相手は別に俺をこまらせるとは思ってないのだけど、相手の行動で俺がこまるということが、相手にはまるでわかってないという場合、俺は、燃え上がるように、怒る。燃え上がるように怒るのだけど、どなりたくはないのである。特に、店のなかでは怒鳴りたくない。そりゃ、きちがいがきちがいの音を鳴らしているときは、どなるけど、それは、どならなければ、一切合切、相手の耳に俺の声がとどかないからだ。力いっぱい怒鳴っても、聞こえないような音で鳴らしているきちがいがいる。
店で、どなりたくないというのは、ある。これ、まるで、戒律のように俺の行動をしばりつけているのである。「店でどなるのは、みっともない」「店でどなっているひとは、みっともない」という先入観がある。
アルバイトなんだろうけど、臨機応変に行動ができないやつがいる。頭がおかしい。ほんとうに腹がたつ。あのとき、どなって文句を言えばよかったな。どうしたって、怒って、でかい声を出せば、外から見ればどなっているように見えるよな。聞こえるよな。でかい声を出さないと、頭がおかしいアルバイトに、つたわらないんだよな。どなりたかったな。どなればよかったな。ほんとうに腹がたつ。
これ、ときどき、猛烈に腹がたつ記憶なんだよな。じつは、喫茶店つながりで思い出してしまった。これ、スパゲッティー屋と喫茶店がくっついている店の話なのである。で、これが、複雑で、スパゲッティー屋と喫茶店が、会計的に、くっついているのかわからないのである。スパゲッティー屋のなかを通らないと、喫茶店のなかには行けないのだけど、スパゲッティー屋と喫茶店が段になって、区切られているのである。で、室内の飾りとか壁紙を見ると、区切られているようにしか見えないのである。レジがひとつしかないように、そこからは見えるのである。けど、喫茶店の奥にレジがあるかもしれないのである。ようするに、そのところからは見えないレジがあるかもしれないという疑いは、確かめてみないと消えない。
まぁ、いいか。ものすごく、めんどうくさい説明になる。このレジのところにいたアルバイトが、ものすごく頭がわるいやつなのである。腹がたつ。
まとめて言うと、落とし穴があるんだよ。認知の落とし穴がある。相手にはだます意図がないのだけど、二重、三重、にだましている。悪気がないのだけど、そこでそういう行動をとるのはおかしいだろと思うようなことが、何回もある。おかしいんだよな。「特に、相手をだます意図がない」というのが、めちゃくちゃに腹がたつポイントなのである。悪意がないけど……俺がこまる……。俺がこまるということは、普通の頭の持ち主ならわかることなんだけど、特殊な頭の持ち主だとそれがわからない。
3人ぐらいの人が、「それはおかいんじゃないの」「こうすればいいんじゃないの」「わたしがやってあげようか」と助け船を出しているのに、それは、頑固に無視したりことわったりするのである。頭がおかしい。腹がたつ要素というのがいっぱい、つまっている。あれ、やっぱり、どなるしかないのか。店長も店長のかわりになるやつもいないんだよな。料理人は、なんか、料理だけするということにこだわっていたみたいだし……。
ほんとう、説明するとなると、複雑な部分がある。アルバイトの人が、脳みそに癖がある人で、しずかに諭すように言うと、つたわらない。 頭がおかしい判断に、固着している。あれ、普通の頭の持ち主じゃないんだよ。どなるしかなかったかな。どなりたくないけど……。