2019年11月18日月曜日

「旅行をする気になれない気持ち」について書くよりも



自由に書いているみたいだけど、実は、はしおっているところがある。続きがあるのにやめておく場合がある。続きというのはたいていは、長期騒音にかかわることであって、こっちに書くのは不適切なことになってしまうからだ。けど、長期騒音と長期騒音の雰囲気に関しては、どのみち、書かなければならないと思っている。だって、それが俺の現実だったわけだから。現実であるわけだから。生きていて、俺がどう感じたかという記録を残しておくために、こっちは書いているのだから、それをぬかすのはよくないんだよな。

ほんとう、やろうと思えばできることはあるんだよな。たとえば、旅行とか……。けど、旅行をする気になれるか?というとなれない。これが問題なんだよな。で、それは、長期騒音が影響している。……俺の場合。なので、長期騒音がない人にはわからないわけだ。長期騒音を経験してない俺には、「旅行をする気になれない気持ち」なんて、わからないんじゃないかなと思う。あまりにも、特殊すぎて、他のひとの同意をえられない。基本的には、明るい人……長期騒音を経験してない人が……行く……旅行の記事のほうがうけるわけだ。そりゃ、「旅行をする気になれない気持ち」について書くよりも、どこかに行ってきたという記事のほうが具体的でうける。その記事は、そこに行きたい人には価値がある記事だ。なので、Googleも価値があると判断するだろう。というわけで、明るくなにかをやる人のほうが、よい評価を受ける構造になっている。だいたい、「旅行をする気になれない気持ち」というネガティブな記事よりも、どこかに旅行してきたというポジティブ?アクティブ?な記事のほうが、広告がつきやすい。広告もビンゴだろう。ズレてない。それから、「旅行をする気になれない気持ち」にかんして言うと、長期騒音がかかわっているのでほんとうに、特殊なのである。ぼく以外だれも経験したことがないことが原因で、旅行に行けなくなっている。繰り返しになるけど、特殊すぎる。

これを書き始めたので、風呂には入ってない。これから、入る。
じゃね。

++++++++

けど、単なる気分について書いたあと、どうしても、書きたくなることがあるんだよな。それは、長期騒音の雰囲気についてなんだけど、これ、ほんとうに、他のひとには通じない。わからないと思う。他のひとは、分の流れから言って、どうして、突然そういうことを……そういうネガティブな気持ちにいつて書くのかわからないと思う。わからないとは、思うけど……。これは、『生存報告』けん『精神活動と行動の記録』であるわけ。生きているときに、こういうことを考えていた・思っていたということを残しておきたいわけ。だから、『脱力さんがゆく』とは、ちょっと意味合いがちがってきている。

いつも読んでくださるかたに感謝しております



人気の投稿

ブログランキング・にほんブログ村へ