2022年12月4日日曜日

寝る前は、喫茶店巡りでもしようかなと思っていたのだけど、

 しょうがないから、なんとか動いて、昆布の佃煮みたいなものをおかずにしてご飯を食べた。この昆布の佃煮はけっこう高い。通販だからね。まあ、味は、よくある味。期待していた通りの味だ。これは、レトルトパウチになっていて、長持ちするから、動きたくないときに食べようかなと思って買っておいたものだ。なので、その期待にこたえてくれた。

しかし、まだ、動きたくない気持ちは続いている。動きたくない。前投稿でも書いたけど、寝る前は、喫茶店巡りでもしようかなと思っていたのだけど、とにもかくにも、動きたくないのでそんな気持ちは、ふっとんでしまった。ぼくが思っている喫茶店巡りは、親友と行くか、彼女と行くか、ひとりで行くかのどれかだ。で、やっぱり、ひとりで行くよりも、ふたりで行ったほうがいいような感じはある。けど、現状、ひとりで行くことになるのだろう。けっきょく、昨日も書いたけど、長期騒音でだめなのだ。で、それを「おして」行ったとしよう。ようするに、長期騒音で憂鬱な部分はあるが、その部分はがまんして、行ったとしよう。それで、満足できるだろうか? 「やったのでやった」……。「やったので、満足するべきだ」……。うむむむ。ほんとうに、長期騒音でつらいのだ。みんなわからないと思うけど、長期騒音にやられながら、受験に行くような気持ちになってしまうのだ。みんな、わからないと思うけど、ものすごい感情がある。だって、その長期騒音の音源である、きちがい家族は、「きのう」も、いつもと同じように、一分もゆずらないで、鳴らし切ったのだから、怒りがある。それに対する、怒りがある。そして、家の状態というのをごく一部の友達にしか言ってなかったので、普通の友達は、ぼくがそういう騒音にさらされて生きているということを知らない。で、いろいろと、誤解をうけることになるのだ。まあ、音源がきちがいだから……きちがい家族だから……なんて言うのかな、言ってもわからない部分というのがあるのだ。普通の家族に囲まれて生きている人には、理解不能な部分がある。そして、その理解不能な部分というのを、きちがい家族がもっている。原因であるきちがい家族が、やっている「無視」「無理解」と普通の人がやっている「無視」「無理解」が相似部分を含めて、かさなってしまうのだ。これ、ブラックホールと表現しているのだけど、言いがたい部分がある。無意識に問題がある家族にやられている場合は、ほかの人が理解できないのである。そして、無意識に押し込めている部分というのが、問題なのである。問題源である家族にとって「やってないこと」になっているのだから、かさなってしまうのである。しくみがちがうのだけど、「やってないこと」になっているということはおなじなのだ。これも、わからないだろうな。


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