やっぱり、Aさんの質問にこたえたかったから、こえるべきだったんだよなぁ。こたえるとBさんの面子がなくなるんだよなぁ。けど、Bさんに「こたえるけどいいね」と言うのは、ちがうと思うんだよな。なんで俺が、Bさんに、そういうことを言わなければならないのか。当然、こたえる権利が俺にはある。なので、勝手にこたえればいいということになる。いちいち、Bさんにことわりをいれるのは、ちがうと思う。けど、こたえてしまうとほんとうに、ああいうことを言ったBさんの立場がなくなる。「そら、みろ。質問したっていいんだよ!!(怒り)」みたいな反応をすることは、わかっていた。たぶん、そうなる。だから、それに対して、俺が、さきに「そら、みろ。質問したっていいんだよ!!」みたいなことは書かないでねと、念をおしたくなるのだけど、それも、ちがうと思うんだよね。「どうしてこたえないんだ!くそやろう。ほかのやつには、ぺらぺらこたえているくせに!!」みたいなことを書いてAさんが(掲示板を)さった。Bさんのことは気にせず、こたえたほうがよかったんじゃないかと思ったのは、Aさんがさったあとなんだよね。あれ、ほんとうに、こたえにくくなっちゃったんだよ。Bさんの気持ちは、なんとなくわかるのだけど、それ、ちょっと、いきすぎた行為だわ。なんで、そうなる。まあ、Bさんは、長期騒音のことを知ってたから、そうなったのかもしれない。でっ、ほんとうに、親父が死ぬまで、これも、忘れていたんだよなぁ。親父が死んでから1年ぐらいたって、「そういえば こういうことがあったな」「Aさんの気持ちをきずつけてしまったなぁ」「Bさんのことは、あんまり気にしないで、Aさんの質問にこたえればよかったな」と思ったんだよね。親父が死ぬまでずっと割れていて、親父が死んだあと、思い出した「ちいさないさかい」があるんだよね。何個かある。これ、小さないさかいなんだけど、なんか、ねむを締め付けられるような感じがするんだよね。こたえてやればよかったな。Bさんの面子をつぶすことにかんしては、「つぶすことになってしまうけど、気にしないでね」というような感じで書いておけばよかったのか。まあ、実はそういうことも、あのとき、考えたのだけど、Bさんの面子を優先してしまったんだよな。
なぜかさぁ。最近というか、ここ数年間、まるで気にしてなかった、思い出(記憶)が急に脳内に浮上して、あれこれと考えてしまうとが多いんだよね。何十年も前の、ささいなことを思い出して、「ああすればよかったのか」「こうするべきだったのか」と悩むときがある。Aさんの気持ちもわかるんだよなぁ。そりゃ、気分、わるいだろう。けど、Aさんの書き方というのが、俺に対してもBさんに対しても、最初から、ケンカ腰みたいなところがあるんだよなぁ。まあ、いいや。どうすることもできない。