「とかなんとか言っても、このひと、打っちゃった人なんだよなぁ。さらに、いまこの時点で反省してない人なんだよなぁ」と思うことが多くなった。打っちゃった人が書いている社会論なんて、意味がないでしょ。打っちゃった人が書いている、政治の話、経済の話、みんな、意味がない。まったく、意味がない。
だからまあ、常識的な人は打ってしまったし、打ってない人は、ネサラゲサラを信じている状態なんだよね。これじゃなぁ。だいたい、白が、「黒が支配した世界ではこうなる」ということを見せるために、黒がやるようなことを、(ちょっとだけ)やっているとすると、問題がある。
だって、気がつかないやつは、気がつかないわけだから。これじゃ、気がついているやつに対する恐喝になってしまう。
そして、たとえば、DSの勢力というものを考えた場合、DSそのものは、上部組織なので、DS解体まで、あと一歩というところまできたとしても、DS協力者がいっぱいいる状態なので、DS協力者が、いろいろと、悪いことを続けてしまう。だまされている人は、悪いことだとは、思わない状態で、悪いことを続けてしまう。
そうなると、白による「見せつけのための黒活動」と「DS協力者の実質的な黒活動」がかさなってしまうことになる。白が、ひとりひとりのいのちをどう考えているかというと、たいして重視してない。そりゃ、事件について、わりと関心を寄せて、突っ込んだことを言う場合もあるけど、それは、大衆に対して呼びかけるひとつの例として使っているだけだから、ほんとうに、ひとりひとりのいのちを重視しているのかというと、重視はしてない。
「うまく、生き残ってね」というスタンスだ。
たとえば、シェディングで死んでしまっても、それは、運が悪かったということですまされてしまう。彼らは、割合で考えている。ある程度、シェディングで死ぬ人が出てくることを考えている。ある割合で、シェディングで死ぬ人が出てくるということを知っている。なので、割合思考しかない。たとえば、1%の未接種者が、シェディングで死ぬとする。その場合、1%の未接種者が死ぬことは、最初から見込まれていることで、未接種者は、1%に入らないように努力するしかない。努力しても、環境が悪ければ、1%に入ってしまう。こういう意味で、割合しか考えてない。個々人がどうなのかということは、考えてない。だから、善良な人で、未接種者だとしても、環境が悪ければ、死んでしまう。まあ、死んだっていいじゃないかという考え方もあるのは知っている。けど、一部の人が言っているようなことは、起こらない。まあ、ぼくが起こらないと思っているだけだけどね。