ぶざまを漢字で書くと、無様とか不様とかと書くことになる。
無様は、様(さま・ざま)がないほど、不格好だという意味になる。
様というのは、様子とか状態という意味だ。
様がありえないほど、不格好。
不様というのも、不格好な様(さま)だ。
けど、無様と不様で、意味のちがいはないという意見もある。
不様と無様で、意味のちがいがあるのかどうか、ぼくにはわからない。ただ、様(さま・ざま)が「無い」ほど、不格好だというときは、「無様」を使い、ただ単に「不格好」だというときは、「不様」を使うというのは、どうだろうか。
もっとも、ぼくは、たいていの場合は、ひらがなで「ぶざま」と書くつもりだけど……。
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「ざまあみろ」という言い方もある。これも、「様(ざま)を見ろ」ということなのだ。「自分の「状態、ありさま、様子」を見てみろという表現なのだ。「
ざまーみろ」とか「ざまみろ」と表現される場合もある。
これも、すでに自分が嫌悪感をもっている相手に対して使われる表現だ。
「ざまをみろ」の「を」が、「ざまあみろ」の「あ」に音変化しているのかどうかわからない。「を」が「あ」に音変化する場合って、ほかにあるのかな? ただ単に「ざまみろ」を「ざまあみろ」と言っているのだけなのか、わからない。 まは、あ段だから、のばすと「あ」になりやすいよなぁ。
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関係度は小さいけど、
『オノマトペにおける濁音の分布と意味』というおもしろい論文を見つけた。
https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900034323/KJ00004164689.pdf
これは、おもしろい。たしかに、濁音化している場合は、なんとなく不快感を表しているような感じがする。そういう言葉が多い。けど、不快感を表していない場合もあり、その場合は、主観的に不快ではない場合が多い……。清音と濁音をくらべた場合……その傾向はあるような「感じ」がする。
濁音と半濁音をくらべると、半濁音のほうが、濁音よりも「好感をもっている」感じがする。そういう言葉が多い……感じがする。「なぜか」に関しては、人間がそういう感覚をもっているからだろう。
脳みその構造が影響しているように思える。
濁音グループと半濁音グループにわけて、濁音グループを聞いたとき、あるいは、半濁音グループを聞いたとき、脳の、どの部位がどのように反応しているのか、調べるのもおもしろいかもしれない。
けど、すでに、(その人間が)言葉の意味を知ってしまっているので、どっちがどっちに影響をあたえているのか、わからないということが言える。
けど、いろいろな言語において、濁音グループと半濁音グループでどのような意味があるのか(どのような意味がある言葉が多いのか)ということについて、あわせて、調べてみると、おもしろいことがわかるかもしれない。
期待度はかなり低いかな。濁音と半濁音をくらべた場合について書いたが、清音と濁音をくらべる場合についても、もちろん、調べるべきだ。
日本語に関しては、たしかに、濁音化している場合は、不快感をしめす場合が多い。マイナスの意味が付与されている場合が多い。あるいは、濁音化している場合は、大きさにおいて大きい、強さにおいて強い感じがする。