことなんだけど、めちゃくちゃに、声が高くてうるさい先生がはいってきた。園児よりうるさい。
まあ、全体的にだるい。からだがだるくて、こまっている。
どうしようかな。
ああ、けど、ほかの人は自分が誤解された場合、どの程度、記憶に残るんだろう。誤解はとけないとする。
ときどき、「ハッ」ってなるんだよね。ものすごくあせった気持ちになる。まあ、ゴミのこととか、購入品のこととか、たいしたことじゃないんだけど、「ハッ」ってなるんだよね。けど、そういうことじゃなくて、人生のことで「ハッ」ってなることもあるんだよね。「俺の人生はなんだったんだ?」って「ハッ」ってなる。
ご飯食べ終わったので、横になるかな?
まあ、歯磨きをしたあと、横になって、眠れるなら、また眠ろうかな。なんも、やる気、しない。やる気、しない。
あー、俺の人生はなんだったんだろうな?
起きて、ご飯を食べている。ご飯は、だいぶたった釜めし?なんだけど、あんまりおいしくない。まあ、最初のうちはおいしかった。ただ、3合たかないとだめなので、だんだん、あきてくる。まあ、容器に入れて冷凍するとか、冷蔵するということもできるのだけど、容器に入れるという作業がめんどうくさい。なので、ひとりで、3合食べきるのだけど、これがなかなか、時間がかかる行為だ。釜のなかにあると熱で、味がかわってまうのだ。こげっぽくなる。なんか、味が濃くなるのだ。で、うまくなくなる。それに、さすがにあきる。
まあ、容器にうつして冷凍すればいいのだけどね。
ほんとうはもう、食料を手に入れなければならない時期?なのだけど、起きてられないんだよね。ネットスーパーの配達をまっている時間というのが、地獄になってしまう。自分で買いに行ったほうがはやいかなと思うけど、シェディング(トランスミッション)があるからなぁ。どうするかな?
ネットスーパーで注文するものも、だいたい決まってきた。いつもおなじだ。たいしてかわらない。いつも、かわりばえがしないなぁと思うけど、しかたがない。
俺は、生きているだけで、えらい。俺は、生きているだけで、えらいんだよ。えらい。
しかし、つかれたなぁ。ほんとう、ぼろっぼろなんだよなぁ。すべてがくるしくなってから、何十年たったのかな?
頭がモヤモヤする。あたまの、もっやっもっやが、とまらない。
俺は、生きているだけで、す、すごい。
頭のモヤモヤが、とまらない。
けど、あれだ……。ともかく、おなじことの繰り返しだ。もう、何回おなじことを、繰り返してきた? この雰囲気。この雰囲気。
横になれば……苦しくないのなら、よいのだけど、苦しいからなぁ。
おんなじことの繰り返しだ。
なんか眠った感じがしてないもんなぁ。起きたとき、寝る前のつかれが、そのまま、残っている感じがする。
つかれた。なんか、ぽちぽち雨がふっている感じがする。実際には、どうなのかわからない。音としては、やはり、雨がふっていると思う。ちょっと、見てこようかな。
あとは、「俺はよくやってきたけど、つかれた」というのがある。というのをよく感じる。何回も心のなかで言っている。じつは、今日は、なんか30歳のころの雰囲気なのだ。感情的な雰囲気が30歳のころとおなじ……。なので、感覚的には「さみしさがまして」いる。これも、ほんとう、まあ、わかいころさんざん恋愛をした人はどうでもいいことのように感じるかもしれないけど、さみしいのだ。しかも、ぼくは、長期騒音さえなければ、理想的な女の子とつきあえた。あーあ。ともかく、なんというか、「もう、ない」というのもある。という感じがする。という感じもある。こっちがとしをとってしまったしなぁ。
まあ、なんか、30歳のころの感じが、雰囲気としては復活しているので、さみしさが増大している。まあ、ぼくのストライクゾーンがめちゃくちゃに小さいんだよな。タイプではない女子と一緒にいても、まったくおもしろくない。
雰囲気的には、むかしなつかしい雰囲気なんだけど、ぼろぼろにつかれたというのがある。ほんとうに、つかれた。つかれた体で、ちょっとだけ、むかしの雰囲気が復活している。今日は、起きたときから、なんか、むかしの雰囲気が復活しているんだよなぁ。
しかし、まあ、復活したって、しかたがない。
++++
今後の世界経済はどうなるのだろう? ソフトランディングを目指しているのだろうか。大企業のトップだけをつかかえて、大企業自体はそんぞくさせるのか? そういうレベルの責任追及なのか? S&P500とか、Nasdaq100とか、みんな、DS企業だ。指標もたぶん、DS側がつくったものだろう。日本の企業も、大手は、ほとんどすべて、あっち側についている。これ、どうすんの? ソフトランディングなの?
そして、くるくる詐欺師が、くるくる詐欺をまだやっている。くるくる詐欺師は、最終的には、どうなるんだろう?
まあ、俺は、いろいろと、ほかの人とはちがいすぎた。家族がちがいすぎる。家族のハンディがほかの人は、ちがいすぎるんだよな。まあ、こんなことを言っても、普通の人にはまったくわからないとは思うけど。
しかし、これは、30歳ぐらいの雰囲気だな。あのころは、まだ、希望があったなぁ。
これ、みんなが気づいてないというのが、ある意味、不思議なんだけど、世界はすごいことになっている。
ほんとう、つかれたな。遅々として進まないなぁ。展開がおそすぎる。展開せよ! ……なんて、言っても、しかたがないしなぁ。
ともかく、やるだけのことはやったぞ。数人でも助けられたなら、それでいい。Twitterをやってる人はTwitterなんだろうけど、Twitterをやってない人だっている。ブログ専門の人だっている。広告をはずして、必死にうったえかけてきた。ほとんどの人が無視したけど、ほんとうにものすごくすくない人数だとは思うけど、理解してくれた人はいるはずだ。
起きてしまったんだけど、また寝るかどうかまよっている。
できればもう一度眠りたい。
大きな変化はないようだ。ほかの人たちは、あいかわらず、いつもの調子で暮らしている。
正直言って、ぼくは、つかれたなぁ。
今日は、白菜ばかり食べた。
畳の上にあるネズミの糞を見ると、憂鬱になるけど、問題を先送りにして、今日はねまーーす。ネズミの糞をさんざん片づけたけど……ダニに刺されながらも片づけたけど、片づけにくいところにあるネズミの糞は、放置してある。もう、ちからつきた。だから、「魚を出しっぱなしにするな」と言っただろ。だから、「穴があいたままだと、問題があるから、早急にネズミ対策工事をしよう」と言っただろ。もう、6年たたかってきて、つかれた。俺が、恥をかくんだぞ。だから、「やめてくれ」と言っただろ。
もう、ほんとうなら、とっくに、引っ越しているはずなんだよ。親父の世話と親父のきちがい行為の結果としてのネズミ、ネズミの糞、ダニ、ナメクジで、つかれた。あれ、頭がおかしいから、どれだけネズミがはいってきても、気にしない。「ネズミシートで(自分が)つかまえるから、いい」と言って、ネズミ対策工事をさせてくれないんだよ。そのうちに、ネズミの糞が積もっていく。おやじの部屋なんて、ひどかったよ。俺が片づけているんだぞ。普通の人なら絶対に、ネズミの糞を気にするけど、親父は気にしない。どれだけ言っても、気にしない。まるで、気にしている俺がへんだという感覚だ。頭がおかしいから、そうなってしまう。絶対、どれだけなにを言っても、聞かないんだよ。
竹の根っこだって、俺とおかあさんが反対したのに、きちがい的な意地で植えちゃったんだよ。竹がすごいんだよ。これ、じつは、となりのうちまで竹の根っこがのびている。うちはもう、竹に占領されているよ。俺が切らないから。玄関のまえだけは切っているけど、それだって、蚊に刺されて、切るわけだから、いやだよ。二軒となりのひとが親切で、玄関の前のところの雑草と竹は、全部きれいに切ってくれた。けど、一年もたてば、もとどおりだよ。
風呂に入った。
そして、ガス湯沸かし器のボタンのところをクリアテープでマスキングしておいた。これは、もう、じゅうぶんに水拭きをしたのだけど、殺虫剤がついているといけないから、そうした。ぼくはいいのだけど、ガス点検の人が、ガス湯沸かし器のボタンをさわるので、いちおう、殺虫剤が指につかないように、マスクキングしておいた。これは、これで、みっともない。ガスレンジのつまみの部分も、さわるほうは、マスキングしておいた。そもそも、つかないほうのつまみは、マスキングしてない。さわらないだろうからな。
で、このクリアテープが、めちゃくちゃにうすくて、あつかいがむずかしい。ちゃんと切れる厚さがほしかった。みっともないけど、いちおう完成。
まあ、だから、親父が魚を出しっぱなしにしなければ、ダニも発生せず、殺虫剤を使う必要もなかったんだよな。だったら、マスクキングなんてする必要もない。 (魚→ネズミ→ダニ)
たとえばの話なんだけど、こういうことを言う天海さんも、DS側の人間なんだよね。そして、このドラマがDSテレビ局で放送されたということが重要だ。DSの層の厚さをものがたっている。これは、とても重要なことなんだぞ。層の厚さと、ガス抜き。こういう状態で、すすんでいくのだろうか?
ある宗教的な人がテレビ番組に出ていたとする。もちろん、DS公認だ。DSに協力的な人じゃないと、DSに協力的なテレビ局が流す番組に出られるわけがない。どれだけ、正しそうなことを言っていたとしても……。あの人も、あっち側の人だったということだ。
あとは、90%正しいことを言う人というのがいるんだよ。この人もDSに協力的な人で、気がついた人をまちがった方向に誘導するために、日夜がんばっている。まちがった方向に誘導するため……。
しかし、ほんとう、白いキーボードがまるで雪のように、光を反射して、よくない。むかしは、こんなことはなかったのに……。やっぱり、LEDだからなんだろうな。どうするか?
黒いキーボードを買うか?
しかし、そういうものを買ったって、やがてはゴミになるわけだから、これを使い切るか?
どうしようかな?
きつい。眠れなくなった。暑い。
眠れないから、つらい。
きゅうに、暑くなったなぁ。
あとは、長期騒音でズタボロだけど、積極的に動こうと思って動いたときは、あんまりいい結果になってないんだよな。それを思い出した。で、くるしい。
なまゴミを出してきた。いまの睡眠サイクルだと、よゆうで生ごみを出せる。これが続けばいいのだけど、そうはいかない。いかないのだ。けっきょく、ずれてずれて、ずれまくることになる。さて、どうなるかな? ぼくはの人生は……。
ほんとう、いろいろとあったなぁ。このさき、どうするかな?
インテルの言っていることは、かくさなくていいこと以外、全部ウソだからなぁ。期待をもたせて、ひどいことをするよなぁ。それで、5次元人だもんなぁ。あれ、知ってて言ってるんだぞ。
まあ、そのことは、さておき、ともかく、いろいろとあった。
まあ、気にしすぎな部分もあるんだけど、それにしても、この展開は、おかしい。ほとんどの人が気がついてないなんて、おかしい。まあ、そういうこととは、別に、ぼくはぼくで、どうするべきかまようことがある。どうするかな?
このさき、ひとりで生きていても、しかたがないよなぁ。どうしようかな。ほんとうに、めんどうなことになったなぁ。
じつは、キーボードがおいてある机の上で、常に、ご飯を食べている。これは、パソコン机(けん)食卓なのだ。
そこで、たとえば、お茶の葉パックとかふりかけとか青のりとかが、おいてある。コショウや醤油なども置いてある。さらに、お茶漬けを食べようと思って、お茶漬けの袋をやぶいたにもかかわらず、気がかわって、食べずにおいておいたものなどが置いてある。だから、まあ、こんでいるんだよね。
しかし、キーボード、どうするかな? こんなに、目立つとは? このLED蛍光灯は、リモコンがないと二段階の調節しかできない。ところで、調光って、「調光する」というサ変動詞があるような感じだけど、あんまり使わないよね。まあ、いいや。
ともかく、LEDライトのリモコンがない。リモコンがないと、やはり、白いキーボードが、目立ってきつい。どうする? こんな問題がしょうじるとは思ってなかった。
なんか、ぜんぶ、むかしとはちがうなぁ。だいたい、正直に言うと、ぼくはLEDの光が、きらいなのだ。だいきらいなのだ。ところが、LEDの電灯?を買うしかなかったのだ。蛍光灯タイプがほしかったんだよね。ところが、むかしの、蛍光灯タイプの蛍光灯がない。買えない。
あたらしいところで、どういうふうに、パソコンを配置するか、いまから考えている。今度こそは、システム的に、片づけやすい環境をつくるのだ。だから、食卓としても使えるようにするわけだけど、いままでとは、ちがうやり方にする。
むかしの机は、かならず、右横に引き出しがついているわけ。これが、問題なんだよ。右横に引き出しがついてないものをふたつならべることで、問題を解決したい。
それから、あたらしい部屋の照明は、白熱電球にする。これも、LEDの電球が主流になっている。けど、まだ、フィラメントの電球がある。
なんか、いろいろと、ボロボロだなぁ。椅子もじつは、座りにくいのをがまんして座っている。これ、いちおう、俺のなかでは、値段が高かった椅子なのだ。しかも、組み立てるのがたいへんだった。あの、暑い日、がんばって組み立てたのに、座りごこちがよくない。安いやつのほうが、座りごこちがよかった。
通販でものを買うと、段ボールの処理がたいへんなんだよね。それを考えると、通販で椅子を買うのは、考え物だ。まあ、組み立ててあるやつをもってくるというのがあるけどな。それはそれで、気をつかう。
まあ、むかし使っていたやつ安いやつを、もう一度買いたいなぁ。けど、それはもうないので、似たやつを買うことになるのだけど、似たやつが、どれだけ似ているかわからない。座ってみないとわからない。キーボードとか椅子とか、長く、実際に使用するものに関しては、ほんとうは、通販じゃないほうがいい。
しかし、ほんとう、よくやってきたなぁ。
机の上を片づけていたとき、お茶をパソコンのキーボードの上にこぼした。ぼくのいままでのパソコンのキーボードだと、これでこわれるということはなかった。
しかし、こわれてしまった。いったいなにをやっているのか?
この文章は、むかし買っておいたキーボードで書いている。こっちのほうがずっと安い。けど、基本、打ちやすい。じゃあ、どうして、高くて打ちにくいやつを買ったかというと、一度はピンク軸のキーボードを使ってみたかったからだ。
むかしのように、秋葉原に試し打ちに行くということは、できなかったので、アマゾンで、ページに書いてあることを信頼して買った。まあ、これが、打ちやすいという人もいるんだろうな。ピンク軸は軽いという噂だったんだけど、じつは、重い。打つときに、チカラが必要なのだ。ぼくの場合、打つときに力が必要じゃないほうがいいのだ。なでるように打ったほうが、はやく打てる。わざわざ、チカラを入れて打ち込むとなると、タイピングのスピードがおちる。
この、いま使っている安いキーボードのほうが、打ちやすいのだ。ようするに、キーが軽い。打ち込むときに、チカラが(そんなに)必要じゃない。
このキーボードはヤフオクで買ったメンブレン式の古いキーボードだ。打ちごこちはよいのである。しかし、いままでまったく気にしてなかったのだけど、白いキーボードの白さが、すごい。LED蛍光灯のしただと、白さが目立つ。これはこれで、使いにくい。むかしの蛍光灯だと、照り返しがない状態だったのに、LEDの蛍光灯だと、照り返しがある。
高いキーボードが、まさかの敗退。高かったのに、使用年数が短い。ぼくのなかで、最短。メカニカル式じゃなくて、メンブレン式のほうが、お茶とかコーヒーに強いのではないかと思う。メカニカル式はこんなに弱いのか?
しかし、なんか、(いろいろな所有物が)つぎつぎにボロボロになっていくなぁ。
キーボードの色が白だと、目にきつい。むかしの蛍光灯だとそういうことはなかったのに、LEDの蛍光灯だと、きつい。
起きて、ご飯を食べて、お茶を飲んで、やすんでいるところ。
どうするかな?
昨日、廊下に置いてある、別のパソコンを、一階のお勝手に持ち込んだ。このパソコンは、もう、現役としては使えないやつなんだよね。まあ、あとでwindows98でも入れようかと思ってとっておいたやつだ。けど、廊下といってもコンクリートの廊下なので、いろいろと問題がある。まあ、よごれるし、じゃまだったわけ。だから、ビニール袋に入れて、さらに、ビニール袋に入れて、お勝手においた。お勝手……台所にしか、置くところがないわけ。あとは、ダニ問題があるんだよね。パソコンなら、どうにかなるだろう。これも、廃棄ということを考えたのだけど、windows98がネイティブで動くマシンがあってもいいかなと思ったので、とってある。これも、もともと、中古なんだよね。1万円ぐらいかな。もっと安かったかも。もともと入っていたのはwindows7だけどね。windows98がぎりぎりで入ると思う。まあ、いろいろ細工をすればの話だけど。windowsXPがもう一台あってもいいなと思っているので、windows98を入れるのがたいへんだったら、windowsXPでもいい。
まあ、いいや、そんなの。だいたい、意欲がさがっているので、実際には、放置だ。実際には、そんなにやりたくないので……エネルギーがまったく、たりないので……放置ということになる。ああっ、自分で言ってて、さみしいわぁ。なみだが出てくる。
なんとか、バリバリといろいろなことをやりたい感じもするのだけど、実際には、むりだ。
いろいろと事情があるのだけど、基本的に言って、サブパソコンがwindowsアップデートにやられた。基本的に言って、なんとかなおったけど、いろいろと考えさせられた。なおったから、いいけど、なんとか、対策をしておく必要がある。特殊事情は、いろいろとめんどうくさくて書けない。しかし、こういうやり方はよくないよな。電源がオンだからといって、サブパソコンの画像出力がモニターに表示されているとは限らないのだ。
とりあえず、なおったからいいけど、廃棄することを考えたとき、いろいろとまずいことがある。どうしようかな。また、カネが出ていくのか。ハードディスクの内容を完全に消去するフリーソフトは、さけたい。しかし、イチから組み立てたほうが、いろいろと楽だというのがある。中古パソコンは、有名メーカーのものなので、組み立てた場合とは、ちがう問題がある。自分で組み立てやつのほうが、いろいろとあつかいが楽だなぁ。ハードディスクをとりだすにしろ、なんにしろ。
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モニター切り替え機とキーボード切り替え機をつかっているのだけど、いろいろとあって、Windowsアップデートのあとは、そっちがわに「いてやらないとだめ」なのである。しかも、今回、バイオスメニューに入って、イベントログを消去しなければならなかったのである。でも、モニター切り替え機とキーボード切り替え機の問題で、バイオスメニューに入る前の画面に到達できなくなってしまったのである。ようするに、なにもうつらない。これを解決するには、アナログRGB[D-Sub 15ピン]接続で、パソコンを立ち上げる必要があるのである。まあ、いろいろと、たいへんだった。
++++++
しかし、どうしようかな。今回、いろいろとやばいことに、気がついた。まあ、たいしてやばくはないのだけど、やばいと言えば、やばいかな。
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引っ越しは、たいへんだぞ。
それから、じつは「推論」の問題があるんですよーー。一般人もそうなのだけど、とくに、精神世界の人には推論の問題がある。
まあ、いいか。
これ、けっこう説明がめんどうなんだよね。
うーーん。簡単に言っておくか。
うーーん。たとえば、フラットアース理論は否定できるわけ。それは、物理現象にかかわることだからだ。妄想や単なる考え方に関しては、完全には否定できないというところがある。
たとえば、「じつは支配者層の人は人間ではなくて、レプなんだ」というような話は完全には否定できない。
それは、可能性だけはあることだからだ。可能性だけは否定できないのである。
どんなばかげた話でも、可能性だけは否定できない話というのがある。
仮説としては、成り立つわけだ。完全に否定することはできないという状態のままになる。100%否定することはできないということ。100%の確率で偽であると断言することはできないという意味。
まあ、たとえば、ヒラリー・クリントンの遺伝子をぼくが調べて、「たしかに人間である」と言うことができれば、完全に否定することができる。
しかし、ぼくにはそんな権限がない。そういう装置をもってない。だから、ヒラリー・クリントンが、人間ではなくて、レプだという仮説は、完全には否定することはできない。
けど、100%否定することができないとしても、ぼくは、ヒラリー・クリントンは人間のからだをもっているだろうと思う。
たぶん、ヒラリー・クリントンはレプではなくて、人間のからだをもっていると思うけど、それを証明することはできない。まあ、信用できる機関が調べて、公表してくれればいいんだけどさーー。
けど、じゃあ……「信用できる機関」ってなんなんですかという問題を、今回、突き付けられたわけ。ぼくだけじゃなくて、人類全体が、突き付けられたわけ。わかる?
で、問題なのは、「可能性は否定できない」ということを言うと、精神世界の人は「肯定された」と思うということなんだよ。ヒラリー・クリントンがレプである可能性は否定できない……ということは、ヒラリー・クリントンがレプでない可能性を否定してない。
たとえば、Aさんが「ヒラリー・クリントンがレプである可能性は否定できない」と言ったとする。その場合、Bさんが「Aさんは、ヒラリー・クリントンがレプであると言った」と誤解をしてしまう場合がある。精神世界の人や自称5次元人は、そういう誤解をする傾向が強い。まるで、わかってない。これ、やっかいなのだよ。
もうひとつ、言っておこう。たとえば、「因果関係は証明できないから、関係はない」と言うことができるかどうかだ。答えは、できない。ところが、「因果関係が証明できないなら、因果関係はないんだ」と思ってしまう一般人が多かった。
相関関係はあるんだよ。
けど、因果関係は証明できない。
あるとも言えないし、ないとも言えない。
ところが、「あると言えない」ということに注目して、「ない」ことにしてしまう。これは、まちがっている。けど、そういうことをしてしまう人が多いんだよ。
これ、推論の問題なんだよ。これ、ものすごくでかい問題をはらんでいる。
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因果関係があると言い切るには、調べなければならない。たとえば、死んだ人の臓器に、どの程度、m-RNAによって産生されたスパイクたんぱく質やプリオンたんぱく質が含まれているかを調べなければならない。ところが、調べさせてくれないのである。だから、調べることができないうちは、「因果関係があるとも言えない」ということになる。けど、それは、「因果関係がない」ということではないわけ。
しかし、つまんないなぁ。このさき、どうするかな? 案外、気がつかないんだよなぁ。ワクチンと呼ばれているものの主作用だと言っているのに、ワクチン以外の理由を探して、それで納得してしまう。
だから、本当はワクチン被害者なのに、本人は、ワクチン被害者だと思ってない人が多い。この割合が大きすぎると、問題だ。
これ、問題なんだよ。あとは、自称5元人と同じ問題をかかえている人が多い。この人たちは、事の本質をかくし、幻想を見せるのが仕事だ。これは、職業的にやっている人が多い。ようするに、宗教関係者だ。一日中、専門でやっているんだよね。
そして、グループになっている。このグループに、宗教関係者の支持ポイント(フォローなど)を集めているみたいだ。そして、DS企業であるSNSが、まあ、支持する。有名なSNSはすべて、DS企業なのである。これは、生粋のDS企業だ。うまれがDSなのである。
だから、態度がはっきりしている。ほんとうに流れてしまってはいけない情報は、完全にシャットアウトしている状態だ。だから、反DSのふりをしていても、DS企業に守られている人たちは、DS側だと考えるべきだ。DSと言っても、無数のグループがあり、多数の派閥がある。敵対しているように見えてもDSであることにはかわりがない。
それほどまでに、DSが宗教、政治、経済、芸能界、スポーツ界を支配していたということだ。地球単位で支配していたということだ。
なので、これが、ほんとうにこわれるのかどうかは、判断がむずかしい。
ともかく、言いたいことは、ワクチンの被害者が、ワクチンの被害にあったということをちゃんと認識しないとだめだよということだ。この層があついから、いつまでたっても、話が前にすすまない。
そして、この層の人がこれから増えていく。時間の経過とともに、発病する人が増えるからだ。けど、発病しても、ワクチンを打った結果、この病気になっているということがわからないのである。
それは、洗脳の結果だ。ワクチンと自分の病気を、結びつけて、考えることができない。できないのであれば、それは、ワクチン後遺症ではないということになる。
なので、事実がかくされたまま、死亡者数と患者数が増えるということになる。これは、危険なことだ。
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ちなみに、DS(ディープ・ステート)という言葉(名称)は、ドナルド・トランプが、演説のなかで使っています。
「ディープ・ステートとか言っている人は、陰謀論のあほ」と思っているんでしょ。「DSとか言っている人の言うことは、信用できんわぁ」と思っているんでしょ。知ってますよ。けど、言わなきゃならないんですよ。
インテルが、ディープ・ステートとレプの話をいっしょにするので、「ディープ・ステートとか言っている人は、陰謀論のあほ」と思っているんですよ。
ディープ・ステートとレプは、わけて考えないとだめなんですよ。インテルの術中に、はまっていますよ。「ディープ・ステートとか言っている人は、陰謀論のあほ」と思っている人は、まんまと、術中に、はまっていますよ。
インテルが、ディープステートとレプの話をいっしょにするのは、一般の人が、「陰謀論者はバカだ」と思うようにするためなんですよ。
一般の人に「バカだ」と思わせるために、わざと、いっしょに話しているんですよ。そうすると、ディープ・ステートの話が、ばかばかしい(うそばなし)に思えるわけです。けど、ディープ・ステートのほうは、ほんとうの話であるわけです。
こういう、洗脳のテクニックがあるんですよ。
いいかげん、気がついてくださいよ。おねがいしますよ。人類の明るい未来は、こういうことに気がつくかどうかにかかっているんですよ。一般の人が気がつくかどうかにかかっているですよ。いいかげん、目を覚ましてくださいよ。おねがいしますよ~~。
アド・パーティー関係の話が事実だとする。国際金融資本が、アド・パーティーをやって、芸能界を支配しているというのが、ほんとうの話だとする。けど、レプティリアンの話は、嘘だとする。しかし、インテルがアド・パーティーとレプティリアンの話をセットにして話すとどうなるか? 一般人が、インテルをばかにして、「こんなことを信じているやつはバカだ」と思うのである。インテルの熱心な投稿は、それが目的なのである。真実の話と嘘の話をセットにして話す。どちらも、「へんなはなし」だ。常識的に考えるとありえない話だ。だから、アド・パーティーの話も真実ではないと考えてしまうのだ。そして、アド・パーティーの話から、目を背けるようになる。アド・パーティーはほんとうの話なのに、そういう話をしている人を「バカだ」と思って、バカにするようになる。これが、インテルの目的だ。目的のひとつだ。
これは、NASAの話と、フラットアースの話がくっついているのとおなじ構造をもっている。おなじなんだよ。
いやーー、まじつまんないわぁ。
これから、眠るよ~~
おやすみ~~
メーリングリストでいやな思いをしたことを、思い出した。いろいろなところに、地雷があるなぁ。「もう、ぼくは、いいや」という気持になることが多い。せっかく、ボランティアでやってやったのに、けち、つけやがって……。いちゃもんをつけてくるな。くそっ、こっちが、なるべく口論をしないようにしようと思った矢先に、いちゃもんをつけてくる。
あとは、やはり、長期騒音で不幸なんだよな。長期騒音がなかったら、そんなメーリングリストにも入ってない。ぜんぜんちがう人生だっただろう。
長期騒音が、家族によってもたらされた騒音だというのが、また、他人にはわかりにくいことなんだよな。普通の人の場合、「言えばやめてくれる」と思うわけだから。
* * *
あとは、ともかく、はやくしてほしい。これ、いつまでこんなことをやっているんだという気持になる。
どうするかな?
ほんとう、どうするかな?
片づけが、焼け石に水なんだよな。なんだか知んないけど、いちいちまようものがある。たとえば、椅子の付属品としてついてきたボタンのようなものなのだけど、それが、プラスチックごみなのか、不燃ごみなのか、わからない。ゴムだったら、不燃ゴミなんだけど……。プラスチックでも、ゴムでもないという可能性がある。プラスチックというけど、プラスチックそのものとプラスチックに似たものがあるんだよ。これは、なんなんだと思うようなものもある。分類しなければ、気にならないのだけど、プラスチックごみであるという確証がないんだよね。
まあ、不燃ごみのほうに入れておいた。
+++++++
あとは、まあ、ともかく、つまらないよ。これも、「つまらないと言うから、つまらなくなる」と言う人がいるんだけど、ちがうんだよね。いろいろなことがあったわけ。気ちがい兄貴とのトラブルやきちがい親父とのトラブルで消耗したわけ。条件はあるよ。そのときの『条件』というのがある。条件が時系列的に成り立っている。その場合、いろいろなことがあって、感情が鈍磨する場合がある。先に、不愉快なことがあって不愉快だと感じている。そして、自分がやりたいことができない条件が成り立っていたとする。その場合、自分がやりたいことができないので、つまらないわけだ。時系列的に、つまらないことがつみかさなったので、つまらないと感じている場合、「つまらない」と言ったからつまらないという感情が発生したというわけではないのだ。
「つまらない」だとわかりにくいかもしれない。「だるい」ということについて考えてみよう。「だるいと言うから、だるくなる」のか? たとえば、ワクチンに入っている毒で、毛細血管に血栓ができたとしよう。その場合、からだがだるく感じるのである。人間のからだというのはそういうふうにできている。血栓ができて、だるく感じたから、だるいと言ったとする。「だるい」と言ったから、だるくなったのか? ちがう。だるいと言うまえに、だるくなっていた。なので、「だるいというから、だるくなる」という考え方はまちがっている。この場合は、まちがっている。
「だるいと言うから、だるくなる」とだれかが言う場合、そのだれかは、そういう可能性を排除してから、「だるいと言うから、だるくなる」と言っているのかという問題がある。手短に言うと、そういう可能性を排除せずに、言っている。なので、この人の言っていることは、まちがっている確率が高い。この人が言っていることが正しい場合は、ほかにだるくなる理由がまったくないのにもかかわらず、だるいと言ったら、だるいような感じがしたというときだけ成り立つものなのだ。あくまでも、だるいと感じただけだ。身体的な変化は、ほとんど起こってない。固定的な意味での身体的な変化は起こってない。ようするに、だるいと言ったあと、血管に血栓ができて、だるくなるわけではない。ようするに、「だるい」と発言したことによって、突然、血管に血栓ができるわけではないのだ。「だるい」と発言したことが理由になって血管に血栓ができるということは、考えられない。血管に血栓ができたから、だるく感じて、「だるい」と発言する場合はある。「だるい」と言うこと自体は、固定的な意味での身体的な変化を引き起こすことができない。
「だるい」と言う場合も「つまらない」と言う場合も、じつはおなじだ。「だるいと言うから、だるくなる」という考え方はまちがっている。「つまらないと言うから、つまらなくなる」 という考え方はまちがっている。
「だるい」と言う前に「だるい」と感じる状態になっている。「つまらない」と言う前に「つまらない」と感じる状態になっている。その発言のまえに発生したすべての出来事が、その状態に影響をあたえている。もちろん、時間的に近いものが、大きな影響をあたえているという場合が多い。けど、時間的に遠いものが影響をあたえている場合だってある。それは、時間的には遠いけど、ある時期、繰り返し起こったことによってつくりだされた状態であるかもしれない。
ぼくだって、底辺の主人公が、出世する話が好きだよ……。けど、それは、アニメのなかの話だから……。ぼくだって、最悪の条件が成り立っているのに、主人公が努力をして、最後には、悪をたおすというようなアニメが好きだよ。けど、それは、アニメのなかの話だから……。
『条件なんて関係がない』とは、思ってない。『どんなに悪い条件でも、コツコツと努力すれば、成功する』とは思ってない。
『条件』は重要。
話のなかでは、どれだけ出世してもいい……話のなかでは、どれだけめちゃくちゃなことをやってもいい……。
「話のなかでは……」というのは、「アニメのなかでは……」とか、「ドラマのなかでは……」ということだ。底辺の主人公が、ものすごいことをして、ものすごいカネを手に入れる……というアニメがあるよね。けど、ネットカフェでそのアニメを見ている人は、ずっと、ネットカフェ人生なんだよ。底辺の主人公が、かわった才能でどんどん出世していくというような映画があるよね。けど、映画館で、その映画を見ている底辺の人は、ずっと底辺なままなんだよ。
これは、ガス抜きだ。
アニメやドラマの主人公が、どれだけ立派なことを言ってたって、現実はかわらない。
ほんとうに、この奴隷世界をかえるような力(ちから)にはならないわけ。逆に、そういう抵抗のエネルギーを吸い取っているわけ。わっかるかなぁ??
ほんとうに、この世界をかえようとするエネルギーを吸い取っている……。こういう役目があるんだよ。
++++++
「ちょっといい話」が、じつは、条件を無視しているということについて、考えたほうがいい。アニメやドラマのなかで、ものすごく条件が悪い人が、ものすごい才能と、ものすごい努力で、ものすごいことを成し遂げてしまう……。「どんな条件だって」ということが成り立ってしまう。けど、実際には、条件は重要なんだよ。条件は重要。
「ちょっといい話」というのは、たとえば、「自分のご機嫌を自分でとる」というような話も含まれる。こういう、ライフハックみたいな話……。悪い話には見えないだろ。けど、これが問題なんだよ。これが、悪魔のやりかたなんだよ。悪魔は洗脳のプロだ。そして、メディアやさまざまな媒体をとおして、洗脳する。さまざまな媒体のなかには、「教育制度」も含まれている。教育制度というのは、悪魔がつくった教育制度だ。学校……小学校、中学校、高校、大学、大学院……悪魔がつくった「学校」だ。
ワクチンとマスクで、学校がどういうものだか、みんな、わかっただろ!
えっ、わかってないのぉ??
おカネのことでほんとうにこまってたんだよ。少年時代、わかいとき、ずっとずっと、こまってた。
あーあ。あのころ、カネがあったらなぁ。いろいろ、ちがうんだよな。人間関係にも影響をあたえるよ。それ!
生まれたときから、ずっと、カネがある人が……「おカネとしあわせは関係がない」なんて、言い出すんだよな。ぜんぜんわかってないだけじゃないか。おカネがないということがわかってない。まるで、わかってないんだよ。そういう発言をする人は……。もう、わかってないということもわかってないんじゃないか。
たとえば、「とあるロレックスの時計」と「とあるカルティエの時計」の価格差が五〇〇万円だとする。その価格差がもっている、おカネの価値と、こども時代のおカネの価値がちがうのである。カネのあるうちに生まれたこどもは、カネをもっているこどもだ。カネのないうちに生まれたこどもは、カネをもってないこどもだ。
できることがちがってくる。
カネがないこどもにとっては、もちろん、おカネとしあわせは関係があるのである。
これがわかってないんだよね。生まれたときからずっと金持ちだから、「ロレックスとカルティエ」の価格差ぐらいの価値しかわかってないんだよね。
「毎日、一食一万円の食事をしてみた。たいして、しあわせを感じなかった。おカネと幸福感は関係がない」……こういうレベルの思考しかしてない。
「毎日、一食千円の食事をした場合と、毎日、一食一万円の食事をした場合の、幸福感には、たいして差がない。なので、おカネと幸福感は関係がない」……こういう、レベルの思考しかしてない。
何度も言うけど、これは、ありすぎた場合の限界効用について言及しているだけだ。おカネがありすぎた場合について、個別に、たいして重要ではない買い物について、言及しているだけなのである。「たいして重要ではない買い物」なのだ。ここが重要。
毎日、一食一万円、出せる人が、一食一〇〇〇円にした場合と、毎日、一食一五〇円しか出せない人が、毎日、一食九〇円にした場合とでは、意味合いがちがう。ぜんぜん、ちがう。
いざ、動くとなると、しんどい。
やっぱり、つかれたなぁ。
もう、さんざんやって、結果がわかっていることもあるしなぁ。
なんか、いろいろと、やる気がしない。
図書館に行ってもおもしろくない。本屋に行ってもおもしろくない。通販で本を買ってもおもしろくない。
* * *
あれから、たぶん、5、6時間ぐらいたって、やっと眠れた。起きたけど、あんま、調子がよくないなぁ。つまーーんない。ほんとう、生きているだけで、ぼろっぼろになるなぁ。
このさき、どうするかな?
長期騒音が一番でかいんだよ。長期騒音を経験してしまうと、普通には、働けなくなる。ようは、通勤ができなくなる。通勤だけではなくて、通学もできなくなる。で、長期騒音を経験してない人から見ると、俺がさぼっているように見えるわけ。それが、根本のところで、ぼくの足をひっぱるという構造になっている。長期騒音を「やったやつ」は知らんぷりだよ。どれだけ言っても、こっちがこまっているというとがわからない、きちがい野郎だ。そういう家族なんだよ。きちがい野郎が家族だったわけ。で、どうしても、不可避的に、影響をうけた。影響をうけた人生になっている。
+++++
まあ、ともかく、つかれた。目がつかれた。これも、もう、ほどほどにしておくかな。
これからの社会というのは、よくなると思う。けど、まだまだ、混濁状態が続く。どうしてかというとDSの裾野が広いのだ。あの人も、この人も、じつは、DS側の人だったということが多すぎる。まあ、DSは超エリートなので、そういう人たちは、DSではない。けど、DSのさそいをうけて、DS側についた人たちなのだ。DSに親和的という意味で親DSと呼ぶことにしようかな。けど、親DSだと、ワクチンを打った人も含まれてしまう。積極的にワクチンを打って、なんのうたがいも、もたない人も、親DSだと言える。けど、この人たちは、最初に言った、DS側の人たちとはちがう。DS側の人たちは、ワクチンを打つような人をだます人たちだ。あるていど権力側の人間なのだ。芸能人も含まれる。インフルエンサーと呼ばれている人たちも含まれる。だから、これは、区別しなければならない。
ともかく、思った以上に裾野が広いので、完全に排除するのは困難だということになる。ほんとうに、層があつい。
今日は、風呂に入ったんだけど、風呂に入ったらめちゃくちゃに、つかれた。これは、やばい。これは、長期騒音時代のつかれ方とおなじだ。このしんどさは、やばいな。
まるまる荘時代より、やばい。これじゃ、「まるまる荘時代とおなじだ」なんて言ってたけど、まるまる荘時代よりも、体力が低下してしまった。
どうするかな?
世間は、うごいてない。大きな動きはなかったという意味。6月ぐらいかな。もう、限界だからはやくしてほしいのだが……。
これ、たぶん、ぼくがどれだけ言っても、ほかの人にはわからないと思うけど、……関心もないと思うけど……「明るいことを考えれば、明るいことがおこる、暗いことを考えれば、暗いことがおこる」というような「魔法的な考え方」は、悪魔側がはやらせた考え方だ。そういうふうに庶民が思っているあいだに、悪魔的な支配者が、いろいろな悪いことを実行してしまう。
暗いことを考えたからダメなんだと思うかもしれないけど、ちゃんと仕掛けられている。たとえば、ワクチン後遺症になったとしよう。これは、ワクチン後遺症になるのではないかと思ったから、ワクチン後遺症になったわけではないのである。ちゃんと、ワクチン……とよばれているもの……のなかには、後遺症になるような成分がはいっている。だから、その成分が、物理法則にのっとって、体内で活動した結果が、ワクチン後遺症……とよばれているものなのである。これは、じつは、後遺症ではない。〇の主作用だ。
この考え方の悪い点は、もうひとつある。それは「暗いことを言ったやつが、わるいんだ」という意識をつくりだす点である。暗いことを言ったやつがいたから、そのとおりになった……と思う人が出てきてしまう。毒を仕込んだのは悪魔側。悪魔側が毒を仕込んだとということを言った人のせいで、後遺症になっているのではない。ところが、「悪いことを言ったから、悪いことがおこる」「暗いことを言ったから、暗いことが発生した」と思っている人は、まちがった対象をうらむことになるのである。そして、両者が対立してしまう。これも、悪魔側がのぞんでいることだ。こうやって、分断化するのである。そして、無力感がしょうじる。この無力感も、悪魔側が、期待していることだ。
「せっかく、忠告してやったのに、○○がワクチンを打って、忠告した人のせいにしている」と、忠告した人が思うようになっているのである。そういう効果もある。 忠告を聞かなかった人というのは、明るい気持ちで、ワクチンを打った人たちなのである。「ワクチンを打てば、新型コロナにかからない」「80%の人が打てば、集団免疫が獲得される」というような気持ちで打ちに行ったのである。暗い気持ちで打ちに行ったのではないのだ。しかし、それを忘れてしまっているんだよな……。
「おもえば」「そうなる」のだから、これは、たいへん楽な方法だ。現実がどれだけひどくても、現実を見ないで……「明るいことを想像すればよい」だけなのだから、たいへん楽な方法だ。しかし、そうしているうちに、悪魔が人をだまして、計画をおしすすめてしまうのである。
* * *
それから、もう一つ言っておくと「恐怖からやったことは、悪いことをひきおこす」というようなことが精神世界ではよく言われる。それだと、恐怖にかられて、ワクチンを打った人が後遺症になり、明るい気持ちでワクチンを打った人は後遺症にならないということになる。ところが、これまた、物理法則にもどついて、ランダムに決まってしまうのである。ロッドによって、入っている成分と、入っている成分の量がちがうということは、反ワクの人なら知っているよね。で、ようするに、どんな気持ちでワクチンうちに言ったにしろ。まずいロットにあたった人は、悪い結果が出て、相対的に言って、いいロットにあたった人は悪い結果が出ないということになる。ここでも、「きもち」は関係がないのである。「恐怖をもとにした行動なのかどうかは、結果に影響をあたえていない」のである。
* * *
ランダムと言ったけど、ほんとうは、地域や接種場所のちがいはある。おなじ摂取場所なら、ランダムに決まったと思う。 これ、じつは、医療機関にしろ、介護施設にしろ、接種会場にしろ、くばられているものが、ちがうのだ。だから、作為はある。なので、ランダムではない。けど、おなじ場所なら、だいたい、ランダムに決まる。ともかく、気持ちの持ちようとは関係がない。だって、打ちに行く人は、どこだと、相対的に言って、いいロットがあるということを知っているわけではないから。相対的に言って、いいロットを打った人は後遺症にならず、相対的に言って悪いロットを打った人が後遺症になる。後遺症ではないんだけど……いちおう、ほかの人に言い方を、あわせて、後遺症と言っておく。。
「自分にはどうすることもできないことには、無視して、自分がどうにかできることにだけ集中すればいい」……と考えれば考えるほど、他人の問題に目をむけなくなってしまうのである。人が苦しんでいても、それは、他人の苦しみだから、自分にはまったく関係がないと思うようになってしまうのである。同胞……他者に対する同情心をうしなってしまう。これは、自己責任論とも軸が一致している。そして、目の前のことに集中して、庶民ががんばると、支配者や支配者に協力的な人たちにおカネがはいるようになっているのである。「富」がますます、集中するようになっているのである。
「自分にはどうすることもできないことには、無視して、自分がどうにかできることにだけ集中すればいい」という考え方は、これまた、正しそうに見えるのだけど、人間が人間につめたくなるようにできている。
自分にはどうすることもできないことには、無視して、自分がどうかできることにだけ集中する……といった考え方ですら、DSがはやらした考え方だ。そして、「引き寄せ」も「自己責任論」もおなじだ。こういう考え方は、悪意がある他人がいないということを前提としている。悪意がある他人とは、悪意がある支配者のことだ。つまり、DSのことだ。悪意がある他人がいると、悪意のある他人が自由に、行動することができるようになるのである。人々……庶民が、全員「自分にはどうすることもできないことは、無視して、自分がどうにかできることにだけ集中すればいい」と考えれば、悪意がある他人が考えたほうに誘導することができる。DSが庶民を洗脳して、自分たちの動かしたい方向に動かすためには、庶民が「自分にはどうすることもできないことは、無視して、自分がどうにかできることにだけ集中すればいい」と考えていたほうがいいのである。なんでわからないかな?
わかるわけがないか?
彼らの大きさがわからないのかな? 政治、経済、宗教、芸能人を含めた文化すべてを、支配しているんだよ。そういう複合体であるわけ。
まあ、具体的にはムーンショット計画にひきずりこまれる。
世の中というのは、5%のサイコパス支配者と90%の常識人で成り立っている。かしこい人は5%しかいない。5%のサイコパス支配者と90%の常識人の組み合わせが最悪だ。常識人ばっかり。この人たちの常識というのは、サイコパスがつくったものだ。きれいごとがはいっているので、きれいごとに対応した部分があるだけだ。きれいごとは、きれいごとではなくて、ほんとうは、きたないものだ。ただ、だまされているから、きれいごとのなかに隠されているきたないものに気がつかないのである。90%の常識人は気がつかない。そして、その価値観に汚染されていく。
5%のサイコパス支配者のなかで、実際にシナリオを考えているのは0.01%ぐらいの人たちだ。
この、FRB(米連邦準備制度理事会)というのが『悪』なんだよ。信じられないでしょ。ところが、悪なんだよ。どーーしょうもない悪なんだよ。これも、DSがつくった機関だ。まあ、そういうことを言うと、陰謀論のひとことでかたづけたくなる気持ちもわかる。けど、これに関しては、ぼくが正しい。陰謀論というのであれば、これにかんしては、陰謀論が正しい。
FRB(米連邦準備制度理事会)が終わる日を、楽しみにまっている。(名実ともに)終わる日をまっているという意味。
いい考え方として語られる考え方は、ほとんど全部、DS側の考え方だ。これ、きれいごとだから、「正しい」ように思えるのである。けど、DS側が洗脳用に用意した考え方なのである。これは、相当に手ごわくて、あらゆる角度から、あらゆるレベルで、洗脳されている。普通のサラリーマンが、「これっていい話だな」と思うようなことが、全部、だめな話なのである。まわりまわって、だめになるわけだけど、だめになるプロセスがまったく見えないんだよ。だから、いい話だと思ったまま生活する。そうすると、まずい効果があらわれる。けど、「これっていい話だな」と思った人たちは、まったく気がつかない。
++++++++++
こういうやつが、生まれの格差「下」の人を自殺に追い込むのだ。まわりまわって、そういうことになるのだけど、普通の人には、わからない。どういう連鎖でそうなるのかわからないのだ。けど、これは、しくまれている。一見、ソフトなので、連鎖の段階が多すぎると、関係が見えなくなる。こういうのは、自己責任論、おたがいさま論、プラグマティズム、認知療法の理論、言霊、思霊、さまざまな宗教団体の教義とおなじだ。一見、よく見えるのである。思いやり接種とおなじだ。一見、よく見えるのである。
+++++++
自分の機嫌を自分でとるんですよ。
つらいときほど「今日はいいこと起きそうな気がする」と思うようにしている。
「楽しいな」って言っていると、本当に楽しくなる。
それだけで、気分はかわる。それで、自分をコントロールしている。愚痴も言わず、最後に「楽しかった」っていう機嫌の取り方ができたら、僕はステップアップできると思っているので……。
たとえばの話だけど、コンパクトシティーという、とんでもない考え方がある。これは、阻止しなければならないのだけど、阻止できるだろうか? 基本的に、白が勝つわけだけど、打ってしまったものは、打ってしまったものだ。そうなると、効果が出る。これも、打っちゃった人は、「効果」だとは思わないのだ。効果だと思った人も、医療に期待したりする。そうなると、当然、インテルが吹聴している「すぱっ」とした解決法はないということになる。お注射とその病気の関係を考えられるやつが少ないなら、あいかわらず、このグタグタ状態は続く。それは、白側が政権をとり、黒側を駆逐したとしてもそうなるということだ。白側が政権をとり、黒側を駆逐した……政治レベルで駆逐したとしても、民衆?のほうの意識というのは、そんなにガラッとかわるわけではない。まあ、普通に考えれば、かわるはずなんだよ。けど、この人たちのダメっぷりを見ると、かわらない可能性がある。だから、だらだらと「ほかの病気になって死んでいく」という状態になると思う。もちろん、ほかの病気になって……というのは、民衆の側から見るとそう見えるということだ。
インテルが黒側、いちおう反ワクの人も、黒側だとすると、ようするに、反ワクに流れてきた層も、こいつらが捕獲してしまうので、よくない。反ワクに流れてきた層というのは、お注射と病気の関係を考えられる人たちだ。
なんとか、生きのびよう。あとは、そのあとでいいや。それにしても、ごく少数の人をのぞいて、みんな、ひどい。これは、なんだ?
こいつらも、あっち側だったのか……と思うことが多くなった。
ねり梅でご飯を食べた。うまかった。
しかし、なんか、つかれた。そろそろ、横になって、本格的に眠る~~。
このさき、ほんとうに、どうしようか?
だれも、俺のかわりにやってくれるわけじゃないからなぁ。
段ボールのゴミと、本を出した。まあ、本は誰かがもっていくかもしれない。それでいい。
しかし、どうしたもんだ。焼け石に水だ。
ダニがいっぱいいる、もと兄貴の部屋に、大事な本がはいっているんだよな。そして、大事ではない本もはいっている。あれをどうするか?
ネズミさえ侵入しなければ、こんなことになってないのに。おやじが頑固に、ネズミをおびき寄せる行為をしてしまったんだよな。あんなの、一か月もやっていたら、そりゃ、くるだろ。(家ができてから)54年間ぐらいずっと、一匹も入ってこなかったのに……。穴があいているとは思ってなかったんだけど、あいてたわけ。いつから穴があいたのかわからないけど、54年間、親父が、魚の切り身をほぼ一日中だしっぱなしにするまでは、ネズミなんて一匹も、はいってこなかった。しかも、親父の部屋の押し入れがひどかった。
ダニ、殺虫剤、バルサンさえなければ……。仏壇なんて、どうするんだよ?という感じだ。あれ、いじるときに、顔を刺されそうなんだよな。仏壇自体は、もう、捨てるつもりだけど、位牌となんかの箱があって、それは、持ち出さないとだめなんだよな。けど、箱をさわりたくない。箱の表面が布になっているやつだから、ダニとか、あやしい。しかも、これが、ネズミの糞が何個も箱の上におちていたのである。それは、俺が、片づけたのだけど、イメージが悪すぎて、さわる気になれない。ちなみに、その作業は、粗大ごみをもって行ってもらったあとにしたんだけど、腹と腕をさされた。顔は刺されなかった。だから、「なぜか顔は刺されないからだいじょうぶだ」と思っていのだけど、それが、2021年になってこわれた。2020年までは、顔は刺されなかった。
ネズミやダニという問題がなかったら、ほんとうにスムーズに片づけが進行していたと思う。
あと、反DSに見える、大型アカウントのほとんどが、じつはDS側のアカウントだ。下部組織の下部組織の下部組織の下部組織みたいな感じだ。これ、別の名前でやっているけど、複数の宗教団体のおおもとが、ひとつの宗教団体だという場合とおなじなんだよね。大企業、下請け企業、孫請け企業……というのとおなじだ。上から見れば、ものすごく、下のほうまでDS漬けだ。反DSの役をやっている人たち……なんだよね。
いろいろと、めんどいなぁ。「めんどい」というのは、めんどうくさいという言い方を、勝手に省略したもの。けど、わりと、みんな使ってたんだけどね。以降、ことわりなく、「めんどい」という言葉を使うのでよろしく。
残りの人生というものを考えると……。考えると……。考えると……。まあ、これ、書かないほうがいいな。頭のなかだけにしておくか。いや、書いておいて、公開せずに、下書きのまま置いておけばいいか。
独身中年男性の、ご飯事情……。あーー。ぼくは、料理が好きなので、どうにかなっていたんだけど、それも、つかれがたまると、どうしようもない部分が出てくるなぁ。できあがっているもののサービスだと、なんか、酸化グラフェンがはいっているような感じがしていやなのだ。まあ、普通の肉に入ってないとは言えないのだけど……。ともかく、食材がひどいことになっている。いまの日本は、ものすごくダメな状態だよ。けど、眠っている人たちが、気がつかないんだよな。まあ、ゆっくり毒のほうには気がつかないだろう。ゆっくり毒は、20年ぐらいかけて、それなりに、効いてくるよ。いまの日本はひどい。2010年ぐらいまでの日本といっしょにするべきではない。
中古マンションのことだけど、築54年ぐらいだと、相当に安いんだよね。しかし、これ、どうなるんだ? 俺が何歳まで生きているのかわからないけど、どこまでもどこまでも、追いかけてくる「負の財産」になりそうな感じなんだよな。
やっぱり、UR賃貸が最適解であるような感じがする。しかし、引っ越しを、短期間で終了することができないんだよ。UR賃貸は、場所によって、相当の価格差がある。やっぱり、不便な場所にあるやつは、安い。
これから、いろいろと世界がかわるわけだけど、インテルが言っているような世界にはならない。けど、いままでとおなじような世界がずっと続くかと言うと、そうではない。そういう境目にいるわけ。で、この境目が、どのくらいの期間、持続するのかわからない。これ、特殊事情なんだよ。みんな、わかってないから、気楽なんだけど……。
社会的な特殊事情と、ぼくの特殊事情を考えると、いろいろと未来を予想するのがむずかしくなる。ぼくの特殊事情が複数、あるしね。
考えがまとまらない。
あたまが、もやもやする。とりあえず、ご飯を食べたから、一度横になるかな。なんか、ぼろぼろにつかれた。だれかがやってくれるわけじゃないからなぁ。だれかがやってくれるわけじゃない。
それにしても、俗称だけど、シェディングは、やばい。トランスミッションなんだよね。ほんとうは……。俗称と言うよりも、基本的にまちがった言い方なのだ。で、ワクチン後遺症とか副反応という言い方とおなじように、わざと、不適切な言い方を採用しているのだ。けど、一番つたわりやすいから、そういう言い方を使うときもある。
じつは、まえも書いたけど、ぼくが小学生のころ、近所の女の子がいた。
まあ、いいや。
とりあえず、刺身でご飯を食べた。刺身は、買ったとき冷凍庫に入れて、そのあと、出して、そのあと、もう一回、冷凍庫に入れたやつを、また出して、解凍して冷蔵庫に入れておいたやつだ。一度とけたんだよね。だから、くさっているかもしれない可能性があるので、どうしようかと思ったのだけど、においをかいだら、くさってはいないだろうと思って食べた。正直言って、色はあんまりよくない。あれ、すぐ、色がかわっちゃうんだよな。
まあ、味は、普通の味だった。だいじょうぶ。
このさき、どうするかな?
やっぱり、中古マンションを買うよりも、アパートを借りたほうがいいのだけど、床とか、傷がつかないように、気にするのがいやなんだよね。まあ、シートを買うつもりだけどさ。カーペットのかわりになるやつ。カーペットはいやだね。ほこりがね……。まあ、むかしは、ぜんぜん気にしてなかったけどな。
+++++
今日、起きてから、一回目のご飯終了。
ちょっとだけ思っていることを書くと、やっぱり、固定費はこころの負担になる。たとえば、食費だったら、「今月は、なるべく食べないようにしよう」とか、「安い素材で乗り切ろう」とかと、やりようがあるんだよね。けど、固定費はちがう。節約できない。
あー、全部、涙が出るほど、めんどうくさい。
書くのは簡単だから、書ける。全部が全部、文字入力のように簡単だったらなぁ。まあ、その文字入力も、じつは、いろいろな条件が成り立って、簡単なことだと思っているだけだ。条件が成り立っている。「めんどうだ」と思うことにも条件が成り立っている。事柄だけでくらべることはできない。
もう一回、寝るかな。
たとえば、眠ること……。おもに、自分の寝床で、眠ることを意味しているけど、それだって、いろいろな条件が成り立っている。自分が普段、眠っているところで眠るというのも、じつは、条件のひとつだ。そういう、条件が無数に成り立っている。 (たとえば、眠りを邪魔する音にしたっていろいろとある。音の種類が無数なので、条件としては、ユニークな条件が成り立っているということができる。そして、たとえば、普通に呼吸しているけど、普通に呼吸することができるという条件が成り立っている。)
蛇口の水漏れが気になっているのだけど、まだ、水を流しているときだけ漏れるだけで、水を流していないときは、水漏れはない。じつは、この蛇口は、ぼくが、中学生のときにかえたものだ。なので、やり方は知っている。しかし、なんか、自信がなくなってしまった。あるいは、めんどうになってしまった。じつは、2016年に、蛇口がふるくなったから、かえようかなと思って、蛇口だけ買った。アームが長いやつで、専用器具を使わなくても、気力でしめることができるのだ。ようするに、アームが長い分、てこの原理で、チカラが必要じゃないわけ。(やる気になったときにやっておけばよかった)。
修理の人をよぶとなると、片づけなければならなくなる。ほんとうに、足の踏み場がない。ぼくだから、適当に(足場のものをいろいろと)よせてできるのだけど、ほかの人だと、うっかり踏まないようにしてやるのは、たいへんだろう。あんまり、人をよびたくない。あそこを片づけるのが、たいへんだ。
あとは、もう、ここはあきらめて、引っ越し先でごはんをつくって食べればいいという感じで、もっていくかなぁ。それも、めんどうなんだよね。まあ、適当によせて、工事の人をよぶという手もある。作業しずらいだろうけど、どうせ、他人のうちだから、関係ないだろう。けど、最低限の掃除はしなければならない。
++++++
ともかく、ずっとここに住むわけにはいかない。気力が回復しない。
++++++++++
あとのとき、水道の元栓をしめなければ、工事ができないので、俺が、親父に「水道の元栓をしめて工事をするよ」というようなことを言ったら、親父が「まだ使えるなら、かえなくていいよ(かえなくていいよぉぉぉぉ)」と言ったから、やめたんだよな。いちおう、親父の家だったからね。持ち主が親父だから……。けど、あのとき、かえておけばよかったんだよな。いま、よく見たら、なんか、いじる気がしない。古くなったからなぁ。(俺が中学生のときは、親父はめったに家にいなかったので、いないときにやった)。2016年は、親父が、一日中、家にいる状態だった。親父が横になっているときで、なおかつ、夜ではないとき(くらくないとき)……をねらってやらなければならない状態だった。かりに、昼間、親父が横になっていたとしても、親父が突然?起きて、水道の蛇口をひねる可能性があったからなぁ。ひねったにもかかわらず、水が出ないということになると、めんどうだからなぁ。いつ、起きるかわからないわけだから……。けど、まあ、あのとき、やっておけばよかったな。やる気になっているときにやらないとだめなんだなぁ。なにも言わないで、あのときやってしまえばよかった。
うーーん。雨、やまないかなぁ。あーーつまんない。
親父が死んだら、気分良く、いろいろなことにチャレンジできるかと思ったら、親父がネズミと、ネズミの糞とダニを残していったので、めちくちゃなことになっている。さらに、竹なんだよね。竹がすごい。竹の根っこを庭に植えようとしている人がいたら、絶対にやめたほうがいい。ものすごい、生命力で、ほかのうちにも迷惑をかける。一部、ブロック塀じゃないところがあるんだよ。ブロック塀の基礎が、竹の根よりも低ければ、となりのうちにのびていかないけど、ブロック塀じゃないところだと、となりのうちにものびていく。竹の根を除去するには、まず、ミニであれ重機が必要なのである。で、最低でも50万円ぐらいかかる。重機が門を通らない場合は、また、門の工事が必要になる。
まあ、竹の話はいいや。ともかく、いろいろなことがすんだら、気分をかえてやりなおすはずだったんだけど、ネズミでおかしくなっている。あとは、世間的に、ワクチンでおかしくなっている。
どーするかな。政治家や官僚、テレビ局を信じているような鈍感な人ばかりだからな。
「もう、いいや、俺」と言いたくなるよなぁ。それ、もう、一日に何回も言っている。
『謙遜自慢』をするやつがいるんだよな。謙遜しているのに、自慢しているやつ。
自分がカルティエの腕時計を買って、悦に浸っていたのだけど、友達にあったら、友達がロレックス・デイトナをしていた。その友達が、カルティエよりロレックスのほうがいいとマウントをとってきた……というような話をする。謙遜している。マウントされたという話をしている。けど、実際には、「高級時計をかえる俺すげーー」「俺よりもっとすげぇー時計をもっている人とつきあいがある俺すげーー」と威張っている。読んでる人のなかには、カルティエを買えない人がたくさんいる。そういう人にむかって、威張っている。
けど、「(ロレックスをもっている友達に)マウントされちゃったよ」と自虐ネタを話している。友達をたてて、自分を低く言っているのだから、謙遜している。けど……。けど……。
それから、たとえば、俺の友達は金をもっているんだぞという話をする。これも、時計の話とおなじだ。「Aさんとあってきた。Aさんは、20億円ぐらいの資産がある。20億円ぐらいの資産がある人は、言うことがちがう。ユニークな視点で物事を考えている」……とAさんのことをほめる。「自分なんてまだまだだ」と言う。Aさんのことをほめて、「自分なんてまだまだだ」と言っているのだから、謙遜している。謙遜しているけど、「20億円持っている友達と対等の話ができる俺、すげーー」「Aさんのような人と交友関係がある俺、すげーー」と威張っている。
そういうふうに、話のなかに出てくる相手のことをたてているのだけど、なぜか、自慢話にしか聞こえないんだよな。しかも、本人は、ほんとうに謙遜しているつもりで、威張っているつもりがまったくないんだよなぁ。自慢しているよね。
高級時計を買えない人に、自慢しているよね。20億円持っている人と交友関係がない人に対して、威張っているよね。自慢しているよね。自慢してないのかな? 謙遜しているだけなのかな?
ほんとんどすべてが、そういう自慢話なのに、本人はまったく気がついてないんだよね。
俺、もう、いいか。なんか、めんどうだな。いやな思い出ばかりだ。「あのとき、こうしてあげればよかった」というのは、ある。特に高校時代、中学時代のことが思い浮かぶ。
しかし、からだがかゆい。いま、首がかゆい。かきこわすのは問題がある。
どうするかな。いろいろとめんどうなんだよな。休んでいればちょっとは復活すると思っていたけど、なんか、いやな記憶がいっぱいうかんでくる……。さっき、親父のことで腹がたった。これは、高校時代、中学時代のことではない。高校時代、中学時代のことに関しては、友だちに、こういうふうにしてあげればよかったということが多い。何度も言うけど……。
いまさら、高校時代、中学時代のことなんて思いだしても意味がないけど……。あっちはもう、忘れていると思う。だいだい、ぼくも、今日と、昨日、思い出したことは、いままで何十年も一回も思い出さなかったことだ。今日と、昨日、思い出したことはふたつ。そのふたつとも、いままでまったく思い出さなかったことなんだよな。定番じゃない。
悪の支配は消えていくわけだから、いまよりは、よくなると思う。けど、時間がかかりそうなんだよなぁ。みんなが、だまされているから、時間がかかる。悪というか、悪魔というのは、悪そうに見えないのである。ここがわかってないんだよな。「思いやりワクチン」なんてことを言う人が、悪魔側の人なのである。ようするに、普通の人は、悪魔側の人にだまされている。けど、だまされているということに気がつない。そして、きれいごとを信じてしまう。このきれいごとというのは、悪魔側のきれいごとだ。人をだますためのきれいごとだ。そんなきれいごとで、悪魔は動いているわけではない。だますのが、デフォルト。ものすごく、きたない気持ちで動いている。けど、一般的な人、だまされている人には、そういうふうに見えない。悪魔が言っているきれいごとが、その人の常識になってしまう。だから、常識的な人は、悪魔が側が提供するきれいごとを、信じてしまう。つまり、だまされてしまう。これ、みんな、だまされているのに、気がつかない。どうしてかというと、権威のある機関を、悪魔側が掌握しているからだ。まず、これが信じられないんだよね。常識的な人は、これを信じることができない。権威のある機関は、ちゃんとした機関だと思っている。権威のある放送局はちゃんとした放送局だと思っている。これがだめなんだよ。これで、ころっとやられる。悪魔側にとっては、こういう人たちをだますのは、赤子の手をひねるようなものだ。ほんとうに、簡単にだまされてしまう。けど、だまされたとは思ってないのである。今回のワクチンについても、そういう機能が働いている。認知システムというのかな? ともかく、ちゃんとした機関が言っていることだから、正しいことだと信じてしまう。ところが、そうじゃないのである。
だから、ちゃんとした機関というのが、悪魔側の機関なのだということを、普通の人が認識しなければならないのである。こういうことを言えば、権威を信じている人から見ると、陰謀論者に見えるわけ。で、CIAというのは、一般人を洗脳するための専門機関なので、そういうことに関しても、ちゃんと対策をしている。普通の人が認識をしないように、対策をしている。で、これも、赤子の手をひねるようなものなのだ。簡単に洗脳されちゃっている。
いくつかのレイヤーを用意しておくと、いろいろな主張をもっているものを、どこかのレイヤーで捕まえることができるのだ。いろいろな主張というのは、趣味趣向といってもいい。ほんとうに、みごとなまでに、やられちゃっている。で、まあ、ぼくのようなことを言う人が、「浮く」ようにできている。ほかの人から相手にされないようにできている。ほかの人というのは、常識的な人たちのことだ。常識的な人は、自分は合理的な考え方を身につけているので、陰謀論にははまらないと思っている。陰謀論者はだめだと思っている。その人たちが見ている陰謀論者というのは、いってみれば、CIAが用意した陰謀論者だ。陰謀論にははまらなくても、CIAが用意した洗脳システムには、はまっている。ものの見事にはまっている。まあ、そういうことをぼくが言っても「CIAとかわらえるwww」というような反応があるのはわかっている。だから、まあ、CIAとも言いたくはなかったのだけど、そういう用語を使うしかないんだよな。
まあ、ともかく、常識的な人がだまされているから、この世はまっくらやみなんだよ。そして、陰謀論には正しい部分があると見抜いた人も、フラットアースや参政党にはまってしまう。これは、ものすごく、やばいことだ。
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これが、わりと、本気なんだよね。
アニメを見ていたら、いままでまったく思い出さなかった、高校時代の、あんまりよくないことを思い出して、不愉快な気持になっている。あーあ。
それから、風が強いんだよね。そうすると、のびきった竹が、縁台の屋根?にあたって、がしがし音をたてて、不安な気持ちになる。あれを、切らないといろいろとやばい感じがする。
なんか、いやだな。眠れない。つかれているけど眠れない。
ほんとう、俺の人生なんだったんだろうな。長期騒音で、ほんとうは行きたくない高校に行ったんだよな。気分は、そのころも、暗かった。長期騒音がはじまったのが、小学六年生のときだからなぁ。もう、それ以来、苦しみの連続だ。
あと、からだがやっぱり、くるしい。頭がはっている感じがするんだよな。もやもやして締め付けられる感じがある。眠れないんだよね。
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今期、アニメは、豊作だ。
水星の魔女……グダグダ展開
スマートフォンとともに……卓球のところで、いやなことを思い出した
推しの子……暇つぶしにはなる
つまんない。やっぱり、長期騒音体験があるやつと長期騒音体験がないやつでは、話がちがうんだよね。鬱と言っても、話がちがう。そんなもんじゃないから。まあ、つまらないと言っても、つまらないの、つまらなさがちがうんだよね。まあ、そんなことを言っても、なんの得にもならないけど。
「ワクチン打ったけど・気にしてない派」が多数派だと、こまるんだよな。
打ってない人のなかで「ネサラゲサラ・クルクル派」が多数派だと、こまるんだよな。
この人たち、どっちとも、だまされている。
ということは、まだまだ、だましが続くということになる。ということは、へんな方向に誘導される可能性がある。へんな方向に誘導される確率が高い。
ワクチン後遺症になってワクチンが危険だということに気がついた人も、まだ、「医療」に期待している状態だ。だました相手を信頼してもむだだろ。「医療」がだましたということを、認めたほうがいい。悪意があるんだよ。悪意があって、だましたんだよ。
まあ、「医療」というのは、擬人化して言いました~~。「政府・厚労省・製薬会社・医師」を含んだ医療業界全体が、だましたということですねぇ~~。
ワクチンを打ってない人で、「ワクチン後遺症なんてただの薬害だ」と思っている人たちが、案外、頑固なんだよな。この人たちも、足をひっぱる。だまされてないつもりだけど、だまされている。こまったなぁーー。
ただの薬害であるわけがないでしょ。意図があるんですよ。悪い意図がある。
これだけやられているのに、悪い意図に気がつかないなんておかしい。
まあ、大半の人がだまされた状態でとまっているので、たいへん危険な状態だということだ。
ワクチン後遺症の人に、「思ったことが現実化する」と言うやつ。いや、こんなことになるとは思わなかったから、ワクチンを打ったんでしょ。まるでちがうと思うけどなぁ~~。
ワクチン後遺症の人に、「後遺症を引き寄せた」と言うやつ。そりゃ、「引き寄せ」という視点で見るとそう見えるかもしれないけど、引き寄せという視点自体がまちがっているので、話にならない。
他人の悪意というものを、想定してない引き寄せ話なんて、意味がない。
悪意のある他人が、悪意のある毒をつくり、悪意のある他人がそれを「ワクチンだ」と言い、悪意のある他人が「新型コロナ感染症がはやってる」と言い、悪意のある他人が、「PCR検査で新型コロナに感染しているかどうかわかる」と言い、悪意のある医者が「安全・安心だから打て」と言ったから、打ったわけでしょ。
悪意がある他人の存在を無視して、「引き寄せ」という考え方だけで、語るということに、むりがある。この世には、悪意がある他人がいる。
その場合、悪意がある他人が、なんらかのことをした場合、なんらかのことをされたほうは、「そのことを引き寄せた」と言われてしまう。引き寄せという視点をもっている人はそういうふうに考えてしまう。
引き寄せという視点をもっている人には、そう見えてしまうのだから、しかたかがない点もあるけど、それにしても、ひどい。
まあ、悪意がある人にだまされた人は、悪意なく「新型コロナ感染症がはやってる」「PCR検査で新型コロナに感染しているかどうかわかる」と言うことができるので、すべての場合において、悪意があるとは言わないけどね。
勉強不足である医者は、勉強不足だから、「安全・安心だから打て」と言う場合もある。けど、この場合は、医者という立場上、「そのように言った」という責任はしょうじると思う。この場合、悪意はないかもしれないけど、過失はあると思う。
精神世界の人というのは、こまっている人を、こまらせることしか言わない。
彼らは、カルマという考え方を信じているみたいなのだけど、カルマという言い方をするのであれば、カルマを増やしている。
「悪いことを引き寄せたからだめなんだ(そうなっている)」と言うことや、病人に対して「病気になると思ったから、病気になった」と言うことは、あきらかにカルマを増やしている。
言ったほうは勝ち誇った気持ちになり、言われたほうには憎しみがしょうじる。
カルマという考え方は、悪魔側がしかけた精神攻撃のなかで、かなり深い層にある精神攻撃だ。これは、この世に生きているとなかなか、否定しがたい部分がある。
けど、それは、この世に生きているからだ。
この世は、悪魔が支配している世界なんだよ。カルマという考え方が、悪魔の支配にとって、どれだけ都合がいいものか考え方があるか?
むしろ、カルマなんて考え方があるから、この世で悪がはびこる。
悪事が横行する。
カルマという考え方があるから、逆に「やりがち」がしょうじてしまう。やったほうが「気にしなくていい」ことになってしまう。悪いほうがやりがちをして、悪いほうが悪いことをしたということについてまったく気にしない世の中になってしまう。やられたほうが悪いという考え方に誘導されてしまう。関係がない他者は、「やられたほうが悪い」と普通に考えて、「やられたほうの落ち度」をせめることになる。
カルマという考え方がいきつくさきは、こういう世の中だ。
そして、カルマは、生まれの格差を肯定する。これ自体がすでに、悪だ。
起きた。さむい。なんか、はだざむいぞ。
はださむい、はだざむい、どっちも正解だから。けど、肌寒いと書いたほうがいいか。けど、それだと、「さむい」と書いたから、バランスが悪い。
まあ、そんなことはどうでもいいとして、はっきり言って、腹が減ったから、起きた。救急車のサイレンがぴーぽーぴーぽー、鳴っている。はだざむい朝と救急車のサイレンのくみあせっていやだよね。おかあさんが、病気で寝ていたころの冬を思い出すよ。
このあいだ、衝動的に買った黒糖パンを食べた。まあ、普通の味。パンは、さけているのだけど、ときどき、食べたくなる。
そのあと、海苔でご飯を食べた。まあ、こっちのほうがおちつくかな。ほんのちょっとだ。黒糖パン1個だとだめだ。小さいパンだから。6個、入っているやつのひとつだからね。
これから、緑茶を飲んで、そのあと、もう一度、寝るわぁ。はだざむいけど、エアコンをつけるのはいやなのだ。布団のなかがちょうどいい温度だ。
黒糖パンは、パスコと山崎パンではないから、買っておいた。写真ではものすごくおいしそうだったので、買ってしまった。味に期待しすぎた。まあ、こんなもんだよね。
しかし、まあ、なんていうのかな、ぼくの場合、長期騒音の問題がおさまらない。買い物もしんどかった。からだ全体がかゆいし、もう、すべて、いやになった。
コロナワクチン後遺症になった人がツイートをしているのだけど、気持ちがわかる。他人から見るとなんでもなさそうに見えるけど、からだがしんどくてしんどくてたまらないという状態に関する、ツイートがある。複数ある。基本、まあ、広い意味で病名はついているけど、やはり、気分の問題にされているみたいだからなぁ。狭い意味で病名はついてない。なんとかなんとか症というやつね。あくまでも、「症」。
その人は結婚して暮らしていて女性だ。で、ほんのちょっとだけ、気分転換にパチンコに連れて行ってもらったということを書いたんだよ。そうしたら、「そんなにだるいだるいと言っているのに、パチンコなんてふまじめだ」というようなことをリプした人たちがいるんだよね。けど、行けるなら、なるべく、行っておいたほうがいいと思う。これ、旦那が車で連れて行ってくれたから行けるだけで、自力では行けない。ふまじめではないんだよ。「ふまじめだ」と言っている人たちは、長期間にわたってだるい人の気持ちがまるでわかってないなぁ。そりゃ、気分転換になんかやってみたくなることがある。やったって、だるくて、そんなには楽しくないけどね。実際、楽しくない。「そんなには」と書いたけど、かなり楽しくないのだ。これ、どういう気分だかわからないのか? 健康な状態で、やってみたいと思っていることをやっているときとは、ぜんぜんちがうのだ。ぜーんぜんちがう。ほんとう、わかってないなぁ。
もう、いいや。しかし、平日とはいえ、ゴールデンウィーク期間中の平日なので、人は多かった。立ち寄らなかったけど、日高屋もけっこうこんでいたのだろうなと思う。
美酢(ミチョ)のイチゴを飲んだけど、イチゴの味がしない。期待しすぎた。桃と、ザクロはすごく、いい。パイナップルはだめだ。マスカットは普通。けっきょく、桃とザクロだけなのか? まあ、酢がはいっているので、長く、部屋に置いておいても、くさらない。常温で保存可能。はいっていると言ったけど、これは、果汁から生成されたものだ。
まあ、そんなのは、どうでもいいや。ともかく、気分的にダメだ。やばいものがからだに入るとはいえ、もう、ラーメン屋に行くかな。そして、タンメンを食べるか? まだ、食べたことがない、めずらしいラーメンも食べるかな? なんか、梅味のラーメンがあるらしい。あっ、日高屋じゃなくて、別のラーメン屋ね。
風俗とちがってからだの接触はないから、だいじょうぶか? しかし、問題なのは、ナノメートルレベルの生命体だ。あれがどの程度、体外で生きられるのかわからない。まあ、マイナス70度には耐えられることははっきりしている。
トランプがもたもたしすぎている。
なんかもう、いろいろとめんどうくさい。いろいろと、いやになってきた。もう、すべてのめんどうくさいことをしないで、生活したい。
買い物に行ってきた。タンメンを買いに行ったのだけど、タンメンがなかった。市のゴミ袋などを買わなければならないので、一カ所にしか行くつもりがなかった。あとは、ふけた。俺がふけた。あーー。店でタンメンを食べるつもりはなくなっていて、店のタンメンを持ち帰るかどうかまよったけど、それも、もう、そういうことをする気力がなくなっていた。まあ、うどんを買ってきたので、うどんを食べようと思う。基本、なんとなく、タンメンよりも、アイスのほうが食べたくなったので、かえって、アイスを食べた。2個食べたんだけど、うまかった。ひさびさのアイスがうまい。しかし、ふけたなぁーー。この世は地獄だ。
あーー、おわったおわった。俺の人生おわった。
起きたが、まったくなにも、かわってない。世界の動きがおそすぎる。このままだと、ぼくが、ひからびるなぁ。
なんか最近、のどがかわいてしかたがないんだよね。頭が締め付けられるような感じで、なかなか眠れないし、のどがかわくし……なんかなぁ。あーーあ。それに、つかれている。たいしたこと、してないのに、つかれるんだよな。これは、理由がわかっている。けど、なおしようがない。
61か月目に効力を発揮する毒について書いたけど、71か月目に効力を発揮する毒もいれておいたらどうなるか? よけいにわからなくなり、よけいに分断化する。なんてたって、自分のことでなければ、人は関心をしめさない……。そんな感じになっている。自己責任。悪いことを引き寄せた人が悪い。病気を引き寄せた人が悪い。生まれるまえから、病気になることは決まっていた。魂がそういう人生を選んだ。こんなことばかり言われるようになる。
単一の毒ではなくて複数の毒が入っていたらどうだろうか? ある毒は、脳みそをターゲットにするが、別のある毒は肝臓をターゲットにするといった具合にだ……。そうなるともっとばらけるだろ。さらに、オールマイティーとしての免疫をだめにする毒が入っていたらどうだ? その毒のなかに入っている病原体ではなくて、ほかの病原体にやられてしまうようになる。ただの真菌ですら、脅威になる。そりゃ、そうだろ。ぼくたちのからだがくさらないのは、免疫が守ってくれるからだ。ウィルスではなくて、細菌や真菌は、そこらへんに、存在する。ウィルスは存在しないという説があるが、細菌や真菌は存在する。なので、その毒のなかに入っている毒が起源であるような病気ではなくて、そこらへんに存在する病原体によって引き起こされる病気も発生する。そうなると、病気のバリエーションが増えるということになる。
さらに、ある時限爆弾のような毒と、別の時限爆弾のような毒が、別のはやさで病状を悪化させるとしたらどうか? 61か月目に効力を発揮する毒と言っても、発症してから、わりと短い時間で重症化する病気と、発症してからわりと長い時間で重症化する病気があるとしたらどうなるか? よけいにわかりにくくなるだろ。普通、ひとつの毒に対してひとつの病気が対応しているように思えるわけだ。ある会社のワクチンによって、もたらされる病気があるとする。思い浮かべるとしたら、一種類の病気だろうか? 数千種類の病気だろうか?
ほかの人のブログなどを読んでいると、まるで、むかしのようで、おそろしいことが進行中ではないような感じになる。けど、ひそかに、おそろしいことが進行している。いったい、いつになったら、鈍感な人たちは、気がつくのだろう。まあ、彼らやり方は、そういうやり方だ。いちおう、なんでもない日常が続くような感じで、人が減っていく。
腹がへって、動けないときがある。というか、動きたくないので、腹がへっているけど、がまんしているのである。ごはんをよそるということが、めんどうでめんどうで、できない。そこに、電子ジャーがあるのに……。というわけで、4時間ぐらいがまんしたあと、動いたのだけど、飯をくったら、腹がいたくなった。まあ、起きたあと、すぐに腹がへったんだけど、動くのがめんどうだった。
まあ、簡単に話す。たとえばの話だけど、発症するまでに61か月かかる毒というものについて考えてみよう。60か月目までは、なんともないのだ。しかし、61か月目に急に病気になる。毒を打ったのが、2021年の1月だったとする。2025年の12月までは、まったくなんともない。毒の効果があらわれない。しかし、2026年の1月になると、毒の効果が出る。しかし、普通の人は60か月前に打った毒が効いて、この病気になったとは考えない。さらに、毒を打ったという認識がなく、ワクチンを打ったという認識しかないとなると、もっとやっかいなことになる。ワクチンの効果で、自分が61か月目に、病気になったとは考えないのだ。たとえばの話だけど、2022年1月の時点で、ワクチンがじつは毒だといううわさが流れてきたとしよう。2021年1月の時点で、ワクチンを打って、2022年1月の時点で、健康な人は、「そんなのは嘘だ」と思うだろう。「俺はぴんぴんしている……ワクチンに毒が入っているなんていうのは、嘘。その証拠に、俺がぴんぴんしている」と思うだろう。「そんなのは、フラットアース論を信じちゃうようなバカが言っていることだから、あてにならない」と思うだろう。
まあ、こんな感じで、「発病するまで時間がかかる毒」「発症するまでに時間がかかる毒」に関しては、やっかいな問題がしょうじる。毒と書いたけど、これには、生物的な毒が含まれる。
「薬害と言ったって1000人に1人と言ったレベルだろ」という、レベルだからなぁ。まるでわかってない。さらに、どのみち、メドベッドはこないし、EBSもない。EBSがないのは、はっきりしている。
まあ、1000人に1人と言ってる人が、気がついたとしても、参政党レベルの話になってしまう。参政党は、表向きはワクチンに反対しているけど、じつは、ワクチン反対というスタイルでDS政策を進めてしまう政党だ。
だから、ワクチン反対でも、ワクチン賛成でも、同じところに行きついてしまうのである。なので、そういうレベルの反ワク(ワクチン反対)だとだめなのだ。彼らは、党員にマスクを強制して、マスク強制にさからう党員は、追放してしまうような人たちだ。
さらに、まるで、新興宗教のようなへんな儀式をしたりする。基本的に言って、彼らは見かけ上、反ワクではあるけど、ほんとうは、反ワクではない。たとえば、国民にワクチンを強制するのはよくないけど、兵士にワクチンを強制するのは問題がないと思っている。
彼らは、ワクチンで失敗した場合の、つなぎだ。
DSのプランのなかで、ワクチンは重要なものなのだけど、ワクチンが失敗した場合のことも、当然、考えている。ワクチンは、半分成功して、半分失敗したような状態になっている。ようは、失敗した。
なので、次の手を実行するための政党が必要になる。反ワク感情をもった国民を受け入れる政党が必要になる。そして、その政党が目指しているものが、ようするに、ワクチン推進派の政党と同じなのだ。
なので、ワクチン反対政党を支持しても、ワクチン賛成政党を支持しても、同じ結果になってしまう。わかるかな?
反ワクのなかで、わりとまともな人が、参政党を支持しているのだけど、彼らを「もっていかれた」。
彼らは反ワク、反マスクは見えているけど、それだけだ。それだけしか見えてない。ワクチンを直感で拒否するように、参政党を直感で拒否しなければならなかったのだ。
ところが、ワクチン反対派のなかで、なおかつ、フラットアースを信じない人たちが、参政党を直感で拒否しなかった。
これは、でかい。
界隈では、「分断をさけよう」ということが言われているのだけど、見事に、分断されてしまった。参政党は、戦争という手口を使うつもりなのである。
じつは第二次世界大戦を含めて近現代の戦争というのは、DS側の『プロレス』だったのだ。戦争がはじまれば、いろいろな法律を使って、事実上の人権を無視できるようになる。
そして、徴兵制で、国民を兵士にすることができる。その場合、兵士にはワクチンを打ってよいということになっていたら、けっきょく、国民はワクチンを打たれることになる。もっとも、注射器で打つワクチン接種ではなくて、ちょっと、パッチを貼り付けるだけのワクチン接種になるかもしれない。
だから、『打たれる』という表現が適切ではなくなる可能性がある。しかし、ワクチンの成分を入れられる場合、それはワクチンを注射で入れた場合とおなじ結果になる。注入方法にこだわる必要はないのだ。
なので、イメージとしてワクチン接種と同じイメージにならないものもあるかもしれないけど、どのみち、参政党を選ぶと、徴兵制で、ワクチン成分をからだのなかに入れられることになる。
反ワクの人というのは、そういうことをさけている人たちなのだけど、見かけ上、参政党が反ワク政党に見えるので、だまされてしまう。参政党は、反DSに見えるDS勢力のひとつだ。で、この反DSに見えるけど、じつはDSだという人たちが多いのである。いろいろな層に、反DSに見えるけど、じつはDSだという人たちがいる。
インテルもそういう人たちだ。
だから、インテルを信じると、じつはDS政策に誘導されてしまうのだ。インテルは、国民に失望をあたえるのが仕事だ。インテルを信じているとかならず、どこかの時点で失望することになる。もっとも、その時点がくるまえに死んでしまった場合は、そうでない。
けど、生きていれば、どこかの時点で、失望することになる。これは決まっている。インテルがやっていることはそういうことなのだけど、時間稼ぎという側面もある。
(1)他の国民から、反ワクがバカに見えるようにする。「反ワクはバカなやつばかり」「反ワクは、まるまるということもわからないバカ」と思っている人は、彼らにやられてしまっている。彼らの目的のひとつがそれだ。(2)クルクル詐欺をして、時間をかせぐ。(3)夢をあたえて、失望させる。
だいたい、このみっつが、インテルの活動目的だ。
ほかにもあるかもしれないけど、ぼくが見たところだと、だいたいこんなところだ。そういう文脈の中で、フラットアース理論を考えると、見えてくるものがある。
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まあ、じつは、効率が悪いだけで、食べ物に入れていても、効く成分もある。これは、効率の問題だ。なので、食べ物のなかにもワクチンと同じ成分を入れようとするわけだ。
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リビア内戦は、DS国同士の戦争ではない。カダフィ大佐が反DS政策を推し進めたので、DSがまるまるした。例外はあるけど、いろいろな内戦や戦争が、じつはDSが引き起こした内戦や戦争だ。DSという名称にはこだわらなくていい。イルミナティーでもフリーメイソンでもいい。ようするに、DS仲間同士のプロレス戦争と、そうでない戦争や内戦がある。だいたい、どの時代の戦争からDS関係の戦争(両方ともDS)になるのかは、わからない。まあ、すべてとは言わないけど、かなり多くの戦争がDS関係の戦争だ。
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台湾と中国の争いがあるけど、台湾も中国も日本もアメリカも、DS国であったなら、台湾事変?を利用して、日本を戦争に巻き込むのは、DSのちからをもってすれば、できることだ。絵空事ではなくて、戦争勃発の可能性はある。その場合、反ワク政党が主流政党になっていた場合、戦争を利用して、いろいろなことを実行することができる。
ワクチンならワクチンの目的がある。けど、ワクチンはその目的を達成するための手段でしかない。ひとつの手段でしかない。別の手段があれば、その手段で目的を達成することができる。戦争も、目的を達成するための手段のひとつだ。ワクチンは重要な手段だけど、ワクチンにこだわる必要はないのだ。
もうすでに書いたけど、国民にワクチンを強制することはゆるされないことだけど、兵士にワクチンを強制することはゆるされるとする。その場合、徴兵した国民は、国民ではなくて、兵士になる。兵士にはワクチンを強制してもよいのだから、兵士にワクチンを強制しても、なにも問題はないということになる。こういう、ワナがある。そういうワナが複数あったらどうだ?
いろいろなところにワナを仕掛けた場合、反ワクのポーズをとっていながら、じつは親DS的な政策を実行することができるようになる。
いつも読んでくださるかたに感謝しております