2023年7月1日土曜日

「そんなのは、言えばいい」……「何万回も言いました」。

 じつは、まだ、のどが痛い。なんか、のどの奥がひりひりする。目はだいぶ良くなったと思う。からだは、だるい。

いろいろな、細かい記憶がよみがえってきて、ぼくをくるしめる。やっぱり、葛藤があるシーンは、思い出してしまう。そもそも、葛藤があるんだよな。「こういうふうに言いたい」けど「相手の気持ちを考えると」ものすごく言いにくいというような葛藤がある。言いたいけど、言えないというような葛藤がある場合は、どうも、記憶に残りやすいみたいなのである。で、人生のなかであった、もう忘れていたことが、突然よみがえるときがある。ぼくは、絶叫している。ひとりの部屋で、絶叫。そのとき言いたかったことを、言ってる。相手は、もう死んじゃったんじゃないかな。

あとは、長期騒音で睡眠回路がこわれてしまったのだけど、これが、いろいろなトラブルを引き起こすのだ。長期騒音について説明しても、ぼくが、へんな人だと思われるだけである場合が多い。そもそも、ほかの人の人生のなかでは、そういうことはないからだ。起こったこと…が、事実なんだけど、ほかの人の人生のなかにはないことだから、「へんなこと」のように思うのだ。「そんなのは、言えばいい」というようなことが頭に浮かぶらしい。けど、ぼくは、何万回も言いました……。で、「僕は何万回も言ったんですよ」ということを言うと、また、これがへんな話をしているように思われるのだ。家族が、きちがいだと、こういう目にあわされる。 

「もう死んじゃったんじゃないかな」とぼくが思っている人だけど、この人は、出版社の社長だ。この人にも、長期騒音の話をしたのだけど、あんまり伝わらなかったなぁ。深刻さが伝わらないんだよな。

きちがい家族と一緒に住んでいるかどうか? この差はでかい。けど、こういう条件は「無視」される。そして、きちがい家族と一緒に住んでない人のほうが多いわけだから、きちがい家族と一緒に住んでいいない人は、きちがい家族のことを理解できない。なので、正常な人が、きちがい家族のやったことについて語っても、「へんな話をしている」ように思うのだ。きちがい家族にやられていない人が、きちがい家族にやられた人の話を聞くと、「へんな話だな」と思うということだ。「そんなのは、言えばいい」……「何万回も言いました」。

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