2022年2月4日金曜日

まあ、そういうことは、全部、含めて、関係がない人には関係がないわけ

 このあいだ買ってきたコロッケで、起きてから一回目の食事を終了。あーー。

ネズミがきているかもしれない。一階に……。

自分の身を守るためにいろいろとやらなければならないのだけど、どーーーしても、やる気がわかない。寝ているあいだもくるしい。普通の人が俺に投げかけてきた言葉というのが、ひどい言葉ばかりなのである。きちがい家族にやられるとそうなる。けど、普通の人は、自分が言った言葉がひどい言葉だとは思わないだろう。これ、説明したら、普通の人は、ぶちきれる。道徳的なことを言ってたって、ポジティブなことを言ってたって、ちょっとでも自分が信じていることを否定されたらおこる。自分が信じていることというのが、わりと、人格に根差した道徳観なのだ。そりゃ、自分が正しいと思っていることを否定されたら腹が立つけど、ちがうからーー。たとえば、無職に対してたいへん敵対的な道徳観をもっている人がいるわけよ。これは、労働観の問題でもあるけど、道徳観の問題でもあるわけよ。言霊にしてもポジティブシンキングにしても、ひとまずは、信じているのだから、否定される腹が立つ。けど、その信じていることが、ぼくのポジションに対する攻撃になるんだよ。ぼくのほじしょんに対する否定をまず、その人たちがおこなっている。だから、それを、認めるわけにはいかないんだよ。そうなると、ぼくがその人たちの道徳観や労働観や言霊思考やポジティブシンキングの一部を、否定することになる。これは、しかたがないことなんだよ。言ってみれば、本人の偏見に基づいて、相手を侮辱しているのに、相手を侮辱していると行こうとがわかってない人たちなんだよ。だから、「侮辱しているよ」「侮辱するな」と言わなければならなくなる。けど、偏見なのだけど、ものすごく根本的な道徳観や労働観なので、偏見だと思ってないんだよね。あたりまえだと思っている。

「あたりまえ」「そう思ってあたりまえ」「そう言ってあたりまえ」「おかしくない」「思ったことを言ったまでだ」「まちがっているとは思えない」「正しいことを言った」「それなのに、なんだおまえは!」「無職のくせして!!」というような気持ちがわいてしまうわけだよ。けど、そういう人たちは、長期騒音を経験しているわけではない。きちがい的な親のもとに生まれてきたわけでもない。この人たちだって、ぼくとおなじことをされれば、働けなくなるのに、働けるという前提でものを言ってくる。

まあ、そういうことは、全部、含めて、関係がない人には関係がないわけ。きちがい的な親のもとに生まれてこなかった人にとっては、「きちがい的な親のもとに生まれてきた人」のことは、関係がないわけ。自分のことじゃないから関係がないわけ。さいわい、自分は、そういうきちがい的な親のもとに生まれず、労働できる環境で育って、労働できるようになった。だから「人間は働くべきだ」というような考えをもっている。これは、労働観であり、道徳観だ。「人間は働くべきだ」という労働観や道徳観をもっていると、働いてない人間がゆるせなくなるである。だから、本人は、気がついてないかもしれないけど、攻撃をしているわけ。「思ったことを言っただけだ」と言うかもしれないけど、攻撃をしている。けど、本人にとってはあたりまえすぎることなので、わからなぃ。ほんとうに思ったことを言っただけで、攻撃したわけじゃないと思っている。どれだけ、偏見が強いかということだ。どれだけ、人格の根本が偏見と一体化しているかということだ。わかるかな?

まあ、人間は老化するし、病気にもなる。老化すれば「働きにくくなる」し、病気になれば「働きにくくなる」。で、まあ、俺にそういうことを言ったやつが老化して、病気になって働けなくなったときに、ぼくは言ってやるのさ。「どうして働かないんだ」「人間は働くべきだ」。とね。ぼくは、そいつが働けない理由は一切合切、認めない。ぼくが、そいつの働けない理由を認めないのだから、ぼくにとって、そいつは、働ける人間だ。「働ける人間なのに、働いてないのはけしからん」ということを、言って、攻撃してやる。 そいつが「働けない理由」は認めない。何度も繰り返すけど、ぼくが……発言の主体者である僕が……相手の働けない理由を認めないのであれば、ぼくのなかでは、そいつは、働けるのに働かない人なのである。最初から、働けない理由を認めないということが決まっている。それは、ぼくの労働観や道徳観に根差したものだから、これも絶対にゆずらない。

ただたんに、そういう状態じゃない……から、言えることだ。自分がそういう状態を経験したことがなく、自分がそういう状態なら、働けなくなるだろうということを考えたことがない人間は、そういうふうに反応する。相手が言っている理由は、働けない理由としてはじゅうぶんではないのである。なので、相手が理由を言ったあとも「どうして働かないんだ」「人間は働くべきだ」と言う。「理由は言ったのに、しつこいな」「なにを聞いてんだ」と思う。 なので、相手は「老化したと言っただろ」「病気になったと言っただろ」と反応する。けど、ぼくは、老化や病気を働けない理由とは考えない。どうしてなら、その時点で老化してないし、その時点で病気ではないからだ。この設定は、ちょっときついんだけどね……。まあ、仮定の話をしているわけさ。ようするに、他人事だから関係がないということだよ。だって別のからだなんだから……。そいつが経験している老化や、そいつが経験している病気を経験してないのであれば、その時点で、そういうことが言える。だっーーって、自分のこととしてはわからないわけだから、自分が相手の様子を見て、「働ける」とか「働けない」ということを判断しているだけだ。相手が実際に働けないのかどうかなんて、関係がないんだよ。どうしてかというと、自分のことじゃないからだ。自分のからだのことじゃないからだ。自分が経験したことじゃないからだ。聞いて、判断するだけだからだ。「話としては理解した」「病気なんでしょ」「老化したんでしょ」……理解はした。けど、自分にとって、その病気や老化は、経験したことがないことで、働けない理由にはならないと思うのである。だから、相手が言ったあとも、「働けるはずだ」という基本的な考え方がかわらない。なので、相手が理由を述べたあとも、まるで理由を聞かなかったような態度をとる。相手の理由を認めない以上は、「人間は働くべきだ」と言うのは、よいことであり、別に攻撃ではないのである。けど、相手が言ったことを無視しているよね。「そんなのは、働けない理由にならない」と明言してなくても、そう思って、「人間は働くべきだ(だから、おまえも病気とか老化とかを理由にしないで働くべきだ)」と言っているよね。これって、攻撃じゃないの?


まあ、いいか。


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