洗濯物を干した。まだまだ、熱湯処理後の洗濯をしなければならない。そういうものがいっぱいある。
しかし、つかれた。
どうするかな? 右目がまた、おかしくなった。ちょっとだけど、涙目になっている。目よりも、脳内にあれがはいったかどうかが気になる。目の粘膜はやばい。ほんとう、涙が出るようなガスを顔に吹き付けられたという感じだからな。当然、肺にも入った。
あーー。自転車なんて買うんじゃなかった。普通の通販で買って、自分で組み立てればよかった。やっぱり、防犯登録は全力で拒否して、名前や住所を書くべきではなかった。自転車を組み立てることは、別にいいのだけど、段ボールをすてるのがやっかいなのだ。一枚の段ボールだとしても、おらなければ、もって行かない可能性がある。自転車を組み立てることよりも、段ボールの処理のほうが気が重い。
「シェディングは、たぶんないし、シェディンクをうけたとしてもたいしたことはない」と……ぼくは、思っていた。だから、これは、積極思考なのである。で、思ったことが実現化するのであれば、もちろん、シェディングをうけないか、あるいは、たいしたことがないシェディングをうけるということになっていたはずなのだ。ようするに、予想外のことが起きた。基本、ストアに行っても、シェディングはある。けど、軽いシェディングだった。シェディンクがまったくないというのは、こういう状態になると、たぶんない。確率としては低い。で、体感できるシェディングがあるかどうかなんだよ。シェディングがないというのはそういう意味だ。この文脈のなかではそうだ。で、「シェディングは、たぶんないし、シェディンクをうけたとしてもたいしたことはない」と言ったら、「シェディングがない(体感できるほどのシェディングはない)」という現実か、あるいは、「軽いシェディングをうける」という現実しかないわけ。重たいシェディングをうける現実というのは、言霊が正しいのならない。で、ぼくは、わざわざ、「シェディングは、たぶんないし、シェディンクをうけたとしてもたいしたことはない」と声に出して言ったあと、自転車屋に行ったの……。声に出して言ったのは、前日だけどね。わざわざ、つぶやいたの。
けど、やっぱり、予想外のことは起こる。言わなかったことが発生する。言霊なんて、そういうレベルで、嘘だ。いいかげん、コトダマコトダマコトダマって言っている人は、気がついたほうがいいよ。この人たちだって、「自分が言った通りにはならない」ということを経験しているはずだ。どうして、そういう現実を無視するのか? どうして、あたったときだけを考えて、はずれたときのことは、考えないのか?
まあ、言っちゃ悪いから言わない。ともかく、その人が、そう信じているのは、かまわないけど、ほかの人にすすめるな。悪い家族に囲まれて、くらしてきた人は、そういうことを言われると「うっ」と思うところがあるんだよ。こどもだから、気がつかないとは思うけど。
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ともかく、こうなることがわかっているのであれば、自転車を自転車屋にとりに行くという選択はしなかった。予想外のことが起きたので、自転車を自転車屋にとりに行くという選択は失敗だったと思っているわけだ。