2019年10月13日日曜日

これに関しては、俺の選択だからしかたがない。


腹が痛くなった。けど、まあ、これに関しては、俺の選択だからしかたがない。

格好をつけたがる人は、「すべては自分の選択だからしかたがない」と言う。もちろん、その人に関することであれば、それで問題はない。勝手にそう考えてくれ。しかし、「すべては自分の選択だからしかたがない」という言葉を他の人に向けて言ったら、どうなるか? それは、自分が自分に対して言う場合とは、ちがう意味を持ってしまうのである。「すべては」というのはそもそもが、おかしい考え方で、むりがある。自分が自分に対して言うのはまったくかまわないが、他の人に言うことはさけたほうがいい。自分の選択ではない問題があるからだ。どうして、「すべては」と決めつけてしまうのだ? 人にどんなことを押しつけているのか、まるで自覚がないんだよな。たとえば、AさんとBさんがいて、AさんがBさんに「すべては自分の選択だからしかたがない」と言ったとしよう。それを聞いたBさんがAさんを何回もぶんなぐったとしよう。その結果、Aさんは、一生立てない状態になったとしよう。その場合は、もちろん、Aさんが言うように『Aさんの責任だ』。Bさんの責任じゃない。AさんにとってはすべてはAさんの責任だから、もちろん、Bさんになぐられて一生立てなくなったとしても、Aさんの責任だ。
しかし、Bさんが背負ったことについて、Bさんには責任がない場合もあるのである。AさんはBさんの事情を考えずに、勝手にBさんのせいだと決めつけている。これは、Bさんに対する侮辱に他ならない。Aさんは、勝手に自分の信念のために殉教する覚悟があるのだから『今後一生、立てなくなる』というような問題はささいな問題なのだろう。『死』にくらべたら、一生立てなくなるというのは、たいした問題ではないからだ。死と比較したら、小さな問題だという意味。死にくらべたらの話しだ。もちろん、ほんとうは、Aさんが言葉の暴力を使ったのに対して、Bさんがからだの暴力を使ったことにかんしては、ぼくは『行きすぎ』だと思う。しかし、Aさんにとっては、『行きすぎ』とかそういうことは関係がないのである。すべては、Aさんの責任だからだ。


まあ、Aさんのなかでは、Aさんの自己責任なのだろうけど、Bさんの行為は(社会的には)罰せられる可能性がある。

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