いろいろ、やるとなると、めんどうなので、現状維持になってしまう。現状維持ですら、つらい。
なにかやろうとすると、それなりに金(かね)がかかったりする。まあ、もちろん、現状維持だと、追加の金(かね)はかからない。もう、もっているから、それを使うだけだ。だからまあ、「どうするかな」と思ったりする。
いまも、となりのゼロ戦室外機がうなりをあげているのだけど、とりあえず、ノイズキャンセラーヘッドホンをつけている。これは、イヤーマフとおなじぐらいの効果しかない。
けど、まあ、やることというのが、もうける方向ではなくて、カネを使う方向のものになるので、やっかいだな。まあ、もうける方向のやつも、考えてないわけではないのだ。しかし、使う方向のやつですら、めんどうなのに、もうける方向のやつは、もっとめんどうだという性質がある。性質と書いたけど、実際そうだ。
みんな気がついてないけど、しずかに、淘汰が進んでいく。これは、自然淘汰ではないのだけど、淘汰だと思う。みんな気がついてないけど、たいへんな時代に生まれてしまったのだ。
で、まあ、全世界的なことと、自分のことは、関係している。むかしは、無視できた。2018年ぐらいまでは、全世界的なことなんて、無視できたのだ。けど、いまは、できない。関係しちゃっている。相当に、関係しちゃっている。なので、「自分のこと」を考えるとき、全世界的なことを考えなければならなくなっている。
自分のことだけ考えても、無視できない影響が「おそってくる」ので、無関係ではいられないのだ。「それは」……「自分のこと」に影響をあたえる。体調だって、そのうちのひとつだ。となりの騒音に関しては、個人的な問題だ。それは、全世界とは関係がない。けど、トラスンミッションは、全世界的なことで、関係があるのだ。だから、アパートを借りるときも、考えなけばならないことのひとつになる。
* * *
淘汰うんぬんは、思いあがった気持ちで言っているんじゃない。まあ、不適切だったかな。基本、ぼくも、淘汰される側の集団に入っている。なので、別に、「俺は、淘汰されない」という立場から言っている言葉ではない。これ、「なに言っているんだ」と思うかもしれないけど、ものすごくやばい状態になっている。日本は特にやばい状態になっている。これ、たとえば、あれをやらなければ、それで、淘汰されない側に立つことができるというわけではないのだ。あれをやった人と、一緒に住んでいれば……問題がしょうじる。これ、ランダムに生きのこった人が、生き残るということになる。これまた、言ってしまうのは問題があると思うけど、あれをやった人のうち、2030年まで生きのこる人は、だいたい50%だ。だから、やっても、なんともない人?が、2030年には、半数ぐらいいることになるだろう。だから、その人たちはラッキーなんだよ。いっぽう、あれをやってないのに、影響をうけてしまう人たちがいる。
普通の健康診断では見つけられない問題が、いくつかある。だから、それにあたった人は、「突然」死んでしまう。「突然」死んでしまうように見えるけど、じつは、理由がある。その理由は、深く静かに進行する。みんな、10年先の作用について考えてない。それどころか、1か月でも、経過していたら、「関係がない」とみなしてしまう。これは、大きな、あやまりだ。まちがいだ。これ、まちがっているのに、わかってない人がいるんだよな。あと、副反応という言い方だけど、これもおかしい。けど、ほとんどの人が気がついてない。副反応が起こっているとき、なにが起きているのかということについて、みんな、勘違いしている。しかも、これ、反ワク研究者や反ワク医者でも、言及してない部分なのだ。インテルだって(微塵も)言及してないよ。こういう基本的なところで、まちがいをおかしている。これは、やばいんだよね。